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INTERVIEW
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宇宙の謎に迫る
世界最先端の
“すごい実験”
~究極の物の“中身”、素粒子を知る~ 素粒子物理学者・多田将 さん

茨城県東海村。太平洋を臨むこの小さな村に、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同運営する、世界最先端の大強度陽子加速器施設、J-PARCはある。なかでも、日本に3度ノーベル賞をもたらした素粒子物理学の分野で、誰にもマネのできない“すごい実験”を行っているのが、ニュートリノ実験施設だ。
多田将さんは、この施設の一部を設計した素粒子物理学者で、宇宙の謎に迫る壮大な実験を積み重ねている。
金髪に迷彩服姿という外見もさることながら、わかりやすい語り口で年間30回もの講演をこなしたり、実験施設をイチから設計するなど、その仕事ぶりも型破りだ。「好き嫌いでは生きてこなかったからでしょうね」——プロフェッショナルに徹する多田さんの人生哲学に迫った。 取材・文:高松夕佳/写真:仲田絵美/編集:川村庸子

世紀の大発見を目指して

「素粒子物理学」というと、とてつもなく難しく感じてしまうのですが、そもそも「素粒子」って何ですか?

多田 素粒子とは、自然界に存在するものを分解していったときにこれ以上分割できない最も小さな粒子のことです。
自然界で最も大きなものは、宇宙です。人間が観測できる宇宙の大きさは、1,000,000,000,000,000,000,000,000,000(一千抒「じょ」)メートル。途方もない大きさですよね。これを扱うのは宇宙物理学です。我々の住む地球の直径は10,000,000メートル。この太陽系の星々を扱うのが惑星物理学です。
人間の大きさは約1メートル、その中の内臓は約0.1メートルで、これが医学の領域です。内臓を構成する細胞(0.00001メートル)は生物学、その細胞を形作る分子の大きさまでを扱うのが化学です。分子を分解してできるのが原子で、その中身の原子核は原子核物理学が扱います。
素粒子物理学はさらにその先、0.000000000000000001メートルよりも小さい素粒子を相手にする学問です。

僕の研究対象である「ニュートリノ」は、ヴォルフガング・パウリ(*1)が提唱した素粒子の一種です。原子核の中身は陽子と中性子でできているのですが、中性子が原子核を飛び出すと、自然に壊れ、陽子と電子に分かれる。そのとき物理学の基本法則である「エネルギー保存則」(*2)が成り立っていないことがわかった。崩壊後にエネルギーが減っていたのです。
当時の物理学者の多くはこの謎が解けず、「原子核ほどの小さな世界では、エネルギー保存則は成り立たないのではないか」と考えたのですが、ただひとり、パウリだけがそれに異を唱えました。
彼はその現象を「まだ見つかっていない粒子が存在して、それがエネルギーを持ち出しているに違いない」と説明したのです。この粒子が、「ニュートリノ」です。実際にニュートリノが発見されたのは、それから26年も後のことでした(*3)

多田さんは、その「ニュートリノ」を使って壮大な実験をされていると伺いました。いったいどんな実験なのですか?

多田 大雑把に言うと、ここ茨城県東海村のJ-PARCでニュートリノを人工的につくり、それを西へ300キロメートル離れた岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデ(*4)に向けて打ち込むという実験です。東海村から神岡町まで、Tokai to Kamioka、ということでT2K実験と呼んでいます。
ニュートリノは宇宙には大量に存在しますが、あまりにも小さく電荷を持たないために反応性が薄く、性質がよくわかっていません。そこで300キロメートルの距離を飛ばす間にニュートリノが起こす変化の様子を調べることで、性質を解明しようというのです。

T2K実験には段階があり、2010年1月から13年5月までの第1段階では、ミューニュートリノから電子ニュートリノへの変化を、世界で初めて発見することができました。
現在取り組んでいるのは、2014年に開始した第2段階の実験です。2008年、小林・益川先生にノーベル物理学賞をもたらした理論(*5)に相当する理論(ニュートリノ振動理論)(*6)をニュートリノにおいて証明するのが目標です。

実は、僕はもともと京都大学の化学研究所で働いていたのですが、J-PARCの設立にあたり、ニュートリノのビームラインの設計・開発者を募集していると聞いて、応募したんです。
物理学の場合、化学や生物学と違って実験装置は買ってくるのではなく、研究者がイチから考えてつくらなくてはいけません。世界で初めてのことをやっているので、装置はどこにも売っていないのです。

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  • *1
    物理学者(1900-1958)。排他原理など、量子力学の分野で重要な業績を残した。1930年、中性子が壊れるとき、陽子と電子に加え、もうひとつ微細な未発見の粒子が出ているはずだとの説を立てた。「ニュートリノ」の名は1934年、エンリコ・フェルミが名づけた。
  • *2
    「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」という物理学における保存則のひとつ。
  • *3
    1956年、アメリカの物理学者・ライネスらがニュートリノを捕まえることに成功した。
  • *4
    1996年、4年以上をかけて完成した世界最大、最高精度のニュートリノ観測装置。ここでのニュートリノ振動の発見から、ニュートリノに重さがあることを世界で初めて証明した。
  • *5
    物理学者の小林誠と益川敏英が1973年に発表した「クォークが6個あれば、すべての物理現象を説明できる」とした理論。2008年ノーベル物理学賞を受賞。
  • *6
    物理学者の坂田昌一と牧二郎と中川昌美が1962年に発表した「3種類のニュートリノが互いに変化し合う」とした理論。

人間は、いろんなことができる

実験施設の設計というと、図面をひいたりもしたのでしょうか?

多田 業者任せにする人も多いですが、僕はCAD(*7)を使って自ら図面を引きましたね。規模が小さければ、建物は任せて実験装置だけ設計することが多いのですが、ここは長さ100メートル、高さ5メートルぐらいあるトンネルを地下に埋める必要がありましたから、建設業者とのやりとりから始めなくてはならなかった。

CAD図なんてまったくおもしろくないですよ。毎日徹夜で細かい図面をちょっとずつ書くなんて、楽しいわけがない。
実のところ、素粒子物理学自体も、ぼくはそんなにおもしろいと思ったことはなくて。仕事だから、この実験を成功させるためだからやっているだけなんです。

好きだから、素粒子物理学者になったというわけではない、と?


多田 そうですね、全然ないですね(笑)。僕が学生の頃、素粒子物理学は一番のエリートコースだった、それが理由です。家族で4年制大学に行ったのは僕が初めてですし、勉強しろと言われたこともなかった。
強いていえば、昔から物の中身には興味がありました。子どもの頃、時計を分解して戻せなくて親に怒られたりね。物理学を勉強してよかったと思うのは、世の中の仕組みがわかるときです。物理学といえば、物事の理屈を考える学問。たとえば、コップをつかめるのは手の電子とコップの電子が反発し合うからだとか、原理が一つひとつわかっていくのは興味深いですから。

僕は、夢を追うのがいいことだと教えることに懐疑的です。たいていの人は途中で挫折するんですよ。そのときに、それしかないと思っていると絶望的になる。でも人間というのは、いろんなことができるんです。そこが、ひとつのことしかできない機械と根本的に違うすごいところ。

大学に入ってからでも、大学院でも、仕事に就いたあとでも、道を変える方法なんていくらでもある。自分にはこれしかないと思わないほうがいい。僕だって、学者になったのはたまたまですが、仕事となればそれなりにできるし、少なくともプロなら給料分はやらなくちゃいけませんから。
楽しいことは趣味でやればいいんです。仕事をしっかりやって稼いだお金で好きなことをする、そこはビシッと分けていいと思っています。
僕の場合、“本業”は卯内(うない)里奈さんというシンガーソングライターの追っかけ。最近はそれにミリタリーの趣味が加わって、同志の声優・上坂すみれさんのイベントに行ったり、一緒にイベントをしたりしています。

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ニュートリノ実験施設の建設に携わって以来、砂漠用の迷彩服を愛用している。「ここは海が近いので、掘り起こすと一面砂漠みたいなんです」

  • *7
    Computer Aided Designの略。コンピューターによる設計支援システム。

論理的・定量的に自分の頭で考えるということ

高校時代、受験勉強はどのようにされていたのでしょうか?

多田 始めたのは高校3年生の夏でした。しかも授業中の内職だけ(笑)。
まず、1冊に90問が載っている数学・物理・化学の本を買いました。京大入試の場合、150分で6問が出るので1問あたり25分、50分の授業中2問解ける計算です。1日だいたい5時間が有効だとして、2問×5時間で1日10問、9日で問題集が1冊終わりますよね。学校でそれを集中してやり、家に帰ってからは遊んでいました。
何事もメリハリが大事。深夜まで眠い頭で受験勉強して、授業中寝ているなんてばかげていますよ。

実に効率的というか……理系的な考え方ですね。

多田 そうですね、理系の発想かもしれません。論理的に考えることと、定量的に考えること。この2つが、理系には必要ですから。
友だちには「説教くさい」とウザがられることもありますが、理系的発想を身につけるのは重要だと思います。

東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故のあと、そのことを強く感じました。情報が限られていた震災直後、放射線をめぐる不安をぶつけられることが多かったのです。感情で話す人には、かっちりした理論で対応するのが近道ですが、それでも難しいことはありました。
あるとき友人から、「埼玉に住んでいる姉が自主避難をしようか悩んでいる」と相談を受けました。「科学的に大丈夫だという話は聞くけれど、幼い子どもを抱えてどうしたらいいのかまったくわからない」というのです。
若い頃は、科学を信じない人をバカにするところがありました。でも科学的数値をばーっと見せて、「ほら、大丈夫です!」と言っても、その人の不安が払拭されなければ意味がない。
そこでこう答えました。「お住まいの住所なら放射線量はまったく問題ありません。いつも通り暮らし、お子さんを長時間外で遊ばせても大丈夫です。ところが人間は放射線には強くても、ストレスには弱い。だからいまの家にいることにストレスを感じていて、自主避難することで不安が和らぐなら、してもいいんじゃないですか」と。あの事故で放射線が直接的な原因で死んだ人はひとりもいないけど、ストレスで亡くなった方はいましたから。
僕ら学者は知識もあるし、すぐに調べられるから安心かもしれません。でもそういう環境にない人のこともよく考えないといけないのだと、あのときは身に沁みて思いました。

科学的に考えることは大切だけど、人はそれだけで成り立っているわけじゃない、ということですね。多田さんの書かれる本がとてもわかりやすいのも、そうした反省があったからでしょうか?

多田 そうですね。学者って高飛車なところがあって、一般の人はそれだけで拒絶反応を起こしてしまいがちです。だからぼくはできるだけそういう態度はやめようと。
学生時代に小学生向けの塾講師をやっていたのも大きいですね。遊びたい盛りの歳の子どもに大学の講義のように教えたってわかってくれるはずがありません。あのとき、自分が何を言いたいかではなく、相手が何を聞きたいかを考える訓練ができたと思います。

そして、やはり考えることは大事です。なぜデマに騙されるか。自分の頭で考えず、人の言うことを鵜呑みにするからです。
科学の発見はみんな、従来の理論を「本当にそうかな」と疑うことから始まっています。パウリも、ほかの学者が唱えている説に対してひとりだけ「いや、そうだろうか」と言って、ニュートリノを考え出した。大変だったと思いますよ。本当に正しかったとわかるまで26年もかかったのですから。
アインシュタインの相対性理論にしても、結論は突飛でも論理の組み立ては常識的です。彼は自分ではあまり賢くないと思っていたようで、みんながわかった気になっているようなことでも、「あれ、本当にそうなのか?」と立ち止まった。そこからもう一度自分の頭で考えたことで、ほかの人が思いつかない発想に至ったわけです。

代わりのきかない人間になれ

T2K実験で証明しようとされている「CP対称性の破れ」(*8)も、もともとなかった考えですね。

多田 そうですね。普通の考え方では絶対に出てこない発想から始まっています。
日本って、標準的な型にはまらないとダメな「標準化社会」でしょう。
いま、政府は大学を即戦力になる人材を育てる場にしようとし、大学も会社も、型にはめた人間を量産しようとしています。いいなりになっていると、いくらでも代わりのきく人間になってしまう。ここ数年は売り手市場だからいいですが、そういう人は、ちょっと不況になれば簡単に首を切られます。だって代わりがいるんだから。

重要なのは、代わりのきかない人間になるということです。
僕なんかこんな金髪、一般の会社だったら怒られますよ(笑)。でもここでそれが問題にされないのは、ぼくにしかできないことがあるからです。
若い方には、みんなと同じコースで同じことをやる型にはまった人間ではなく、自分にとって何が必要かを常に考えられる、代わりのいない人間になってほしいと思います。

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ニュートリノ実験装置をコントロールする制御機器

  • *8
    物質を構成する粒子が生じるためには、そこに反物質を構成する反粒子も必ず生じる。しかし反物質との対消滅で消えたはずの物質は実際には残り、宇宙を構成している。この現象を引き起こしたのが「CP対称性の破れ」。これは、物質と反物質の性質の違いのことである。

最先端に2位はいらない

CP対称性の破れを90パーセント確認してから1年、いま実験はどこまできていますか?

多田 道のりは長いですよ。90パーセントというと、ほとんどできたと思うでしょうが、物理学の世界では、99.9999パーセントまでいって初めて「発見」と言えるんです。たまたま起こるぐらいのことは「現象」とは言わない。本当に石橋を叩いて渡るぐらい慎重に確かめていますから、僕らがいまいるのは、まだ10分の1ぐらいのところ。そんなもんですよ。

普通にやっていたら10年はかかります。ただ、ぼくらにはアメリカで最大の物理学の研究所であるフェルミ・ラボ(*9)という競争相手がいる。相手は全予算をニュートリノ実験に投入し、本気で勝ちにきている。そこで僕らは、ビーム強度を増やし、同じ時間における実験のデータ量を増やすことにしました。10年かかるところを数年でできるようにして、なんとかして勝とうとしているところです。

最先端物理学では、1位以外には価値がありません。2位は敗者で歴史から消されるだけ。だから絶対に勝たなきゃいけない。しかも僕らが世界で初めて始めた実験で抜かれたら、恥ずかしいでしょう。
いまのところ順調に段階を踏んで行っているとは思います。最大の敵は、予算です。原理や技術では誰にも負けませんが、とにかくお金がないんですね(笑)。
莫大な予算を投じているアメリカに比べ、その点では非常に不利な状況です。

とはいえ、使っているのは税金なので、まずはこの分野で世界をリードする価値があると国民のみなさんに思ってもらわなくてはならないのですが、素粒子物理学は日本が世界の最先端であること、誰も知らないですよね。僕がメディアに出るのは、宣伝の意味もあるんです。こうやって話すと必ず理解してもらえますから。

  • *9
    フェルミ国立加速器研究所。エンリコ・フェルミにちなんで名付けられたアメリカ・シカゴ近郊にある高エネルギー物理学研究所。

多くの人の力を集め、継承することで科学は進んでいく

確かに、日本のノーベル賞受賞者24人のうち素粒子物理学者は7人とダントツに多いですし、もっと関心が高まってもよさそうです。

多田 もう1つ問題なのは人材です。僕の若い頃は、素粒子物理学には優秀な人材がいっぱい集まっていましたが、最近はそうでもないらしいのです。
もしかしたら、すぐに役に立たないイメージがあるのかもしれない。でも科学って、目先のことだけ見ていて成り立つものじゃないんですよ。
例えばこの携帯電話。液晶にせよ、通信にせよ、コンピューターにせよ、まったく違う分野の科学技術を集めてつくられている。携帯電話だけをイチからつくろうと思ったら、何百年かけてもつくれはしません。事実、数十年前の人は携帯電話の登場を予測できなかった。

じゃあなぜできたのか。先人たちがそれぞれ全然違う分野で技術を積み重ねたものを、次の世代の人たちがかき集めていったからです。いまの科学技術は無数の技術が積み重なってできているのであって、ある研究が役に立つかどうかは、次の世代が決めることなのです。
僕らが生きている間、ニュートリノが何の役にも立たなかったとしても、次の世代が利用できるかもしれない。逆に、いま研究をやめてしまったら、次の世代に渡す遺産が空っぽになってしまう。だからまずはすべての分野において研究を進めて、次の世代に委ねることが大切だと思うんです。

人はひとりではたいしたことはできません。でも、結集すれば大きな力になる。人間は、人数という横方向だけじゃなく、年代、時代という縦方向にも科学を積み上げていくことができるんです。だから僕らは歩みをやめちゃいけないなと思っています。

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