大学受験|英語


究極の東大対策シリーズ 東大英語総講義

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東大に受かる人

 この本は僕が過去二十数年、東大受験者とともに作業してきたことをまとめたものです。多くの人たちを見てきましたが、東大英語をクリアして合格する人に共通する特徴として、以下のことがあげられると思います。
(1)基礎ができている。つまり基本的な構文知識と語彙が身に付いている。
(2)文法の袋小路に入り込まない。細部を積み重ねた結果として読める、でなく、早く内容そのものを読もうという意識が強い。
(3)今読んでいるものを、外部コンテクストの中に位置付け、これまでの知識を総動員して、考えることができる。だから、勘がいい。
(4)自分の考えを客観視できる。したがって、英文を書くとき、言いたいことの本質を表現することができる。
(5)仕事が早い。
 つまり東大受験者はそうなれば合格者になれるわけで、これはそうなるための本です。blood, sweat and tears だけではない(もちろん、努力ができるというのは最低限必要な資質ですが)正しい方法論があると思っていますので、それを書きました。

英語ができるようになるまで

 英語ができる(大人の英語を読み・聞いて理解し、筋の通った内容を英語で発信できる)ようになるための必要事項は以下の通りです。
 まず基本として [1]文の構造が分かること。これについては高校2年ぐらいまでにほぼすべて学習済みです。とはいえ「習った」と「身に付いた」は別ですから、人によってはまだ練習が必要でしょう。次は [2]論述の構造。パラグラフ、文章全体という大きな単位がどう組み立てられているか、ということですが、これはまだ意識的に学習した人が多くありません。この本のかなりの部分はそれを扱います。これとは別に、型の問題としてはとらえられない [3]英語的発想という要素があります。例えば日本語では「いい考えが浮かんだ」と頭の中で起きるようにとらえる現象を、英語では A good idea came to me. / A bright idea occurred to me. と外から来るものとしてとらえる、というようなことです。最後に、と言っても4番目ではないのですが、最終的に英語が使えるようになるか否かを決めるのが [4]単語力です。あるところを超えたら「英語のできる人」イコール「単語をたくさん知っている人」となります。野蛮な話ですが事実です。ですから、将来英語を使ってビジネス・学問をやるという予想がある人は今からせっせと単語を覚えることです。東大の問題は語彙力を試す問題でないというのは事実ですけれど、入試で必要ないから覚えない、と心をケチにした時点でその人の英語力はストップします。
 ところで東大の入試ですが、現時点では(とはいえ十数年間ほぼ変わらず)以下のような構成です。

第1問 A 要旨記述 B 長文(主として論説文)段落完成・段落整序
第2問 作文2題
第3問 リスニング3題
第4問 A 文精読/語整序 B 下線部訳
第5問 長文(小説あるいはエッセイ)

 制限時間は120分(うちリスニングが約30分)。120点満点です。多くの人は80点、つまり3分の2を1つの目標としており、実際80点を超えた人のほとんどが合格しています。
 そしてこの設問は上に述べた「英語ができるようになるまで」ときれいに対応しているのです。

第1問A、B は [2]論述の構造を読めるかを試す問題。
第2問は [1]文の構造・[2]論述の構造および [3]英語的発想の力を活かして英文が作れるかを試す問題。
第3問は [2]論述の構造と密接に関係があります。
第4問 A は主として [1]文の構造が精密に分かるかどうかを試し、B は [1]文の構造および [3]英語的発想の力を試します。
第5問は [2]論述の構造も重要ですが [3]英語的発想について盛んに聞いてきます。

 そして言うまでもなく [4]単語力がこのすべてのベースになります。また東大入試ではいわゆる「基本語」についてかなり突っ込まれることも知っておいてください。中学で習うような語が実は難しかったりするからです。
 東大入試の準備をしながら結果としてこの本は「英語ができるようになるまで」をテーマとした本になっているというわけです。
 1つ付け加えるならば、東大の問題はすごくよくできていると僕は思っています。大学入試問題には受験の「お約束事」を覚えてきた人に点を与えようといういかがわしいものが多いのですが、東大の問題はそういうものを拒否している。逆に、TOEIC や TOEFL などと違って、英語に慣れているだけでは答えられない問題も多い。きちんとした言語センスを身に付けた人が(まだ語彙力が不足していても)点を取れるように作られています。この先、東大の問題も時代に合わせて変化していくのでしょうが、知識人としての potential を試そうという根本的な姿勢は変わらないと思います。

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