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INTERVIEW
01

ヒトの体のなかには時計がある 「体内時計」の仕組みと不思議を解き明かす システム生物学者・上田泰己 さん

わたしたちは朝が来ると自然に目が覚め、決まった頃にお腹が空き、夜になると眠くなる。そして、なぜか24時間サイクルで動いている。その理由は、体中のいたるところに“見えない時計”が内蔵されているからだ。 上田泰己(うえだ・ひろき)さんは、この「体内時計」の研究において様々な成果を残し、41歳にしてこの分野を牽引する若きシステム生物学者だ。コンピューターを駆使して膨大な遺伝子情報を解析し、最新のテクノロジーを巧みに組み合わせながら生命システムの解明に挑む上田さんに、体のサイクルを司る体内時計の不思議について伺った。 取材・文:清田隆之/写真:丸尾和穂[KiKi]/編集:川村庸子

「体の中に時計がある」ってどういうこと?

そもそも、体内時計ってどんなものなのですか? 正直、わかるようなわからないような…。

上田 まず、体内時計というのは決して感覚的な話じゃありません。わたしたちの体には、時を刻む時計が“物理的”に存在しているわけです。例えば「腹時計」という言葉は、「胃腸や肝臓の細胞がつくり出すサイクル」のことを指しています。時計は細胞の中に存在していて、脳や皮膚、血管や臓器など、ほぼ全身に分布しているのです。

この仕組みはヒトに限らず、虫や動植物、菌類やバクテリアにも備わっています。例えばアサガオは、日が照り始めると咲くものだと思われていますが、実は真っ暗な環境下でも時間が来たらちゃんと咲き始める。逆にずっと光を当て続けていても決まった時刻に咲く。開花を司っているのは、日の光ではなく「時間」なのです。なぜなら、太陽だけを頼りにしてしまうと、悪天候や日陰の環境に適応できないから。花を咲かせられないというのは、植物にとって死活問題ですよね。だとすると、太陽に頼るより時刻をカウントして朝の訪れを把握する方が確実なのです。

このように、地球の自転がもたらす1日24時間という周期に合わせてサイクルを作り出す機能を「概日(がいじつ)時計」と言います。また地球の公転がもたらす1年365日という季節性の周期を把握する機能もあって、これを「体内カレンダー」と呼びます。桜の開花がその典型ですね。生き物の体には、外部環境の変化に内部を合わせていくシステムが内蔵されているのです。

上田泰己さん

そんな精密な時計が備わっていたとは知りませんでした。でも、それは何のために?

上田 逆に、この機能がなかったらどうなるでしょうか。昼夜関係なく眠くなったり、冬なのに夏仕様の体だったりしたら…生きるのが大変ですよね。こういったことを防ぐための「環境予測システム」こそが、体内時計の役割だと考えられます。

前の日に起こったことから、次の日を予測したい。でも、毎日天気は移ろい、得られる情報は不確かで限られている。なので、よりよく生きるためには、内部に「自分なりの予測システム」を持っておく必要があるわけです。外部環境が一定の周期で変化するのであれば、自分もそれに合わせて動いた方が合理的で、体内時計はそのために各所でリズムを調整する役割を果たしています。

ちなみに睡眠や食事のほかにも、例えば血中コレステロール値が最も高くなるのは午後1時頃、血圧や体温が高くなるのは午後4時頃、あるいは自然分娩やぜんそく発作が起こりやすい時間なんていうのもだいたい決まっています。生き物の体って、実は時計だらけなんですよ。

上田さんの研究室の本棚。システム生物関連の専門書が並ぶ。

人生を変えた、鶴田くんの一言

体内時計の研究を始めたきっかけは何だったのですか?

上田 出発点は「自分とは何か?」という問いでした。小学生くらいになると、誰しも一度はそういうことを考え始めますよね。僕も自分という存在の意味や起源を、とめどなく考えてしまっていました。

高校2年生の頃、ノーベル賞を受賞された生物学者・利根川進先生の講演会を生徒会でホストしました。脳をテーマにしたお話で非常に刺激的だったのですが、とりわけ印象に残ったのは、鶴田くんという同級生が投げかけた「脳は、脳自体をどう考えているのですか?」という質問でした。

これはつまり、「自分は、自分という存在をどう考えるのか?」という話ですよね。僕は「理解する」ということを何かを“包み込む”ようなイメージで捉えているのですが、となると、自分で自分を包み込むということになる。いくら理解しようと試みても、自分の内側の、内側の、内側の…というふうに遡っていくと、なかなか最後まで辿り着けない。そのことがすごく印象に残っていて、小さい頃から抱いてきた「自分とは何か?」という問いをもっと掘り下げていきたいと思ったことを覚えています。

自分とは何か…。まるで哲学や文学のようなテーマですね。

上田 そうですよね。対象は自分の“内面”ですし、なかなか捉えどころがありません。それを解き明かすためには、まず哲学や文学のように「言葉」を使ってアプローチしていくというやり方があります。それは魅力的な方法ではあったものの、当時の僕は自分の言葉に対して確固たる自信を持っていなかった。あやふやな問題に対してあやふやな言葉では近づけないだろう。それよりは物理学や生物学など、実証的に積み上げていける自然科学のほうがいいかもしれない─。そう考えて、ヒトの健康や病気、肉体や精神を対象にする医学部へ進もうと決意しました。

僕が大学に在籍していた当時は、1997年に大腸菌遺伝子の全体図が解明され、2001年にはヒトゲノム情報(*1)の全貌が明らかになるなど、遺伝子情報の解析が劇的に進歩していたタイミングでした。細胞レベル、分子レベルで人間を眺められるようになったいま、それまで捉えどころがなかった「自分」という存在の謎も解き明かせるのではないか…。ということで、さらにそれらを専門的に扱う「生命科学」の道へ進みました。

その研究テーマのひとつとして選んだのが体内時計です。その存在はすでに1930年代には指摘されていましたが、ゲノムの解析が進み、細胞の中に分け入ることが可能になったことで、その謎に深く踏み込める時代が訪れたわけです。

上田さんの在籍している東京大学の実験室。細胞の実験をするため、埃が入らないように空間が密閉されている。
上田さんの在籍している東京大学の実験室。細胞の実験をするため、埃が入らないように空間が密閉されている。
  • *1
    人間のゲノムを読み解く国家プロジェクトのこと。1990年にスタートし、2001年にすべての塩基配列の解析が完了した。

生き物を“透明”にしてしまう魔法の技術!?

体内時計は現在、どのくらい解明が進んでいるんですか?

上田 体内時計には、体中の各器官にある「時計細胞」が関与しています。そして、これらの細胞に1日24時間というリズムを刻ませているのが「時計遺伝子」です。現在は、ヒトの2万数千個の遺伝子の中から、20個の時計遺伝子が特定されています。

僕らの研究チームでは時計遺伝子の設計図を研究し、そこに「朝型」「昼型」「夜型」という3つのグループがあることを発見しました。そしてこの3グループが相互ネットワークを形成し、タンパク質の信号によって8時間おきに互いのスイッチをオンにしたりオフにしたりしながら時を刻んでいることを突きとめました。

全身に存在する時計細胞はこうやって24時間をカウントしているわけですが、それぞれの時計がバラバラな時を刻んでいては意味がありませんよね。「胃は夜なのに皮膚はお昼」という状態では体が上手に機能しない。ではどうやって時刻を揃えているのかというと、脳の「視交叉上核(しこうさじょうかく)」というところにある“標準時計”にみんなが合わせているのです。

なるほど。そこが「指揮者」のような仕事をしているわけですね。

上田 まさにそうです。視交叉上核は、左右の視神経が交わるあたりにある、約1万6千個の細胞が集まって形成されている部位。光の通り道でもあり、極めて正確に時を刻みます。ここが中枢として機能し、末端にある各部位の時計細胞と連携しながら時間を統一しているわけです。これはわたしたちが現実世界で使っている時計とまったく同じ仕組みですね。

ただし、これは細胞レベルでの分析であり、いわば顕微鏡の世界の話。実際に体内の時計細胞がどう分布し、どのタイミングでどう働いているのかという問題を解明するためには、すべての細胞を一斉に調べる必要があります。そこで、僕らの研究では、脳や体の「透明化」に着手することにしました。ガラスが透明なのは光がまっすぐ通るからですが、これと同じように、光の屈折率を揃えれば物体は透明になります。

僕たちは、組織に含まれる脂質を除去し、水の屈折率を調整し、生体色素を除去して透明化を促す溶剤の開発に成功しました。これにより、脳や体に含まれるすべての細胞を一個ずつ一斉に観察することができるようになった。「全細胞解析」と呼ばれる技術で、これによって今後ますます研究が進むことが期待されています。

「透明化試薬」に漬けたマウスのサンプル。皮膚や臓器が透明化されている。この技術によって、細胞を一個ずつ一斉に観察することが可能になった。

「透明化試薬」に漬けたマウスのサンプル。皮膚や臓器が透明化されている。この技術によって、細胞を一個ずつ一斉に観察することが可能になった。

今後、体内時計の研究はどういった方向へ進んでいくのですか?

上田 現在、体内時計は細胞レベルでの研究から、「睡眠」という仕組みの解明に役立てようとする段階にシフトしています。
具体的には、脳の中の時間を計ったり、睡眠を司る中枢の存在を調べたり、神経細胞のオンオフをチェックしたりしながら、「眠っているときは、体内で何が起きているのか」を探っていくという研究です。これが解明されれば、睡眠障害やうつ病など精神疾患の治療につながっていくと考えています。

例えば、時差ボケのような「自分の時間と社会の時間がズレている」という問題や、もっと大きく「季節がズレている」なんてことがうつ病の一因になっていることもあるわけですが、今は採血によって自分の中の時間や季節がわかるような技術が徐々に開発されつつある。これまで問診に頼っていた部分に、客観的かつ測定可能な指標を導入できる可能性も見えてきました。

人間を構成する最小単位のパーツである細胞の働きはかなり解明されてきたので、今後はこれまでの研究を実際の「治療」に生かしていきたいと思っています。

上田泰己さん