大学受験|数学
佐藤の数学教科書 図形と方程式編

「図形と方程式」について
数学の発展の歴史に沿って、小中高校で使う数学の教科書がつくられている訳ではありません。
たとえば、小学校で学ぶ小数と分数ですが、すでに2千年も前にギリシャの数学者たちが分数を使っていましたが、小数が本格的に用いられたのは、16世紀のオランダの技術者によってです。しかし、現代では、小数の方を先に、分数を後にする授業を行っています。
とはいえ、ほとんどの内容は、数学の発展の歴史に沿って、教科書の記述がなされています。それは、歴史の必然性から来ているといってもよいでしょう。
16世紀に入ると、ガリレイやケプラーの業績は、正確にしかも明晰に記述する必要に迫られます。それは、彼らの仕事が、従来の価値観を一変するものであったからです。ガリレイは、投げられた物体はすべて放物線を描くことを発見し、また、振り子の等時性を発見し、さらに天体を観測して地球が自転することを発表するなど、当時の科学知識のレベルでは、観測者だけが知りえる自然界の秘密であった事実なのです。したがって、流言飛語と受け止めた法王庁の反応は、当然ながら、きちんと理由を示さずにその秘密を暴くことを糾弾するものでした。
ケプラーも、天体の観測の結果をまとめて、驚くべき天体運動の3大法則を結論しました。それは、恒星は太陽の周りを、太陽を焦点のひとつとして、楕円軌道を描くというもので、ガリレイよりも正確でした。ケプラーの受けた迫害も激しいものでした。当時の心ある為政者にしろ、良識ある教会の聖職者にしろ、自分たちの理解できる方程式を用いて記述された文書があるならば、信ずるに足るものかどうか正しく評価し判断できるのだが…、という風潮が生まれ、新しい表現方法の創意工夫と記号の発見が急務でしたし、それが歴史の流れでした。
そんな時代に、デカルトが誕生したのです。デカルト以前から、数直線上に数を刻んで、その数の大小関係を考え、2点間の距離を求めることは行われていたのですが、放物線や楕円の式は、2次元の世界でこそ存在しうるものですから、1次元の数直線上では表現できません。デカルトが考え、創出したものは、2本の直交する数直線上に目盛りをとり、これを両軸とする座標平面という画期的なものでした。これによって、従来、数や式を扱う分野の代数学と、平面図形を扱う幾何学が融合して、一度に同じ場面で総合的に扱われることになりました。
つまり、数や式(これを方程式ということばで表現します)を点の集まりと考えると、それらの点の集合を平面上の点の集合と捉えることができます。それによって、方程式を関数と考え、関数の表すグラフとして、具体的に見える形として扱うことが可能となりました。すなわち、点の数量化が可能となったのです。幾何学の研究対象であった三角形、直線、円なども平面上にそのまま写され、しかも、これらの図形を点の集合と考えれば、逆に方程式に表現できることになり、方程式を代数的に扱う(これを数学では解析的に処理するという)ことによって、幾何学の問題を容易に証明することができるようになりました。
このように、座標平面の発明は、代数と幾何を融合させ、16世紀以降の数学の発展を劇的なものとしたのです。その特徴は、方程式の目に見えない抽象的な性質を目に見える具体的な形のグラフに表示できるということです。同時に、これは、目に見える形の図形やグラフは、方程式や関数の形に表現して、普遍性のあるものにしてしまうという力があります。
以上のように、「図形と方程式」の歴史的な発展の出発点を見てきましたが、本書では、これらのことをわかりやすく克明に解説し、詳しく説明しています。
佐藤恒雄