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OB・OGの声

OB・OGの声見出し

文科I類から法学部に進学したそうですが、その経緯を教えてください。

 小さな頃から、「困った人を助けてあげられるって素敵だな」という思いがあり、自分の知恵と工夫を武器に困った人を助ける弁護士という仕事に憧れていました。そんな漠然とした憧れを持って東大文Iに入学しました。
 とはいえ、大学に入学してからすぐに一生懸命弁護士を目指して勉強をしていたというわけでは決してなく、駒場時代は友人との交流とアルバイトに精を出し、休みになれば海外旅行をする生活をしていました。弁護士になりたいという青雲の志はどこへやら……。「幅広い知見を身につけたい」という建前のもと、法律とは関係なくラクそうな授業ばかり履修していたため、法律の勉強は殆どしていません。みなさんは見習わないようにしましょう、と言いたいところですが、駒場でキャンパスライフを送る東大の1、2年生は、みんなだいたいそんな感じです(笑)。
 実際に弁護士を目指して法律の勉強を始めたのは大学2年生の初冬です。東大の銀杏並木が黄色く色づく頃、周囲の友人の雰囲気も「そろそろ将来のことを真剣に考えだそう」という風に変わっていきます。僕も、課外活動が一段落ついたところだったので、「真剣に法律の勉強を始めてみようか」と思うに至ったわけです(とは言ってもその後、映画評論家を目指して映画ばかり見る生活が始まるのですが……)。
 幸運なことに僕にとって法律の勉強はとても面白いものだったので、勉強を進めるうちに、法律家になりたいという思いが確固たるものになりました。そして予備試験ルートでの司法試験受験を決意しました。直前期などには大学受験時代以上に勉強しましたが、それが苦痛になることもなく、大学4年生の11月、無事、予備試験に合格することができました。あとで詳しく説明しますが、予備試験に合格すると、その翌年以降、司法試験を受験できるようになります。僕もいまちょうどこの段階で、司法試験を控えている受験生です。2年近くになる法律の勉強に一区切りをつけるために、ラストスパートをがんばっています。司法試験に合格すれば、そこから1年間「司法修習」という研修期間があり、修了後、ようやく法曹としての仕事を始めることになります。

予備試験(司法試験予備試験)とはどのような試験ですか?

 予備試験とは、司法試験の受験資格を得るための試験です。つまり、予備試験に合格すれば、司法試験を受験できるようになるというわけです。ここで少し、法曹になるための制度について説明しておきましょう。
 弁護士など、法曹になるためには「司法試験」という法律のテストに合格しなければなりません。そして、弁護士・検察官・裁判官のどれになるかは、司法試験合格後の就職活動次第ですから、法曹を目指す人はさしあたり司法試験の合格が目標ということになります。「それならさっそく司法試験を受験して法曹になろう!!」と思ったそこのあなた。残念ながら、8 年くらい前に制度が大きく変わり、今の司法試験は、誰もが受験できるわけではなくなってしまったのです。
 司法試験を受験できるのは、(1)法科大学院を卒業した人と(2)予備試験に合格した人の2種類のみです。このうちもし法科大学院ルートを選択すれば、大学院には2年か3年通うことになります。大学を卒業して、そのあと法科大学院に通って、卒業してようやく司法試験を受験するわけですから、司法試験合格は最速でも24歳ということになります。
 これに対して予備試験ルートを選択したとしましょう。予備試験は誰もが受験できます。みなさん高校生も受験できます。そして合格すれば、法科大学院に行かなくても司法試験を受験できるようになるのです! つまり、大学3年生までに予備試験に合格しておけば、大学4年生で司法試験を受験できます。そしてこれに合格すれば、大学卒業後すぐに司法修習に行き、終わり次第法曹になれるというわけです。

理系の人も弁護士になれると聞いたのですが……。

 僕が法科大学院に進まずに予備試験ルートを選択した最大の理由は、予備試験のこの「早さ」にあります。法曹として働くことへの強い憧れがあったので、早く弁護士として社会に飛び出すことができることは大きな魅力でした。これに対して、予備試験ルートのデメリットとして、法科大学院で勉強ができないことが挙げられます。法科大学院では、学者の先生方による最先端の授業と、現場で活躍される現役の法曹の方々によるプラクティカルな授業を並行して受けられるので、学問の環境としては最高です。学生が模擬裁判をする授業もあるようです。また、みなさんも大学生になればわかりますが、学生は本当に自由で楽しいです(笑)。法科大学院に通わないことは、そういう楽しい時間を短縮させることを意味します。大きなデメリットだと言えるでしょう。もちろん、予備試験に合格した上で、さらに法科大学院に行くことは可能です。じっくり法律の勉強をしたい人や、法律学の学者になりたい人が、予備試験合格後にも法科大学院へ進学することが多いように思います。
 もう一つ、予備試験には大きな特徴があります。それは、法学部以外の学部に所属している人も受験できるということです。つまり、例えば理系の人にも法曹になるチャンスが等しく開かれているわけです。もちろん、法学部出身でなくても、法科大学院に進学することは可能です。しかし、法科大学院に在学中は、法律以外の分野の研究(理系の人であればその実験など)については、ある程度中断しなければなりません。それに対して、予備試験ルートならば、自分の専門領域に軸足を置いたまま、独学や資格学校に通って法律の勉強をして、予備試験を受験することが可能です。つまり、「理系出身の弁護士」誕生の可能性がより高いのが予備試験ルートなのです! 実際に、医療過誤の分野では医学部出身の弁護士の先生が、理工系の知識が不可欠な特許(「知的財産」と言います)の分野では多くの理工系出身の先生が活躍されているようです。

予備試験について詳しく教えてください。

 予備試験とはどんな試験なのでしょうか? それを知るには実際の問題を見てみるのが一番でしょう。ということで、予備試験で出題された問題を少しアレンジして紹介してみます。「法学部ではこんな勉強をしているんだ」という紹介にもなれば幸いです。ここで紹介するのは、まだ法律の勉強をしたことがない高校生のみなさんにでも、十分に立ち向かうことができる問題だと思います。素直な心で、名探偵になったつもりで考えてみてください。

■問題■
 ある日、Vさんという人が自宅でくつろいでいたところ、知らない男がピッキングか何かで勝手に鍵を開けて家に入ってきました。男はVさんをナイフで脅しながらロープでぐるぐる巻きにして反抗ができない状態にした後、Vさんの財布を奪って家から出て行きました。財布の中にはVさんのクレジットカードも入っていました。事件の4時間後、Vさんの家の近くの家電量販店で、Vさんのクレジットカードを使ってパソコンを買おうとしている一人の男がいました。名前を甲山太郎としておきましょう。Vさんでない者がVさんのクレジットカードを使おうとするのはおかしいと思った店員が、警察に通報したところ、甲山太郎は駆けつけた警官に緊急逮捕されました。Vさんはロープで縛られながらも、犯人を見てその特徴を記憶しており、「犯人は身長180センチ、がっちりとした体形の20代男性です」と警察に話しました。そして甲山太郎は身長182センチ、体重95キロで27歳でした。この状況で、甲山太郎こそがVさんの家に押し入った犯人だと言えるでしょうか? 言い換えると、甲山太郎に対して有罪判決を下すことができるでしょうか?

犯人がVさんの家に押し入って財布を奪ったことは、まぎれもなく犯罪です。法律的に言うと、住居侵入罪と強盗罪という2つの犯罪に当たります。刑法という法律の130条と236条に書いてあります。問題は甲山太郎が犯人だと言えるかどうかです。そして、甲山太郎は怪しいですね。Vさんのクレジットカードは世界に一つしかないものですから、盗まれた4 時間後にそれを持っていたら「お前が盗んだんじゃないのか」と疑われてもやむを得ない気もします。それに、V さんの目撃証言が甲山太郎の特徴と一致することも、犯人は甲山じゃないかという疑いを深めます。
 しかし、もし甲山太郎が犯人だと決めつけると、法律で甲山太郎は5年以上の懲役刑を食らうことになります。このことを思った途端、「本当に甲山太郎を犯人と決め付けていいのか」という戸惑いが心に浮かびます。そう考えてみると、甲山太郎がクレジットカードを持っていたと言っても、道で拾ったのかもしれないし、誰かから渡されたのかもしれません。Vさんの家に押し入って奪ったとは限らないわけです。Vさんの目撃情報にしても、180センチ90キロの男なんてこの世界にはごまんといますし、そもそもナイフを突きつけられて極度の恐怖状態にあったであろうVさんが、冷静に犯人を観察して特徴を記憶することができたかどうか怪しく、目撃情報が当てにならない可能性もありますよね。
 甲山太郎は犯人なのでしょうか? 甲山太郎が犯人なのであれば、野放しにすることは避けなければなりませんが、もし犯人でなければ、無実の罪(「冤罪」)の人を罰することになってしまいます。これは絶対にあってはなりません。このジレンマの中で、偏見を捨てて情報に向き合うことができるかという、素朴な正義感覚が問われていると思うのです。僕は試験会場で、本当に悩んだ結果、甲山太郎は犯人だと結論づけました。予備試験では、こういった、「もし自分が弁護人として甲山太郎の弁護をするなら……?」といった実践的な想像力(「当事者感覚」といいます)が必要となる問題が出題されます。
 この問題は、実際に出題された問題のごく一部分で、これに加えて甲山太郎の家での奥さんとの会話や、犯行現場に犯人が残したレシートと指紋など、4ページに渡りたくさんの情報が書かれたのが本当の問題です。それらの情報を分析して、甲山太郎が犯人かどうかを、90分かけて1500文字くらいで理由も併せて論述していくことになります。興味がある人は、法務省のサイトに、平成24年度予備試験の【実務基礎科目】というのが掲載されていますので、原文を見てみると面白いかもしれません。

予備試験合格までの道のりを教えてください。

 予備試験は5月・7月・10月の3回に分けて実施されます。3回すべてに合格しなければならず、不合格になってしまうとその年は終了。来年初めから再チャレンジしなければなりません。
 5月の一次試験はマーク式の試験です。法律科目に加え、「一般教養科目」といって物理や哲学や英語などオールジャンルの問題が出る科目もあります。2012年度では、7183名が受験して1711人が合格しました。

東大特進コースでの思い出を教えてください。

 東大特進コースは、生徒としても、スタッフとしてもお世話になりました。
 生徒のころは、林先生の現代文の授業と、荒巻先生の世界史の授業がとてもおもしろかったことが印象に残っています。特に、資本主義・主権国家体制というイデオロギーが世界を席巻し現代社会が形成される過程を解き明かす荒巻先生の授業がまさに目から鱗だったのを覚えています。当時、荒巻先生の授業後のアンケートに「知的好奇心がビリビリ」と書いたら、パンフレットなどの先生の紹介文に採用していただいたのですが、今でも引き続き使っていただいているのでしょうか? もしパンフレットにその記載があれば、それを書いたのは僕です(笑)。先生の授業の余韻で、大学に入ってからも積極的に歴史の授業を履修するようにしていました。
 スタッフとして、1年間受験生のサポートをさせてもらったのもよい思い出です。社員の方をはじめ、スタッフ一同が受験生のみなさんをまるで家族のように思って親身に接する予備校・塾は、他にそう多くはないんじゃないかなと思います。
 また、東大特進コースで出来た友だちで、今でも仲の良い人はたくさんいます。毎年一緒に旅行に行く友人もいて、この前も、東進時代の友人と2人でカンボジアのアンコールワットに行ってきました。スタッフ時代の仲間も、定期的に飲み会があるので、今でも交流が続いています。それぞれ進む道は違いますが、一生の仲間になるのだと思います。

これから受験する方へのメッセージをお願いします。

 「弁護士になるために、予備試験というルートを経ることもできる」ということがわかっていただければ、僕がこの文章を書いた目的は120%達成されます。法曹になるためには、かなりの量の勉強(受験勉強)が必要だと言われています。修得しなければいけない知識の量が多いからです。僕も、大学4年生になったあたりから、(自分で言うのもの何ですが……)かなり勉強をしたと思っています。
 その中で強く思ったことが1つあります。それは、「勉強というのはやっぱり楽しいものなんだ」ということです。もちろん、内容が理解不能で教科書が全く進まないとき、どうしても勉強する気分になれないとき、友達の誘いを泣く泣く断るときなど、辛いこともあります。
 しかし、今まで知らなかったことを知り、世の中を見る新しい視点を得ることは、とても刺激的なことですよね。勉強がそういう意味でとても面白いものなんだということは、東大受験生のみなさんが一番よく知っていることのはず。東大を目指す長い長い道のりの中で、模試や入試へのプレッシャーから投げ出したくなる時もあると思いますが、やっぱり勉強は楽しいんだというフレッシュな気持ちをどうか忘れないで欲しいのです。そういうシンプルな気持ちこそが、みなさんを志望校合格やその先へと連れて行ってくれるんじゃないかなと感じています。がんばってください。応援しています。

自己紹介をお願いします。

 はじめまして、池田雄哉です。この合格体験記が皆さんの手元に届く頃には、東京大学を卒業して、右も左もわからない中財務省でがむしゃらに働いているはずです。4月からの生活が実際にどんなものなのか想像できないので、期待と共に若干の不安も抱きつつ、残された最後の学生生活を楽しみながらこの原稿を書いています。
 今さらっと書いてしまいましたが、僕は幸運にも「財務省」から内定(翌年から採用する、ということを「内定」と言います)をもらうことができました。「財務省」と聞いても、たぶんニュースで時々名前を聞いたことがあるなあ、という程度でどんなところかあまり想像がつかないですよね。今回こうしてOB・OGの声で文章を書く機会をいただいたので、財務省に入るまでにはどのような試験や面接があるのか、財務省はどんなところなのか、といったところを書いてみたいと思います。

財務省での面接について教えてください。

 財務省を含めて省庁への就職を希望する場合、大学4年生の6月末~7月初頭に2週間ほど省庁を訪問して面接を受けることになるのですが、これを「官庁訪問」と呼びます。この官庁訪問が、これがまた結構ハードなのです。
 最初は3つまで省庁を訪問して面接を受けられるのですが、最終的にはどこか1省庁に絞らなければいけません。また1省庁に絞ったからと言って採用してもらえる保証はないので、どこからも内定をもらえないというケースもあります。
 財務省では、1日あたり3~4人の職員の方と、それぞれ1対1で1時間くらい面接をしました。「面接」と聞くと事前に提出した面接カードに沿って質問攻めにあうようなイメージがあるかもしれませんが、官庁訪問での面接は一味違います。これは財務省に限らず他の省庁でもそうだと思うのですが、どちらかというと「議論をする」というのに近いイメージがあります。最初は職員の方から今までしてきた仕事や、現在取り組んでいる仕事の説明があることが多いのですが、その後はその内容についてこちらから質問や意見を述べ、それに対する職員の方の返答に対し、さらに質問や意見を返す……というような形になります(例えば「消費税はどのように変えた方がよいと思うか」と聞かれてガッツリ議論したこともありました)。内容が本格的な政策の話になりますが、当然ながら職員の方はその分野についてのプロです。もしこちらが適当にごまかして話をしようものなら、一瞬にして見抜かれるはずです。最終的に論破されてしまうのは仕方ないとしても、きちんと相手の意見や指摘を正面から受け止めた上で、何とかそれなりに真っ当な再反論やさらなる質問をするように心がけました。
 振り返ってみると、事前に自分なりに政策について調べて意見を持っていくことももちろん必要なのですが、事前に用意した答えだけで乗り切れるものではないなあ、と強く思います。知識を受け売りするのではなく、その場その場で自分の頭で考えてきちんと議論できるか、という能力が問われているのではないかと感じました。そういった能力をじっくり日数と面接時間をかけて見抜くシステムになっているからこそ、しっかりと優秀な学生を採用できる形になっているのではないかなと思います。

試験と面接について教えてください。

 実は、省庁を志望したいからといって、誰でも自由に官庁訪問をできるわけではありません。その前に「国家公務員試験」という試験があって、その合格者だけが官庁訪問をすることができます。試験はゴールデンウィーク前後に行われる一次試験、5月~6月に行われる二次試験に分かれており、大学4年生、あるいは大学院2年生時点で受験する人が多いです。
一次試験は80問の記号選択式の試験で、「専門分野」と「教養分野」がそれぞれ40問ずつ出題されます。専門分野の問題は、法律、経済、工学といった出願時に選択した分野から出題されます。一方の教養分野は、世界史、物理、化学、倫理、時事……というように様々な分野から少しずつ出題されます(なんだかセンター試験に近いですね)。問題のレベルもセンター試験程度ですが、自分で分野を選ぶことができないので、より多くの分野の勉強が必要でした。
 二次試験は、自分で選んだ専門分野の論述試験と全員共通の「政策論文試験」、さらに1 回の面接からなります。この面接は先ほど書いた官庁訪問と違って、志望する省庁には関わりなく一律に行われます。面接官は、公務員試験を所管している「人事院」という組織の職員1人と、ランダムに選ばれたいずれかの省庁の職員2人です。官庁訪問と違って、事前に記入し提出した面接カードに沿った質問が主な「ザ・面接」とでも言うべきものでした。

省庁志望はどのように決めましたか?

 ここまで書いてきたような試験や面接をクリアすれば省庁に内定することができるのですが、そもそもなぜ省庁を志望することにしたかについてです。受験勉強であれば偏差値がかなり大きな判断材料になりますが、いろいろな職業を比べて優劣を決める数値や指標はないので、どんな仕事をしたいか、どんな仕事が自分に向いているかを自分自身で見極めなければいけません。自分の志望先を見つけるための判断材料をいくつか挙げてみましょう。
 まず、省庁や企業が開催する「説明会」というものが挙げられます。説明会では実際にどのような仕事をしているのかという話を聞くことができるので、そういった説明会への参加を通じて自分の就職志望先を決めていくことになります。ときどき皆さんも聞くであろう「就活」というのは、このような説明会への参加が中心になっています。僕は2年生のときに大学のキャンパスで開催されていた省庁の説明会に何回かふらっと参加してみましたが、本格的に参加するようになったのは3年生になってからでした。
 また、「インターン」という活動も判断材料になります。僕自身も3年生の夏に省庁のインターンに参加しました。インターンというのは、1週間か2週間位、オフィスで仕事の体験をさせてもらうものです。企業の中には給料を支給する代わりに重い負担を課すところもあるようですが、省庁のインターンはそのようにハードなものではありません。僕が参加したときには、デスクワークだけでなく、省庁間での予算を巡る会議に同席させてもらったり、他のインターン参加者の人たちとグループワーク(数人で与えられた課題に対しての解答を考えて、最後に職員の方々に対して発表するというものです)をしたりと、いろいろな体験をさせてもらいました。いろいろな職員の方々が歓迎して話をしてくれたので、想像以上に楽しかったなというのが正直な感想です。また、実際のオフィスの雰囲気やどんな職員の方々が多いのかというのを肌で感じられる貴重な機会でもあると思います。インターンの参加者は大学3年生と大学院の1年生が中心ですが、大学2年生で参加している人もいたので、皆さんも興味があれば大学2年生のうちから参加してみても面白いかもしれませんよ。
 最後に、「OB 訪問」というのも、志望先を決める上で判断材料になります。OB訪問というのは、大学の卒業生で自分の気になる企業や省庁で仕事をしている先輩を訪ねて話をさせてもらうというものです。大学の教務課等に置いてあるOBの名簿や、ゼミ・サークル等の繋がりを使い、お願いすることが多いです。一対一でじっくり話せるので何個も質問をぶつけられるし、説明会などと比べてフランクな雰囲気で話してもらえることも多いので、いろいろなことを聞けるいい機会だと思います。もちろん、「OB訪問」などと銘打たなくても、普段の生活の中で就職活動を経験した先輩に話を聞いていく中で参考にできることも多々あります。

どうして財務省を選んだのですか?

 僕は最終的に財務省を志望することに決めましたが、その過程では他の省庁と迷った時期もありました。その中で財務省を志望する理由となった、僕の考える財務省の魅力を書いてみたいと思います。
 まずは、日本にいる全ての人の生活を根本から支える仕事ができるという点です。普段何気なくしている勉強、遊び、仕事……といったあらゆる行動は普段は特に意識することはないと思いますが、ほとんどが公務員がする仕事の上に成り立っています。さらに公務員の仕事の中身を調べてみると、経済産業省や農林水産省といった各省庁の仕事は、財務省の予算配分の上に成り立っています。そう考えると、財務省の仕事は全ての人々・企業の活動をまさに一番根底で支えていて、とてもやりがいのあるものなんじゃないかなと思いました。
 また、その「一番根底から支える」ということとも関係しますが、財務省は特定の分野(○○業など)や地域に重点を置くことなく、全ての分野を見て調整する役割を担っています。もちろん特定の分野をよりよくしていくようにアイディアを出していく仕事も魅力的ですが、全体を見ながら国家のグランドデザインを描くという役割の方が魅力的だと感じたことも、決め手の一つになりました。
 そして最後は、財務省への憧れです。細かく分析し、上記の理由を挙げましたが、もともと財務省への「憧れ」がありました。官庁訪問を通じて、現場で働く財務省の方々から率直なお話をいただく中で、理屈抜きに、「ここで働いてみたい!」という気持ちが生まれ、これが大きな決め手になりました。
 ……と僕自身が財務省を志望した理由を書いてみましたが、どういった仕事に魅力を感じるかは、当然ながら人それぞれです。自分でいろいろ見て、聞いて、考えて、皆さんが最も魅力や適性を感じる場所を見つけて欲しいと思います。

東大特進コースでの思い出を教えてください。

 大学受験期を振り返って一番に思い出すのは、荒巻先生の世界史の授業です。大学の授業でも扱われるような世界史の根源的な理解についての解説があり、大学の期末試験でも荒巻先生の講義で習ったことを自分なりに応用して答案に書いた記憶があります。
 荒巻先生の講義に限らず、大学受験の勉強はその後の勉強に役立つことも多いです。皆さんにも、得意科目、苦手科目ともに妥協せず勉強してもらえたらと思います。

関わりのあった方へのメッセージをお願いします。

 スタッフとして働いていた間は、何よりも生徒のみんなと話していた時間が強く印象に残っています。スタッフとして勉強法の相談に乗る立場ではありましたが、みんなが頑張っている姿を見て、逆に僕が刺激を受けたり、元気をもらったりすることも数多くありました。僕はもう仕事を始めてしまったので校舎に行く機会はあまりないかと思いますが、いつかまたどこかで、生徒のみんなと会えたら嬉しいなと思っています。

昨年8月に司法修習生を終えて9月から弁護士として働かれているようですね。今日は色々とお話を伺いたいです。
まず進路を弁護士にされた理由はなぜですか。

 小さい頃から、資格を取り、女性であっても人の役に立てるような仕事を長く続けていきたいと漠然と思ってはいましたが、文理の選択を決めなければいけない高校2年生の時に、弁護士の仕事は仕事の範囲が広く、色々な分野で社会貢献でき、面白そうだなと思ったのが最初だったと思います。文Iに進学してからは、周囲の多くが法曹関係に進もうとしていることの影響もあり、弁護士になりたいという気持ちがより固まったと思います。また、企業で働くよりも、自分の意思で様々な案件を解決するために動くことができ、お客様により近く感謝をされる仕事だと思ったことも理由にあります。

在学中に司法試験に合格されたと伺っています。
大変なことだと思いますがどのような学生生活でしたか。

 旧司法試験ですから、これから受験を目指す皆さんに参考になるかはわかりませんが、私は入学当初には、茶道、国際関係やテニスなどのサークルに入り、今までやったことがなかったことに色々と挑戦してみました。最終的には、テニスサークル一本に絞り、授業やアルバイトとあわせて充実した楽しい学生生活を送ることができました。サークルでも、アルバイトでやらせていただいた東大特進でもよき友ができ、いまだに交流があります。1年に好きなことをやっておいたので2年からはためらいなく司法試験予備校と大学とのダブルスクールの道を歩むことができました。司法試験予備校でも、多くの友人と切磋琢磨することができ、最初は週2日すぐに週3日に、3年からは週4日と通塾数と学習量をあげていきました。大変でしたかと問われれば、3年の秋頃から4年の夏までの受験直前の期間は、東大受験の時とは比べられないくらいきついものでした。

司法修習生の時のお話を聞かせていただけますか。

 およそ1500人の司法修習生が20クラスに分けられ、埼玉県にある研修所に合計4ヵ月通いました。私のクラスでは、私が最年少でしたが、55歳の方まで幅広い年齢の修習生で構成されていました。司法試験の勉強だけでは得られない実務家として必要な知識を得るため、朝9時から夕方5時まで講義を受け、二回試験と呼ばれる卒業試験に向け勉強しました。司法修習のうち1年間は全国に散らばり、裁判所、検察、弁護士事務所でそれぞれの仕事を経験しました。また、社会修習として海上保安庁でボートに乗せていただいたり、税関やハンセン病施設に見学に行ったりもしました。私は、縁もゆかりもなかった岡山県に配属されたのですが、大変楽しく過ごすことができ、実務修習は本当に良い経験になりました。

現在はどのような仕事をされているのですか。

 私の所属する事務所では250人近くの弁護士が在籍し、企業法務を中心とした幅広い内容を扱っています。私は、企業からの日常的な法律相談、契約書等の検討に加え、額の大きいM&A案件や証券化案件などにも関わらせていただいています。また、国選弁護などの刑事事件を引き受けることもあります。

将来はどのような弁護士になろうと思っていますか。

 扱う業務が多様であることはもちろん、今後はますます弁護士の数も増えていくのでなおさら、ただ司法試験に受かれば良いというものでないことを痛感しています。変化の絶えない社会の中で、日々学習する姿勢を忘れずに、ゆくゆくは一つの強い専門分野を持ってお客様に頼りにされる弁護士を目指し、より長く社会貢献を続けて行きたいと思っています。

東大特進で学んだこと、印象に残っていること、良かったことは?

 授業やテキスト内容がよかったこともあり、私の場合には徹底して復習中心の勉強で臨みました。必要なときに必要なものを凝縮して効率良く学習できるシステム、モチベーションを維持していくのに素晴らしいライバルであり一緒に合格したいと思う友人の存在、そしてなにより心の支えになってくださったスタッフが東大特進のよさですね。自分がスタッフになったときも何とか受験生を応援したいと思っていましたし、大学1年から3年までのクリスマスは受験生と共にありましたね(笑)。

来年、東大を目指す後輩の皆さんへのメッセージをお願いします。

 皆さんも、中学や高校受験で人生の一時期に受験勉強を徹底的にやるという意味や意義を感じていると思います。東大では今までにまったく経験できなかったこと、新しい学問や素晴らしい教授、良き友人や人生の転機になるような素敵なチャンスなどの様々な出会いがあり、世界が広がります。そうした出会いもあの受験時を一生懸命に大切に過ごした先にあり、そしてそれを活かすことができたのも、目の前にあるものをしっかりとこなしたからだということをつくづく感じます。皆さんも輝かしい未来のために今を一生懸命に過ごしてほしいです。

理IIから医学部に進学されたそうですが大変ではなかったですか。

 それなりに大変でしたが大学受験期の方が大変でした。しかし、充実した1年半だったと思います。東大の最大の特徴として入学後に学部を選ぶことができます。いわゆる進振りです。私はこれを利用して医学部の方へ進学させていただきました。
 私の場合、生活面では、大学に行き、バイトをして、武術の練習で汗を流し、と勉強以外のことも楽しみつつも行くことができましたが、これは私の年がたまたま志望者が少なかったせいかもしれません。実際、私は進学者の中では一番点数が低かったです(88点)。凄い人ではサークルにも入らず、バイトもせず、一心不乱に努力して94点という点数で来ています。この点数というのは、1年生から2年生の前期までの全科目の点数の平均点で、大体の人は1年生のときは15コマ前後、2年生は10コマ前後履修して、おおよそ90単位の平均点になります。
 いわゆる点数の高い学部に行きたいのであれば履修内容は点数の取りやすさを多少優先しなければならないし、期末試験の期間は他の人よりかなり寝不足になるとは思います。しかし、大学受験時代の勉強量を維持する覚悟があれば、まず大丈夫だと思います。

薬学部から医学部に進学先を変更されたのはなぜですか。

 入学当初は理学部物理学科か薬学部に行こうかな、と漠然と考えていました。2年生になる頃には幼いころ毎日のようにお世話になった薬のことを学ぼうと思い、薬学部にしようと決心しました。そんな折、医学部に変更したのは2年生の夏休みです。最終的な教養学部の成績が出るまで医学部は全く選択肢として考えていませんでした。思ったより成績が良かったので、同じ人体への応用を考える学部である医学部と薬学部のどちらに出そうか夏の間にだいぶ悩みました。医学部の先輩の話を聞き、友人とも相談し、自分でインターネットなどでも調べた結果、薬に限定せず人体全てのことを一通り学ぼうと思い、医学部医学科の方へ提出いたしました。
 高校生の間に学部まで決めてしまうのは難しいと思いますし、実際、皆さんの中にはまだ何をやろうか決めていない人も多いと思います。東大では真剣に周りからの情報を集め積極的に動いていれば必ず自分に合う学部が見つかるので、まだ志望が固まっていない人でも東大を視野に入れて頑張ってみてください。

医学部に進学されて学部の雰囲気や講義内容はいかがですか。

 学問や実習の量や質が高まり、スピードも教養学部の頃とは比較にならない状況です。特に3年生になり、解剖の実習が始まり本当に医学の道を歩き始めたのだと実感しています。ご献体なさってくださった方の厚意を無駄にせぬよう、学び取れるものはできるだけ多く学び取ることが義務だと思い必死にやっています。
 周りの学生は話を聞くだけの講義への出席率は高くはないですが、テスト前にはしっかり勉強してきます。また、実験や実習などその場にいないと学べないものに関してはやはり出席率が高いです。
 だれもが医学の道を歩む責任、意義、義務の意識が高くモチベーションが高い集団だと思います。

将来はどんな方面に進もうと考えていますか。

 正直いまだに悩んでいます。進学当時は漠然と研究志望でしたが、周囲の優秀な学友を見て、自分には向かないかなと思っています。
 しかし、最近、微生物学の講義を受講して失いかけていた研究に対する情熱がわいてきています。このような体たらくですが、どちらの道に進むにしても一度決めたら最後までその道を突き進んでいきます。

東大特進で学んだこと、印象に残っていること、良かったことは?

 授業は「素晴らしい」の一言につきます。通年で受講した苑田先生の授業は、ただ計算して問題を解くという先入観から物理の本来の世界観を教えていただき、長岡先生には数III・Cの新しい発見に導いていただけたと思います。
 あとは月並みですが、スタッフの方には質問以外にも愚痴を聞いてもらったり相談にのってもらえ、精神的サポートをしていただけました。他は各科目を学ぶために予備校・塾があるようでしたが、東大特進は唯一高校進学の時の塾と同じような親しみもアカデミックな中にあり、毎回楽しみに通塾していました。

来年、東大を目指す後輩の皆さんへのメッセージをお願いします。

 医学部を狙う方に対してならば、東大医学部は研究医育成の目的がやや強いように思います。医学部の授業+αになり大変ですが、2年生で院生と一緒に実験を組ませてくれたりもします。他の大学や学部との比較はできていませんが、設備や研究費などは恵まれているようです。ただ病院勤務や開業医になりたいのであれば東大にこだわらなくても良いのではないでしょうか。
 受験期には私は質よりも量の追求でした。ある程度、質の高い問題を大量に何度も解くという積み重ねが重要だと思います。

東京大学法学部からハーバード大学に留学中!

 はじめまして。東大特進コーススタッフの杉原真帆と申します。現在東京大学法学部 4 年生……のはずなのですが、3 年生秋から休学し、1 年間ハーバード大学に留学しています。帰国後は 3 年生を繰り返します。日本で友人たちが就活やロースクール試験に全力を注ぎ、大人への階段を着実に上っている中、私は学生生活を未だにガッツリ送っています。
 アメリカのケンブリッジからこの原稿を打っている今現在、4 月半ばはこちらの春学期終了へのカウントダウン時期=目を向けたくない試験の時期です。時が経つのは早いもので、ハーバードでの春学期も残すところ 1 ヵ月弱、日本への帰国も 2ヵ月を切りました。そんな中、この機会に東京大学、ハーバード大学、そして大学受験を混ぜこぜにして自分の経験を振り返ってみます。
 さて、こうして文章を書こうとしながら考えているのは、「この体験記を高校生が読むのだろうな」ということです。
 連綿と続く毎日をこなしていると普段はなかなか気付かないのですが、大学と高校というのは想像以上に“スタンダード” が変わります。高校の頃当たり前ではなかったことが、いつの間にか大学生活の当たり前になっています。お酒を合法的に飲めるか否かの問題ではありません。留学ひとつを例にとってみても、留学というものへの親近感や実現可能性はかなり変わります。
 ですから、今東大受験に向けて日々勉強している皆さんにとって(なんだか無責任に聞こえますが、私も数年前はパジャマとメガネの完全武装で全く同じような日々を過ごした身です)、この体験記がどう受け取られるのか正直分かりませんが、今はひとまず勉強の合間の暇つぶし材にでもしてもらえればと思っています。
 もし、「こんなもんいちいち全文を読んでいる時間はない。しかし最近受験で精神的に参っている」という方がいたら、一番最後の段落だけ読んでもらえればと思います。

留学への興味――高校時代から

 遥か数年前を振り返ってみると、高校の頃から留学には興味がありました。英語も好きだったので、一時期は本気で高校卒業後の直接アメリカ留学を考えていました。
 とはいえ、それは原書でアメリカ大学入学指導書を読んで分かった気になって満足する程度のもので、高3になって東大受験が現実味を帯びだすと、自分の実力と立ち位置を見つめ直さざるを得なくなりました。東大受験と海外の大学受験を同時平行する程の勇気と実力がなかった私は、ひとまず東大受験にフォーカスすることにし、「どうにか合格したら東大のプログラムを使って安価に有名な大学にでも短期留学しよう~」と甘い幻想を抱いていました。
 苦難の連続だった受験時代はここでは省くことにして、そんなこんなで私は 2011 年春、東京大学文科一類に入学しました。

国際交流団体HCAP、GNLFとの出会い

 新入生にとってサークルというのは未知と期待に溢れた不思議な存在ですが、私は入学後「国際交流系」団体に興味を持ち(よくあるタイプ)、1 年生の時にHarvard College in Asia Program (HCAP) という学生団体に入りました。
 HCAP というのは、ハーバードに本部を置き、ハーバードとアジアのトップ大学の学生の文化交流を目的として組織された学生団体です。東大は一応毎年、日本の代表大学として参加し、東京委員会として機能しています。1月にHarvardで開催されるハーバードカンファレンス、3 月にアジアの各参加大学によって開催される各国カンファレンスがこの団体の主なイベントで、私が初めてハーバードを訪れ同世代の学生と交流したのもこの 1 月のカンファレンスです。この団体が直接今回の留学に繋がったわけでは全くありませんし、HCAP の活動の大半は HCAP 東京大学運営委員会のメンバーとの話し合いですが、ここでできた人脈やら海外の大学に対する親近感やらが、様々な間接的な形で今回の留学に繋がったのは事実です。
 HCAPの後、2年生からはGlobal Next Leaders Forum (GNLF) という別の国際交流団体に参加し、こちらでは新興国の同世代の学生たちとアカデミック重視の交流をしました。
 HCAP と GNLF、両方とも大袈裟でなく私の海外耐性を強くし、Facebook の友達に留まらない貴重な友人と知り合う機会をくれましたが、これらの経験を経て次第に私の中に生まれたのは、「仲良くなるのが前提の環境を与えられなかったら、お互いよそゆきの面ばかりが見える環境じゃなかったら、自分はどうやって海外の人と関係を築けるだろう? 日本の外で、自力でどこまでやっていけるのだろう?」という疑問でした。「もとから日本やアジアに興味がある人、少なくとも国際交流に興味がある人が集まる場所で、特別に用意されたプログラムに参加し、濃密な短期間共に過ごす」などという状況は、将来世の中に出たら絶対に当たり前ではないと思ったからです。

本格的な「留学」に向けて――ぶち当たった壁

 ということで、国際交流学生団体の活動で感じた必然的な限界の超克可能性を留学に見出した私は、大学2 年の夏、これまで漠然とした期待だった「留学」なるものを形にするために動き出しました。
 初めにぶち当たった壁は、当時(といっても 1 年前)東大が持っていた留学プログラムの充実していなさでした。「東大の留学提携校にアメリカがない……!?」という驚きの下、①語学留学に終始しないよう教育内容も充実している大学に留学したい、②アメリカかイギリスの大学に留学したい、という点に執着した結果、東大のプログラムを使わず海外の大学に直接個人応募をすることに決めました(あれ、高校のとき思っていたのと違う……)。とはいえ、初めからハーバード一本に決めていたというわけではなく、当時国際化途上だった東大と、ドメドメドメスティックな法学部と格闘しつつ複数校に応募し、最終的にハーバードを選択した、という流れです。始終順風満帆だったわけでもなく、冬の段階で全力を注いでいた全額奨学金プログラムの最終選考に落ちたことを東大法学部試験の直前に伝えられ撃沈したりと、思い返せば色んなことがありました。
 もう一つは壁といいますか、長期的な葛藤です。東大には留学に対して色々な意見を持つ人がいます。「考えるより先に行動しろ」タイプの人、「行動する前にきちんと考えろ」タイプの人。入学してからずっと両者の意義の間を行ったり来たりしていた私が最終的に辿り着いたのは、拍子抜けするほど月並みな「中庸の徳」という結果でした。意義を考え過ぎて、結局行動に移せなかったらそれはある意味怠慢で、何より機会逸失。でも盲目的に外に飛び出してがむしゃらに日々を消費しても、行き着くところは自己満足。実際に留学してみた今、この「中庸の徳」理論は間違っていなかったと思っています。

ハーバード大学への留学が決定!

 そんな紆余曲折を経て最終的にハーバードから通過通知をもらい、とある日本の財団の奨学金プログラムにもどうにかして通った私は、2013 年 8 月終わり、アメリカのケンブリッジにやって来ました。
 私が応募したHarvard Visiting Undergraduate Student Programは、端的に言えば、半年または一年間ハーバードに留学できる個人応募のプログラムです。実際の倍率や採用基準は分かりませんが、西欧諸国(ドイツ・スイス・ノルウェー)や香港からの応募が多い印象です。このプログラムの良い点は、学問・課外活動・施設利用面において一般学生とほぼ同じ待遇であることに加え、留学生サポートが強すぎず弱すぎない=Visiting Studentとしてのイベントや相談の機会は豊富だが、Visiting Studentのコミュニティに縛られて一般学生と交流しにくいわけではない点が挙げられます。一方難点としては、寮がもらえないこと、奨学金等の手配は自己責任であること、授業料がクラスの数に比例すること、があります。面白いことに、このプログラムの存在はハーバード生にあまり知られていません。また日本の留学生としては、初めてだったか何例目かだったか、とにかくそんなところです。

ハーバードでの学生生活――人間関係について

 そうして始まったハーバードでの学生生活。アメリカでの生活。しかし、どんなに英語が好きで国際交流に興味があっても、結局 21 年間日本に住みっぱなしだった私(+生まれてこの方東京に親と暮らす甘えた一人娘)にとって、日本の外に長期間晒される経験というのは思ったよりずっとエネルギーを要し、日々予想外をもたらすものでした。
 とりわけ秋学期私の思考の大半を占めたのは、交友関係についてです。ハーバードに限らずアメリカの大学生活は、寮が大きな交流ネットワークの役割を果たします。特にハーバードは寮の個性が非常に強いので(ハリーポッター的な)、自分の所属する寮への忠誠心やら友達との連帯感やらが他の大学以上に強い構造になっています。そんな中、寮に住ませてもらえないVisiting Student。「初めまして!……で、どこの寮?」と聞かれるたび、「いやオフキャンパス」と答える虚しさを何度経験したことか。他にも、キャンパスへの絶対的な距離(=寮住まいに比べた通学時間ハンデ)など支障は色々ありましたが、やはり一つの大事な、かつ他の学生にとっては当たり前な交友ネットワークが欠ける点は大きかったです。ですから最初の頃は特に、小学校時代の「友達になろう!」みたいなプロセスを、21歳になって繰り返す日々でした。「ハーバードまで来て自分は何をやっているのだろう……」と思いつつ、でもやはり人と知り合う、友達になるということの必要性と大切さは絶対であることを認めざるを得ませんでした。
 しかし、初めこそ自分だけが必死にアタックすることの虚しさやら、知り合いにはなってもそれ以上にはならないやるせなさやらをひしひし感じ続けましたが、途中から妥協心と根性が芽生えてからは、もうどうでもよくなりました。努力しなくても既に友達やコミュニティを豊富に持っている人々がアウトサイダーに無関心なのは当たり前なのだから、ここは踏ん張りどき、と考えるようになりました。
 同時に、最初のきっかけさえどうにかして作れれば、それ以上の関係の深まりはもはや国など関係ない個人的持ち味の問題になることも事実です。自分の人柄や思考、能力や趣味などの引き出し、色々なものが作用して関係を作り出します。つまりはプライドの捨て時と持ち時があり、これは別にハーバードに限った話ではありません。おそらく日本でだって同じことが言えるはずですが、これまでずっと「日本に日本人としている限り通用する心地よさや共通条件」に守られてきた中で、大してそのプロセスを経ずに済んだ、という話だと思います。

ハーバードの学生生活――学問面について

 もう一つ主に考えたことは、学問面についてです。ハーバードは、「とにかく勉強をコンスタントにしていないとどうにもならない環境」というのが正直な感想です。これは、東大生とハーバード生どちらが優秀・勤勉とかいう問題ではなく、大学のカリキュラムとして、課題が常にある状況が当たり前なためです。もちろん課外活動やらパーティーやらありますが、パーティー三昧の日々などからは程遠く、ハーバードに来てからこのかた、大半は勉強していた気がします(私は根が要領悪いガリ勉タイプなので、息が詰まりつつもある意味親近感が湧く環境です)。
 月並みですが、大学の教育システムを実感に基づいてまとめれば、①全体的に東大に比べて少人数のクラスが基本であること(ただし東大法学部をスタンダードにするのは良くないかもしれない)、また、②リベラルアーツということもあって授業テーマのバラエティや意外性が豊富なことです。私はそもそも法曹に進みたいわけでもなく、またハーバードの Undergraduateには法学専攻がないので、この一年間は将来のキャリアの試行錯誤も兼ねて自分の個人的興味分野を追求してみることにしました。秋学期はジャーナリズム関連と虐殺・拷問関連、春学期は心理学関連とプラクティカルスキル関連(統計・交渉)。こうやって書くと非常にばらばらですが、ちょっと優等生的な発言をしてみれば、それぞれの分野で学んだことが他の分野で繋がってくる感じを案外頻繁に感じました。
 学問面の話を少し敷衍すると、繰り返し経験することが大きく二つありました。それは、①発言に対する「怖い・恥ずかしい」を取り除くことの難しさ、そして、②自信の生成と喪失。発言に関する大きな壁はやはり言語で、言いたいことが英語のために伝えきれなかった時、周りが私の英語に我慢しながら聞いているのが伝わる時、そのやるせなさたるやなかなかのものです。もちろん、「あれ? これ英語関係なく自分の地頭の問題じゃ……」という別の虚しさも否定しがたい事実で、これは永遠の課題と思われます。ただ個人的に、よく言われる「とりあえず発言しろ」的精神は若干疑問です。やはり、無責任に意見を投げ込むのではなくそれなりに面白い視点などを持ち込もうとする姿勢は大事で、意見の質によって、他の生徒や教授の反応、議論の弾み方も如実に変わります。私は、奴らの激流のような意見の応酬に対応できないと思ったときは、その流れへの割り込みを諦めて、自分らしい視点を探しちょっと整理してからタイミングを見計らって突入する、という術を見出しました。とはいえ、発言への恐怖に対する一番の特効薬は慣れですので、恥を捨てて時には無責任に特攻するのもありです。秋学期の終わりにジャーナリズムクラスの教授から、「Fearless だよね」という言葉をもらいましたが、その言葉に含まれる多少のイタさも認めつつ、ひとまず自分への褒め言葉と受け取りました。

ハーバードへの留学を経て――心境の変化

 そんなこんなで試行錯誤していると、自分の意見への反応が良かったり、課題で良い成績をもらったり等、時に努力の成果が報われて自信が湧いてくる時があります。「自分の実力って案外通用するじゃん」という気概に包まれる感覚です。しかし人生は上手くできていて、ちゃんと失敗する時機がやってきては、そんな自分の自信をこてんぱんにしてゆきます。留学生だから、という言い訳をしないようやってきたこの 1 年間弱は、そのアップダウンのオンパレードでした。この自信の生成と喪失の繰り返しは少々応えますが、自分の現状地点を見誤らないために重要で、これは留学だけに留まらず言えることだと思います。
 前述の通り、私は大学 1 年の時ハーバードに 1 週間来たわけですが、当時の印象と現在の印象は、当たり前ながらかなり変わりました。大学 1 年時の未熟さやら欧米崇拝志向やらで、当時はただただ「ハーバードってすごい!」と羨望の眼差しを注ぐばかりでしたが、今はこの大学の長所と短所両方実感した上で、大学や生徒を尊敬・批判する視点が芽生えました(もちろんたかだか Visiting Student としての経験範囲内ですが)。同時に、東大を一度抜け出したことで、東大や東大の学生生活に欠けていること、逆にこれまで気付かなかった価値を見出しもしました。これからまだ2 年弱東大で学生として過ごせることは、それらの視点を持ち帰って活かせるという点で、留学する前考えていたよりずっと楽しみであったりします。

ハーバードと東大の違いは?

 どうしてもこういう体験記はハーバードフォーカスになってしまうので少しここで意外性をもたらすならば、正直なところ、ハーバード生より東大生の方が日々の生きる範囲が広い印象を受けました。ハーバードでの生活はハーバード・ケンブリッジの空間で大半が終始してしまい、“Harvard Bubble” という自虐的な言葉があるくらいです。それに比べ東大生(日本の学生全般?)は大学・大学生という縛りから感覚的に離れられる機会が比較的多く、「大学に関係ない自分個人としてのこと」ができる可能性も豊富な気がします。この相違が生じる理由は、一つには寮生活でないという客観的な点、一つには私が感じた学生生活における余裕という主観的な点が挙げられるかもしれません。まだ上手く表現が出来ないのですが、この日常生活で自然と得られる「感覚的な広さ」の大切さは、こちらに来てから反面教師的に強く感じるようになりました。

留学で得た収穫

 とにもかくにも、今回の留学で、学生団体での活動では体験できなかった「海外の同世代である彼らと同じ環境に身を置いてみた上でどこまでできるか」ということを試せた意義は本当に大きかったと思います。ハーバードという大学を「世界最高の大学!」と盲目的に崇めるのは嫌ですが、実際に1年間弱過ごしてみて、想像以上に精神的なタフさを要する環境であることを認めざるを得ませんでした(主に学問面、また様々なことの両立に伴う慢性的な忙しさ)。そういう意味で、最高峰の大学と呼ばれるに伴う対価がある、この名前にはそれなりに内実が伴うんだなぁ、ということを改めて感じました。
 ハーバードという名前やイメージだけのために、無駄に畏れたり構えたりする必要性がなくなったことも一つの収穫です。東大入学後自然と芽生えた、「入ってしまえば自分の大学」という意識が今回の経験にも当てはまり、ハーバードがどんなものか一定期間それなりに体験し、大学や生徒がどんなものなのか自分の目で確かめたことで、この名前のためだけに気圧される感じは皆無になったと言えます。このマインドセットは、将来金髪イケメンのアイビーリーグ卒と職場で交渉することになっても物怖じしないという点で、役に立つかもしれません。
 もう少し大きな視点からの収穫について言えば、知らぬ間に自分を心地よい場所に置いてくれていた枠を外された時に、その環境にどう対応するか、同化するのではなくて順応しながら自分らしさを維持していくにはどうすべきか、という試行錯誤に基づいて得た感覚は、大学というものを超えて活かせていけるものかなと思います。
 総じて、この留学はハンデも多くなかなかハードなものでしたが、その分自分の心意気次第で、人との交わりや無数に与えられた機会の活用(さらっと、スピルバーグのトークセッションが催されたり)など、ここに来た意義を何十倍にもしていけるものだったと珍しく自信をもって言えます。

受験生に向けてのメッセージ

 偉そうに長々と書いてきましたが、せっかく受験生に向けて書いているので、最後にちょっとしたメッセージを残します。
大学 3 年生になって時折感じるのは、「自分の中身は大して変わってないのに、自分にくっつく修飾語が増えたなぁ」ということです。この体験記の流れで言えば、例えば「東大」と「ハーバード」。私のことを知らない人が、これらのワードから私のイメージを構築したら、それは私が持つ自己像からはだいぶ離れる気がします。
 受験時代、私は数学に苦しみ続け、また秋から炸裂したメンタル面の弱さ故に一時は東大受験を本気で諦めようと思ったくらいでした。当時に比べたら色々な社会的付加価値がついた今でも、弱い自分はずっと私の中にいます。東大でもハーバードでも、めちゃくちゃメンタルが弱くなる時が、それはそれは多々あります。過去の弱い自分は思い出しても心地のいいものではありませんが、ただ、現在の自分が弱くなったとき、一番の支えになるのは、どうにかしてつらい時期を乗り越えた過去の自分と経験です。そして、「社会的付加価値がついた」とか言うように、修飾語や一時の成功故に自分でも自分の立ち位置を見誤るときがありますが、そういう過信はふとした出来事によって修正されます。理想に満たない自分を直視するのはきついですが、一番大事なのは、無駄に卑下しすぎず、「自分の実力はどのぐらいだろうか」ということを見定めて、自分の弱さと付き合いながら地道に努力することかな、と思います。

 ちょっと先の幸せな自分を用意するのは今の自分です。受験は人それぞれ、本当に色々あること間違いありませんが、きつくても自分のために踏ん張ったらいいことがあるはずです。私も頑張ります!

はじめに

 みなさん初めまして、清水浩之と申します。今回は、東大特進コースのOBとしてこの合格体験記に寄稿することになりました。まずは、簡単に自己紹介をしたいと思います。
 僕は東大寺学園高校を卒業した後、東京大学の理科一類に進学しました。進学振り分け(通称 進振り)では理学部の物理学科を選択し、そのまま東京大学大学院に進学しました。現在は博士課程の1年生で、物理学の研究をしている研究者の「卵」です。
 今回は、大学での勉強および大学院の研究はどういったものなのか、高校までの勉強とはどう違うのかを僕の経験を元にして書いてみようと思います。理系の東大生の7割が大学院に進学しますし、受験生のみなさんの中には、将来の夢が研究者という方も一定数いることでしょう。この体験記がそうしたみなさんにとって多少の参考になればと思います。

駒場での生活

 東京大学に入学すると、はじめの1年半は駒場キャンパスで一般教養の勉強をすることになります。駒場での生活について、東大特進コースのスタッフから話を聞いて、何となくイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。今になって思うと、駒場での生活は非常にのんびりしていたと思います。自由になる時間がとても多いため、時間がゆったりと流れていました。それがいいことなのかは分かりません。将来のことをじっくりと考えるには適していると思いますが、雰囲気に流されて頭が空っぽになってしまう人も一定数いるので……。

専門課程に進む

 進振りでは、理学部の物理学科を選択しました。高校の時から理科と数学が好きで理科一類を選びましたが、進振りでどこに行くかは入学してからかなり悩みました。最終的に物理学を選んだ理由は、物理学がすべての自然科学の根本にある学問だと感じたからです。ミクロな化学反応やマクロな星の運行にいたるまで、すべての現象が物理法則にしたがっていて、方程式から説明できるという所が非常に面白く感じました。
 東大生の生活は進振り前と進振り後で大きく変わります。進振り後の専門課程での学習がどのようなものになるかを僕の物理学科での経験を例にして書きます。具体的に何を学ぶかは選んだ学部学科によって大きく変わりますが、理系の学部に進んだ学生なら、大学側が育てようとしている能力はある程度共通していると思います。
 物理学科では、学部3、4年で物理学の理論と実験の基礎を勉強します。理論の講義は基本的に座学で、先生が黒板に書いたことの板書をとるという、高校までと同じスタイルです。ただし、内容の難易度は高校や駒場の講義に比べてかなり上がるので、真面目に勉強しないと簡単についていけなくなると思います。専門課程に進んで大きく変わるのは、実験の比重です。カリキュラムの中で、実験にかける時間が非常に大きくなります。物理学科では、電気回路の組み立て方や放射性元素の扱い方など物理学実験の基本的なテクニックを学びます。実験は13時から始まるのですが、終わるのが夜になってしまうことはしばしばです。うまく装置が動かなかったり、重要なデータを取り忘れていたりで、あっという間に数時間が溶けていきます。とはいえ、やっている最中はなかなか楽しくて、データが出そろった時は一緒に実験をしているみんなで喜びました。
 ですが、実験の本当の大変さは実験を終えたあとに待っています。行った実験の方法、結果、考察をまとめた数十ページにおよぶ実験レポートを作成して提出しなくてはいけません。このレポートで特に重視されるのが考察です。実際に実験をやってみると、教科書通りの結果が出ることはほとんどありません。そこで、なぜ予想される結果とずれたのか理由を考え、どうすればより正確な結果を得られるのか(あるいは予想を修正すべきなのか)を提案することが求められます。このように理由と提案を重視する所が、大学での勉強が高校までの勉強と大きく違っている所だと感じます。さらに、レポートを提出する時には口頭試問があって、行った実験について口頭で説明して、教員からの質問に答えなくてはいけません。高校時代の成績はだいたい筆記試験の結果で決まりましたが、自分のやったことを的確かつ簡潔に説明できて、質問にも対応できる力はとても大切だと思います。

研究をはじめる

 東大の理系だと、学部を卒業した後、7割くらいが修士課程に進学します。高校生のみなさんには大学院と言ってもイメージが湧かないと思うので、どういう場所なのか簡単に紹介したいと思います。大学と異なり、大学院では基本的に講義はほとんどなく、学生は主に研究を行います。研究室に自分専用のデスクも与えられます。学生は大学院入学時に教員を選び、その先生から直接の研究上の指導を受けることになります。カリキュラムは修士課程が2年間で、希望者は修士課程を修了した後に3年間の博士課程に進学します。僕の所属する物理学科ではほとんどの学生が大学院に進学して、そこではじめて本格的な研究が始まります。そのため、学部を卒業する際の卒業論文というのもありません。理系の他の学部では4年生から研究が始まり、その結果を卒業論文にまとめる場合が多いようです。僕もその例に漏れず、修士課程への進学と共に研究生活をスタートさせました。
 物理学の世界では、理論を研究する人と実験をする人が完全に分かれていて(理論物理学と実験物理学)、僕は理論のほうを研究しています。特に、超弦理論とよばれる素粒子の理論を専門にしています。ここで研究の具体的な内容を説明するわけにはいかないので、研究がどのような雰囲気で進んでいくのかをちょっとだけ紹介します。大学院生の生活というのが少しでも伝わればいいな、と思っています。
 僕の場合、研究はだいたい質問からスタートしました。例えば、先行研究の中にあった議論の問題点を先輩に指摘され、その解決法を一緒に考えているうちに、あるいは読んでいた論文のよく分からない点を先生に質問しに行って、関連したことについて雑談しているうちに、研究のテーマが生まれてきました。研究をする上で、人との出会いはとても大切だと思います。大体のテーマが決まったら、他の人の書いた論文を読みこんで既存の研究の結果を深く理解しないといけません。学部の授業で習った知識だけでは、とても物理学の最新の論文は読めないのですが、大学院に入ると当然のように読むことを要求されます。そこで、必死に自分の理解不足なところを勉強します。この辺りの、自分の弱点を把握して効率よく勉強する力は、受験勉強を通じて得たものだと感じます。
 僕は理論家なので研究と計算は切り離せません。みなさんが受験勉強でやっているように、微分積分したり方程式を解いたりします。複雑な計算の場合はコンピュータの力も借ります。ただ、受験勉強とちょっと違うのは、答え合わせをする模範解答がどこにもないところです。いったん詰まってしまうとそこから長く進みませんし、場合によってはそこで研究が頓挫してしまうこともあります。研究には忍耐力が大切だと思います。あと、ミスをして変な結果がでても基本的には誰も教えてくれませんので、注意力も少々必要です。
 そして、実際に研究を始めて僕が一番驚いたのは、研究者は議論をとても頻繁にするということです。得られた結果の報告、解釈、疑問点、今後の展望などを黒板やホワイトボードに板書しながら、共同研究者全員で話し合います。研究というと、一人で黙々と机に向かってやっているイメージがあるかもしれませんが、それは全然違います。一人の頭で考えても限界があるので、共同研究という形で皆が知恵を出し合うのです。研究が佳境にあるときは、数時間の議論を毎日のようにすることもあります。僕はまだ経験がありませんが、午前中から夜までずっと議論する場合もあるようです。
 こんな具合に、テーマ探し、論文解読、計算、議論が僕の研究生活の大部分です。実験物理学を専攻している人は、計算のかわりに実験が入ってくるのだと思います。ある意味すごく単調な生活ですが、面白い結果が出た時はとても嬉しいです。物理が好きだからやれているのだと思います。
 僕は修士課程の2年間では学部ではなかった様々な経験をしたので、そのいくつかを紹介します。おそらくどれも、みなさんが大学院生になったら経験することだと思います。1つ目は英語論文を書くことです。科学の共通言語は英語なので、論文も英語で書く必要があります。僕らの業界で論文はだいたい20~30ページですが、それだけの量の英語を自分の手で書くのはなかなか大変です。とくに、大学に入学してから英語の勉強をサボっていた僕はかなり苦労しました。みなさんは、大学に入ってからも英語をしっかり勉強するようにしましょう。僕は添削を先生にお願いしたら真っ赤になって返ってきました。2つ目は学会で発表することです。自分の研究成果を人前で発表するのは思ったよりも大変です。事前に十分な練習をしておかないと、間違いなく失敗します。自分では理解していても、聴衆にはなかなか思ったように伝わりませんし、質問もどんどん飛んでくるのでかなり神経が消耗します。僕は昔から、人前で話すことに苦手意識があったのですが、学会で発表するたびにこの苦手意識が今でも改善されてないと感じています。3つ目は海外の研究所に滞在したことです。先生がアメリカのプリンストン高等研究所に短期滞在するということで、僕も連れて行ってもらい、修士2年目の夏をそちらの研究所で過ごしました。そこでは、専門分野の偉い人と話したり、英語で発表したり、国際会議に出席したりと非常に有意義な日々を送れました。

博士課程を選ぶということ

 僕は今年の春に東京大学大学院の物理学専攻の修士課程を修了し、博士課程に進学しました。大学院の修士課程は体感時間としてとても短いです。とくに理論物理を専門にする場合、身につける必要がある知識が多いため、修士の2年間では十分に研究ができないことが一般的です。僕の場合も、本格的な研究ができるようになったのは2年目の春ぐらいからでした。物理が好きなので、これだけの短い時間で研究を終わらせてしまうのはもったいないと思ったのが、僕が博士課程に残ろうと決めた最大の理由です。
 博士課程まで大学院に残る人の割合は決して高くありません。その大きな理由は、就職と金銭面の不安にあると思います。博士まで残ると就職に不利になると言われますし、学費と生活費をどこから工面するかという問題もあります。ただし、これらの不安が必ずしも正しくないということは強調したいと思います。就職について言えば、僕の研究室の先輩で博士課程を卒業した方々は、官公庁、金融、保険、メーカーなどに無事に就職しています。学費や生活費に関しても、東大の大学院は経済的補助が(国内の大学院の中では)手厚いです。学費の免除や大学院生への(返済義務のない)奨学金の給付などの制度があります。僕も東京大学から一人暮らしをするのに十分な額の奨学金を支給されています。とは言え、就職率や奨学金の給付制度は学科や専攻によって大きく異なります。やはり、博士課程への進学がリスキーな選択であるのは否定できません。当たり前のことですが、進路を選択する際は、そういう実情についてきちんと調べることが一番大切だと思います。

東進での思い出

 受験生の頃に受講した東進の授業で、いちばん印象に残っているのは苑田先生の物理です。苑田先生の授業では古典物理学の世界観とその法則が最初に明快に示され、問題もそれらに基づいて解いていきます。中途半端な直感に頼るのではなく、法則に立ち返って着実に方程式を立てて問題を解いていくその姿勢は、非常に学ぶものが多かったです。
 林先生の現代文も印象に残っています。この授業を受けるまでは、現代文の問題は何となく解くものでしたが、林先生は現代文を読解する際の方法論を明快な形で示してくださいました。以降は安心して現代文の問題に臨めるようになったように思います。
 僕がスタッフになった大学1年生の時に、ちょうど名古屋会場が開講しました。実家が関西から名古屋に引っ越したこともあって、帰省のたびに名古屋会場で勤務していました。当時の名古屋会場は東京会場や大阪会場に比べると参加者が少なく、その分一人一人と話す時間を長く取れていたと感じます。名古屋会場が僕の東進スタッフとしての思い出の場所です。

おわりに

 最後に高校生のみなさんに伝えたい事を2つ書いておきたいと思います。1つ目は、受験勉強で手に入れたものは、大学に入ってからもみなさんが思っている以上に役に立つということです。これは知識だけの問題ではありません。自分の弱点を把握すること、効率的に知識を吸収すること、目標に向けて計画をたてること、といった能力は受験勉強を通じて大きく飛躍します。こうした能力は大学に入ってからもみなさんを助けてくれるはずです。2つ目は大学に入学してからのことです。大学の4年間はみなさんが思っている以上に長いので、東大合格と共にモチベーションを失って、ダラダラと遊んで過ごすのは非常にもったいないと思います。もちろん、真面目に勉強しろとまで言うつもりはありません。ただ、将来の目標であるとか、打ち込める対象であるとかを、4年間のうちに見つけてもらいたいなと思っています。
 それでは、この辺りで終わりにしたいと思います。みなさんの合格を心より願っています。