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INTERVIEW
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哲学がないと
人類は生き残れない!?
社会を支えて変える「ことば」や「ものの考え方」 哲学者・出口康夫 さん

哲学とは何かと問われても、多くの人は答えに窮してしまうだろう。小難しい議論ばかりで、社会生活の役には立たないというイメージを抱くかもしれない。
出口康夫さんは、日本の哲学界を牽引してきた京都大学で、現在も最前線の研究をしている哲学者だ。専門は、数理哲学。数学や論理といったツールを用いて、わたしたちの社会を支える理屈や言葉に、様々な角度から光を当ててきた。目には見えなくても、公共的に共有されている「ものの考え方」や「概念」とは一体何なのか。そして哲学とは何なのか。そんな途方もない問いを伺った。
取材・文:国木田芳/写真:大島拓也/編集:川村庸子

哲学は“知的な公共事業”

哲学とはどういうものなのでしょうか?

出口 本音を言うとよくわからないんです(笑)。何だろうと思いながらやっていますが、それでは商売柄困ることもあるので、ひとつの答えとして「知的な公共事業」と言うことにしています。
例えば、人権や正義という言葉がありますね。現在では、人権は守らなければいけないという考えが社会に広く共有されています。では、人権という言葉が昔からあったかというと、そうではありません。誰かが思いついて、言葉を与えて、様々な内実を与えて、なぜ守らなければいけないかという理屈を考えてきた。要するに、これは自然物ではなく、あくまで人間がつくってきた一定の「ものの考え方」で、言い換えると「概念」なんです。

僕たちは、社会生活を営む際に、いろいろな概念を共有することで、社会の仕組みをつくっています。このように、社会活動に組み込まれている概念をつくり、伝え、新しい意味を与え、現代に適したかたちに組み替えていく……。これが哲学のひとつの役割だと思います。そのことで、社会を支え、よりよいものに変革していくのです。

だから、哲学は「知的な公共事業」だと考えています。別の言い方をすると「知のインフラ」整備事業。
いまでは人権なんて当たり前の言葉ですね。でも、昔はそもそも人権という考え自体がなく、いまよりもひどい人権侵害がまかり通っていた。人権という概念が社会で広く共有されているからこそ、ある程度人権が守られているという側面がある。
そうした意味で、哲学が扱う概念は水道の水に似ています。蛇口を捻れば水が出てくることは、すごいこととは思わないし、目新しいものではないかもしれない。けれどもそれがないと、僕たちの日常生活は、一日として成り立たない。水道やガスは、目に見えるインフラですが、哲学が扱うのは、社会を支える概念装置という、目には見えないインフラです。

現在、哲学には、私的な問題意識を前面に出した「わたし探し」のようなイメージもつきまとっています。でも哲学は、知的な共同作業によって社会基盤としてのインフラを支え、よりよいものに変革していくという、見逃しがちだけれど重要な役割も担っているのです。

わたしたちの社会や現代と密接な関係があるのが哲学なのですね。

出口 実は、概念や理屈の共有がなければ、人類は生きのびることすらできません。例えば近代医学が成立したのはせいぜい18世紀で、実際に効果がある薬がつくられるようになったのは20世紀に入ってからのこと。つまり医学で病気が治るようになったのは、ここ百年くらいのことなのです。言い換えると、何万年、あるいは数十万年という人類史のほとんどの期間において、我々は医学なしで生きてきた。ということは、医学がもう一度なくなっても、それだけでは人類はおそらく絶滅しません。

でも、知的公共事業としての哲学がないと人類は生き残れません。人類の身体能力はたかが知れています。するどい牙も爪もないし、取り立てて足が速いわけでもない。では、どうやって生き残ってきたかというと、言葉を用いて複雑な概念を共有し、チームワークで狩りをしてきたからです。「ものの考え方の共有」は、人類にとって決定的に重要なサバイバルの戦略。それを学問として、高度に組織的・専門的に押し進めているのが哲学なのです。概念装置の洗練と共有という、広い意味での哲学的活動がなければ人類は生き残れないと、僕は考えています。

もう一点、哲学は、学問の専門分化が進むなかで、社会に対して、専門を超えた「見通しのよさ」を提供するという役割も担っています。例えば、現代では、物理学はさまざまな分野に分かれています。各分野の専門家は、自分の専門のことで手一杯で、なかなか他の分野まで手がまわらないのが実情です。ましてや、遠くはなれた人文系の学問のことについて、まとまった知識を持つことは困難。結果として、専門家は、個々の分野を超えた大局観を持てなくなります。
しかし、僕たちは日々の暮らしを送るなかで、ないしは社会のあり方を考えるなかで、大局観を持った選択をしなければならない場面に必ず出くわします。

哲学は、飛び離れた複数の学問の分野に目を配り、見通しのよさを確保する「領域横断的な知」という側面を、本来持っています。このような領域横断知としての真価を発揮して、選択を迫られている個々人や社会に、見通しのよい大局観を提供することも、哲学が果たすべき重要な役割です。

哲学は、抽象的な学問です。日常生活において、「抽象的」という言葉は、しばしばネガティブな意味合いを込めて使われがちです。でも、抽象的であるとは、広い適応範囲を持っているということを意味します。逆に言えば、抽象的なレベルで考えることで、僕たちは、目先の事実にこだわることなく、広い視野で物事を考えることができるのです。具体的な事柄についての知識をしっかり持った上で、抽象の領域に飛んで、見通しのよい絵を描く。それが哲学知のひとつのあり方なのです。

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研究室には、仏教の聖典である『大蔵経』が並んでいる

「非行少年」から哲学者へ!?

そもそも、どうして哲学の道を志そうと思ったのでしょうか?

出口 ずっと、型にハマるのが嫌いだったんです。若い頃は、何らかの型が目の前にあったら、とりあえず、それをすべて崩そうとするような「非行少年」でした(笑)。親や先生の言うこと、さらには世の中すべてを斜めに見るなかで、法律、国家、科学や宗教といった、なんとなく偉そうにしているものの正体を見極めたいと思うようになりました。そういうことが、哲学ではできそうだと気がついて。それが、そもそも哲学をやろうとした動機のひとつです。

実際に哲学をやってみて、僕にとっておもしろかったのは、何をやってもいいところでした。一定のスタイルやレベルを保っていれば、哲学はどんな対象を扱っても成立する学問なので、そういう意味では他の学問よりも自由度が高い。だから、型にハマるのが嫌いな人間にとっては居心地がよかった(笑)。

実ははじめは、日本史の研究者になろうと思っていたんです。高校生のときに4世紀の古代日本に興味を持って、その時代を扱った二冊の本を同時期に読みました。一冊は完全に考古学的な本で、文献を一切信じないというもの。もう一冊は逆に、文献で書かれていることの裏の意味を読み解いていくというもの。その二冊を読んで、同じ対象を扱っているのに議論の仕方や結論がまったく異なることに驚きました。要するに、学問の「方法」が違うのです。そこで、まずは方法についての考えをまとめないと先に進めないと思い、方法そのものを考える分野は何かと考えると、「これは哲学だ!」となりました。

その「非行少年」は、どんな大学時代を送ったのですか?

出口 大学には哲学の研究者になるつもりで入りました。だから、青臭い議論はほどほどにして、まずプロになるための基礎体力を身につけないといけないと思いました。そのためには語学力を身につけて、外国語文献をしっかりと読まないといけない。周りから見たら、おもしろ味のない、ガチガチのガリ勉秀才に見えたかもしれません。でも、授業に出ない癖が高校時代からついてしまっていたので、大学の講義にはあまり出席しませんでした。この癖は、その後、留学しても治らなかったので、かなり重症であることが判明しました(笑)。でも、友だちとの読書会はよくやっていました。そのときの友だちとは、いまでも定期的に集まって酒を酌み交わしています。

そんななか三回生から文学部の授業を聞くようになって、このままやっていてもいいんだという自信がつきました。授業というのは、その先生の研究スタイルがそのまま出てくるわけです。僕が学生時代の頃の先生は、過去の哲学者の文献を徹底的に読み込んで、引用や読解を一歩一歩積み重ね、最終的にひとつの大きな解釈の方向を打ち出しつつ、それに対して批判的な検討を加えるという、正統的な文献学的手法を取っていました。これを「文献実証主義」といいます。

そんな、工事現場でひとつずつ足場を組んでいくような建築的な授業を聞いて、「あ、これって、僕がいま同級生たちとやっていること、そのままじゃないか」と思ったんです。まったくの自己流でやっていたけれど、これでいいんだと思った。哲学には特別な才能が必要というイメージを持たれがちですが、実は一歩一歩やればいいところもある。講義に出て、それを確認することができました。

哲学の最難関へ猪突猛進する

これまで本当に多様な対象を研究されていますが、どのようにテーマを決めているのですか?

出口 僕は何をするにも悪い癖があって、一番難しいものに向かっていくところがあります。赤い布に突進する、闘牛の牛みたいな(笑)。
大学時代にカントを専門に選んだのも、あるとき同級生や先輩と雑談をしていたときに、どの哲学者が一番難しいかという話になって、みんな「カントだろう」と言うんです。じゃあカントをやってやろうと(笑)。カントのドイツ語って、ひとつの文が20行以上も続くのがざらなんです。それを、辞書を片手にパズルを解くようにして読んでいくわけですよ。そんな作業を5年間やって、やっとカント哲学について一定の見通しを持った上で、批判できるようになりました。

その後、いよいよ現代哲学をやろうというときも、現代哲学で一番難しい数理系の哲学に猪突猛進してしまう。なかでも統計学に焦点を当てて、正体を暴いてやろうと思って取り組んでいました。また、現在研究しているアジア思想も、まったく別の意味で難しい。最初は、本当にちんぷんかんぷん。だからこそ、また赤い布へ向かっていくという(笑)。

専門は数理哲学ということですが、一体どんな哲学なのですか?

出口 京都学派(*1)の哲学者の田邊元(*2)が、『数理哲学研究』の序文で、この本のテーマは「科学哲学」と呼んでもいいと書いています。つまり、田邊にとって数理哲学と科学哲学はほぼ同義語だったのです。僕は、この数理哲学を「数理科学」の哲学の略として用いています。
数理科学とは、何らかの現象を数量的、数学的に扱う科学のことです。例えば、物理学や経済学がその典型です。一方、数理科学ではない科学もあります。ある種の社会学や文化人類学などは、数理科学ではありません。

数理科学は、対象の「量」に着目します。量を測定し、その間の規則的な関係を見つけ、それを数学的に表現した上で、実験や観察で検証する。物理学なら物理現象、生物学なら生物現象を量として捉えて、数学的に記述し、分析していく。こうした作業を行う科学が「数理科学」です。そのような数理科学の正体を暴いて、批判的に検討するのが、僕の言う「数理科学の哲学」、すなわち「数理哲学」です。

数理哲学には、もうひとつの側面もあります。それは、数理的な道具立てを用いて、過去の思想や哲学を分析するというものです。現在僕は、「分析アジア哲学」という分野に踏み込み、アジア思想の研究をしています。その際のツールとして、数理的、論理的な道具立てを使う。そうやって、昔のアジアの思想や、近代日本の哲学が汲み取ろうとしてきたものの考え方を、現代でも使えるような仕方で、汲み取り直してみたいと思っています。

  • *1
    西田幾多郎と田邊元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派。戦前・戦中から東洋と西洋、両者の思想の融合を模索した。
  • *2
    哲学者(1885-1962)。西田幾多郎との相互批判のなかで独自の思想を形成していくと共に、多くの門下生を育て「京都学派」の基礎を築いた。

矛盾の思想を公共的なものへ

「分析アジア哲学」が扱うアジア思想とはどのようなものなのですか?

出口 特に東アジア思想がそうですが、アジア思想はしばしば矛盾について語ります。例えば、鎌倉時代の禅僧の道元(*3)は、「迷いは同時に悟りだ」ということを言います。普通は「悟り」と「迷い」は正反対だと理解されていますが、その二つは実は同じだと言うわけです。
ほかにも、「主観即客観」といった、わかるようでわからない概念や言葉が東アジア思想にはたくさん出てきます。こうした東アジアの思想の特徴は、「あれかこれか」の二項対立を越えた物事のあり方を志向しているところです。

けれども、「あれでもあるし、これでもある」といった考えは、論理的に言えば、「矛盾」を犯していることになります。そして矛盾とは長い間、非合理の象徴のように受け取られてきました。そうした一見非合理に見える思想を理解するためには、矛盾を犯しつつも、それでもなお合理的に議論を続ける仕方を開発しなければなりません。

現在では、矛盾を許容しつつも、合理的な議論を続けることを可能とするパラコンシステント論理の体系が開発されています。このような論理は、日本語では「矛盾許容型論理」と訳されていますが、それをベースに、1970年代後半からは、矛盾を認める「真矛盾主義」という哲学的な主張も展開されるようになっています。

矛盾したあり方を認めて、共有可能なものにしていくのですね。

出口 科学というのは二元論で動いていますし、僕たちの通常の生活も、同じように正しい/間違っているという二元論で動いています。それが一番極端な形で出てくるのが裁判での有罪無罪です。グレーゾーンというのがない。全部二値に落としていく言説のスタイルです。

一方、東アジアには、「あれかこれか」という二者択一が嫌いな思想家がたくさんいました。実際、道元や、京都学派の哲学者たちは、基本的に一元論(*4)の立場を取ってきました。一元論の立場は、この世界は、一番ディープなレベルは一元的なあり方をしていて、僕たちはそのあり方を体感できるという考えを持った思想です。このような思想を、現役の哲学にする、つまり現代の社会でも通用する公共的なものの考え方として再構成するためには、パラコンシステント論理といった数理的な道具立てが、かなり強力なツールになるのではと僕は考えています。

特に分析アジア哲学に関しては、英語で発信をしていきたいですね。いまアジア各国に、英語圏で勉強してきた若手の哲学者の分厚い層ができつつあります。そういう人たちのなかから、自分の思想的な出自を見直す人も出てくるはずです。彼らには現代哲学と、自分たちの知的ルーツを交差させる、新しい分野ができつつある。それを、英語で発信しながら一緒にやっていこうという提案をしたいと考えています。

実際、僕自身もアジア各国を訪問し、現地の哲学者と議論をするなかで、いろいろな手応えを感じています。そして、分析アジア哲学をひとつのコアとする、哲学の共同体をアジアにつくっていくことで、アジア各国の相互交流や相互理解を一層進めて、大きく言えば、この地域の平和と安全に貢献できればいいなと思っています。

哲学は知の領域を超える「領域横断知」だと言いました。哲学はまた、軽々と国境を超える知でもあります。哲学者といえば、書斎に閉じこもった姿を思い浮かべるかもしれませんが、現代では、世界を股にかけて活躍している哲学者もたくさんいる。若い世代のみなさんには、そういう哲学のあり方も知ってもらえればと思っています。

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  • *3
    禅僧(1200-1253)。日本に禅の思想を確立した一人といわれる。主著『正法眼蔵』は、座禅によって到達する正法の悟りをあらゆる面から説いた。
  • *4
    世界をひとつの原理からすべて説明できるとする考え方や立場。根源的な原理を何とするかは、スピノザの神、ヘーゲルの絶対者、仏教の真如など様々な言説がある。対立する立場は二元論や多元論。