• 東進タイムズ 2021年5月01号

古文 栗原隆先生の学習アドバイス

古文
栗原隆先生

20年を超える指導経験から、東大・難関大志望者に絶大な信頼を得る真の実力講師。「構造分析による本文解釈」と「出題者の心理・行動分析による設問解法」を軸に、独自の図表や心和ませる古典エピソードを交え展開される講義は必聴。あらゆる入試問題にも素早く、確実に正解へ導く本質の指導を追究する。

高3生

一週間ほどあるGWは実に魅力的な時間で、私もなにか書き物をするときは大体一週間を目安にしています(例えば参考書・問題集等の一単元)。受験に必要な教科を挙げて、ここまでに何をしておきたいか、紙に書き出してください。古文ではこの時期までに「統語論(文法)」を理解し、「語彙目録(重要単語)」にひととおり目を通していただければ完璧です。

「統語論(文法)」は、実は独学では少し心許ないというのが私の本音です。よって、東進の『古典文法強化ゼミ』等の短い講座を一つ、この期間に受講するのが最も合理的かと考えます。

「語彙目録(重要単語)」については、まず何が「重要単語」なのかを知ることです。古文では三百数十語程度です。一日10語検証していけば、一カ月で終わります。できれば、楽しみながら覚えてほしいものです。『古文単語教室』(東進ブックス)等を参考にしていただくとよいかと思います。

勉強嫌いにならないために段階を区切った学習を

高校時代は人生で最も学びの多い時期です。大人になってしまった今、それぞれの教科・科目を概観して見ると、それぞれの内容はとても興味深く、魅力的です。なのに、それらを一度に詰め込みすぎるから、本当は楽しいはずの勉強が嫌いになってしまうのです。だから、一度にすべてをやろうとしないで、基礎・標準・発展と段階を区切って、必要とする科目を一つひとつ重点的に勉強した方が効率的です。

部活に関して言えば、多くの場合これは「趣味」ですね。私もある格闘技をやっていました。これは現在でも「私のお友だち」です。しかし、それ以上でもそれ以下でもありません。自分が勉強できていないことをお友だちのせいにしますか?

私は、朝目覚めて顔を洗う時、毎日愕然とします。つい昨日まで高校生だったのに、いつの間にか「おっさん」になっているのですから……。それほど、人生はあっという間に通り過ぎていってしまいます。

なかなか、人間は一日一日が過ぎていくのは実感できないものですが、一瞬一瞬の経過にはとても敏感です。知りたいことは山ほどありますよね。今この時、確かめてみたいことがあるでしょう? それが「探究心」です。「研究」の源です。その気持ちを忘れないでください。実は、勉強(もうちょっとで「研究」)は楽しいものです。時には意地悪ですが、どうか一生の恋人にしてください!

高1生・高2生

古文を例に挙げるならば、高3生と同様に、「統語論(文法)」を理解し、「語彙目録(重要単語)」にひととおり目を通していただければ完璧です。

「統語論(文法)」は、参考書や文法書のみで独学では、心許ない。東進の『古典文法強化ゼミ』などを活用し、しっかり理解しましょう。

「語彙目録(重要単語)」も一日10語検証で三百語、一カ月で終わらせることができます。楽しみながら覚えていきましょう。

現在のところ日本語は、アルタイ語族に近くはあるのでしょうが、系統不明、祖語不明の「孤立言語」です。ですが、現在残されている確実な史的資料をさらに精査・研究していけば、新たなことがわかるかもしれません。現在は、「ウラル・アルタイ語族」という概念も、いわんや「ユーラシア・トゥーラン語圏」も証明されていませんが、もしも、各言語の通時的(歴史的)研究がもう少し進んだら、これらの概念を再考する時が訪れるかもしれません。皆さんがどのような道に進まれても、歴史的な考察も忘れないでください。必ずや、新たな発見があるはずです。

どんな言語も歴史と体系を持つ文化

人間は生まれる時代も場所も選べません。その幼少期に身につけた言葉が母語なのです。どんな地域のどんな言語だって、その言語でしか言い表せない思想・価値観・美意識はあると、私は信じます。どんな地域のどんな言語だって、歴史と体系を持つ文化なのです。

だから、皆さんが、未来にどんな地域のどんな母語を持つ人とお付き合いするとしても、相手の母語に敬意を持ってほしい。そのためにも、自分の母語に敬意と理解を持ってほしいと、私は強く願います。

確かに「古文」は、社会言語としては失われた言葉です。でも、さまざまな時代のさまざまな地域で息づいてきた過去の「日本語」なのです。「古文」を学ぶことはけっして無駄ではありません。

そして、いつか皆さんが出会うはずの、世界中の違う母語を持つ人たちにも、この過去の「日本語」のことを教えてあげてほしいと思います。さあ、「古文」を楽しんでください。それこそが私の願いです。

以下、WEB限定記事!

「曲はトゥーランドットTurandot!」

2006年トリノオリンピックで、フィギュアスケートの荒川静香さんが五輪フィギュア史上日本初の金メダルを獲得した時、荒川さんの演技がまさに始まろうとしていたその瞬間に、NHKのアナウンサーが発した言葉でした。

恥かしながら、私はこの時まで、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)のオペラ『トゥーランドット』も、劇作家カルロ・ゴッツィ(Carlo Gozzi)の戯曲『トゥーランドット』の存在も知りませんでした。荒川さんの演技は超人的で素晴らしいものでした。感動しました。ですが、この「トゥーラン」という言葉の響きによって、長いこと引っかかっていたあることを思い出したのです。私はその素晴らしい演技を見終わった直後、「トゥーランドット」について、辞書・事典を引きまくりました。

「トゥーランドット」は、戯曲に登場するお姫様の名前でしたが、その戯曲の元になったのが、ニザーミー(Nezâmi-ye)の叙事詩『ハフト・ペイカル(七王妃物語)』(1197年)で、これは「謎かけ姫物語」と呼ばれる物語の一類型です。

そして、この系統の物語をヨーロッパに紹介したのがフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de la Croix 1653年~1713年)の『千一日物語』であることがわかりました。

さらに、同じような筋書きのペルシャ語写本が残されていること、残されているペルシャ語写本にトゥーランドットの人名はないが、「トゥーラン」という国名はあることも知りました。

さて、この「トゥーラーン(Tūrān)」とは、ペルシャ語で中央アジア付近のことを言いました。しかし、めぐりめぐって、この語は20世紀のヨーロッパで「ウラル・アルタイ語族」系民族を総称する、人類学や言語学の術語として(ある時にはイデオロギーの道具として)使用されておりました。

西はスカンジナビア半島のフィン語族・サーミ語族から極東の島国の日本語に連なる、ユーラシア大陸北部を貫く広大な言語圏を、かつて言語学者のトルベツコイは「ユーラシア・トゥーラン語圏」と呼びました。

(注)ニコライ・トルベツコイ(Nikolai Trubetzkoi 1890~1938年)は、ロシアの言語学者。構造主義の言語学者として有名だが、思想的にいわゆる「ユーラシア主義(Eurasianism)」を信奉していた。

ちなみに、私(栗原)は、ユーラシア主義者でも、民族主義者でもありません。ただの「言葉オタク」です。念のため。

この「ウラル・アルタイ語族」の言語の共通項としては、
1 膠着語
2 SOVの語順
3 母音調和
等が挙げられていました

しかし、共通する基礎語彙がほとんどなく、同系性を示す証拠がないため、現在の言語学では、この「ウラル・アルタイ語族」という概念自体が認められていないのです。

(注)
○ウラル語族
 フィン・ウゴル語派
  ハンガリー語・フィンランド語・エストニア語・ロシア連邦の少数民族の言葉など 
 サモエード語派
   ロシア連邦北部のモンゴロイド少数民族サモエード人の言葉など

○アルタイ語族
 チュルク語族
 モンゴル語族
 ツングース語族
 (中期朝鮮語?)
 (上代日本語?)

○「母音調和」とは、一つの語を表す音声の中で、ある母音のみが規則的に用いられる現象。現在の韓国・朝鮮語や日本語には見られないので、「アルタイ語族」に括ることは無理なのですが、「中期朝鮮語(15世紀中期から16世紀末までの朝鮮語。ハングル文書が登場して朝鮮語の音声がはっきりとわかるようになった時期)」や「上代日本語(万葉仮名で表記されていて母音が[a]・[i] [u]・[e]・[o]の他に[ï]・[əi]または[əe]・[ö]という母音を持っていたのではないかと想定される)」には、「母音調和」の痕跡が見られます(「有坂・池上の法則」と言われています。「古代日本語における音節結合の法則」有坂秀世1934年)。

現代の言語学は、「現在の話し言葉」の研究が第一です(これを共時的研究と言います)。だから、「比較言語学」といえば、その対象は同系関係が認められている言語間のみとなります(例えば同じラテン語から分かれたフランス語とイタリア語とか)。

だから、同系関係の言語が存在しない日本語は「比較言語学」の対象にはなりません。日本語と外国語を比べることは「対照」という違う用語で区別しています。

以上に述べた理由によって、現代の日本語は「アルタイ語族」にも入れてもらえません。でも、過去の日本語ならどうでしょうか? 少なくとも、万葉時代の日本語は「膠着語」「SOVの語順」「母音調和」という要素は持っていそうです。これなら、「アルタイ語族」の要素を持っている言葉と考えてもよいのではないでしょうか。

しかし、日本語の系統を考えるときにもう一つ大きな問題があります。それが「語彙」です。語彙に関しては、日本語と関連性がありそうな言語は、現在他に見当たりません。

ある二つの言語を対照する時に、日常使用される頻度の高い語彙で、社会的・歴史的にあまり変動しない語彙を使います。これを「基礎語彙」と言います。これらには、まず人体の各部の名称(身体語彙)、親族名称(親族語彙)、数詞などが使われますが、現在の日本語の基礎語彙と何らかの対応関係が見い出せそうな語彙を持つ外国語は、現在は見当たりません。

だから、現代日本語は他の言語と共通の祖語が見つからない、いわゆる「孤立言語(言語の類型的分類とは違う意味での)」と呼ばれています。

でも、もう少し、時間を遡れたらどうでしょうか。例えば、ほんの数語ですが、「高句麗語」と考えられている語彙があります。

「高句麗(こうくり) Koguryŏ(紀元前37〜668年)」については、『三国志』東夷列伝高句麗、『後漢書』東夷列伝高句麗および『日本書紀』に記述されています。それらの断片的な記述から、高句麗では、当時の朝鮮半島に存在していた「加羅(から) Kara・伽耶(かや) Kaya(3世紀〜6世紀頃)」「百済(くだら) Paekche(4世紀前半〜660年)」「新羅(しらぎ) Silla(紀元前57〜935年)」とは違う言葉「高句麗語」が使用されていたようです。

また、高麗時代(918〜1392年)の金(きん)富軾(ふしょく)が編纂した紀伝体の歴史書『三国史記』(1145成立)の巻37「高句麗地理志」と巻35「新羅地理志」に記述されている高句麗の地名から、地名学的手法により導き出された数語の高句麗語の語彙と言われるものがあります。このうちの数語に古代日本語と共通性が見られるのです。

しかし、資料数があまりに少なく、また、これが本当に高句麗の言語だったのかという根本的な疑問も残るので、ここでは、このような説があることを紹介するに止めますね。

(注)李基文『韓国語の歴史』(1975年)によれば、以下の地名とその別名から、「三[mi]」を高句麗語では[mir]、「五[itu]」を高句麗語では[ʊ̈c]、「七[nana]」を高句麗語では[nanən]、「十[towo]」を高句麗語では[tək]、「谷[tani]」を高句麗語では[tan]と発音していたと推定している。

『三国史記』の記述の仕方、「『漢訳された地名』云く『高句麗語の地名』」を考えると、
「三唄県」云く「密波兮」
「五谷郡」云く「弖次云忽」
「七重県」云く「難隠別」
「十谷県」云く「徳頓忽」
のように、数詞「三」「五」「七」「十」及び「谷」に対応する高句麗語が推測されるという。

このように、現在のところ日本語は、アルタイ語族に近くはあるのでしょうが、系統不明、祖語不明の「孤立言語」です。ですが、現在残されている確実な史的資料をさらに精査・研究してゆけば、新たなことがわかるかもしれません。

現在は、「ウラル・アルタイ語族」という概念も、いわんや「ユーラシア・トゥーラン語圏」も証明されていませんが、もしも、各言語の通時的(歴史的)研究がもう少し進んだら、これらの概念を再考する時が訪れるかもしれません。

人文科学においては、共時的研究と通時的研究は車の両輪だと私は思っています。確かに現代の様々な社会現象・文化現象は複雑で、まずは共時的研究が大切であることには変わりありません。でも、それだけでは理解できないことがこの世にはいくらでもあります。

だから、皆さんがどのような道に進まれても、通時的な考察も忘れないでください。必ずや、新たな発見があるはずです。

さあ、「古文」を楽しんでください。それだけが私の願いです。