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東進タイムズ2006年12月1日号
第14回 樋口 裕一先生(小論文)
受験小論文の第一人者。ベストセラー参考書も多数執筆。著書『頭がいい人、悪い人の話し方』が230万部突破!受験生の盲点をついたテクニック満載の授業で、小論文対策は完璧。「樋口式」=論理的な小論文を書く方法を習得すれば、必ずや志望校合格を勝ち取れるだろう。
文化、風土、風景、人、その時代、その土地でしか感じられないものがある
異国文化を肌で感じた貧乏旅行

 学生の頃からとにかくクラシック音楽や映画、旅行が好きでした。今日は、その中でもとりわけ思い入れのある「旅行」についてお話しましょう。

 人生で初めて海外へ行ったのは約30年前の1977年。大学院でフランス文学を学んでいたので、一度はフランスに行ってみたいと思っていました。まずはフランスに1カ月ほど滞在し、ドイツ、オーストリア、イギリスをさらに1カ月かけて回りました。この旅行は本当に貧乏旅行でしたから、ホテルは風呂もトイレもない1泊2千円くらいのところ。食事も、昼間はサンドイッチ、夜はオレンジ2個だけ。ときどき300円の臓物フランクフルトや500円くらいのレバーステーキを食べるくらいでした。

 そんな貧乏旅行でも、クラシック音楽と映画が大好きな私は、コンサートと映画を40本近く観に行きました。オペラは一番安い「invisible」という600円の当日席で、その名の通り舞台はほとんど見えない。それでも、雰囲気や音楽を十分に楽しめたんです。

 初めての海外旅行で一番驚いたのは、やはり文化の違いでした。肉屋の店頭にうさぎがそのままぶら下がっていて、それを買ったおばさんがうさぎの耳を持ちながら歩いているのを初めて見たときはショックを受けました。ケーキやサラダの中にお米が入っていたことにも驚きましたが、彼らにとってお米は野菜ですからね、それが当たり前のことだったんです。

 それに、少しの雨なら傘をささないということにも驚いた。それまでは外国映画で傘をささない人を見ても、絶望しているシーンだからなのかなって思っていたけれど、そうではなかったんですね。それまで映画や本から得ていた知識をずいぶん修正させられました。

社会主義国家で目の当たりにしたもの

 もともと出不精だったのですが、それからは旅行が大好きになりました。当時マルクス主義に関心を持っていた私は、社会主義の現実を自分の目で見たいという気持ちがあって、新婚旅行では当時社会主義国だった東ドイツやポーランド、ブルガリアなどの東ヨーロッパの国々を回りました。

 そして目の当たりにしたのは、ものすごい行列。タバコを買うために20分、レストランに入るには1〜2時間。そこには何をするにも並ばなくてはならない状況がありました。

 社会主義を象徴するような出来事をひとつお話しましょう。ポーランドの首都ワルシャワの、とある荷物預かり所でのことです。そこには、2人の係官がいました。1人は荷物を受け取り、場所を探して置く。もう1人はお金を受け取る。当然前者の方が時間がかかるので、50人くらいの行列ができてしまいます。しかし、お金を受け取る係官は、もう1人を全く手伝わない。横にいるのに何もしないんです。自分に与えられた仕事だけをして、ほかのことは一切しません。その結果、客は長時間待つことになりますが、もうそれが当たり前。みんな諦めていて、怒る人もいませんでした。

 同じくポーランドでは、アウシュビッツの強制収容所にも行きました。外観だけでなく、建物の中も当時のままの状態で保存されているんですよ。中に入ると、ユダヤ人が収容されていた部屋やガス室が、全部そのまま。ある場所には、人間の脂で作られた石鹸が置かれていました。訪れた時期は夏でしたが、ぞっとするような寒気がしたのを覚えています。歴史上の事実として認識していたことでも、実際にその土地に足を踏み入れなければわからないことがある、と改めて実感した旅でした。

移りゆく時代の中で、変わらないものを見続けたい

そうしたポーランドでも、人々はみんな温かかった。私がよっぽど貧乏に見えたのでしょう、電車に乗っていると「このタバコ吸う?」「このジュースおいしいよ」と勧めてくれるんです。初めは、何か魂胆があるのかとうたぐり深くなってしまったのですが、何も対価を求めていないんです。彼らにとってはそれも当たり前の行動だった。

近頃、グローバル化が進んで世界が均一になるにつれて、その国特有の風景というものが減り続けていると感じています。世界中の多くの人がパソコンを持っていて、どこにでもファーストフード店やコンビニエンスストアがある。たとえば、10年以上前に私が初めてタイのバンコクに行ったときは、貧乏だったのでみすぼらしい格好をしていたけれど、彼らに比べたら少しは質のよい服を着ていました。それが、数年前に行ったときは彼らのほうがいい服を着ていて、センスも日本人と変わらなくなっていました。

オーストリアのウィーン、モーツァルト像前にて
朝鮮民主主義人民共和国の平壌にて

それでも発展途上国の田舎では、昔と変わらない生活をしているところがあります。公共の場である駅でもどこでも、人々が寝ていたり食事をしていたり。当たり前のようにそこで暮らし、そこで生きている。それを目の当たりにすることで、「この人たち、生きているんだなぁ」と感じられるんです。「楽しかった」とか「おもしろかった」とか、きれいごとのような感想が並ぶ旅ではありませんが、人間のありのままの姿を見ることが好きなんです。

私は、その時代の、その土地の風土、そこに暮らす人々の文化や温かさに直に触れ、自分の目で確かめることこそ旅行のおもしろさだと感じています。今まで経験してきた旅こそ、私の人生の大きな財産だと思っています。