TOSHIN TIMES on Web
>
TOSHIN TIMESバックナンバー
>
学習アドバイス

日本史 井之上勇の学習アドバイス

バックナンバー:

絞り込み検索:

日本史 井之上勇

語りかける口調はとても穏やかだが、緊張感のある厳しい指導で定評がある。しかし、その厳しさは生徒の成長を思ってこそであり、講義は人気を博している。つねに生徒と同じ目線に立ち、入試問題に対する的確な思考法を教えてくれる。気がついたときには、ダイナミックな歴史の流れが一本の糸につむがれ、連綿と輝いているはずである。

日本史には、理解が深まる勉強習慣がある

9月以降の日本史の勉強で、改めて大事なことが「習慣」です。日本史は、必ずしも机に向かう必要のない学習もあります。例えば、内閣の動向を把握する作業は、小学生のときに覚えた九九の覚え方と似ています。日本史が暗記だけでどうにかなるような甘い学問ではないことをみなさんはご存じのはずですが、思考力・応用力を養う前に、ベースとなる知識が必要です。つまり、学習を①暗記する ②教科書を読んで理解する ③演習を行うなどに分類し、一日の中で、三つの要素をすべて実行できるような計画を立ててみてください。

夏に立てた計画が予定通り実行できたならば、ハードルを高くしてもよいでしょう。

一方で、思ったように学習が進まなかった人は少しずつ強い負荷を与える計画を立てましょう。具体的には、毎日、過去問の大問1問取り組む→2問→3問といった形で増やしていくなどです。

<以下web限定>

「日本史の勉強」といっても既習の部分がかなり多くなってきた秋では、いくつかの学習目的があり、その目的に応じた学習法・ツールが必要となります。それは、①未習部分を撲滅する ②既習部分の定着を図る ③既習部分を得点につなげる、などです。③について補足しておけば、一通りの知識をもっていながら、演習不足であるために、既存の知識を答案に反映できない、といった事態を回避するための学習です。

①については教科書がバイブルであることは、いうまでもありません。②については「忘れない」ための手軽な教材を用いるとよいでしょう。たとえば一問一答です。パターン化した問いと解答は学習ツールとして批判されることもありますが、全体像が把握できているならば、知識を維持するためにツールとして最適だといってよいでしょう。とはいえ、一問一答的だけでは、テーマ的な出題がなされたり、視覚教材が用いられたり、論述形式が含まれていたり、といった多様な入試問題に必ずしも対応できません。そこで、③については過去問と正面から向き合う必要が生じます。③の目的のための過去問への取組みのなかで、弱点もみえてくるでしょう。既習のつもりでいても、実はほとんど未習とかわらないレベルだった、ということもあるでしょう。③の目的で取り組んだ過去問演習で発見できた課題を、①②のための学習に活かしましょう。

模試が大きな効果を発揮するのはなぜでしょうか。自分の実力が数値化されてもどってくることがわかっているため、少しでも点を高くしたいという気持ちが、受験会場で受験者を真剣にさせるのでしょう。過去問演習でも、講義を受ける前に演習を行うことは当然なのですが、本番のときの自分と同じ気持ち、集中力で取り組まなければ意味がありません。問題集などを説いていても、わからないからといって、すぐに解答をみてしまったら効果がありません。「これはなんだったかなあ」と受験会場、もしくは過去問演習を受講する前に自ら真剣に考えて、正解をみたり解説をきいたりしたときにこそ、大きな効果を発揮します。

教科書はおもろくない!?まずは、その認識を改めよう

「教科書はおもしろくない」、「わかりにくい」といった声を聞くことがあります。しかし、その感想は誤りです。教科書ほど簡潔に、そして、今日までの研究成果を的確に反映した教材はありません。読みこなせないのは、自らの学習への姿勢が甘いためだと考えましょう。

日本史学習はペンキ塗りのようなイメージで臨んでください。教科書を精読するといっても、最初は聞いたこともない用語ばかりでとまどうでしょうが、二度目、三度目にそのページを読むときに、きっと「思ったよりも理解できている」といった印象が得られるはずです。

近年の入試のシーンや、教養的側面から考えても、近現代史からスタートさせることをおススメします。近現代史では、出題される・されないに関わらず、学習で得た知識がビジネスシーンをはじめ、将来的にさまざまな場面で役立つと考えてください。

<以下web限定>

未来を思い描くことはとても重要です。もちろん、自分がなりたい職業を見つけ、その方向にむかって志望大や学部を設定していくことは重要です。ただし、みなさんの中には,自分に適切な職業など、発見できていない人も少なくないでしょう。私自身もそうでした。私自身が高校生のときに考えたことは,未来が見えなくてもあとでいくつかの選択が可能なように、努力する自分を養っておこう、というものでした。その意味では少し遠回りをしています。大学入学時は日本文学科で、もう一度受験しなおすかたちで日本史学科に編入したからです。しかし、努力する自分を養っておけたことは時代の変化にある程度ついていく自分を身につけることができたのだ、と思っています。昨今話題になっているニュースに、「コンピュータによる技術革新によって、現在ある職業は半減する」といったものがあります。

みなさんも、優良とされた企業、世界でも有数の企業が倒産するとか、外国企業に吸収されるといったニュースを耳にしたことがあるでしょう。

時代は常に変化しています。安定した職業などありえません。明治時代初期において極めて優秀な人力車夫は、自動車や鉄道が発達した時代にどうなったと思いますか~無声映画が一般的だった時代に活躍できた活動弁士(映画の解説をする人)はトーキー(音声映画)が登場したときにどうなったでしょうか。

時代は常に変化していきます。ある分野で専門性を高めてエキスパートになったとしても、その専門性は不要になる時代がくるかもしれません。でも恐れる必要はないと思います。ある分野で専門性を高め、エキスパートになった人は、尋常ではない努力をした人です。その努力はすぐに別の分野でも活かされて、あらたな道を切り開けるでしょう。

つまり、大学受験という機会を、自らに負荷を与え、努力する自分を養う機会にしてほしいのです。死ぬほど努力しても、もしかすると,第一志望には合格できないかもしれません。でも、大事なのはそこに至るプロセスです。「ここまで自分は頑張ることができた」それは周囲の人からみて、わかってもらえないのかもしれません。

しかし、その努力は自分の将来を想像もできないくらい、明るいものにしています。大学受験という機会を、「人生でこれ以上努力したことがない」と思えるようにしてみましょう。本番を終えたとき、結果(合否)にかかわらず、きっと「ここまで努力できたのだから、可能性は無限大だろう」と思えるはずです。本番までの努力は自らの可能性を無限大にする…このことを忘れずに地道な努力を続けてください。

バックナンバー:

絞り込み検索: