中高一貫ハイステージ数学 幾何 上

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 なぜ,数学を勉強するのだろう?

 なぜ,数学を勉強するのだろう.お金の計算,時計の見方,ものの量の測り方,割合など日常生活に必要な数に関する道具は,小学校において一通り習っている.中学校に入学してから習う数学は,図形に関する証明,方程式や関数といった日常生活とはほとんど無縁の知識である.おそらく世の中の大人の大半は,日常生活で高校はおろか中学校で習う数学さえも使っていないだろう.では,なぜ,数学を勉強するのだろうか.

 数学を勉強する1つの目的は,その論理的な思考の進め方や,定型的な推論の方法,論理に裏づけられた,しかし,論理を超越した発想力,新しい視点のもち方などの訓練のためなのではないだろうか.

 中学校・高校で学んだ数学そのものを使うことは,非常に特殊な場合や何か特別な専門分野に進んだ場合でないと,まずないといっていい.しかし,数学には,人類が数百年から数千年をかけて編み出してきた論理的な思考方法が,最も単純化された形で凝縮されている.何か日常生活で問題や課題に直面したとき,何を根拠として何を導くのか,どのような方法に頼るのが最も強力で信頼性があってかつ効率的なのか,他人が思いつかないような素晴らしい解決方法はないのかといったことは,おそらく誰しもが考える必要に迫られる事態に直面することがあるだろう.こんなとき,何の知識もなく,論理的な思考方法も知らず,発想の訓練も行っていない人が,いきなり素晴らしい問題の解決方法を思いついたりするだろうか.結果は多くの場合,ノーだろう.何の下地もなく問題が解決できるのは,たまたまラッキーな場合だけだと思う.

 中学生・高校生の時代というのは,その人の人生の中でその人が幸せに生きていくための色々な道具としての知識や能力を身につけ,人間性を磨き,その礎をつくる時期だと思う.そのためには,直接的に役に立つ道具だけでなく,新しい知識や思考力を身につけるための“基礎体力”を培っておく必要がある.その最も典型的なそして伝統的な役割を担っている科目の1つが数学なのだと思う.中でも,幾何学,特にユークリッドの『原論』を祖とする平面幾何学とその論証は,数千年にわたって必須の学問として世界の多くの人に勉強され続けてきた.現代は何に対してでも,目新しいもの・奇を衒ったものがもてはやされる時代だが,歴史的・伝統的な学問の方法は,やはり多くの人から有効と認められてその地位を築いてきたもののはずである.中高一貫の6年間を有効にじっくり使えるのなら,目先の点数にとらわれずに,その伝統的な学習方法にのっとって基礎を固めることは,その人の在学中,学校を卒業してからを通じて,その能力の発展のために大きな力になると信じている.

 そこで,本書では,意欲的で優秀な中学生の読者を対象として,純粋に論理的に幾何学を構築することを試みた.もちろん,本書を待たずしても,そのような試みをした著名な書は数多くある.しかし,中学生向けにその行間を補った書物は残念ながら少ないといわざるを得ない.そこで本書では,論理的な幾何の構築を優秀な意欲ある中学生が理解できることを目指した.だが,結果は,ハッキリいって,一般の中学生にとってはかなり背伸びをした感のある本になってしまったことは否めない.中学生向けの参考書を謳ってはいるが,その形式(特に第5章以降)は純粋な数学書に近い形をとっており,その内容も下手をすると大学の講義レベルにいたることがある.しかし,好奇心旺盛でどんどん新しいものを吸収したいと希望に燃えている新しい芽を,ある学年ではここまでしか教えてはいけないというような枠組みでむやみにくくってしまうのは,本当にもったいないことではないだろうか.しかも,何も知らないということは恐ろしいことで,私が教えた生徒たちの多くは,実際にこのスタイルの授業にきちんとついてきてくれた.本書は,その授業で用いた教材をもとに再構成し直したものである.したがって,本書による学習を終えたときには,ほとんどごまかしのない数学的に非常に厳密な幾何学の世界が,読者の頭の中に広がることを期待して書かれたものである.

 もう1つの数学を学ぶ目的は,楽しく面白いからである.何かの目的のためにというような2次的な理由ではなく,数学そのものが面白いからである.それは,試験の問題が解けたときの喜びというようなちっぽけなものに留まらない.今まで知らなかったような考え方を知り,そんなことが成り立つのかと驚き,何でこんなことを思いついた人がいたのだろうと自分が発見できなかったことを悔しく思い,いつかは自分も新しいことを見つけてやろうと意欲に燃える楽しさなのだと思う.そういう意識で数学に取り組めない場合は,本書で学習するのはややつらいかもしれない.ただし,本書の内容が面白くないと感じられたとすれば,それは数学や幾何学そのものが面白さにかけるのではなく,ひとえに著者の非力による.

 本書ができあがるまでには本当に多くの人たちのお世話になった.まずは,この授業の内容についてきてくれ,ときには適切な質問や指摘をくれた開成中学校で私の授業を受けてくれた生徒諸君,またその授業の内容を一緒に考えて頂いた職場の大先輩である宮崎哲朗先生および職場の同僚の数学科の先生方,特に本書の原稿に目を通して様々なアドバイスをくれた代数編の著者である藤村崇先生,数学を専門にしない人の立場からの有益なご指摘を頂いた山本倫子さん,その他大勢の方々にお世話になった.さらに,上述したように,本書は中学生向けの参考書としては類書のない特殊なものになってしまったが,本書のような参考書を筆者のような浅学非才の輩に執筆する機会を与えて下さった東進ブックスの方々には心から感謝したい.特に,編集部の柏木恵未さんには筆者の非才と怠慢のため多大なご迷惑をおかけした.柏木さんのご尽力とご支援があって初めて本書は上梓できたと思っている.この場を借りて,厚くお礼を申し上げたい.

2009 年2 月16 日自宅にて
林 正人

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