大学受験|古文

名人の授業


栗原の古文単語教室

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 さて,皆さんはどうして「古文」を勉強しているのでしょうか?
 大学受験の入試科目にあるから,嫌々やっている人がほとんどでしょう。私も高校生の頃はそうでした。
 もう,誰も話していない「死語」を学ぶ価値が見出せない。だから,積極的に勉強する意欲がわかない。いわゆる「古文単語集」をひたすら丸暗記し,「古典文法」も丸暗記し,後は「過去問」をひたすら解く。これは難行苦行ですね。あるいは「若者を苦しめるため」に大人が無理矢理に課した「パワーハラスメント」のようなものに違いないと邪推する人もいるでしょう。
 しかし,「古文」を学ぶことによって,まだ誰も解決したことのない大きな謎を解明でき,新たな可能性を見出すことができるとしたらどうでしょう。

 現代の言語学は,「現在の話し言葉」の研究が第一です(これを共時的研究といいます)。だから,「比較言語学」といえば,その対象は同系関係が認められている言語間のみとなります(例えば同じラテン語から分かれたフランス語とイタリア語とか)。ところが,現代日本語は他の言語と共通の祖語が見つからない,いわゆる「孤立言語(言語の類型的分類とは違う意味での)」のため,「比較言語学」の対象にはなりません(日本語と外国語を比べることは「対照」という違う用語で区別しています)。
 かつて,「ウラル・アルタイ語族」という,ウラル語族とアルタイ語族の総称が使用されていた時期があり,日本語もこの系統に属すると考えられていました。しかし,現代の言語学では共通する基礎語彙がほとんどなく,同系性を示す証拠(※)がないため,この概念自体が認められていません。また,語彙に関しても,日本語と関連性がありそうな言語は,現在他に見当たりません。

 でも,もう少し,時間を遡れたらどうでしょうか。例えば,高麗(コリョ)時代の『三国史記』(1145年)には,ほんの数語ですが日本語と音韻的共通性の認められる「高句麗(コグリョ)語」(※)の語彙があります。高句麗(前1世紀頃〜668年)では,同時代に朝鮮半島に存在していた百済(ペクチェ)や新羅(シルラ)とは違う「高句麗語」が使用されていたようです。資料があまりにも少なく,真偽のほども定かではないですが,現在残されている確実な史的資料をさらに精査・研究してゆけば,新たなことがわかるかもしれません。このような各言語の通時的(歴史的)研究がもう少し進んだら,日本語の系統や祖語が解明されるかもしれないのです。
 人文科学においては,共時的研究と通時的研究は車の両輪だと私は思っています。確かに現代の様々な社会現象・文化現象は複雑で,まずは共時的研究が大切であることには変わりありません。でも,それだけでは理解できないことがこの世にはいくらでもあります。
 だから,皆さんがどのような道に進まれても,通時的な考察も忘れないでください。必ずや,新たな
発見があるはずです。

 さあ,「古文」を楽しんでください。それだけが私の願いです。

令和元年十二月 栗原 隆

※同系性を示す証拠
上代日本語には「母音調和」の痕跡があったとする学説もある(「有坂・池上の法則」1932年)。

※高句麗語
『三国史記』巻37の地名表記による「三」「五」「七」「十」「兎」「鉛」「谷」が共通するという。

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