名古屋大学が誇る最先端の研究施設、トランスフォーマティブ生命分子研究所。
ちょっと謎めいた名称のこの近代的な研究室で、世界を変える分子を発見しようと日々研究に勤しんでいるのが、世界的化学者で、第6回フロンティアサロン永瀬賞最優秀賞を受賞した伊丹健一郎さんだ。
専門は、合成化学。「レゴのように原子と分子を組み合わせて、新しい分子をつくる学問」だと言う。新しい分子は、医療、工業など幅広い分野で次世代産業のベースになる。それは、“究極のものづくり”だ。
伊丹さんは、高校時代は化学が大嫌い。大学に入ったら落ちこぼれ。でもそんな過去は関係なく、誰でも産業に革命を起こすような分子を発見できる可能性があると言う。
「誰でも?」と尋ねると、「そう、夢があるでしょう!」と微笑んだ。
取材・文:川内イオ/写真:河原彰志/編集:川村庸子
方程式はない。だから夢がある
伊丹先生の専門は、合成化学ですよね。一体どんな学問なのですか?
伊丹 僕らの世界は「原子」でできています。その原子をA、B、C……のアルファベットだと仮定しましょう。ひとつのアルファベットでは意味を持ちませんが、B・O・O・Kという原子を組み合わせると、「BOOK=本」という意味のある単語になる。「アルファベットが連なって単語になったもの=分子」と考えてください。単語と単語をつなげると文章になるように、分子と分子をつなぎ合わせると、別の分子になるのです。
合成化学は、レゴのように原子と分子をカシャンカシャンと組み合わせて、新しい分子をつくる学問です。フラスコのなかに接着剤のような役割を持つ「触媒」を入れてかき混ぜて、分子と分子をくっつける。そうやってできた分子が医薬品になったり、化粧品になったり、太陽電池に使われたりするのですが、原子と分子の組み合わせのパターンは無限なので、無限の可能性があるわけです。つまり合成化学は、究極のものづくりと言えるかもしれません。
なるほど! 無限の可能性があるということですが、新しい分子はあらかじめこうなるだろうと狙いをつけてつくるのですか?
伊丹 こうやったらこんなものがつくれるんじゃないかと自分で戦略を立てます。それはそれでうまくいくと、「やった、俺の考えたことは正しかった!」と証明できて嬉しいのですが、予想もしないものができることがあって、むしろそっちの方がおもしろい。
偶然の発見は、医薬品開発のときによく起こるんですよ。ある病気を治そうと思って製薬会社の人が薬の研究開発をしますよね。それがある程度できたら患者さんに投与して試験を繰り返すのですが、そのときにまったく予想外の効果が見つかることがあるんです。
このトランスフォーマティブ生命分子研究所 (ITbM)でも、似たようなことがありました。共同研究で体内時計を調整する分子を発見したんですが、その分子を詳しく調べていったら、なんとがん細胞の増殖を抑える機能も持っていたんです。これはまったく予想していなかった発見で、ボーナスみたいなものですね。
カチッと物事が定まっている物理学と違って、化学はファジーで未解明な部分もたくさんあるんです。だからこそ、新しい分子を生み出すための方程式もない。どんな経緯だろうが、どんなロジックだろうが、どれだけ人に馬鹿にされようが、世界を変えるような発見をする可能性は誰にでも等しくあるし、発見した瞬間に王様です(笑)。そう考えると、すごく夢がある学問だと思いませんか?