お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。
INTERVIEW
03

アフリカの路上で
古着を売ってみた!
タンザニアの現地商人に密着して学んだ“ウジャンジャ” 文化人類学者・小川さやか さん

タンザニアで足かけ3年半にわたって現地の路上商人(マチンガ)に密着し、自らも路上に出て古着を売って生活した経験を持つ文化人類学者の小川さやかさん。 小川さんはナンパをきっかけに現地のコミュニティに入り込み、同じ長屋に住み込み、実践的なスワヒリ語を学び、体当たりで行商のノウハウを学びながら、それまでほとんど知られていなかった現地の路上商人たちの生活や商売の仕組みを明らかにして注目を浴びた。 このフィールドワークのなかで、小川さんが強く惹きつけられたのが“ウジャンジャ”と言う不思議な響きの言葉。辞書には「ずる賢い」と書かれているが、現地の人たちは日常的に使っている。しかも、満面の笑顔で。 果たして、この言葉の本当の意味とは? 取材・文:川内イオ/写真:谷口巧/編集:川村庸子

行き当たりばったりで始まったリサーチ

タンザニアの路上で古着を売るって、芸人の体当たり企画みたいですね(笑)。なぜ、そんな変わった調査をすることになったのですか?

小川 京都大学大学院のアジア・アフリカ地域研究研究科で文化人類学の勉強をしていたときの指導教官がたまたまタンザニアの研究者だったので、タンザニア(*1)を選びました。タンザニアはアフリカ大陸の東側にあるインド洋に面した国で、自然豊かな野生動物の宝庫として知られています。でも最近は経済もどんどん発展していて、都市部には高層ビルが立ち並んでいるんですよ。
わたしはもともと、アフリカの徒弟制度を研究するという名目で、23歳のときにタンザニアで2番目に大きな都市であるムワンザ(*2)という街に向かいました。ムワンザは、出稼ぎの人たちが住んでいる長屋が巨石の転がる山肌の合間に広がっています。昔から雄大な自然よりもごちゃごちゃした場所が好きなので、初めてその風景を見たときは、「カッコいい!」と思いました。
現地の人も親切で、大きな問題もなく現地で生活を始めたのですが、いざ現地で徒弟制度を学ぼうと思ったら、家具職人や大工さんと一緒に作業をするには技術が必要で、あまり相手にしてもらえない。これはどうしようかと考えているときに、現地の言葉で「マチンガ」と呼ばれる行商人がよく話しかけてくれたので、彼らはどこにでもいるし、見た目も華やかだったからこっちの方がいいなと(笑)。

ずいぶん気軽なノリ! それからどうやって古着の行商人になったのですか?

小川 ある日、道に迷ってうろうろしていたら、乗り合いバスの客寄せのお兄さんたちに「どこ行くの? 何してるの? 君のことが好きだ、結婚しよう」と冗談交じりにナンパされたので、「あなたたちじゃなくて、行商人に興味があるの」と言ったんです。そうしたらその答えがおもしろかったみたいで、お兄さんたちがたまたま近くに通りがかったマチンガに「おい、このお姉ちゃん、お前らのことが好きらしいぞ」と声をかけてくれた。

そのマチンガが、のちに師匠になるロバートで、「わたしは大学院生で、マチンガに興味があるので、あなたたちの商売について教えて欲しい」と正直に頼みました。すると、「口で説明するのは難しいけど、自分でやってみたらわかるよ」と言われて、いきなり彼の手持ちの古着のなかから50着ほどを渡されたんです。当時はスワヒリ語もあまり話せなかったので、交渉するための受け答えをいくつか暗記して、一生懸命棒読みしていたのですが、逆にそれが現地の人にウケて、初日に5、6枚のシャツが売れました。

それがきっかけで、ロバートと毎日行商に行っているうちに、彼に古着を卸している中間卸売商のボスにも紹介されて、服を卸してくれるようにもなって、「あれ、わたしいつの間にか商売してるわ!」って。最初は路上に立って古着を売ることは恥ずかしかったけど、そのうちに慣れてきて、1日に57枚売ったこともありましたね。

ムワンザの路上商売の様子(2015年) Movied by Mbukwa Samson Maduma

ロバートさんとの偶然の出会いから、どっぷりとマチンガの世界に浸かっていったんですね。どのくらい行商を続けたのですか?

小川 行ったり来たりしながら、トータルで3年半くらいです。一度、修士論文を書いて、またムワンザに戻って行商を始めていたら、ロバートたちに「さやか、いつまで行商するんだ。ボスをやってみたらどうだ?」と言われたので、中間卸売商も経験しました。
ムワンザでの流通の仕組みを簡単に説明すると、まず、インドやパキスタン系の卸売商が45㎏単位のビニールで梱包された古着を大量に輸入し、マチンガから「ボス(Tajiri)」と呼ばれる現地の中間卸売商に梱(こり)単位で売ります。一つの梱は、当時5千円から1万5千円程度でした。

中間卸売商は梱を開けて、品質や流行に合わせて一着、一着をグレードAからCまで3つに分類します。その仕分けした服をマチンガたちに「マリ・カウリ」という信用取引(掛売/委託販売)で卸すという流れになります。マリ・カウリとは、「一定期間後に代金を受け取る約束で、品物を販売する信用取引」のこと。これによって、零細商人のマチンガたちも元手なしで仕入れができるんです。
お金さえあれば、中間卸売商には誰にでもなれるので、わたしは当時、梱を数万円分買って、ロバートやその知り合いなど20人ぐらいのマチンガに古着を卸していました。

中間卸売商にとって大切なのは、どうやってチームをつくるか。路上での商売は警察の取り締まりはあるし、服が売れなければ利益が出ない。そこで重視されるのが、マチンガたちの“ウジャンジャ”なんです。


先進諸国からアフリカに古着がやってくる流れ
  • *1
    人口は5,350万人、国土面積は日本の2.6倍。自然豊かで、ンゴロンゴロ自然保護区やセレンゲティ国立公園をはじめとした国立公園、動物保護区などが点在する。北東部にアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)、北部にアフリカ最大の湖であるビクトリア湖、西部にアフリカで最も深いタンガニーカ湖がある。
  • *2
    アフリカ最大の湖であるビクトリア湖の南東岸に位置する。首都ダルエスサラームに次ぐ大都市で、人口は約48万人。ムワンザ – Wikipedia

日常に根差したウジャンジャ

“ウジャンジャ”っておもしろい響きですね。どういう意味ですか?

小川 ウジャンジャは、現地の人たちがすごくよく口にする言葉です。「いまウジャンジャを使ったでしょ」というとちょっとずる賢い方法をとる、ということですが、「あなた、ムジャンジャ(ウジャンジャな人)(*3)だね!」と使われることもあって、その場合は「賢いね」という褒め言葉になります。

実は、わたしも「ムジャンジャだ」と言われることが多かったので、辞書を調べてみると、「ずる賢い」と書いてあるので最初は戸惑いました。
でも、相手は満面の笑みを浮かべているので、怒っていたり、悪口を言われているわけではなさそうだ。じゃあ“ウジャンジャ”とは何だろう? という疑問から、『都市を生きぬくための狡知(こうち) タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』という論文が生まれたのです。

古着の行商を通じてこの言葉に慣れ親しんだいまでは、単なるずる賢さだけではなく、「社会のなかでうまく生きていくことのできる賢さ」だと捉えています。ウジャンジャに長けている人は、しなやかで機転と目端が利いて、ちょっとずるい。
例えば、車の事故が起きるとたくさんの人が集まってきますよね。その様子を見て、「これは売りどきだ!」とその場でいきなり商売を始めたりするんです。あるいは、行商しているとよくからかい客がくるのですが、そのときにうまく切り返してその人を笑わせて、「一本取られたから買おう」と思わせることもそうです。

また値段の交渉をしながら、「この人は本当に生活が厳しそうだ」「この人はお金を持っていないふりをしているけど、本当は持ってるな」と見極めることも指します。そして、お金がない人には相場より安く売り、お金持ちには高く売ってプラスマイナスのバランスをとる。ただし、いくらお金持ちでも吹っかけすぎず、「これぐらいなら大丈夫だろう」というぐらいでやめる。詐欺レベルまでやる人はムジャンジャではなく、ただの悪人、犯罪者として区別されます。

路上で生き抜く商売人のサバイバル能力という感じですね。ウジャンジャのような感覚は、どうやって磨かれるのでしょうか?

小川 ウジャンジャは努力して磨くようなものではなく、もっと身近な生活感覚ですね。
タンザニアのテレビで放送されている『日本昔話』のような子ども向けの番組を観たときに一匹のずる賢いうさぎが大型動物や人間をあの手この手で騙しながら、うまく成功を収めるという話がありました。細かいストーリーは忘れてしまいましたが、「勧善懲悪」じゃないところがおもしろいんです。日本なら、ずる賢いことをすると最後にしっぺ返しがくる。でも現地ではうまくいくときも、失敗するときもあって、それは相手との知恵比べに勝ったか負けたか、あるいは単なる運です。

しかも、その番組を観ながら、親が子どもに「あなたもウジャンジャになりなさい」と言っているところを目撃して、これはおもしろいぞと思いました(笑)。
特に路上の起業家であるマチンガたちは、小さな頃から毎日ビジネスというギャンブルをしながら、何度も転んではまた立ち上がって挑戦して、ということを繰り返しているので、そうした環境のなかで、ウジャンジャを獲得していくのだと思います。


研究室には、新品の商品を持ったマチンガたちとの写真が飾ってある(2004年)
  • *3
    「ウジャンジャ」とは、ずる賢いという意味で、「ムジャンジャ」は、ウジャンジャな人を意味する。その場合、「賢い人だ」という褒め言葉になる。

ウジャンジャ・エコノミーの極意

3年半にわたる路上でのフィールドワークで、どんなことを学びましたか?

小川 マチンガたちはお互いに助け合ったりしていないのに、そのコミュニティにいる限り、サバイブできてしまう。それは、「誰かが誰かを追い詰めないような社会」になっているからだと感じました。
タンザニアは、社会保障制度が機能していないし、努力がいつも報われる社会ではありません。日本よりもずっと不安定で不確実な生活なので、みんな誰の人生にもよいときと悪いときがあって、落とし穴があるということを共感的に理解しています。
わたしたち日本人は、窮地に陥って苦しい言い訳をしたり、逆切れしたり、泣き出したりする人を見ると、「あの人は、本当は弱いやつだ」「彼の本性はずるい人間だ」と思いがちです。それは自分たちの首を絞めることにもなっていて、自分もたった一度の失敗でそれまで築きあげてきた人格を否定されないように、ビクビクしながら生きている。でもタンザニアの路上商人たちは、追い詰められたときにぽろっと出てくるカッコ悪い行動をみても、その場を切り抜けるための「ウジャンジャ!」、つまり生き抜くための逞しい知恵やしたたかさだと認めて、すぐさま人格を否定したりはしません。

助け合いの精神とは別の感覚で騙し、騙され、許し、認め合いながら商売する過程で、お金や物が自然と貧しい人のところにもまわっていく。助けられたほうも負い目を感じず、自分の才覚で生きていると確信していて、細々と生活しながら、チャンスと見たら一気に賭ける。失敗しても、またイチから始める。それがタンザニアのマチンガたちの「ウジャンジャ・エコノミー」なのだと知りました。

これは、わたしも身に覚えがあります。実はわたし、師匠のロバートや調査助手のブクワが新しいビジネスをやりたいと言うたびに、ポケットマネーから学校の費用を払ったり、パソコンを買ってあげたりしてきたんです。でも、全部ダメでした(笑)。ブクワやロバートからすると、ビジネスの成功は能力や努力だけの問題ではなく、状況や運も関係するし、わたしからお金をもらうのも、彼らにとっては駆け引きの勝利なんです。
唯一、うまくいったのはブクワの奥さん。13年前に仕立て屋になりたいというのでミシンを買ってあげたところ、いまでは独立して店を構えています。彼女は、わたしがタンザニアに行くといつも服をつくってプレゼントしてくれる。それがすごく嬉しい瞬間です。

小川さんもすっかりマチンガの一員なんですね。

小川 長年、ロバートたちと暮らして、まったくプライベートの時間がないぐらい一緒にいたので、いまを切り抜けるためにはなりふり構わずに誰かに助けを求める感覚にも慣れて、「ダメでもともと!」の精神が身に着きました(笑)。
最近、日本にいるときに携帯電話を忘れてしまったのですが、どうしてもすぐに連絡を取らなきゃいけなかったので、道端のおばさんに事情を話して携帯を借りたことも。

ウジャンジャは、マチンガたちに限ったものではなく、日本にもあるんですよ。ただ、少しでもウジャンジャっぽい言動をすると、それをかぎ取って「あいつはずるい」と指摘する人がいるので、日本では出しづらい。でも、道端で見知らぬ人に助けを求めることができたり、なりふり構わずピンチを切り抜けようとする人の知恵を評価したりする社会のほうが、風通しがいいですよね。

文化人類学で最も学べるのは、「自分にとって理解しにくい他者とどのようにつき合うか」ということ。究極的には相手のことはわからないと思うんですよね。わかった気持ちになる瞬間はたくさん訪れるけど、すべてを共有できるようなことは起こらない。それでも見知らぬ他者とつき合うことはできるし、ビジネスでも遊びでも、ともに分かち合うことはできるのです。