型破りな先生たちとの出会いが
自由に生きることの本当の意味を教えてくれた
母校は名物教師の宝庫ピンタ先生と馬珍(ばちん)先生
みなさんは旧制高校というのを知っていますか?明治時代において大学は国家をリードするエリート養成機関であり、旧制高校は、その大学への進学を前提にした教育機関でした。
私の出身校はそんな旧制高校の伝統を持つ大阪の公立高校です。私が通っていた当時は「昭和」という時代のカラーもあってか、自由というより「野放し」という表現がピッタリ(笑)の、実に伸び伸びとした校風の学校でした。
高校時代を振り返って真っ先に思い出すのは先生たちのことですね。よくもあれだけの面々が揃ったものだと感心するほど、どの先生も忘れられないくらい強烈な個性の持ち主でした。
例えば体育教師の「ピンタ」。噂によれば「ラジオ体操第2」を考案した先生だそうです。当時すでに60歳近かったのですが、僕たち高校生よりもずっと体力がありましたね。授業は、夏場の水泳以外は1年間ずっと鉄棒の「蹴上がり」と「ラジオ体操第2」だけ。その二種目のテストに合格したら、1年間の残りの授業は好きなことをしていいんです。しかし意外とラジオ体操が難しく、手の角度やあごの引き具合など、こと細かい条件をクリアするのが大変でした。ちなみに私はゴールデンウィークを過ぎた頃には合格して、それ以降体育の授業はサッカーの時間になりました。
地理の教師「馬珍(ばちん)」もユニークでしたね。身長が高くカッコいい先生でしたが、馬のように顔が長いのでみんなにそう呼ばれていました。今でも謎ですが、その先生だけ授業に自分専用のハンドマイクを持ってくるんです。授業の内容は先生がその時に話したい地域について(笑)。黒板も教科書も使うことはほとんどなく、毎回ライブのように熱い語りを披露してくれました。
学問の奥深さを垣間見た職員室での会話
ドイツ語ペラペラの生物の先生もいましたね。ほとんど1年間「プラナリアの生態」についての授業をしていると思えば突然、黒板にゲーテの詩をドイツ語で書いて「これを読んでみなさい」と言いだしました。誰がそんなの読めるかっちゅうねん(笑)。
でもそういえば、高校に入学してすぐ、B4プリントにぎっしり書かれた漢文の白文を軽々と読み下した同級生がいました。あとで聞いたら家がお寺で、小さい頃からその種の文書をさんざん読まされていたと言っていましたね。そのときは古典の先生もびっくりしていたけれど、高1の最初の授業で白文ぎっしりのプリントを読ませるほうも無謀ですよね。
どの先生も今の時代では信じられないような強烈なキャラクターの先生で、ここで言えないようなエピソードだってたくさんありました(笑)。
でもすべての先生に共通していたのは、私たち生徒を「大人」として扱ってくれたことです。放課後に職員室に遊びに行くと、みんな例外なく喜んで迎えてくれました。そして自分の専門の話題をまるで友達を相手にしているかのように夢中で話してくれるのでした。高校生には理解できないような難解な定義や深遠な概念など、すぐに理解できないことだらけでしたが、だからこそより一層「学問への憧れ」をかき立てられたし、先生との会話が楽しくて仕方ありませんでした。
へそ曲がりの自分を初めて認めてくれた大人たち
学問には自分で試行錯誤しながら答えを見つけ出す醍醐味があります。知的好奇心の赴くままに何かを勉強することは、人生を豊かにしてくれるし、そういうことが今の高校生にもっとあっていいんじゃないかと思いますね。大学受験に必要とか必要でないとかいう、既存の価値観に縛られることなく。
「憧れ」と言えば学問の世界だけでなく、先生たちの生き方にも憧れていましたね。変な先生たちばかりでしたけど、その個性を堂々と表現できる「自由さ」が高校生ながらに凄いと感じていました。
最近はっきりと認識したのですがこれまでの私の人生、その行動基準はすべて「人と同じことはやりたくない」なのです。それがどんなにおもしろいことであろうと、すでに誰かがやっていることならやりたくない! 自分でもへそ曲がりだと思いますが本能だから仕方がありません(笑)。そんな性分の自分に「それでいいんだよ!」って太鼓判を押してくれたのが、高校時代に出会った先生たち。さまざまな制約があるこの日本社会で、後にも先にもあれほど自由な人々を私は知りません。
「自己責任」を胸に自由を謳歌しよう
「自由に生きる」ことは「自己責任」なしには実現できません。「自由に生きる」というのは「勝手に生きる」こととは違います。でも、分別をわきまえて自分で自分の責任を取れるようになれば、基本的に人生は「何でもあり」だと私は思っています。自分が「これだ」と思う生き方で、人生を謳歌すればいいのではないでしょうか。
そうそう今思い出しましたが、もともとは哲学を勉強したいと思っていた私が理系に進路変更したのも高校の先生の影響でしたね。
物理のF先生の授業は、「物理を勉強せねば!」と居てもたってもいられなくなるような素晴らしいものでした。この世のあらゆる現象が原理・原則で説明できることの驚きを、鮮やかな説明で解き明かしてくれました。
最後の授業が近づいてきた高3のある日。そのF先生が言ったのです。「最後の授業は澤村君にやってもらいます」。先輩から「F先生は、最後の授業で生徒に先生役をさせる」と噂で聞いたことがあったけれど、まさか自分が指名されるとは!
でも何となく嬉しくて、一所懸命に授業の構成を考えて原子核の授業を行いました。
何とか授業が終わり、「よかったぞ」と言ってくれたF先生の笑顔は、今でも鮮明に覚えています。あのときはなぜ自分なのか不思議だったけれど、今皆さんの前で授業をしているのですから人生とはおもしろいものですね。