大学受験|英語
名人の授業・気鋭の講師
名人の授業シリーズ 永田の英語の神髄 長文読解法講義

はしがき
君達受験生の目的は、もちろん大学入試に合格することであろう。受験生が合格を願うのは当然のことであるし、目標を立てて、その目標を達成出来なければ意味がないことも確かだ。したがって、君達は、合格という目標を達成する受験勉強をしなければならないことはもちろんのことだ。
しかし、大学合格が最終目標であれば、どんな手段を講じてでも、つまり、一番手っ取り早い方法で目標達成すればいいのだが、我々の最終目標は、ただ大学に合格することではないはずだ。そして、その最終目標は、各人の存在理由とでも呼ぶに等しいはずのものであるから、一人一人異なるはずのものである。大学合格は、そうした『自分探し』という、その後に続く目標の通過点にしか過ぎないはずなのである。ならば、その後に続く遠大な目標を視野に入れながら、大学合格という通過点を越える方法論を探ることが、自分という存在に対する最も誠実な態度であると言えるだろう。
英語の勉強を例にとって考えてみよう。我々日本人は、『言語学習の本質的意味』つまり『言語と人間の思考との本質的な関係』を無視し、「日本人のアイデンティティーである日本語」までも放棄し、入学試験に合格するためだけの英語の勉強法をひたすら強いられてきた。だが、自己の判断基準を放棄し、ひたすら“正しいと言われる英文”を丸暗記するような「無機的な学習」をして、たとえ大学に合格したとしても、そうした人間が、社会的に見て価値を持たなくなってきていることは、「判断基準を失ってしまった日本人」や、国際的な場において「自信を失ってしまった日本人」を見ても明らかであるし、さまざまな社会の不条理を目の当たりにして、君達自身が、一番そのことに気づいているはずなのである。
我々日本語を話す“ヒト”が、外国語としての英語を学ぶ目的は、英語を流暢に話す国際的教養人になるためなどでは決してなく、普段使用しない英語という我々にとっては非日常的な言語を媒体として考える訓練をするために他ならない。現実の大学の姿がいかなるものであろうと、大学の存在は、“各学問分野の中で考える”ことをその本分とするものであるから、大学入試は受験生が考える訓練をしてきているかどうかをはかるものでなくてはならないし、またそうした方向に軌道修正しなければならないはずである。
本書は、入試英語を材料にして、大学がいかなるものを受験生に問い、それに対応すべき考え方をいかに身につけていくかを明晰に示そうとしたものである。しかしながらその真に問いかけているところは、大学入試を越えて、英語を意思疎通の媒介手段として用いているヒトの呼気を正確に感得する訓練の場を提供しようとするものである。つまり、英語という言語が手段として用いられる場合の規則(文法)を理解したうえで、あるヒトが伝えたいと念じているものを直観する方法を示そうとするものである。
本書を利用し勉強される受験生には、これを基にして、大学合格を手にすることはもちろんのこととして、自らの考えを創りあげ、自らの存在に確信を持ってもらいたい。本書がその作業の手助けとなればと、願うしだいである。