edited by TOSHIN TIMES
大学受験は東進ハイスクール 大学入試は東進衛星予備校 予備校の東進ドットコム















東進タイムズ2008年4月1日号
第26回
学如不及、猶恐失之
三羽 邦美 先生 (古文・漢文)
三羽 邦美 先生[古文・漢文]
縦横無尽な知識を駆使し、ゆったりと悠久の世界に誘う独特のストーリー授業が、根強い支持を集める実力派。正攻法でありながら歴史的背景も交えた奥深い授業内容に、「古典食わず嫌い」の受験生もグングン引き込まれ、短期間で確実に合格レベルの実力が身につく。
学如不及、猶恐失之

僕がずっと昔に通っていた、山口県の小野田高校(ちなみに『生物ハンドブック』の日田悌一先生も卒業生です)は、当時創立八十周年という古い学校で、前身は「如不及堂(にょふきゅうどう)」という私塾でしたが、それが何のことだか、なんと読むのかすら知りませんでした。

後に『論語』を読んだ折に、泰伯(たいはく)篇の中にそれを見つけたときの感動は忘れられません。

「学(がく)は及(およ)ばざるが如(ごと)くするも、猶(な)ほ之(これ)を失(うしな)はんことを恐(おそ)る。」
 (学問というものは、追いかけても追いかけても追いつけないような気持ちでやっても、それでもなお見失わないかと恐れるような態度で臨むものだ)

これを塾の名につけた創立者の思いを、時間を超えて感じたように思ったものです。なんていい言葉なんだ!と震えました。だからと言って、その後、その言葉のように立派に生きてきたとは、勿論言えません。でも、いい言葉というのは、机の前に貼っておくだけでも、何かの節目に思い出すだけでもいいんです。知っているだけで、少しはましな人間になれそうに思えるものです。

僕は一浪して、東京で下宿生活を送っていましたが、一人でいるとボーッとしてしまうんですね。そんなときはとにかく目の前のやるべきことをやるしかない。

「小人間居(しょうじんかんきょ)して不善(ふぜん)を為(な)す。」(大学)
 (だめな人間はひまにしているとろくなことを考えない)

明治時代の論客高山樗牛(ちょぎゅう)の言葉だったか、何かから引用していたのだったか、こんな言葉があります。

「自分の立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る。」
 一所に懸命になってやれば、そこから何も生まれないということはない。愚直に励む者を天は決して見放しません。

「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして失(うしな)はず。」(老子)
 (天は大きな網を張っている。その網の目は粗いように見えるが、決して取り逃がさない)

受験に限らず、人生はずっと勉強の日々です。人間、目標や目的のない努力はなかなかできないものです。「志(こころざし)」を立てて、そのために今やるべきことを、やり続けることです。

「志有(こころざしあ)る者は事竟(ことつい)に成(な)る。」(十八史略)
 後漢の光武帝(こうぶてい)の言葉です。

主に漢文の世界から言葉を拾ってみましたが、僕自身はもう諸君のようにこれからの人間ではないので、年相応の座右の銘としているのは、老子の言。

「上善(じょうぜん)は水(みず)の如(ごと)し」
 (最上の善は水のようなものだ。水は万物をうるおし、ものに争わず、必ず低いほうに流れる。ゆえに大きい)

そんな境地にもおいそれとなれるわけはないけれど、好きですね、そういうの。