中高一貫 ハイステージ数学 幾何 下

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 本書の目的は,ユークリッドの『原論』に始まるユークリッド幾何学の公理的構成を,ヒルベルトの『幾何学基礎論』の厳密さをもって学習することである.紀元前3 世紀ごろに活躍した数学者エウクレイデス(ユークリッド)が編纂したと言われる『原論』は,約2000 年にわたって学問の基礎科目としての数学の教科書であり続けた.しかし,その内容は近代数学の発展とともに厳密な意味では数学的に正しくない部分もあると考えられるようになった.このような背景のもとでユークリッド幾何学の厳密な公理的展開を試みたのが,19 世紀から20 世紀にかけて活躍した大数学者ヒルベルトによる『幾何学基礎論』である.
 本書の上巻は,その『幾何学基礎論』によるユークリッド幾何学の公理的構成の基礎の部分を解説している.下巻は,その基礎を前提にして,一般に中学・高校で学習するユークリッド幾何学の内容を,公理的構成の流れの中で可能な限り厳密に展開しようと試みたものである.執筆にあたって,上巻はヒルベルトの書物の内容を中学生にも理解できるように噛み砕き補足するという作業で済んだのだが,下巻の内容については私の浅学もあって手本とすべき書物があまり見つけられず,この公理的構成の流れの中で私なりのユークリッド幾何学の再構築を試みることになった.
 しかし,この作業は正直言って私の手にはあまる試みだった.ユークリッド幾何学の各分野をどういう順序で構築するかから考えなければならなかったことが大きい.試行錯誤の末,目次にあるように,第10 章で凸多角形・四角形・平行四辺形をまず扱い,第11 章で合同変換の話題に触れ,第12 章で比例線定理(平行線と比例)と相似を,第13 章で面積と三平方の定理を考え,第14 章以降は円論を取り扱うという順序を踏んだ.このような順序を選んだ理由は次の通りである.円の導入で最大の問題になるのがその連続性の問題である.これは円と直線の交点の存在の問題に帰着されるが,本文でも触れているように円の連続性を担保するには,もし代数に頼らないならば,新たな公理が必要になると私は認識している.これもいろいろと考えた結果,あまり勝手に公理を追加したくなかったこともあり,代数に頼って交点の存在を示すという立場を選ぶことにした.代数に頼るとは,三平方の定理を利用して2 次方程式を立て,その解の存在から交点の存在を証明するという意味である.
 そのために,円論の前に三平方の定理を準備しておく必要がある.三平方の定理については面積を利用した証明が有名だが,相似を利用しても示すことができる.結果として,比例線定理・相似に関する話題と面積に関する話題のどちらを先に扱うべきかという問題に突き当たる.そこで両者によって証明される多くの命題について比較考量した.その結果,ユークリッド幾何学において,比例線定理・相似に関する分野と面積に関する分野はほぼ等価であるという結論に至った.「等価」というのは,比例線定理を根拠として証明できる命題は必ず面積を利用しても証明でき,面積を利用して証明できる命題は必ず比例線定理を利用しても証明できるという意味である.比例線定理に関する話題を扱うためには,「比」の概念の導入が必須である.一方,面積に関する話題を扱うためには,「面積」とは何かを定義しなければならない.このいずれもが,ユークリッド幾何学の公理的構成の中では実数論,特に極限の扱いとの関わりの中で少々厄介な問題をはらんでいる.「ほぼ等価」と述べているのは,私自身がこの問題について詰めきれていないことの言い訳である.このような考察を経て,本書では「面積」の取り扱いの方が測度論に絡む関係上,説明が難しいと見て,比例線定理・相似の話題を先に扱うことにした.しかし,適切に設定を変更すれば,第12 章と第13 章の順序は交換可能である.
 「図形の移動と合同変換」の話題を第11 章においたのは,早めに移動の概念を教えておきたいという教育的配慮の結果であって,論理的には円の後に学習すべき内容であろう.特に,回転変換の導入は,やはり本質的には円の導入により「角度」の概念を定めてからにするのが,本来の正しい姿勢だと考える.比例線定理,および,面積のいずれを扱う場合においても,平行四辺形の性質が基本となる.そこで下巻は凸多角形・四角形・平行四辺形の話題から取り扱うことにした.しかし,これも厳密な公理的構成の流れの中で各性質を証明しようとすると,通例,中学生では直観的に認める「凸性」の問題に向き合わなければならなくなる.第10 章はこの多角形の凸性の問題に多くの紙面を割くこととなった.全体の流れを考えれば,凸でない多角形についても扱いたかったのだが,紙幅の関係でそれは叶わなかった.円論の応用も本書で十分に扱うことができなかった.特に,パップスの定理を扱ったのに,パスカルの定理を扱えなかったのはバランスを欠いたと感じている.また,当初の考えでは,三角形の五心に関する演習問題も載せ,さらには,五心に関する応用の話題(オイラー線,九点円の定理,フォイエルバッハの定理など)についても触れたかったのだが,紙幅と出版の期限の関係で扱うことができなかった.また同様の理由で,演習問題の解答に関しても説明の詳しさに差が生じてしまったのは悔やまれる.
 上巻を世に送り出してからこの下巻を上梓するまで,なんと約5 年の歳月がかかってしまった.それでも本書に多くの不備を残してしまい,心残りこの上ないが,それらはすべてひとえに著者の非才によるものである.その間,最初に上巻を使って勉強して頂いた読者諸氏は中学・高校を卒業し,今は大学2 年生ぐらいであろうか.ご迷惑をおかけしたことをここにお詫び申し上げたい.上巻同様,開成学園の同僚,教えている生徒たちにはたくさんのアドバイスを頂いた.また,学習参考書としては執筆に異例の時間をかけさせて頂いたのとは引き換えに,東進ブックスとその編集部の方々には多大なるご迷惑をおかけした.特に,上巻からの担当の柏木さん,それを引き継ぎこの本を完成させてくださった和久田さんには,様々なご無理を申し上げ少なからぬ心労をおかけした.皆さんに本当に心から感謝を申し上げたい.

林 正人

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