edited by TOSHIN TIMES
大学受験は東進ハイスクール 大学入試は東進衛星予備校 予備校の東進ドットコム
トップページ













東進タイムズ2012年6月1日号
第36回 栗原 隆 先生 [古文]
20年を超える指導経験から、東大・早大など難関大志望者から古文入門者に至るまで、幅広い受講生から信頼を受ける真の実力講師。「構造分析による本文解釈」と「出題者の心理・行動分析による設問解法」を軸に、独自の図表や心和ませる古典エピソードを交え展開される講義は必聴。あらゆる入試問題にも素早く、確実に正解へ導く本質の指導を追究する。

人間は、自由という刑に処せられている ジャン=ポール・サルトル

当たり前を大仰なレトリックで説明する学問?

人生をもう一度やり直せるとしたら、どの場面に戻りたいですか? そんな質問に対する、僕の答えはこうです。「特にありません、おそらく同じように生き同じような失敗をするでしょう」

後悔がないからではありません。むしろ失敗だらけ。だからこそ、過去を振り返る暇があったら「今」と「未来」に目を向けたいのです。それを教えてくれたのはフランスの思想家サルトルでした。

最初の大きな挫折は高校3年のとき。実は、僕はずっと県立高校の国立理系クラスでした。数学V、物理、化学まで勉強しました。でも、進学したのは芸術学専攻。理由は簡単。理数系分野において自分が「凡人」だとはっきりと自覚したからです。勿論、ずっと以前から気づいてはいたことですがね。

ある日決定的な事件が起きました。僕が解くのに3時間もかかった物理の問題を、ある友人は一瞬で解いてしまいました。「ああ、これはだめだ!」と思いました。

ちょうどその頃、同年代の仲間うちで流行っていたのがフランスの「現代思想」でした。本屋に行けば美しい表紙の本がたくさん並んでいて、それらを背伸びして読むのが格好よかったんです。友達同士で「ロラン・バルト、読んだ? 」とか「やっぱり、レヴィ・ストロースだよね」って言い合ったりしてね。中身はほとんど理解してないのにね。

みんな似たりよったりのレベルで僕も同じでした。ただ一つだけ気づいたんです。「当たり前のことを大仰なレトリックを使って表現する学問もありなんだ」と(笑)。それは、数式を使って明確な答えを出すことに慣れていた自分にとってはとても新鮮でした。というわけで、周囲の大反対を押しきって理系クラスにいながら文系学部を目指し始めたのです。

バラエティ番組作りから「日本古典文学」へ

次の大きな挫折は就職のときです。大学時代の僕の夢は脚本家でしたが、いきなりデビューするのはさすがに無理だろうと思い、就職活動ではテレビ局や広告代理店ばかりたくさん受験しました。そして、片っぱしから落ちてばかり。

ようやく引っかったのが、日テレやフジテレビなどのいわゆる「キー局」の下請けをする番組制作会社でした。しかし追い打ちをかけるように、ここでもすぐに大きな壁にぶつかります。ドラマ班を希望しましたが配属されたのはバラエティ班。ADとしてひな壇を作ってタレントさんを呼んで、再現フィルムを回して、もう一度撮り直して……。特につらかったのはディレクターの感情のはけ口にされることでした。体も心も日々ボロボロに疲れ果て、ADとは「あなたのどれい」って意味なのではないかと悟ったほどです(笑)。

でも考えてみれば、人間関係というのはあらゆる職場に共通する基本的な問題です。そこで僕が活用したのが高校時代に読んだレヴィ・ストロースたちが提唱した構造主義の方法論でした。構造主義の方法論は3つのステップを踏んで問題の解決策を探っていきます。

第1ステップは「分析」。自分が問題と感じている事柄について"起きていること"を的確に把握します。第2ステップは「関係性」。その問題になっている事柄や人物と自分はどんな関係性にあるかをこれをまた的確にみていく。で、最後は「再統合」です。第1、第2ステップの結果、"改善できる点"と"改善など到底無理である点"を見極めて"これから自分がどうするか"を決めるのです。

以上の結果、僕が辿り着いたのは"あきらめて、再出発する"です。そして出した答えが、働きながら大学で再び学び直すことでした。そこで選んだのは「日本古典文学」。今度は相性が良かったのか、博士課程まで進み、そしていつの間にかここにいます。

自分の「本質」は自分で決められる!

さて、かのサルトルは「人間は、自由という刑に処せられている」と言いました。これまでの自分の人生を振り返るとき、その言葉の重さを実感します。親や先生や友達が何と言おうとも、あらゆることに対して自分の人生は自分で選べる。これは真実です。「制限」は自分が勝手に思い込んでいる幻想に過ぎません。

ただし、これは裏を返せば「すべて自分の責任である」ということです。弱さや欠点を含めて、自分自身と正面から向き合わなければならない。だから、サルトルは「刑に処せられている」と言ったのです。

逆説的になりますが、私はこの言葉に随分救われました。予期せぬ壁が目の前に立ちはだかったとき、「人間だからつらいのは当たり前。これが人生だ」と思うことで必要以上に悲観することなく、自分の道を意識的に選べたからです。後悔するのは無自覚だからです。自分が選んだ自覚があればどんな結果になっても受け入れることができるものですよ。

といっても、決して私のような道をすすめているわけではありませんので誤解しないでくださいね。サルトルは「自分の本質なんてないんだ。どんな本質でいたいかは自分で決めるのだ(=実存は本質に先立つ)」とも言っています。だから東進生の皆さんは、「なりたい自分」になって、輝かしい未来へと大きく羽ばたいてください!

では、どうしてこんな話をしたのかというと「私のような凡人でも生きていけるから大丈夫」ということをお伝えしたかったのです。ついでにそんな凡人が体験から得た伝言を一つ。若いときの「読書」と「経験」の質と量は、その後の数十年の生きる基盤になる……かな(笑)。