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大学受験の東進ハイスクール 涙の体験記
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夢を実現するために――。担任との二人三脚で、部活と受験勉の両立に挑む
高3の10月末。ラグビー部の県大会、来年のシード権を賭けたベスト8決定戦。秋元健太は試合中、右足首に激痛を感じ、フィールドにうずくまった。
(嘘だろ!?)
秋元にパスが回り、敵を振り切って抜けたと思ったら4人に囲まれ、あっという間にのしかかってきた――その直後の激痛だった。
それでも戦い続けようとする秋元だったが、あまりの痛みで右足がまったく動かず、その場に立ちすくんだ。監督の判断ですぐに病院に運ばれたが、診断結果は骨折。まったく歩けないほどの大けがだった。
その日の試合は無事に勝利し、シード権も獲得できた。しかし、ベスト4を賭けた次の戦いでは惜敗。応援しかできない自分が、とても悔しかった。
「健太のためにも勝つって言っときながら、ごめんな」と泣きじゃくる仲間たち。松葉杖の秋元は、みんなにねぎらいの言葉をかけながら、「3年間、この仲間たちとラグビー続けて良かった」としみじみ思った。
部活引退。受験まであと3ヵ月。しかし、秋元は全く勉強が手につかなかった。足の痛みがひどく、何より受験への気持ちの切り替えがうまくいかなかった。あれほど毎日通っていた東進にも行けない日々が続いた。
「もう、受験なんかどうでもいい」
秋元は、これまでにないほどの絶望を感じていた――。
秋元が受験を意識し始めたのは、高校3年の5月。ちょうど東進に入学した頃だった。
小学校を2年間アメリカで過ごしたこともあり、英語だけは得意だったが、他はほとんど苦手科目。学校の成績は、英語以外は下から数えたほうが早かった。
「どうせ狙うなら、早慶クラスだよ。余裕でしょう!」
根拠もなく楽観的な考え方をしていたが、すぐにその考えは一変する。初めて慶應の過去問を解き、「ヤバい」と痛感した。得意の英語すら、まったく解けないのだ。
他のラグビー部員たちのように、推薦を選ぶ道もある。だが、秋元には、高2の時に他界した父の遺志を継いで、海外で仕事したいという思いがあった。そのためにどうしても、一般受験で自分の実力を試してみたかった。
予備校の中でも東進を選んだのは、秋までラグビー部を続けるため。自分の予定にあわせてスケジュールを組める東進は、部活との両立にぴったりだった。
渡辺担任との初めての面談で、秋元は「早慶に行きたいんですけど・・・」と自分の希望を告げた。すると、渡辺担任は笑顔で言った。
「英語はこのまま伸ばしていこう。リスニングは問題ないから、英文法を固めたあと、長文読解のレベルを上げていく。国語は、基礎からしっかり固め直さないとね」
具体的に今後の方針を打ち立ててくれる渡辺担任に、秋元は信頼感を持った。
渡辺担任の印象は、秋元曰く「とにかく“熱い人”」。同じ体育会系ということもあり、勉強の相談以外にも、雑談で格闘技の話をしたりと、うまく秋元の気分転換をしてくれた。
こうして、秋元は渡辺担任とタッグを組み、志望大を目指して東進に通い始めた。
秋元のヤル気を根本から変えた、夏期合宿で出会った仲間たち
「部活が終わったあとに、毎日来いよ」
渡辺担任の言葉を、秋元は忠実に守った。部活後、東進に駆け込むのは夜の8時半。閉館まで、英語と国語を中心に、1日1講を確実にこなしていった。部活のない日曜は、朝から東進に通った。
しかし、夏になり、秋元の勉強ペースは一気にスローダウンしてしまう。
「部活があるから」を理由にして、勉強を怠けてしまっていた。そんなとき、東進の夏期合宿があることを知り、“気合入れ直さなきゃ”と自主的に参加した。
合宿では、自分よりはるかに実力のある受験生たちが夜遅くまで猛勉強している様子を目の当たりにして、衝撃を受けた。
「部活を言い訳にしてる俺って、カッコ悪いな」
秋元はがぜんやる気になり、勉強に励むようになった。クラス内で成績の伸び率が3位になり、最終日には表彰もされた。受験生活を通じて励まし合える貴重な友達もできた。
「合宿を通じて自分と向き合うことができた」と強い自信を持った秋元は、合宿後、目の色を変えて必死に勉強した。
まず英語は、永田先生の「英語の神髄」を受講。それまで感性で英語を解いていた秋元にとって、英語の仕組みをしっかりと教えてくれる永田先生の講義は、まさに目からウロコの内容だった。英語とは何かを知ることができ、問題を解くペースがぐんと上がり、その後のセンタープレ入試では9割を取れるまでになった。苦手な現代文と古文は、板野先生の「ハイパー現代文」と「ハイパー古文」を受講して、10月のセンタープレでは8月の2倍以上の点数を取ることができた。
ちょうど夏期合宿の頃、秋元は渡辺担任に志望校を相談した。慶應のSFC(湘南藤沢キャンパス)を第一志望に決めたが、当時の秋元にとっては、受かるかどうかギリギリのチャレンジ校。しかし、「頑張れば手が届くかも」と、受験を決意した。
しかし10月、そんな秋元を、冒頭の悲劇が襲う。
ラグビーの試合中の突然のアクシデント。足の痛みと精神的なショックで、1ヵ月間まったく勉強が手につかなかった。
それまでポジティブに受験勉強を続けてきた秋元だったが、もう限界だった。初めて母親に「もう受験を辞めたい」と弱音を吐いた。悔し涙がポロポロと頬を伝っていった。
そんな弱気な秋元に喝を入れたのは、渡辺担任だった。
「何、ここで投げ出してるんだよ!甘えるな!」
11月末、やっと歩けるようになり、東進に訪れた秋元に渡辺担任が見せたのは、秋元が解いてきたこれまでの模試の束だった。
「最初に比べて、ぐんぐん成績が伸びてきてるんだ。お前なら大丈夫!」
“大丈夫”。一度は完全に受験を諦めた秋元にとって、こんなに嬉しい言葉はなかった。
東進のスタッフも、まだ右足が痛む秋元に気を使い、使いやすい席を用意してくれた。
ここまできたら、もうやるしかない!秋元は渡辺担任の言葉を信じ、合格に向かってラストスパートをかけた。
最後の最後まで諦めなかった直前期。そして、合格発表・・・。
それからの秋元は、集中的に永田先生の講義を受講した。永田先生の「文中から英単語を推察する力」によって、センタープレはもちろん、他の模試でも着実に点数が取れるようになった。最初は2割程度しか得点できなかったSFCの過去問も、次第に傾向をつかむことができ、最終的には6割以上取れるようにまでなった。
2月19日。いよいよ本命、SFC総合政策学部の受験日
「永田先生の勉強法を頭に叩き込んでいきました。本番ではすごく手ごたえがあって、簡単だと思えるほどの出来でした」
そして迎えた合格発表日。悔いはない。やるべきことは全てやった。しかし、もともと無理だと思っていたチャレンジ校だ。浪人でも仕方ない・・・。
どうしても自信がもてないまま、秋元は受話器を手に取り、発表を聞いた。
「オメデトウゴザイマス」
―――まさか
「冗談キツいよ!」と呟きながらいったん受話器を置き、もう一度同じ番号をダイアルした。やっぱり同じ「オメデトウゴザイマス」の声が聞こえた。
「マジかよ!?」
思わず秋元は、ガッツポーズをしていた。足の痛みも忘れて、飛び跳ねてしまうほどだった。すぐに、渡辺担任に電話をかけた。
「本当か!?おめでとう!お前、やるなあ!」
電話越しから聞こえる渡辺担任の涙声を聞いて、秋元の目にも自然と涙が溢れた。受験生活で泣いたのはこれで二度目だった。今度はもちろん、最高の嬉し涙として。
(途中で投げ出さなくて、本当によかった・・・)
秋元は、心からそう思った。
そして今、自然に囲まれた美しいSFCのキャンパスで、秋元健太は慶應生として勉強に励んでいる。いつか母に「外交官になりたかった」と語ったという父の遺志を継ぐために、しっかりと未来を見据えながら。
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