トップスイマー育成 編

ナガセグループの一員である「イトマンスイミングスクール」は、入江陵介選手を始め、日本で最も多くのオリンピック選手を輩出している国内最大級のスイミングスクールである。そのイトマンスイミングスクールが昨春、日本初のオリンピック仕様公認競技用プール「AQIT(アキット)」を完成させた。今回ご登場いただく星野納氏は、イトマンスイミングスクールの強化本部長であり、AQIT運営の責任者でもある。トップスイマー育成にかける情熱と、来るべき東京オリンピックへ向けての意気込みをお伺いした。

日本そして世界をリードするトップスイマーを育成する

株式会社イトマンスイミングスクール執行役員 強化本部長
公益財団法人日本水泳連盟 競泳委員会 副委員長

星野 納 (ほしの おさむ)

1964年 福岡県生まれ
1983年 山口県 県立 柳井商業高校 卒業
1987年 国士舘大学 体育学部 卒業
  同年 株式会社イトマンスイミングスクール 入社
     イトマン東伏見校 ブロック長/スクール長
     イトマン東大阪強化校 本部長代行
     などを経て現在に至る

未来の金メダリストを探せ! 自ら考案した新たな育成法が大きなやりがいに

 星野は「優秀な選手の発掘」という点でも、新たな試みに挑んだ。オリンピックを目指す資質を持った選手を見つけ出すことは、スクールの使命の一つだ。しかしそれは至難の業でもある。「身長が高い」「泳ぎが速い」といった見た目で判断できる材料もあるが、当時はまだコーチの直感や経験に頼る部分も大きかったためだ。

 「しかしそうしたやり方は、基準があいまいですから優秀な選手を見逃しがちです。ですから、スクールへの勧誘から選手の育成までをきちんとシステム化する必要があると考えたのです」

 そこで星野は、選手コースの前段階として複数の研修コースと育成コースを設置。見込みのある子どもたちを集め、基準をクリアすると上のクラスに進めるようにした。泳ぐ力を「見える化」して、確実にステップアップする道筋を作ったのである。コーチは能力を客観的に測ることができ、子どもたちも目標が明確になる。習うだけの受け身から、もっと速くなり次のクラスへ行きたいと自発的になると、トレーニングの質も一気に高まる。コーチも成長を見定めつつ、どんどんステップアップしていく選手がいれば、その可能性をより高みへと導いていくことになるわけだ。ただしこのやり方は、選手のみならずコーチにとっても大きな試練を伴うものでもあった。

 「かなり厳しい基準を設けていましたから、なかには思うように次のステップへ進めない子も出てきます。でも、コーチが情に流されてしまっては、仕組みそのものが崩れてしまう。ですから最後までやり切るんだという強い気持ちを持ち続けなければなりません。そうすると、今まで伸びなかった子がぎりぎりでいいタイムを出すようになるんです。そのときは本人もご父母も大喜び、コーチも思わずガッツポーズが出ます。目標に向かう人間の力ってすごいなと思いますね」

 星野が考案したこの方法は、当時の弱小チームをジュニアの全国大会総合3位へと導いた。この経験は、全国から集結した「エリート小学生研修合宿」の企画実行、また代表選手になるための標準記録審議など日本水泳連盟での仕事にも生かされている。

水泳を通じて磨く「技術」と「人間力」

 それでも、オリンピックへの道のりは遠く険しい。ジュニアオリンピック、全国中学校水泳競技大会やインターハイといった年齢別大会で結果を出し、さらに日本選手権やジャパンオープンへの出場権を獲得して、ようやく見えてくる。さらにオリンピックの代表選考会において日本水泳連盟の定める「派遣標準記録」を切り、なおかつ2位以上の結果を出さなければならない。ひと握りの勝者のみにしか与えられない切符なのだ。

 「我々が目指しているのは、オリンピックでの入賞そしてメダルの獲得です。諸外国の選手は身体も大きいし、パワーもあります。その選手達と競うには日本人選手が同じ練習をしているわけにはいきません。そのためにもAQITを有効に使ってもらえるように働きかけていきたい。3メートルの水深があれば、背泳ぎのバサロキックも思う存分に練習できます」

 体格では劣るものの、比較的パワーに左右されにくい種目や長い距離を競う種目などでは、日本人選手も十分にメダルを狙える。そのためにも、より水の抵抗を減らす技術を磨くことが必要だ。その切り札が、37台ものカメラを用いて選手の泳ぎをさまざまな角度から解析できるAQITの施設環境だ。

 しかし一方で、技術や環境を整えるだけでは世界と戦うことはできないとも星野は言う。

 「水泳の技術だけでなく、社会生活を送るうえでのルールや規範、道徳をきちんと身につけることも大切です。いくら泳ぎが速くても、人間的な成長がなければ本当の意味で強い選手にはなれません。成長の場を整えることも我々の使命だと考えています」

 子どもたちや若い世代の選手たちの人間力の強化も重要な使命である。

すべては東京オリンピックの挫折から始まった!

東京都多摩市に2016年5月にオープンした「AQIT(アキット)」は、これまで数々のオリンピック選手を輩出してきた「イトマンスイミングスクール」が開設した日本初のオリンピック仕様公認競技用プールである。「先日、海外の選手にも使ってもらう機会があったのですが、皆さん“Amazing!”と言ってくれます。日本にこんな素晴らしいプールがあるんだということを、彼らが世界にどんどん発信していってくれると嬉しいですね」こう語るのは、株式会社イトマンスイミングスクール強化本部長の星野納である。AQITの統括責任者を務める星野は30年のキャリアを持つベテランコーチで、これまでも多くの選手強化に携わってきた。もちろん現在の目標は、2020年の東京オリンピックだ。そもそもイトマン創立の背景には、1964年の東京オリンピックでの苦い記憶がある。かつて「お家芸」とも言われた日本競泳陣は同大会で思わぬ惨敗。イトマンスイミングスクールの前身となる「山田スイミングクラブ」は、その挫折からの再興を目指して設立されたのである。そこでは科学に基づいた論理的なトレーニング方法が模索され、メダリスト輩出を目的とした「英才教育」が実践された。トレーニング環境も常に最新のものを整備。コンピューターも発達していない1960年代当時に、超高速カメラをプールに設置して選手の泳ぎを解析していたというから驚かされる。こうしたイトマンスイミングスクールの原点である「山田スイミングクラブ」の思想は、新たな強化施設「AQIT」へも着実に受け継がれていく。すべては「水泳を通して日本を元気にしたい」という一念からである。「ですからAQITは、イトマンの選手のみならずほかの所属選手にも広く門戸を開放していきます。日本競泳界の〝公器?を担うプールにしていきたいのです」。星野は、そう言って顔をほころばす。

厳しい現役時代を経てコーチとして名門イトマンへ

 福岡県出身の星野が水泳と出会ったのは中学生の頃。「当時は鳴かず飛ばずでした」と振り返るが、高校は山口県の強豪校へと進学した。初めて飛び込んだ上下関係の厳しい世界。下級生のときは食事もままならず、夜中に食べ物を求めて寮を抜け出したこともあった。当時のスポーツといえば「努力」や「根性」が幅を利かせていた時代。

 「けれども、そこで得た忍耐力は今でも間違いなく生きています。強いストレスがかかったときに、どうやって乗り越えればいいのかを実地で勉強しました。加えて、物事を決めるときには感覚ではなく必ず根拠を持ったうえで決める癖もつきました。スポーツというのは決断の連続です。決断力は常に判断を求められる一流コーチに必須の力です」

 厳しい世界に身を置きながらも「知らないうちに水泳が好きになった」という星野は、大学卒業後、イトマンスイミングスクールにコーチとして入社。オリンピック選手を多数輩出していた同スクールは、すでに競泳界の名門であった。駆け出しのコーチ時代を星野は振り返る。

 「当時はイトマンのコーチというだけで一目置かれました。実際に優秀な選手も集まっていましたから、コーチの力が未熟でもそれなりに結果を出せてしまうのです。気がつけば、そこに安住してしまっている自分がいました。イトマンという看板にぶら下がってしまっていたのです」

 そんな星野が目を覚ますのは入社して数年後、日本水泳連盟主催の合宿に参加したときのこと。全国のトップコーチたちが集まったその合宿で、星野は彼らの知識や経験の豊富さに圧倒される。

 「自分がいかに井の中の蛙だったかを思い知らされました。それと同時に、イトマン全体のコーチのレベルが低くなっているという危機感も持ちました。そこですぐに担当校のコーチやスタッフの教育を徹底的に見直しました」

 星野がいち選手のみならず、イトマン全体の強化に向けて大きく踏み出した瞬間だった。

Q&A

仕事をするうえで手放せない「三種の神器」は?

「ストップウォッチ」「水中撮影が可能なカメラ」「パソコン」です。今でこそAQITのカメラがありますが、昔は自分で水中に潜って息を止めて撮影したりしていましたね。パソコンも今やスポーツのトレーニングには欠かせません。毎日の練習データを打ち込んで選手のさまざまなデータを作成したり、練習メニューを作ったりしています。

泳法解析システムなどの科学的なトレーニング法はいつ生まれたの?

実はイトマンスイミングスクールの前身にあたる「山田スイミングクラブ」以来、およそ50年前から科学に基づいた理論的なトレーニングの研究を行ってきています。例えば選手の手足に電球をつけて泳い