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INTERVIEW
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やっぱり
見た目が大事?
感覚を科学する新しいデザイン デザイン心理学者・日比野治雄 さん

「そのTシャツのデザイン、いいね!」なんて言葉が巷にあふれ、「デザイン」はすっかり定着しているように見える。しかし、一体デザインとは何なのだろうか?
このデザイン分野に科学的な手段を用いる人がいる。デザイン心理学の第一人者・日比野治雄さんだ。人間の主観を、心理学・工学的観点からひも解いてデザインの領域を切り開いていく日比野さん。“かっこいい”や“かわいい”という感覚的な要素だけではない、より優れたデザインについてお話を聞いた。 取材・文:山本梓/写真:阪本勇/編集:川村庸子

使いやすさよりも、見た目が大事?

デザイン心理学って、一体どういうものなんですか?

日比野 デザインの根拠って、感覚に頼るイメージが強いと思うんです。けれど、使いやすさや美しさ、安全性などについて、心理学・工学的観点から実験や証言をとり、デザインを科学的に数値化し実証していくという新しい学問が、デザイン心理学です。科学的根拠に基づくデザインの意味で「エビデンス・ベースド・デザイン」とも呼ばれ、ここ千葉大学工学部のデザイン心理学研究室は、日本で唯一の研究室なんですよ。

わたしは東京大学文学部心理学科の出身で、学生時代は人間の「色覚(カラービジョン)」の研究をしていました。眼球の中心には一番視力のいい部分があるのですが、特に、わたしはあまり研究の進んでいなかったそのまわりのぼやける部分「周辺視」の色覚メカニズムを研究していました。
その後、さまざまな紆余曲折を経て、千葉大学工学部でデザインを扱うことになりました。最初は、これまでデザインとは全然関係のない領域にいたものですから、どうしようかとずいぶん悩みました。けれど、自分の専門である心理学を利用してデザインの問題解決に役立てればいいんじゃないか、というところにたどり着いたんです。

最初の仕事は、1990年代後半にある医療機器メーカーの薬剤充填済み注射器の表示デザイン改善のお手伝いでした。
当時、医療ミスが大きな問題となっていたんですね。医療・医学の現場は、人の命を扱うので、間違いがあってはならない。その上で、というか、だからこそでもあるのですが、「新しいデザインが古いデザイン案よりも優れている」ということを科学的に実証するのは難しい……。直感的にこっちの方がいいなと思っても、その根拠をなかなか実証できないのです。
そこで、わたしの専門であった実験心理学の方法を用いて、それをデザインのさまざまな要素に応用するということをやってきたわけです。

デザインのさまざまな要素って、例えば何でしょう?

日比野 例えば、ここにカメラがあります。『ローライ35』という50年ぐらい前のコンパクトカメラの元祖で、これはただ「小さくすること」を目指したデザインです。なんとアクセサリーシュー(*1)がカメラの下部に付いているのです。普通は上部に付くもので、こんなのありえない(笑)。ここにフラッシュを付けようとしても、位置的に特殊なものでないと付けられないと思うんですよね。
このモデルは1967年に発売されたとき、かなり高額だったんです。いまだと何十万円に値します。でも人気があった。使いやすいカメラではないのに、です。
人間というのは実は使いやすさよりも、「見た目」が大事なんですよね。
まず製品を見たときに、一目惚れのような効果が生じる。その後に、人間の頭の処理にやっと使いやすさの観点が現れてくるのです。

人間が何かを受容するときには、三つのレベルがあると言われています。
第一段階は、直感である「内臓感覚レベル」。第二段階は、使いやすさや機能などに関連した「行動レベル」。第三段階は、過去の記憶や体験に基づいて判断する「内省レベル」です。これは、『エモーショナル・デザイン』という有名な本を書いた、ドナルド・A・ノーマンというアメリカの認知科学者が提唱した考え方です。
さらに、人は見た目が美しいほうが、使いやすく感じてしまうということが、「GUI(グラフィック・ユーザー・インターフェース)」の実験からもわかっています。GUIとは、ユーザーの心理学的側面や生理学的側面をどの程度考慮しているかを測り、またそれによってそのシステムを利用する際の効率・効果・満足度を測ることです。

ですから、実は第一印象が悪いとどんなに使いやすくても、買ってもらえなくなってしまうんです。まず第一印象ありきで考えないと、人に訴える製品はできない。わたしは、こうした説明のつかない心理を科学的に扱う、ということがおもしろいなと思っています。

  • *1
    カメラに外付けのフラッシュやファインダーを機械的に取り付ける部位、仕組み。

なるほど。本来論理的に見るべき研究対象が、非合理的な生き物である人間なのがおもしろい、と。

日比野 うちの研究室は、高齢者の方を対象によくインタビューをするんですね。現在の高齢者の定義は、65歳以上。いまの世の中では65歳以上の方でもまだまだ元気な方も多いんですが。70〜80歳ぐらいの方に高齢者を対象にした製品についてインタビューをすると、「これは年寄りにはいいかもしれないが、わたしにはまだ必要ない」という返事がくるんです(笑)。
合理的に考えれば、その人たちももちろん高齢者の対象に入っていますよね。デザインもボタンを大きくしたり、表示を見やすくしたりすれば、使いやすくなるからいいじゃないかということになりますが、実際はそうじゃない。
使う人が「こんなものを使うほど落ちぶれてしまったのか」というようなことを感じさせるような製品は駄目なんです。高齢者向けの製品だからこそ、「これは自分のためのものなんだ」と感じるような、お年寄り向けに感じないデザインにする必要がある。これが人間の非合理性です。

例えば、自分より10歳若い人から見れば、きっと自分はかなり上の人だと思われますよね。でも、わたしもそうですが、気分的には高校や大学生のときとそんなに変わっていないと思っている節がある。
合理的・論理的に考えれば全然そうじゃないんだけれども、「気分」だけは以前と変わらない。これは「メタ認知の楽観性」と言って、人間は自分自身を捉えるときに非常に楽観的になるんです。
高齢者の車の誤操作問題は、こうしたことも一因です。人間の特性を含めて考えていかなければいけないデザインの問題というのは、まだあると思います。

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手の平にすぽっと収まるローライ35

それとなく仕向けるデザイン

大学では、デザイン心理学をどのように教えているんですか?

日比野 何よりも「人間を深く考える」ということを伝えています。デザインをするのも使うのも、人間なわけですから。特にデザイナーは「使う人」のことをよく考えないといけない。
例えば、わたしの使っている時計は自動巻きの機械式です。時計はデジタルの方が正確ですよね。しかもこれは2、3日放っておくと止まってしまう。最新式のほうが便利なはずですが、自分の手で時間を合わせたい。そのほうが愛着を持てるというか。これも人間の非合理的なところです(笑)。

便利になるのは大事なことですが、あんまり便利になりすぎると、何もやることがなくなる。それじゃあつまらないですよね。
ものを使うときに自分がコミットしている感覚や、初めて見た製品の使い方を自然と学ばせるなど、ありとあらゆる側面から人間を考える。しかも、科学的な視点で。そして人間の尊厳や想い、そういうことも大切にするということを学生たちには伝えています。

ひとつの例として「NUDGE(ナッジ)」という概念があります。肘でそっとつつく、それとなく仕向けるという意味の他動詞です。
人間は強制されると反発する性質がある。「こうやって開けなさい」という指示付きのものよりは、誰でも自然に開けられる、開けられることがすぐわかるようなデザインを大事にしています。

デザイン心理学の実験は、どういうことが行なわれているんですか?

日比野 人間がどこを見ているかを知ることは人間の行動を探る上でも重要ですので、人間の視線を記録・測定できる「眼球運動測定装置」を使って視線の動きや滞留するところを調査したり、インタビューなどで製品の評価調査をしたりします。ただ、人間は「見ているようで観ていない」といわれるように視線がそこにあっても注意して見ているとは限りません。これも人間の非合理性の一例ですね。そこで、わたしの研究室ではほかの方法も使ってダブルチェックをすることにしています。最近は「fNIRS(エフ・ニルス)」という赤外線を頭部に当てて、微妙な脳血流の差で脳の活動変化を検出する装置を利用することもしています。
こうした調査結果を基にして、科学的な視点からデザインのさまざまな問題解決にアプローチしているのです。

昨年は有機EL(*2)照明についての実験を、エフ・ニルスを使ってやりました。オフィス空間で、照明条件と仕事の性質を変えて、そのときにどういう照明条件では脳のどの部分が活動するのかを調べました。
同じような仕事をしたときに、照明条件が変わって活動が変化すれば、それは、照明の効果だということがわかる。この装置ですべてが判明するわけではありませんが、今後、単純作業のとき、複雑な思考が必要なとき、それぞれどんな照明にすべきかという判断の手助けになる可能性があります。

確かに、照明の白熱灯と蛍光灯だとリラックス度合いが違うとされていますよね。

日比野 ほかには、2012年に行なった国立印刷局とのプロジェクトで、現在流通している1万円札、5000円札、2000円札、1000円札の4種類の紙幣の識別性を評価するというものがありました。現在の紙幣の識別性がわかれば、将来の紙幣の改善すべき点がわかるからです。
その実験のひとつで、弱視の方と全盲の方、色覚障害を持つ方にご協力いただき、被験者になっていただきました。全盲の方は、紙幣を触って判別するしかありません。いまの紙幣でも、触って違いがわかるところがあるのですが、ご存知でしたか?

え! 知らなかった……。どこですか?

日比野 1000円札は横棒、5000円札には八角形、1万円札だとL字の印が微妙に凹凸面になっているんです。でも微妙なかたちの差なので紙幣が古くなると非常にわかりにくい。
ひどい話なのですが、マッサージ店をやっているある全盲の方は、触ってもわからないので1万円ではなく1000円札を渡されてだまされたということも聞きました……。これはデザインによって改良することができます。

外国には額面によって大きさが違うという工夫がされた紙幣もあります。日本の紙幣は微妙にしか大きさが違わない。また、かなり派手な色を使ったデザインの紙幣もあります。カナダなどには、樹脂のような、紙じゃない材質のものさえもあります。
こうした大きさや触覚の部分というのは、視覚障害の有無に関わらず、健常者の使いやすさにもつながっていきます。このようにデザインの関わる領域は非常に広く、人間の日常生活に密接につながっているのです。

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  • *2
    Organic Electro-Luminescence(有機エレクトロ・ルミネッセンス)の略で、特定の有機化合物に電圧をかけると発光する現象のことを指す。次世代のディスプレイパネルで、スマホやテレビの画面に使われている。

広い視野をもって学ぶ

日比野さんが普段、大切にしていることって何ですか?

日比野 わたしはもともと楽観的なので、座右の銘があるとしたら、どちらも有名な曲名なのですが、“Let it be”と「ケセラセラ」です(笑)。ものごとはなるようにしかならない。だから、新しい環境に順応するしかないんですよね。
それに、人間は選んだ以上、それを続けるしかないという面もあると思うんです。それほど突き詰めていないうちに飽きてしまうのはもったいない。大学でも入った後に、ちょっとデザインをやってみて違う方向に行きたいという人や、ほかの学科からデザインに行きたいという人がいたりするんですよね。何にしても1、2年やっただけでは、基礎もまだ身に付いていないわけですから、それはちょっと早いんじゃないかと思うんです。

ある程度やってみないとわからないし、やればやるほどおもしろくなっていくんじゃないかな。わたしも以前はデザインなんかやろうと思っていなかった。でもさまざまな経験をしていくなかで、やりがいがあるということがわかったんです。なるようになると思いながら、続けていく力が大事なのではないでしょうか。

エビデンス・ベースド・デザインをされている日比野さんが「なるようになる」と仰るのには、勇気が出ます!

日比野 専門的分野にたどり着くまでに必要な過程というのがありますよね。けれども最近は、役に立つということしか重要視しないという流れになっている気がします。それはどうなのかなと。
いまは日本人のノーベル賞受賞者が増えていますが、それはこれまでの教育を受けた人が受賞しているわけですよね。ノーベル賞を取らせようとして役に立つことばかりを学ばせていたら、それは専門的で狭い領域しか知らないということになる。それでは視野が狭くなってしまい、結局うまくいかないのではないかと思います。

高校や大学生の頃のわたしは、将来何をやっていいのかわからなかったので、なんとかこの世界を知ろうとして、いろいろな本や映画を観ました。その時期に学んだことが、ふいにいまやっていることにつながるということが多々あります。
特に「デザイン」をやるのであれば、デザインだけやっていても駄目。いろんなことを知るために、いろいろなところに行ったり経験したりというのが重要だと思うんです。
わたしの場合は、カナダに留学して博士号を取りましたけど、これもひょんな縁からはじまってのことでした。
人間、何があるかわからない。もっとケセラセラでいいんです、きっと。

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日比野さんのデスクやオフィスには、デザインされた小物やオブジェが至るところにあった