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古文 栗原隆先生の学習アドバイス

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古文

栗原隆先生

栗原隆先生

20年を超える指導経験から、東大・難関大志望者に絶大な信頼を得る真の実力講師。「構造分析による本文解釈」と「出題者の心理・行動分析による設問解法」を軸に、独自の図表や心和ませる古典エピソードを交え展開される講義は必聴。あらゆる入試問題にも素早く、確実に正解へ導く本質の指導を追究する。

高3生 のキミへの学習アドバイス

各大学の入試問題はそれぞれの「型」があり、どんなに偏差値の高い受験生でも「過去問演習」をしないで受験することは、極めて危険な行動です。一方、まだ基礎力が備わっていないのに、ただ過去問演習だけを繰り返すのも、時間の無駄です。古文の過去問演習に入る前に、まず大前提として「平安中期の文法体系と基本的な語彙の理解」という課題をクリアすることです。わずかでも不安が残る項目があるとしたら、今すぐに対処してください。まだ間に合うのだから。

過去問演習で最も重要なことは、「出題者は、いったい何を求め、どのような形式を使って作題しているのか?」ということをいつも考えながら解答することです。

傍線部を解釈する手順は、当該箇所の単語を分析し、文脈における適切な意味を選び、それを現代語に変換し、現代語として再統合する一連の作業です。「説明」とは「感想文」や「評論」ではありません。あくまでも精密な本文解釈に基づく検証とエビデンスを有したものでなければなりません。そんなことを考えながら模試の復習を必ず行ってほしいのです。

特に、歌論等の論理的展開のある問題文では、まずは本文全体の構成を大きく把握して、各文の要旨をつかみ、その前後の文との関係性を見極めながら、解釈する必要があります。

また、設問で要求する表現そのものが、解答に必要な要素を導き出す道標となっている設問形式が存在します。このような場合は、自分勝手に答案を組み立てていては、出題者の求めるものから乖離してしまう恐れがあるのです。

まず、設問が要求するとおりの答案の骨組みを作ってから、本文の構造を分析して、それらの構成要素を論理的に見つけ出すのが最良の方法です。必要な要素を本文から抽出し、そのエッセンスを要約したうえで、設問が問う形に文を組み立て直すのです。そして、最後に出来上がった答案が現代語として正しいかどうかを検証することも必要です。

他者に喜びを与えられる人間になろう

「仕事/働くこと」とは、人間が肉体的・精神的能力を行使して、意識的に自然に働きかけることによって、他者に役立つように自然を変える営為です。他者を陥れたり、傷つけたりして、利益を得るような行動は、絶対に「仕事/働くこと」とは言いません。

あなたもこれから、あなた自身の「仕事/働くこと」を見つけることでしょう。そのために、今学んでいます。「○○大学卒業」の肩書のためだけの勉強ならば、それはとてももったいないことです。

では、「仕事/職業」を得るために勉強するかというと、それもまだまだもったいないことです。人間は、「仕事/働くこと」を通じて他者に喜びを与えられます。そのために、人はますます「努力/勉強」したくなるはずです。

以下、WEB限定アドバイス!

高3生 志望校に近づく学習を

勉強とは、学問とは、「義務」じゃあないんだ!「権利」なんだ‼︎

イヤイヤ勉強する人は人生の無駄遣いだからやめてください。知ることは面白いのです。一見全く興味がなさそうな教科・科目でも、実は「不思議の国の宝庫」なのです。世の中には、あなたがつまらないと思うようなことを職業にしている方たちが大勢います。その方々は、そのご専門をあたかも奴隷のようにただ苦しみながら日々行っているとお思いですか?そんなはずはありません。たとえば、あなたが嫌いな教科が「古文」であったとしましょう。あなたの身近にいらっしゃる先生方に聞いてみたらいい。「先生、いったい『古文』のどこが面白いのですか?」と。

きっと、その先生は、あなたが今まで授業で見たこともないような顔つきになって、目を輝かせて、さまざまなことを話してくださることでしょう!

さまざまな分野に、さまざまな面白さがあるのです。一つでも、興味のわく問題を見つけてください(必ずあるから)。そこから、その教科の勉強を再スタートさせてください。今までとは全く別物に見えてくるから!

とはいえ、人間も生物です。調子のよい時もあれば、不調な時もあるものです。どんな時でも、最低限の知的活動が営める状態にしておきたいものです。

私は、一日の始まりと終わりを「型(形)」と考えるようにしています。

中国武術では「套路」、琉球武術では「型」、日本武道では「形」と呼ばれる「一人稽古」の方法があります。「起式」に始まり、「終式」に終わる一連の技術動作を練るための稽古法のことをいいます。その「型(形)」を一度自分のものにしてしまうと、いつでもどこでも一人でも稽古できる、大変に便利な修業方法です。

私は、朝起きて朝食など一連の必要な行動を済ませると、「起式」としてパソコンの前に座り、模試等の「原稿」執筆作業に入ります。

その後は、「型(形)」の種類によって異なりますが、夜の「終式」としては、YouTubeで世界の民族音楽を聴きながら「東大特進の添削」をしてから寝ることにしています。

実は、模試の「原稿」執筆も「東大特進の添削」も辛い時もあります。ですが、「型(形)」にしてしまうとけっこう無理なくできてしまうものです。私は「東進ハイスクール」で働くようになって12年になりますが、なんとかやってこられたのは、「型(形)」のおかげかとも思っています。

「時間」を川の流れに例えて考えよう

川岸に立って川の流れを眺めるのは、歴史を読んだり、他人の人生を傍観するのと一緒です。この場合は、あなた自身の人生ですから、どうか川の中に入ってください。

さあ、上流の方を向きましょう。どうですか?どんどん「時間」はこちら側に流れてきて、それに対処するのにアップアップです。あっという間に「時間」は流れ去ってゆきます。「時間」を認識する余裕すらない。とても忙しないです。

では、今度は下流の方を向いてください。どうですか?ずっと、下流が見渡せますね。ですが、その「時間」は二度と帰ってはこない。とても悲しいです。

このように、「時間」とは、忙しなく、悲しい現象です。そしてそれは、あなたが存在する限り続きます。このやってくるあなたの今年の「夏休み」も、再起不能な線状性(linearity)を持つ、「忙しなく、悲しい」現象の一区切りです。

このように考えると、私たち個人にはなすすべもないような現象だと思われるでしょうが、それは違います。上流の水は無色透明ですが、あなたを通過していった下流の水にはあなたが「色」を染めることができるのです。下流の時間を何色に染めるのかは、あなた自身の判断と行動によって決まります。振り返った時、時間の川の流れはどのように染まっているのでしょうか。

この染料に相当するものが、「知性」と「感性」だと、私は思うのです。知性と感性を磨くに最適なことが、様々な分野の知識と教養です。

後日、どこかの誰かがあなたの川の流れを眺めることでしょう。その時に、「なんてきれいな流れだ!私のこんな流れになりたい」と感じてもらえるような色に染めたいですね。

もしも、この夏休みに孤独に負けそうになったり、自暴自棄に陥りそうになったら、この川の話を思い出してください。

「模試」とは、現在の自分の学力を映し出す、やや曇った「鏡」

よく、模試の結果(得点や偏差値)を掲げて自慢するような輩がいますが、愚かで、品性のない者のすることです。

模試で身につけることは、1 時間配分を体感すること。
2 入試問題とはどのように作られているのか、検証すること。
3 試験を受けている自分の思考動態・心理動態を観察すること。の3点です。

勉強は模試でなくてもできますが、上の3点は模試でしか体感できません。知識・学力はあるのに、それがなかなか点数化されない人がいます。それは、試験会場で、試験を受けている自分を相対化し、制御できていない場合が多いような気がします。模試とは「自己省察の場」だと思えばいいのです。

「選択肢群」の比較、「出題者の意図の探し方」等、いわゆるテクニックのようなものもありますが、今この時期にお話しすることではありませんので、ここでは述べませんよ。今からテクニックに走って、たまたま共通テスト対応の模試(例えば8/21「共通テスト本番レベル模試」)などで(マグレで)高得点を得てしまい慢心するよりは、基礎知識と古文の見方を身につける方がずっと大切だからです。

問題なのは、模試が終わってからです。模試復習の着眼点としては、解説を見て、「出題者は何を問いたいためにその設問を作ったか?」をチェックすることです。すべての教科・全ての解説に目を通すのは困難だとしても、「出題者の意図」だけを確認することはできるでしょう。

「模試」とは、現在の自分の学力を映し出す、やや曇った「鏡」だと思っていただければよいでしょう。偏差値だけが、学力の絶対的な「物差し」ではありません。

世間では、総合型選抜・推薦入試等の定員の比率を多くしたり、受験機会を複数にしたり、試験科目を減らしたりなどして、一般入試の競争率を高めることで、偏差値を実際より高く見せかけブランド作りに利用している大学があるなどと言われていますが、そんな瑣末なことはどうでもよいのです。みなさんは、本物の「知性」と「感性」を身につけていただきたく思います。

高2・1生 のキミへの学習アドバイス

科学的分析対象としてみれば、「古文」はけっこう楽しい科目であると、視点を変えていただきたく思います。

古文は日本語であって、その統語システム(文法)と語彙(単語)は現代語とそう大きくかけ離れているわけではありません。文法的に見れば、(S)OVという言語類型は全く同じ、助動詞の形も18%が同じ、助詞も約52%が変化していません。

語彙に関しても、用言・体言はおよそ70%も残っており、特殊な語には注がつけられますから、受験に必要な語彙量は、およそ三百数十語程度です。

「古文」は、けっして「非論理的な表現形式」ではありません。そのように感じられるのは、「古文」の構造を分析しようとする視点がないからです。「形」で読むことを心がけていただきたいと思うのです。

「夏までにやっておくべきこと」は、古文の「縦」と「横」、つまり、「文法」と「語彙」について考えることです!

身につけておきたい3つのポイント

①「平安中期の文法体系の理解」です。共通テストの問題文は、平安物語から近世後期の随筆まで、時代もジャンルも多種多様です。しかし、近世後期のテキストであっても、文体は国学者の擬古文体であったりするので、平安中期の文法体系と基本的な語彙の理解があれば解釈できます。

②「古文の形(文の構造)」を分析しようとする視点を持ってください。「古文」は、けっして「非論理的な表現形式」ではありません。今すぐ、「形で分析」する古文の見方に気づいてください。

③「基本的な語彙」の研究は、「多義語」の説明がある単語集を使って、一日10語一カ月かけて、三百数十語程度を楽しみながら覚えてください。

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高2生・高1生 夏にステップアップしよう

実は、勉強(もうちょっとで「研究」になる)は楽しいものです。ただ、高校生活の三年間では、あまりにやることが多すぎて、多くの人はその楽しさに気づくことなく、惨憺たる思いでただ通り過ぎてしまいます。私もそうでした。今とても後悔しています。

高校時代は人生で最も時間がない季節です。国語、数学、英語、地歴、公民、理科、保健体育、芸術などの教科・科目をこなすだけでも大変です。さらに部活、学校行事だとお!一体いつ静かに思索する時間があるのでしょう。

大人になってしまった今、それぞれの教科・科目を概観して見ると、それぞれの内容はとても興味深く、魅力的です。なのに、それらを一度に詰め込みすぎるから、本当は楽しいはずの勉強が嫌いになってしまうのです。

だから、一度にすべてをやろうとしないで、基礎・標準・発展と段階を区切って、必要とする科目を一つひとつ重点的に勉強した方が効率的だと思います。

今はオンデマンドで講座を受講できます。Netflixなどでドラマを視聴する時、普通ワンシーズンごとに連続して観ますよね。基礎講座から1ターム(10回程度)ずつ、一つの教科ごとに集中的に取り組んでみてはいかがでしょうか。

夏休みは、多くの時間自分一人で勉強せざるを得ない環境に置かれるかと思います。この夏こそ、落ち着いて各教科の勉強たちと向き合ってみてください。新たな発見と気づかなかった自分の可能性を見つけられると思うのです。だって、勉強とは結局自分一人でやるものなのですから…。

人間も生物です。調子のよい時もあれば、不調な時もあるものです。どんな時でも、最低限の知的活動が営める状態にしておきたいものです。

私は、一日の始まりと終わりを「型(形)」と考えるようにしています。

中国武術では「套路」、琉球武術では「型」、日本武道では「形」と呼ばれる「一人稽古」の方法があります。「起式」に始まり、「終式」に終わる一連の技術動作を練るための稽古法のことをいいます。その「型(形)」を一度自分のものにしてしまうと、いつでもどこでも一人でも稽古できる、大変に便利な修業方法です。

私は、朝起きて朝食など一連の必要な行動を済ませると、「起式」としてパソコンの前に座り、模試等の「原稿」執筆作業に入ります。

その後は、「型(形)」の種類によって異なりますが、夜の「終式」としては、YouTubeで世界の民族音楽を聴きながら「東大特進の添削」をしてから寝ることにしています。

実は、模試の「原稿」執筆も「東大特進の添削」も辛い時もあります。ですが、「型(形)」にしてしまうと、けっこう無理なくできてしまうものです。私は「東進ハイスクール」で働くようになって12年になりますが、なんとかやってこられたのは、この仕事の「型(形)」のおかげかとも思っています。

あなたも、自分の「夏の型」を創ってみませんか。朝起きてすぐに行う行動、午後に行う行動、夜寝る前に行う行動などと「型(形)」を造形すると、けっこう思い通りに動けるようになったりしますよ。