壮大なスケールで描かれた人間の凄まじい世界
『罪と罰』の衝撃的な体験
我を忘れて読破した初めてのドストエフスキー
僕とドストエフスキーとの出合いは、音楽がきっかけといってもいいでしょう。幼い頃から音楽が好きだったので、中学1年の頃、フランス人作家ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルにして書いたといわれている長編小説、『ジャン・クリストフ』を夢中になって読みましたね。そこから、文学への興味が湧いてきて世界の名作といわれている作品を次々と読んでいきました。なかでもドストエフスキーの『罪と罰』は出合いから衝撃的でしたよ。今でも覚えていますが、当時読んでいた文学全集に挟まれていた栞に『罪と罰』の簡単なあらすじが載っていたんです。そこには「天才は人を殺してもいい」と書かれていた。とにかく、その言葉に秘められた真実を知りたくなって、止められない好奇心にかられて『罪と罰』を手にとったのが、中学2年の夏休みでした。
我を忘れて夢中になる、熱に浮かされる体験とは、あのときのようなことをいうのでしょう。数日で、あっという間に読み終えてしまったんですから。本の中では、登場人物も心理描写も物語のスケールも、これまでに読んだ作品とは異なる凄まじい世界が展開されていました。
複雑で難解な描写と身の毛もよだつ恐ろしい光景
夢中になって数日で読破しましたが、『罪と罰』の第一印象は「描写が長くてかったるい小説」だったんですよ(笑)。まず、登場人物の名前が一度で覚えられない。主人公の青年が「ラスコリーニコフ」、脇役には「ペトローヴィチ」「スヴィドリガイロフ」など耳慣れない名前ばかりで、人物表と照らし合わせながら読んでいましたね。加えて、描写が長くまわりくどく、決して読みやすい文章ではありませんでした。
それでも我慢して読み続けていくと、「殺人」や「父が娘を売る」という信じられない行為が次々と繰り広げられていました。ラスコリーニコフは、強欲な高利貸し業を営む老婆を殺そうと決意するのですが、物語の最初は彼が何を悩んで何を決意したのかわからない。そして、読み進めていくと少しずつ彼が殺人を決意したことがわかってくる。そしてついに殺人に至るシーンは、それまでに読んだどんな小説や映画よりも凄惨で鬼気迫るものがありましたね。彼が老婆の部屋を訪れる場面から、凶器となる斧を振りおろす瞬間、そして殺人を犯してしまったあとの入り乱れる感情までが、見事なまでに描かれていた。
また、ラスコリーニコフが、これから行おうとしている殺人という行為の醜悪さに煩悶しながら、薄汚い酒場に行った場面。粗末な服を着た下級役人が身の上話を始めたんですね。下級役人は自身の酒癖の悪さで職を失ってしまったこと、貧苦に喘いだ肺病を患う継母が、下級役人の連れ子である娘ソーニャに売春を示唆したこと。そして、ソーニャが娼婦となって得た金をせびって、今も自分が酒を飲んでいること。極めて細かい下級役人の心情吐露が、何十ページも続くんです。当時の僕には想像もしたことのないような、壮絶な人間のどす黒い世界に、ただただ強烈な衝撃を受けました。
人間観察のきっかけになった、人の多面性
『罪と罰』では、ここでは紹介し尽せないような、多くの人間くさくて魅力的な人物が入り乱れて話が続きます。この小説に心が揺さぶられたことは確かですが、当時は小説を貫く思想までは、考えを及ぼすことができませんでしたね。人間の多面性と心理劇、劇的な展開を遂げるサスペンス性に心躍らされていたのでしょう。
少しでも理解できた部分があったとしたら、「人間は弱く愚かな存在である」ということでした。同時に、純粋な心や神に対する信仰心を持つ、多面性を持ち合わせる存在であるとういことです。その後、50代に至るまで何度も読み返して感じたことがありました。ドストエフスキーは、そんな人間の多面性を認めて受け入れること、それが愛だと伝えたかったのではないかと思っています。しかし、それだけではなく、読むたびに異なる様相が見えてくる深い物語であることは確かです。
そして、人間の多面性を知ってからは、自然と自己分析や人間観察をするようになりましたね。例えば、友達が失敗をしたときにほくそ笑む自分がいたり、友達の成功を真摯に願っている自分がいたり、自分自身の心の中にも黒と白がある。そんな、ありのままの自分を客観的に認められるようになったし、他人に対しても一面だけを見て判断することが少なくなったように思います。
芸術作品を通じて、天才が見た真実を知る
僕の考えですが、優れた芸術文化に触れても、若いときにしか感じることができないことがあると思うんです。それが、「根底から心を揺り動かされる体験」ではないでしょうか。
10代の頃の僕も、『罪と罰』を読んだときは、ラスコリーニコフに自分自身を重ねて読んでいました。ラスコリーニコフの弱さや揺れ動く心が、まさに自分自身を見つめているようだったんです。登場人物と自分を重ね合わせることで、心から共感できるから、より深く理解することができる。これは若い人の特権です。ある時代の一人の人間(作家)が、命を賭けて発見した真実を、ともに味わい共感することができる。こんなに素晴らしい経験はありません。
大人になって同じ小説を読むと、客観的に判断できるようになってしまっているので、ラスコリーニコフと自分は違うということがわかってしまうんですね。大人になると別の感動を味わうことはできますが、10代の頃のあの揺さぶられるような感動は、残念ながらありません。人との相性があるように、文学作品にも相性があると思います。まずは読みたくなる作品を探してみてください。純粋に心が揺り動かされる今だからこそ、優れた芸術作品に触れて、忘れられない体験をしてほしいのです。