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若手ながら、その指導力・実績は抜群。合格に必要なサポートを的確に行う。評論文・小論文・随筆などの読解から知識事項の整理までオールラウンドな力がつくように指導する。
 

環境問題の重要性を理解していない人はもう先進国にはほとんどいないことでしょう。しかし、だからといって環境問題解決に向けて目に見える成果が現れているとはいえません。誰もが重要性を知っていながら、確実な一歩を踏み出せずにいる・・・そんな状態です。

当然、環境問題の背後には消費「使い捨て文化」優先の価値観があり、また逆にこの価値観を見直そうとすると、景気対策という急務の要件に反することになってしまい、結局「景気」のために環境問題に目をつぶる、という不思議な事態が展開することになってしまいます。

環境問題が頻出問題となってすでに久しい年月が経過していますが、近年の出題の傾向は以前とはちょっと方向が変わってきています。以前ならば、環境破壊を誘発する具体的な行為や行動への批判、あるいは私たちのライフスタイルの見直しという点から出題されていましたが、近年は環境問題の原因を、例えばアメリカ合衆国の大量消費文化に見出したり、例えば森林伐採に代表される第三世界の貧困に置くなどして、相当具体的に踏み込んでいるのが特徴です。

京都会議などの国際会議の成果がなかなか実効性を持たない現実は、環境問題の改善について何が障害となっているのか、浮き彫りにしつつあるといえます。

リサイクルや環境保護という観点から考えると、本来日本人は非常に優れた生活スタイルを持っていたといわれています。ゴミが出ない、そして街道が清潔に保たれていた江戸時代のあり方などはその格好の例でしょう。

しかし、一見するとこのような精神性はすでに私たちの社会からなくなってしまったようにも思えます。ゴミの不法投棄、ゴミであふれる街、無秩序な都市計画などがその最たる例です。

ここで注目したいのは環境問題に対する各企業の取り組みです。企業は利益を追求しますが、同時に社会性を備えた存在でもあります。家庭ゴミが一向に減らない一方で、排気ガスの厳しい規制を乗り越え、ゴミの出ない工場運営を推進し、さらに非常に厳しい環境保護規格などを実践している企業は数多く存在します。環境保護がビジネスになるときがくれば、再び日本の製造業は脚光を浴びるに違いありません。ただ、今はまだ時代が来ていないだけです。

営利であるからこそ環境を守ろうとする。これはなかなかに面白い視点です。単なるスローガンや理念、理想ではなく、お金が儲かるから環境を守る。もしこのような発想の転換を人間が工夫の元に見出したとき、私たちの社会の環境問題は一歩高い世界へと足を進めているはずです。