プロゴルファー編

ゴルフといえば、日本でも歴史と人気を誇るスポーツの一つ。そんな選手たちの実力を引き出し、成長させる役割を担っているのが「ティーチングプロ」と呼ばれるゴルフ指導者だ。とりわけプロ選手の指導者は数も少なく、求められる技術も非常に高い。そこで今回はプロゴルファーであり、「プロを教えるプロ」の第一人者として活躍する江連忠プロにご登場いただき、ゴルフとの出会いや若手育成にかける情熱などをお伺いした。

自分の限界をつくらない! 神戸から世界に羽ばたくプロゴルファーを育てる

株式会社 江連忠ゴルフアカデミー
代表取締役社長

江連 忠 (えづれ ただし)

1968年 東京生まれ
1987年 日本大学櫻丘高校 卒業
     マイアミ大学 入学
1993年 日本プロゴルフ協会プロテスト 合格
2003年 株式会社 江連忠ゴルフアカデミー 設立 代表取締役社長 就任
現在に至る

トッププレイヤーを次々と輩出! プロを教えるティーチングプロとは?

 神戸市の六甲山に日本で初めてのゴルフ場が誕生してから100年あまり。今、この神戸から世界で活躍できるゴルファーの育成に尽力している人物がいる。それが江連忠だ。江連は自身もプロゴルファーでありながら、プロ選手の指導もするという「プロを教えるプロ」の第一人者である。伊沢利光や片山晋呉の指導者としてもその名が知られている。そして現在、彼の名を冠した「江連忠ゴルフアカデミー」では、諸見里しのぶや上田桃子といった新たなトッププレイヤーを輩出している。

 「神戸でゴルフの指導をはじめて10年になりますが、アカデミーのある六甲国際ゴルフ倶楽部は環境がとても素晴らしい。まず、このコースではプロの試合が行われるので、研究にも勉強にもなる。公式のトーナメントを行うのにふさわしいチャンピオンシップコースの存在自体が大きな魅力です。さらに屋内練習場も完備している。この三つのポイントが揃っている施設というのは、実はゴルフが進んでいるアメリカでもそう簡単に見つけられません」

 現在、アカデミーと契約しているプロ選手は15名ほどで、将来有望なジュニアも多く在籍している。いずれも江連の教えを乞うためにアカデミーの門を叩いた選手たちだ。

 「基本的に、アカデミーに入るためのテストはありません。ただし、〝本当に真剣にやるのか?”ということは問います。〝真剣にやります”と、言葉では誰でも言える。でもその言葉に嘘があるようではいけません。さらに、自分の限界を作らない。人の言うことを聞く。一つ教えたら、自分で考えてそれを二つや三つに増やせる能力がある。そうした力を持っていることが入学資格といえるでしょう」。江連は力強くそう言い切る。

 同アカデミーで、すでに20名近くのプロゴルファーを輩出している実績からも、江連の指導者としての実力がうかがい知れる。もちろんその言葉の端々には、プロで勝負するうえでの厳しさもにじむ。

 「上田プロや諸見里プロになりたいという考えでは甘い。彼女たちを頂点にするのではなく、〝彼女たちを超えるので指導してください!”という情熱を持った生徒でなければ、このアカデミーには必要ありません」

岡本綾子プロのスイングに 魅了された子ども時代 〝ゴルフの本物〞を教えてくれた恩師

 江連がゴルフと出会ったのは、小学校6年生のとき。父親と兄の影響だった。子どもの頃から運動の得意だった江連は、もともと野球少年だった。当時から自分に厳しかった江連は、同時にチームメイトにも厳しい目を向けがちだった。自分がいくら頑張っても味方のエラーや未熟さでチームが負けてしまったときには、どうしようもない憤りを感じずにはいられなかった。

 「試合に負けたのは実力だけでなく運もあるでしょう。しかし、私を含めてそれぞれの練習不足で負けた部分が確かにありました。

 そんな私の心情を察してか、どこまでも自分一人の練習量と責任が結果を招く、ゴルフに挑戦させてみようと父が思ったようです」そんな父親がある日、女子プロの公式試合の観戦に連れていってくれた。そこで江連の心をつかんだ選手が、当時、女子ゴルフ界を席巻していた岡本綾子プロだ。

 「子ども心に、岡本さんのスイングはかっこいい!と思いました。加えて、テレビで見たセベ・バレステロス。この二人は、当時の私でもオーラを感じたほどです」

 兄がゴルフを始めたのは、そんなときだった。誘われるように練習場に足を向けた江連だったが、そこで人生の師と出会うこととなる。その人物こそが、戦後の日本ゴルフ界を支えてきた名プレイヤーの一人、棚網良平プロだった。

 「お前、筋がいいな。一緒にやれ」―棚網のこの一言をきっかけにして、江連はプロゴルファーへの道を歩み出すこととなる。

 「抜き身の日本刀のような先生だった」という棚網の指導は厳しいものだった。冬でも手袋なしで何度もスイングを繰り返す。手から血がにじむまで打ち込む。同時に、海外の一流選手のスイングを徹底的に仕込まれた。ジャック・ニクラウスやベン・ホーガン、グレッグ・ノーマンといった名プレイヤーのスイングをつぶさに分析し、クラブの上げ方、脇の締め方、あごの位置や目つきに至るまでを体に刻みつける。

 「先生からは〝ゴルフの本物”をたくさん教わりました。私が今、いろんな選手のスイングを研究しているのは、棚網先生の遺伝子でしょう」

 また、身体的なトレーニングだけでなく、精神的な鍛錬も棚網から授かった。それは「間」だと、江連はいう。

 「わかりやすく言えば、自然体かどうか。ボールを狙い通りの場所に行かせるために、体中の細胞全部が同じ目的を果たそうと協力しあっているかどうかということだと思います。その〝間”は、悪魔の〝魔”でもある。それほどに難しいものだと仰ってましたね」

思いがけない人物と再会!?アメリカで学んだティーチングの極意とは?

 こうして棚網の元で成長を遂げた江連は、ジュニアの世界で頭角を現すようになる。有名大学からも推薦入学の話がいくつも来た。しかし、江連は単身、渡米することを決心する。マスターズ出場を夢に、マイアミ大学に留学。江連のゴルフ留学が始まる。

 こうしてアメリカでの生活をスタートさせたばかりの頃、ある人物との印象的な出会いがあった。プロゴルファーの父を持つ友人宅を訪れたときのことである。そこで発見したのが、ベン・ホーガンのプレイを収めたビデオだった。1930年代から50年代に活躍したホーガンの姿は、写真で見たことはあったものの動画を見るのは初めてのことだった。独自のスイング理論を究めたとされる伝説のプレイヤーの姿に、江連は興奮を隠せなかった。

 「棚網先生は、このスイングを教えてくれていたんだ!」

 恩師の愛情を改めて実感した瞬間だった。江連はそのビデオを、寝るのも忘れて何度も何度も繰り返し観た。のちにビデオ撮影を取り入れた手法で、日本のゴルフ界に新風を吹き込むこととなる江連の原点となる出来事だった。

 その後のアメリカ時代は、カナダツアーなどを転戦。その一方で、ジム・マクリーンというコーチから最先端のスウィング理論を学び、プロゴルファー、ティーチングプロとしての礎を築いていく。

 「アメリカでとりわけ学んだことは、合理性です。ビデオ撮影して自分のスイングを見てもらえば、選手は自分で考えるようになります。80年代の日本では、ビデオ機器の普及もまだまだで、自分のスイングを見たことがないというプロも多かった」

 だがビデオ撮影は、あくまでも上達するための手段に過ぎない。コーチングでまず大切なのが「いかに相手と腹を割った信頼関係が作れるかどうか」だと江連はいう。同時に「聞く力」を鍛え、選手の考えや悩みを聞き出す能力がなければ、信頼関係は築けないという。

 「お互いを信じあう信頼関係ができあがってはじめて、目標を決めます。そのうえで、上達させる手段としてビデオを撮ったり、ほかの選手の成功例や目指すスイング、あるいはモチベーションの上がるビデオを見せたりするわけです」。いくら素晴らしい指導技術を持っていようとも、心が通い合っていなければ、良い指導はできないのだ。

5年先のゴルフが君を飛躍させる片山プロ躍進のきっかけとなった驚きの指導法

 そんな江連の理論を実証した一人が、今や日本のプロゴルファーを代表する選手である片山晋呉だ。江連26歳、片山22歳のときの出会いだった。当時の片山は、アマチュアで40勝以上をあげていたスーパースター。誰もがプロでの活躍を疑わなかった。しかしその片山を見て、江連は不安を抱いていた。

 「当時の彼には、一流選手たちとの共通点が見あたりませんでした。クラブをしっかりとコントロールできていない。私の基準では、直さなければならない点が20カ所以上カウントできたんです」

 そこで江連が提案したのが「5年先のゴルフをする」ということだった。当時主流となっていたクラブではなく、最先端の技術から生み出された最新のクラブを使いこなし、独自のスイングを生み出して勝つ方法である。だがそれは同時に、これまでの片山を解体するということも意味する。実際に新しいクラブを持たせると、片山は構えられないという。それでも江連は「2年間は勝てないかもしれない。けれども3年目には結果を出せる」と告げた。海外の選手に比べると体も小さい片山が、世界のトッププレイヤーと張り合うにはこの方法しかないと、江連は確信していたのだ。そして実際に、3年目の冬に成果の兆しが出始める。合宿中に7連続バーディを決めたのだ。

 「片山は、今までゴルフをやって来て4連続バーディしか取ったことがなかった。7連続バーディなんて、普通は取れません。見ているこちらも感動しました。この経験があれば、試合でもいけると思いましたね」

 事実、その後の片山は、日本ツアーで26勝、5度の賞金王に輝くなど、見事な成績を収めることとなった。

 「これからの夢は、もちろんアカデミーで学ぶ選手からメジャー大会で勝てるプレイヤーを輩出すること。将来、プロのゴルファーとして活躍したいという子には、まずは、自分がどんなゴルファーになりたいのかという夢を描かせることが大切です。それも、今いる誰かのようになりたいではなく、まったく新しいゴルファー像を描けるくらいが理想じゃないかな」

 そう語る江連の、生徒たちに向けるまなざしは、厳しくも優しさに溢れていた。

Q&A

目標達成するためにプロ選手はどんな工夫をしているのでしょう?

 例えば、諸見里プロに会った当初、「あと600回は脱皮しないといけない」と言いました。脱皮というのは、自分がうまくなったという実感を持つということ。そうしたら彼女は、何か自分がうまくなったと思えたときにカレンダーに丸をつけるようになった。その数は100を超え、どんどんと多くなり、強くなっていきました。あるいは、片山プロは目にみえるところに自分の目標を書いて貼っていました。直さないといけないところや、プロになって実現したいことなど……。つまり、自分を発奮させるアイデアを自分で考えることが大事なんです。

選手を伸ばす秘訣は?

 いつも気をつけていることは、名前を呼ぶことです。15分に1回は必ず名前を呼んでいるでしょうか。「ちゃんと見ているよ」というメッセージも含まれています。先生から名前を呼ばれると緊張してしまうかもしれないけど、誰かが見てくれていると嬉しいですよね。でも、「先生に褒められること」が目的にならないように、成長するためのアドバイスを常に与えることが大切です。

アメリカ生活で英語力は上達しましたか?

 留学当初はそれほど英語が話せませんでしたね。渡米して4年目ぐらいのときに、後ろから知人に挨拶されたときに「おひさしぶりです」って、とっさに英語で返したことがありました。驚いたことに、その瞬間から、不思議とすっと英語が出てくることが多くなりましたよ。

アメリカでのレッスンで言葉の壁は感じませんでしたか?

 英語をうまく話せない頃は、言語の壁があることで、むしろ選手のゴルフが非常に上達する経験をしました。言葉が完全には通じないことで、目や体を使って相手に強く伝えようとしたからだと思います。日本語で話していると、言葉が伝わっていたとしても、実は理解できていないことがあります。お互い理解したような錯覚に陥っているわけです。それは本当の会話じゃない。自分の教えたことを実践できていないうちは、実は会話が成り立っていないんだということに、アメリカでの経験を通じて気がつきましたね。