心臓外科医編

東京都・府中市にある榊原記念病院。国内有数の心臓外科を有する同院で、これまでに約6000件もの手術を受け持ち、多くの患者の生命を救ってきたのが副院長・心臓血管外科主任部長の高梨秀一郎氏だ。多い日で1日に3件の手術を行う傍ら、最新の医療技術を貪欲に習得し続ける高梨氏のエネルギーはどこから生まれるのか。高校で医師を目指したきっかけや、現在の仕事のやりがいを伺った。

年間400件以上の手術を手がける心臓外科医が大切にするのは「諦めない心」

公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院副院長兼心臓血管外科主任部長

高梨 秀一郎 (たかなし しゅういちろう)

1977年 広島県修道高校卒業
1984年 愛媛大学医学部医学科卒業
1984年 兵庫医科大学 胸部外科臨床研修医
1985年 関西労災病院 心臓血管外科臨床研修医
1986年 兵庫医科大学 胸部外科医員
1986年 財団法人 心臓血管研究所付属病院 外科レジデント
1988年 財団法人 心臓血管研究所付属病院 外科研究員
1993年 大阪市立総合医療センター 心臓血管外科
1999年 大阪市立総合医療センター 心臓血管外科副部長
2001年 医療法人社団 三記東鳳 新東京病院 心臓血管外科部長
2004年 財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院
心臓血管外科部長
2006年 財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院
心臓血管外科主任部長
2009年 帝京大学医学部 心臓血管外科講座 特任教授 (兼任)
2012年 公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院副院長兼心臓血管外科主任部長
2015年 慶應義塾大学医学部 客員教授

日本で最も多くの冠動脈バイパス手術を手がける心臓外科医

「今、緊急の手術が入ったところなんです。看護師が消毒したり準備したりしているので、多分一時間以内に呼ばれると思います。なので、ちょっとコンパクトにお願いできれば」

榊原記念病院の高梨副院長は、取材のはじめにそう要望した。心臓のバイパス手術において国内トップレベルの実績を持つ高梨の治療を求めて、病院を訪ねる患者の列が途切れる日はない。「狭心症・心筋梗塞・心不全」治療のプロフェッショナルである高梨は、60歳の今も、年間400件以上の心臓病手術を手がける。

心筋梗塞や狭心症は、心臓を動かしている筋肉につながる血管(冠動脈)に、何らかの異常が起こることで発症する病だ。心筋に十分な酸素が供給されなくなることから、走ったり階段を登ったりして運動量が多くなると息が切れ、発作を起こす。重症の場合には、心筋が壊死して死に至ることも珍しくない。

この病の治療法として有効なのが「冠動脈バイパス手術」だ。血流が悪くなった冠動脈に、体の他の部分の血管をつないで迂回路(バイパス)を作る。そうすることで、心臓に正常な量の血流を確保するという術式だ。

高梨は、日本で最も多くの冠動脈バイパス手術を手がける医師の一人だ。これまでに執刀した手術数は6000件以上。マレーシアや台湾などでもライブ手術を行い、国外からもその治療を求めて多くの患者がやってくる。

父が遺してくれたその後の人生を決めた言葉

高梨は広島県で生まれ育った。高校は県内の歴史ある進学校として知られる私立・修道高校。高校時代の一番の思い出は、1年時に、プロ野球で広島カープが28年ぶりに優勝したことだ。

「優勝がかかった数試合の間は、高校が一週間ほどですが半ドン(半日)で終わりました。授業中も、先生がカープの試合をラジオで聞かせてくれるんです。優勝が決まったときには、校長先生自ら音頭をとって、朝礼で『カープ優勝バンザイ』って叫んでいました。いい時代ですね」

高校はとても自由な校風だった。受験勉強を強いるわけでもなく、やりたいやつはやれ、という空気。高校2年までは「農業の研究に興味があった」という。

「生命が根源的に生まれる場所は、大地。土や水に常に触れているような生き方をしたかったんです」

そんな思いは現在も残っており、大人になってからは近所に小さな農地を借りて、野菜を作っているという。学生時代の好きな科目は物理だ。

「物理は覚えることが少なくて良いでしょう(笑)。F=maなどの公式さえ覚えていれば、問題が解けますからね」

医師を目指そうと思ったのは高校3年生のときのこと。勤務医だった父の姿を見ているうちに、自然にそう考えるようになった。

「父親は割とお金に無頓着なタイプで、いわゆる『良い人』でした。人を蹴落としたり、会社の中でバリバリ出世を目指すようなタイプではまったくなかった。そんな父の姿を見ていて、性格が似ている自分も、『医者になれば生活できるかな』と思ったんです」

しかし医学部受験は現役では失敗。

「上級生を見ていると良い大学に入るので、自分も大丈夫かな、と思って現役のときはあまり勉強しませんでした」

浪人生活を送っていたときに、父がガンで亡くなる。父は死期を悟ったときに、家族に文章を書き残していた。その中に、高梨の生涯の指針となる言葉があった。

「それは『人生はマラソンと同じだ』という言葉でした。人生はどんなことがあっても諦めずに、マイペースで生きることが大切なんだ、と書き残してくれていました。諦めない心が大切なんだ、との思いは、今も生きるうえでの支えになっています」

一浪を経た高梨は、愛媛大学医学部医学科に入学。循環器内科医を目指して勉強を積み重ね、最終学年である6年のときに、女子医大に見学に行った。そこで、その大学に勤務する心臓外科医局長の先生から聞いた言葉が、心臓外科医になろうと決めるきっかけとなった。

「その先生は、『心臓外科は金なし、暇なし、地位なしの"ないない尽くし"だ』と仰ったんです。『心臓外科医になったところで、いいことなど何もない』と。しかし反骨精神が旺盛だった自分は、『この人は何かを隠しているに違いない。そこまで言うなら目指してみよう』と逆に決めたんですね。しばらくして、先生の言葉の正しさに気づきましたが(笑)」

当時の愛媛大学では、心臓外科の手術症例数が月に1~2例と少なく、しかも小児の手術が中心だった。大人の心臓の手術をしたいと考えた高梨は、母校を離れることを決意し、親しかった教授の紹介で兵庫医科大学の胸部外科臨床研修医となり、心臓外科医としての人生を歩み始めた。

追いつめられたときに発揮する手術経験の底力

「私は手先が器用じゃないので、最初は外科なんてとんでもないと思っていました。それで循環器内科を志望していました。でも、心臓という器官は、構造が簡単です。部屋が4つに区切られていて、仕切りと弁がありその中を血液が流れる。管が狭くなれば抵抗が増えて、血流も減る。それってつまり『物理』なんです。高校時代に好きだった物理と同じで、心臓外科は覚えることが少ないと感じたんです」

医師となって間もない頃、臨時で手伝いに行っていたある病院では、医師という仕事の別の側面を知った。「そこがすごい病院で、いろいろな思い出があります。あるとき当直室で寝ていると、下でガチャンッと音がした。行ってみると、一階の広い診察スペースの窓が全部割られていました。その地域で、ちょっとした暴動が起きて、警察と住民の間で騒ぎになっていたんです」

刃物で傷を負った入れ墨のある急患が運び込まれることも度々あった。先輩の医師やベテランの看護師たちは、そんな患者にも臆せず、テキパキと対応していた。

「日本刀で切られた人が仲間と来るわけですから、怒らせるとこっちも危ない(笑)。先輩たちを見て、医師というのはいろんな意味で最前線に立つ職業なんだな、と思いました。ただ治療すればいいというものじゃなく、さまざまな人間と生身でぶつかり、上手にコミュニケーションして治療まで持っていくことが大切なんだ、と。人との接し方を学べたことが大きかったですね」

学生時代に循環器内科を志したことも、現在大きな意味を持っている。心臓疾患の治療には、内科と外科で、それぞれ別の方法論がある。手術前後の診断を担当する循環器内科医と連携して、患者ごとの最適な治療法を見極めることが重要なんです、と高梨は語る。

「外科医のバイパス手術か、内科医のカテーテル治療か。手術ロボットなどの技術もどんどん進む昨今、内科や外科といった枠を超えた有効な手法が次々実現しています。だからこそ、患者の利益を最大化するために、お互いの知識を共有することが大切です」

高梨に「心臓外科医はないない尽くしだ」と伝えた医局長の先生は、現在、東京で循環器内科のクリニックを開業。高梨のもとへ重症の患者をよく送り込んでくるという。

高梨は言う。「心臓のあちこちが癒着していて、バイパスも何本もつなぐ必要があり、『どうやって手術すればいいのか?』と思ってしまうぐらい難しい患者さんに向き合っていると、ある時点ですっと自然に手が動く瞬間があります」

うまくやろうとする程、プレッシャーがかかるが、極限まで切羽詰まった状態では、何も考える余裕がなくなる。そんなときこそ、自分の人生で習得してきた知識と技術をフル活用して、100%以上の力を出せる状態になることが多いという。

「そうなれたのは、年間400件以上の手術の経験を積み重ねたからだと思います。きっと受験勉強も同じじゃないでしょうか。努力と経験を積み重ねていけば、本当に追いつめられたときに、自分が想定する以上の力が発揮できるようになるはずです」

努力と経験の先にある言葉にできない世界

心臓手術を行う際には、チームのスタッフといかに連携するかも大切となる。スタッフは通常、高梨を筆頭に外科医が3名、麻酔医、人工心肺の技士、道具を準備し渡す看護師が2名と、総勢7人。最近は『オフポンプ』と呼ばれる心臓を動かしたままで行う手術が増えたが、そのときは特に血圧や脈拍を調整する麻酔科医との間で交わされる、言葉にならない『空気によるやり取り』が重要になるという。

「手術中、心臓に少し負担が加わって血圧が下がったときに、何も言わずとも長年のつき合いのあるベテラン麻酔科医は、すっと血圧をコントロールしてくれるんです。看護師も術中、『メス』などの言葉を伝えずとも、すっと必要な道具を渡してくれます。生命のかかった現場だからこそ、そういう言葉以前のコミュニケーション能力が鍛えられるのかもしれません」

この日の取材の前に、高梨はすでに2件の手術を終えていた。取材後には、さらにもう一件控えている。一つの手術にかかる時間は平均で4~5時間。極度の緊張感を切らさないための秘訣は何かあるのだろうか。そう尋ねると、高梨から「そうですね……、好きになることでしょうか」と答えが返ってきた。

「患者さんと話すことも好きですし、手術も好きですが、心臓外科医を続けてきたのは『心臓という臓器が好きだから』という、極めてシンプルな理由です。心臓という臓器をもっと知りたい。知れば知るほど、さらに好きな部分が見え、より良い手術ができるようになっていきました」

作家にとって、作品を作ることが自分の表現であり生きがいであるように、外科医である高梨にとっては、手術こそが「自己の表現」に他ならない。平均睡眠時間は一日4時間程度で、手術の間に15分ほどの仮眠をとる日々。週末も講演や学会で予定が埋まることが多く、完全なオフの日は数えるほど。そんな多忙な毎日を支えるのが、「好き」という気持ちであり、父親から教えられた「諦めない心」だと高梨は語る。

「諦めないことは、泥臭くて不器用で、かっこ悪い。効率を大切にする人は、すぐに諦めて別の道を探そうとする。でも諦めずに続けていると、ある時点で言葉にできない、マニュアル化できない世界が見えてくるときがある。だから今の仕事がおもしろいんです。高校生の皆さんも、ぜひ『諦めない心』で、受験に立ち向かってもらえればと思います」

Q&A

ドラマの手術シーンのように、看護師に「メス」と言いますか?

 まず言わないです(笑)。手術が始まるのは看護師もわかっているので、黙って手を出せばメスを渡してくれます。百メートル競走のスタートラインに立っているときに「じゃ、走ります」と言わないのと同じです。実は後輩の外科医が最近、ドラマの手術シーンの監修をしていて、今はだいぶテレビドラマもリアルになってきているようです。

一日のスケジュールを教えてください。

 「今日は朝6時半には病院に来ました。午前9時から一件目の手術、午後にもう一件。だいたい一日二回の手術を担当します。その後に臨時の手術が入ったり、後輩の手術をサポートしたりもします。帰りが深夜になることもしょっちゅうですが、好きなことをずっとしているので、疲れはほとんど感じません。