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人生は「選択」の連続である。しかし大学受験を経験するまで藤原誓二はそれを意識したことは一度もない。高3の夏から東進ハイスクール新浦安校に通ったのも、周囲の雰囲気に押されて「何となく」だった。入学時に試しに受けたテスト(センタープレ入試)は英語が30点台、数学は「I・A」が30点台、「II・B」に至っては20点台だった。
「高校時代は部活や遊びに夢中で、全くといっていいほど勉強していなかったんです。それでも人並みに大学に行きたいと思ったのですが、当時の新浦安校の担任に“今のままじゃ人並みも無理ですよ”とキッパリ言われてしまいました(笑)」
しかし、些細なきっかけで人は大きく変わることがある。それは「高等学校対応英文法」という名の授業だった。「関係代名詞とは何か?」など高校英語の基礎の基礎から理屈を説明してくれるその内容に「そうだったのか!」と目からウロコの体験をした藤原は勉強の面白さに開眼。もともと好きだった数学や物理の授業も意欲的にこなすようになり、周りが驚くほどの躍進ぶりをみせた。
「“勉強している”という感覚ではなかったですね。安河内先生(英語)や沖田先生(数学)など個性的な先生による授業はどれも楽しかったし、何よりもやればやっただけ結果に反映されていくのが嬉しくて仕方ありませんでした」
センター試験本番も好成績で、センター受験した中央大学・理工学部をはじめとする3つの大学に合格した。東進に入学した時の成績を思えば奇跡と言ってもよい。けれど藤原は満足することはなかった。
一番行きたかった東京理科大学に不合格だったのが悔しかったんです。それにこのまま勉強を続ければ自分はもっと伸びるんじゃないか、という気持ちもありました」
もしも高2から受験勉強をスタートしていれば違っていたのかな?そんな後悔もよぎった。藤原は悩み、そして決断した。
「来年もう一度チャレンジしよう!」
それは「流されて生きる人生」との決別だった。藤原は人生で初めて、自分の進む道を自ら選び取ったという感覚を得たのである。
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3月の終わり。本科コースのある津田沼校に籍を移した藤原は初回の担任との面談でいきなり度肝を抜かれた。1コマ90分の講座を1日4コマずつ受講することを前提に作成された学習計画表。むろん授業を受けて終わりではない。加えて授業の復習、問題演習、明日の授業の予習……。密かに集中力に自信があった藤原も想像以上のハードさに「もうちょっと勉強量を減らしてほしい」と訴えたら、「減らすのは構わないけれど、早稲田には受からないですよ」と一蹴された。
は浪人を選択した時、藤原はさらに高い目標を設定していた。
それがどういうことを意味するかを改めて思い知らされました。どんなに大変でもやるしかないんだと!」
時間を節約するために授業はすべて1.5倍速で受けた。初めの頃は3コマで脳が飽和状態になり、4コマ目は画面をただ目で追っているだけ。それでも深呼吸するなど気分転換をはかりながら必死でついていったら、やがて新たな境地が開けてきた。
「正直言えば、高3の頃は結果を出すことで周囲の自分への見方が変わることに喜びを感じていた。でもそんなことはどうでもよくなっていったのです。新しいことを知ったり、わからない問題を解けるようになったり……そんな風に、自分が成長していくことが快感でした」ワンランク上の各科目の本質を突いた講座が藤原を変えたのだ。
「長岡先生の〈数学ぐんぐん〉シリーズは、難関大の受験のエッセンスがすべて盛り込まれているといっても過言ではありません。どんな難問も“すべては基本にある”ことを教えてくれました。また苑田先生の物理は公式を暗記せずに、物理の概念から自分で公式を導き出して解いていくという驚きの内容でした」
さらに志望大学への気持ちも変化してきた。「少しでも名のある大学に入ったほうが将来に有利」という考えから、「建築家になるために質の高い授業を受けたい」と考えるようになった。
雨の日も風の日も毎日東進に通った。朝9時から夜9時までホームクラスにほぼ缶詰状態。藤原が1年間で受講した講座数は優に40を超える。
津田沼校舎では本科生全員が一つの家族のようだった。「ひとりで受験勉強するなんて考えられない」と藤原は言う。時間を無駄にできないからこそ、共に昼食をとる1時間が至福のひとときに感じられた。スランプになったら黙々と机に向かう仲間の姿を見て、やる気を奮い立たせた。
また単調な日常の繰り返しのなかで節目となったのが模試だ。
「センタープレ入試は2カ月に一度実施されるので学習のペースメーカーとして最適でした。難関大本番レベル記述模試の問題は難しく、きちんと復習することで、視野が広がり、一般入試に必要な学力を知るのに役立ちました」
模試の成績には波があったが、特に気にしないで知識の定着や弱点補強のツールとして利用した。
冬になると担任のアドバイスを受け、志望校の入試に照準を絞った大学対策講座を受講。と同時に志望校の過去問を解き始めた。学力面・精神面共に最終段階の調整に入った。
英語」186点、「数I・A」96点、「数II・B」100点、「物理」87点…。高3時から既に一定レベルに達し、この1年でさらに強化されたセンター試験の結果はまずまずだった。〈この勢いで波に乗ろう〉。その数週間後からスタートする早稲田大学をはじめとする本番入試に向けて気合い十分だった。
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私大入試の2日目は昨年の志望校である東京理科大学の試験だった。この1年の努力を思えば失敗は絶対に許されない。しかし、またもや藤原は打ちのめされる
「問題のレベルがセンター試験や初日の明治大学とは明らかに違っていました。パニックになり自分でも解けているのか解けていないのかわからないまま、何とか解答用紙だけは埋めました」
そして上智大学、慶應義塾大学、早稲田大学とトップレベルの私立大学の入試が続いた。そしてこの「問題のレベルが違う」という感覚はどんどん増していき、藤原は満身創痍で受験を終えた。
第一志望の早稲田大学の合格発表日。藤原はある国立大の二次試験会場にいた。センター試験の結果が良かったので担任から「挑戦してみないか」と勧められ、受験することにしたのである。その数日前、藤原は東京理科大学に合格していた。かつては全く歯が立たなかった大学へのリベンジ。
「なのに早稲田の結果が気になって100%喜べないんですよ。そんな自分に自分でびっくりしました」
それは2年を費やし、自分の限界まで勉強してきたという意地と誇りの証しだった。
午後の試験が始まる前の休憩時間。いきなり父からメールが届いた。不思議に思って開くとなんと藤原の早稲田大学合格を知らせるメッセージだった。
〈たった今、誓二が早稲田に受かったという連絡がお母さんからありました。おめでとう!〉
それを目にした瞬間、藤原のテンションは一気に上昇。自分が試験会場にいることも忘れ反射的に教室を飛び出し、母に確認の電話を入れた。
「まさか…あなたが早稲田に受かるなんて…まだ信じられないよ。本当によく頑張ったね…」
泣きながら途切れ途切れ話す母の声。しっかり者の兄とは対照的に藤原はいつも物事に対して素直になれなかった。不器用な自分に腹を立て、家族につらくあたったこともある。それなのに「もう1年勉強したい」とわがままを言った時、黙って許してくれた父と母には感謝しても感謝しきれない。〈ずっと見守ってくれてありがとう〉。照れくさくてどうしても言えなかった言葉を帰ったら真っ先に言おうと藤原は心に誓った。
そして2008年春。藤原は大学院進学を視野に入れ、憧れのキャンパスで建築の勉強に励んでいる。やりがいのある講座、個性的な仲間達。安易に進路を決めていたらここにいることはなかっただろう。「人生は選択の連続」というのは、「自分の人生は自分で切り拓く」ということなのだ。