国際弁護士 編

 グローバル化が進む世の中で企業活動を行うためには、国内外の法律に通暁した専門家の存在が不可欠だ。国が違えば、当然のことながら法律や商慣習も異なる。そんなときに国境をまたぐ架け橋となって、プロジェクトを円滑に進めるべく尽力するのが国際弁護士の役割だ。そこで今回は、日本屈指の法律事務所である森・濱田松本法律事務所に所属する米正剛弁護士と細川怜嗣弁護士のお二人にご登場いただく。世界を舞台にしたダイナミックな仕事ぶりと、プロフェッショナルとしての意識、必要とされる知識やスキルについてお伺いした。

世界に向けて拡大を続ける弁護士の仕事
日本企業のさらなる世界進出を後押しする!

森・濱田松本法律事務所 パートナー弁護士

米 正剛 (よね まさたけ)

1978年 東京大学 法学部 卒業
1981年 弁護士登録 第二東京弁護士会所属
1985年 米国コーネル大学ロースクール(LL.M)卒業
     米国ニューヨーク市Sullivan &Cromwell法律事務所で執務
1986年 英国ロンドン市Freshfields法律事務所で執務
1987年 ニューヨーク州弁護士登録 アメリカ合衆国/ニューヨーク州弁護士会所属
2011年 第二東京弁護士会副会長 
     東京三弁護士会東日本大震災復旧復興本部本部長代行
2012年 原発被災者弁護団団長代行 
現在   森・濱田松本法律事務所パートナー弁護士などに従事

法廷だけが舞台じゃない!?世界を股にかける国際弁護士

 弁護士と聞けば、法廷において検察官と丁々発止のやりとりをしている姿をイメージする人も多いことだろう。ところが、こうした刑事事件の弁護は、弁護士の仕事のごく一部でしかない。実は弁護士の仕事の大半は「企業法務」が占めるのだ。

 一般的な企業法務は、債権回収や契約書の作成などの商取引に関わる法的実務となる。しかし、グローバル化が進む昨今では、商取引が国境を越える場合が往々にしてある。当然のことながら、国をまたげば法律も商慣習も大きく異なる。そんなときに、二者の間に入って円滑な取引を実現させるのが国際弁護士の役目だ。

 「私の主な仕事はM&A、つまり企業買収や合併、あるいは企業再生のお手伝いをすることです。とりわけ近年では、アジアを中心とした国際業務が大きな柱となってきていますね」

 そう語るのは、森・濱田松本法律事務所で弁護士として活躍する米正剛だ。同事務所は、規模と実績において、名実ともに日本を代表する法律事務所である。所属弁護士の数は300名を超え、取り扱う業務の種類は「M&A」「投資・資金調達」「事業再生」「紛争解決」など、多岐にわたる。

 米は1989年より同事務所のパートナーを務めている。パートナーとは、企業に例えるなら取締役クラスの役職に相当する。とりわけM&Aの分野において、日本の国際弁護士の草分けともいえるベテラン弁護士なのだ。

 「国際弁護士といっても、なかなかイメージしづらいかもしれません。例えば、アメリカでM&Aを行うとします。その場合、はじめに買収対象となる企業の調査をしなくてはなりません。その際、日本の弁護士事務所とアメリカの弁護士事務所とでチームを組んで、現地調査を行います。その調査結果を元にして、買収契約書の草案などを作る。そのうえで今度は、相手方の弁護士事務所と契約交渉をするのです。ごく一部でしかありませんが、これが国際弁護士の仕事の一例です」

アメリカ経済の危機に立ち会った瞬間ある人物を通して味わった仕事の醍醐味

 そんな百戦錬磨の米が、とりわけ印象に残っている案件がふたつある。ひとつは日本がバブル景気に沸いていた80年代に手がけた仕事だ。当時は、日本企業が海外への投資を活発に行っていた時代で、そこで米は、アメリカの牧場の買収に携わる。

 「取引としてはそれほど大きなものではありませんでした。けれども、そのニュースが現地のメディアで大きく報じられたのです。そこにはカウボーイハットをかぶった日本人が牧場で働いている写真が添えられていました。アメリカの魂を日本人が買った、という意味だったのかもしれません。日本のバブル期の象徴のような案件だったといえるでしょう」

 もうひとつは、90年代の初め、当時世界最大といわれた不動産会社の倒産案件に携わったときだ。最大の債権者は、当時まだ世界的に力を持っていた日本の金融機関で、米はその代理人として債権回収の枠組みづくりに奔走する。相対するのは、アメリカ金融機関のトップたち。チェース・マンハッタン銀行(当時)の会長など、そうそうたる顔ぶれだ。そのなかでも、とりわけ米の記憶に残るのがサイラス・ヴァンスという人物との会話である。ヴァンスは、カーター政権時代の国務長官を務めた大物だ。ある日、ヴァンスは米を呼び止めて「このままではアメリカ経済が大変なことになる」と語ったという。

 「だから、日本の金融機関の弁護士として協力してもらえないだろうかと説得されました。その頃、私はまだ四十代でしたが、ヴァンスとの会話を通じて、世界経済の最先端の仕事をしているのだという実感を強く持ちましたね」

 それから米は、足掛け10年にわたってニューヨークに通い、事態の収束に向けて全力を尽くす。東京とニューヨークでは時差があるから、こちらの終業時間が向こうでは始業時間となることも多い。一日24時間、息をつく暇もなかった。当時を思い出しながら「今だったらもうできないかな」と、米は笑う。

弁護士は体力勝負 !? プロフェッショナルに求められる力

 だから国際弁護士に必要なスキルを問うと、米はまず「体力」を挙げる。

 「体力といっても、マラソンを走るような体力ではありません。弁護士の仕事は粘り強くなければ務まりません。ですから、集中力をずっと持続できるような体力のことです。膨大な資料を読み込まないといけませんし、自分の頭で考えなくてはいけない場面がたくさんあります。そういうときに、とことん突き詰める力が必要になってくるのです」

 そのうえで、さらに重要となってくるのが「説得力」と「リーダーシップ」だと米は言う。依頼主が本当に求める解決法を探すためには、ときに強い力で引っ張っていく必要がある。また、プロジェクト全体を俯瞰して、正しい方向へと導いていくことも大切だ。

 「もうひとつ大事なことは、『我々はプロフェッショナルである』という自覚です。チームで仕事を進めるにしても、最終的にものを言うのは、自分自身の実力。ですから、日々の努力や勉強の積み重ねが不可欠となってきます。そうして、ここぞというときに自分の能力以上の力を発揮する。それが私の考える弁護士の理想像です」

 米が弁護士という仕事を選んで三十数年。「弁護士になりたての頃は、日本の弁護士がM&Aに関わるなど考えもしなかった」と振り返る。それが現在は、アジア各地に拠点を構え、世界を股にかけて活躍するまでになった。昨今では、「弁護士余りの時代」などと揶揄する声も聞こえるが、米はそうした意見を真っ向から否定する。

 「実は世界経済のグローバル化が進むにつれ、弁護士の役割や仕事の幅は、とても大きくなってきているのです。このことはぜひ、知識として頭に入れておいてほしいですね。若い人たちがこれからチャレンジしがいのある職業だと思いますよ」

 国際法務の先駆者は、力強くそう断言した。(文中敬称略)

クライアントとの円滑なコミュニケーションを心がけ世界に通用する弁護士を目指す

森・濱田松本法律事務所 アソシエイト弁護士

細川 怜嗣 (ほそかわ れいじ)

1981年 千葉県生まれ
2000年 千葉県立 千葉東高校 卒業
2005年 慶應義塾大学 法学部 法律学科 卒業
(2002年~2003年 米国Southern Oregon University 留学)
2008年 慶應義塾大学法科大学院 修了
2009年 弁護士登録 第二東京弁護士会所属
現在 森・濱田松本法律事務所 アソシエイト弁護士

「先生がいてくれたから」 感謝の言葉が一番のやりがい

 細川怜嗣が所属する森・濱田松本法律事務所では、細川のような若手弁護士がプロジェクトのチームリーダーを務める。つまり、クライアントとのコミュニケーション役を担う役目であり、それだけに責任も重大だ。しかも海外の案件となれば、英語でのコミュニケーションとなる。扱うのは法律だけに、専門用語も多い。それをまた日本語に噛み砕いて日本のクライアントにわかり易く伝えるというのは、思った以上に骨の折れる作業だ。

 「さらに言えば、今、我々が力を入れているアジアの国々では、法整備が十分でない地域もあります。また、法律はあるものの文言が曖昧で、どのように解釈したらいいのか判断に迷う場合も多い。こうした点を現地の法律事務所と連携しながら確認して、クライアントの目的を達成できるように尽力するのが、私の大切な仕事となります」

 国際弁護士は、右も左もわからない異国の地でビジネスを行う企業にとって、なにより心強い味方だ。だからこそ、プロジェクトが無事にゴールを迎えたときには、真っ先に細川に感謝の言葉をかけてくれるという。クライアントともっともコミュニケーションを取り、プロジェクト全体の進捗から日々の細かい法的サポートまで密に対応したのは、細川だからだ。「先生がいてくれたからこそ」という言葉が、細川の何よりの喜びであり、仕事のやりがいだ。

目指すは新興国でのパイオニア

 そんな細川が、仕事をするうえで必要と考えているのが「論理的思考力」である。それはまた受験勉強にも通じる力だと、細川は言う。

 「弁護士の仕事も受験勉強も、あるひとつの目標に対して、自分なりにスケジュールを組み立てていくという意味で似ていると思います。恥ずかしながら、私は高校時代、日本史が得意でなく、とても苦労した覚えがあります。ですから、特に高3生になった頃からは、いつまでに何を勉強するかを具体的に決めて、毎日寝る前に、次の日にやることを紙に書くといった毎日の細かい目標設定をしていましたね。そうすることで限られた時間の中でも日々やるべきことが明確になりましたし、結果的に、センター試験では上位数%の中に入ることができました」

 こうして慶應の法科大学院を修了し、司法試験合格、そして業界大手の森・濱田松本法律事務所へと、自身の道を切り拓いてきた細川。その眼は今、アジアのその先、ロシアやブラジル、アフリカといった新興国に向けられている。

 「間違いなくアジアは今最もホットな地域ですが、すでに日本の弁護士事務所も進出し始めていて、その地で活躍している弁護士がいますし、ここ数年でさらに増えると思います。ですが、アフリカなどはまだまだ日本の弁護士の進出はこれからですので、それらの地域ではパイオニアになれるチャンスがあります。そこを見据えて今、実績を作っているところです」

 最後に、高校生へのメッセージを訊くと、細川は「夢中になれることを探す」ことだと話してくれた。

 「高校生だと、まだ自分の世界が限られているかもしれません。ただその中でも、なにか夢中になれるものを続けていれば、その経験が必ず将来の自信につながります。勉強でも趣味でもなんでもいいですからなにかひとつ見つけて、全力で没頭してほしいなと思いますね」(文中敬称略)

Q&A

仕事をするうえで手放せない「三種の神器」を教えてください。

【米氏】「携帯電話」「ノートパソコン」「カバン」です。カバンは片手で持てる頑丈なものを使っています。世界を旅して回ってきましたので、もうボロボロ。この中に資料からなにからすべて入れていますが、これでも足りないときもあります。そういうときはカバンを二つも三つも持っていきますね。メールもない時代から愛用していますので、パソコンよりも長い付き合いです(笑)。 【細川氏】「六法全書」「名刺・名刺入れ」「メモ帳」です。六法全書は事実に対して、法律の条文や判例(最高裁判所の裁判の先例)を詳しく調べるために使います。また、弁護士にとってクライアントや他の弁護士とのつながりは何よりも大切ですので、名刺・名刺入れは欠かせません。メモ帳は主にクライアントとの打ち合わせ内容を記入します。また担当している仕事を整理したり、考えを深めたりする時にも活用しています。

弁護士になろうと思った きっかけは?

【米氏】私の大学時代というのは、学生運動の頃の空気がまだ残っていて、既成の組織や権力などに入っていくことに抵抗感がありました。それで司法試験を受けたわけですが、国際法務に興味を持ったのは司法修習生の頃。訴訟をメインとした法廷弁護士は、これからの企業社会にマッチしないのではないかと考えたのがきっかけです。 【細川氏】私の場合は、小さい頃から国際的な仕事に就きたいという思いがありました。弁護士という仕事に興味を持ったのは、大学時代に留学先のアメリカで「ビジネスロー」という授業を受けたのがきっかけです。そこでは弁護士を目指しているメキシコ人やブラジル人などのさまざまな文化的背景を持った人たちと議論をしました。英語も未熟でしたし、予習も大変でしたが、対話形式のその授業がとても面白くて、論理的かつ活発に議論する彼らといつか同じ舞台で一緒に仕事をしたいなと思いました。

英語力はどうやって身につけたのですか?

実は私は、高校時代、英語は大の苦手。受験勉強のときには、先生から「もう少しちゃんと勉強しなさい」と怒られたものです。それから地道に勉強しましたね。私たちの事務所ではアジアでの仕事も増えていますので、中国語やタイ語なども学ばなければなりません。現在は、英語プラスワンの能力が求められていると思います。

高校時代に心がけておいたほうがいいことは?

【米氏】いろんなものに好奇心を持って、さまざまな分野のことを吸収しておくということだと思います。そのためにも、たくさん本を読んで、いい友達を作っておくといいでしょうね。目の前の小さなことだけでなくて、日本のことや世界のこと、そうした大きな視野を持って、学生時代を過ごすとよいのではないかと思います。 【細川氏】コミュニケーション能力を身につけることでしょうか。高校生であれば、文化祭や体育祭などで皆で協力して何かを作る機会がありますよね。日々の部活の練習や試合・コンクールなどもそうです。そういう中で、自分の意見を述べつつ、コミュニケーションを取って周りの意見を取り入れながらより良いものを作っていく。大切なのは、全体と自分の意見とをうまく調和させていくことです。それは実地で学んでいくしかないと思います。

これまでに印象に残っている国はどこ?

 これまで30から40の国や地域を訪れていますが、一番印象に残っているのはトルコでの出来事でしょうか。成田空港出発前に、ちょうどトルコ大地震が起きたのです。トルコの政府関連機関との取引だったからか、緊急事態ということで大統領の警備隊に迎えられました。これには驚きましたね。また、その一年後ぐらいに訪れたときは、いざ帰ろうとしたら飛行機が飛ばない。どうしたのかと思ったら、ちょうどバルカン紛争の頃で、上空で戦闘機が空中戦をしているから民間機は飛べないと言われました。これにも驚かされましたね。