石田大智 くん  東京都 国立 筑波大学附属高校(高1)
東進ハイスクール 高円寺校

 私が、人生を懸けて成し遂げたいことは、日本の農産物の国際競争力を高めると共に、日本の食料自給率を回復させることだ。具体的には、大学と大学院で農学と経営学を学んだ後に、大規模な農地で大量に効率良く農作物を生産することで、日本の抱える「食」に関する問題に貢献したい。かつて私は農業に過酷というイメージを持っていた。体に大きな負担のかかる労働を長時間続けるだけではなく、台風や干魃といった天候による被害とも上手に付き合っていかなくてはならない。それにも関わらず、利益を出すことが難しく収入が安定しない。こういったイメージからか、長らく私は農業に人生を懸けようとは考えたことすらなかった。しかし、私は農業に人生を懸けるとここに書いている。その理由は、やり方によっては、私がイメージしていた農業とは全く逆の農業が出来るのではないかと考えたからではなく、私が信念を持っているからだ。私は、様々な決断をする中で心に留めている言葉がある。それは、「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」という言葉だ。明治・大正の政治家であった後藤新平が残したものである。この言葉には、お金を稼いだり、成果を挙げたりするだけではなく、立派な人を生み出す人生こそ本当に目指すべきものだという意味がある。私がこの言葉を心に留めている根本的な理由は、安定した心の状態を保つためである。この理由は、二次審査のディスカッションで気づくことができた。ここでは、発展途上国で感染症に苦しむ人を助ける医者を例にとる。発展途上国では、感染症により先天的に体が不自由な人が少なくない。そういった先天的に将来を選択する自由が制限されている人を医者はかわいそうだと思うだろう。そして、このかわいそうという感情はマイナスのものとして心の状態を不安定にさせる。そのマイナスのものを心から追い払いたいという気持ちが医者の助けたいという気持ちに繋がっていると私は考えている。これを私の場合に当てはめると、将来何をすれば良いのかわからないという不安な感情を心から追い払うために、将来何をすれば良いのかに関わる言葉を心に留めるようにしたということだ。ここからが本当に重要なのだが、この言葉の本当の意味を理解するためには、立派な人は何によって生み出されるのかについて考えなくてはいけない。私自身も明確な答えは出せていないのだが、一つだけ確かなのではないかと考えている要素がある。それは、「食」である。「食」は、人にとって根本的な要素であり、考えるにしても動くにしても欠かすことはできない。つまり、立派な人は人である時点で「食」によって支えられているわけである。しかし、現在の日本では、その「食」に関する問題が山積みであり、立派な人を生み出すには危機的と言える状況に瀕しているのである。そこで私はこの状況を改善することこそが、私が人生を懸けて成し遂げるべきことなのではないかと思うようになった。そうして私は、「食」に関する問題の解決に人生を懸けようという信念を持ったのだ。

 私は、「食」に関する問題を一つでも多く解決することを目指して、いくつかの農業に関する構想を考えたため、ここで紹介しようと思う。冒頭で大規模な農地について述べたが、これには耕作放棄地を活用しようと考えている。耕作放棄地とは、その名の示す通り農家が耕作を放棄した土地である。日本には、こういった土地が4,200平方キロメートル、東京都2つ分程ある。災害時の危険性が高いことや不法投棄の原因になることから問題視されている耕作放棄地を活用することで、農業を始める際に問題となることが多いイニシャルコストを削減することができる。また、大規模な農地で生産を進めることで、機械を効率的に使用したいと考えている。この考えは、現在の日本の農家一戸当たりの面積が世界中の国と比べて著しく小さく、農林水産省のデータにおいて、欧州連合加盟国の平均と比べると10分の1、アメリカ合衆国と比べると100分の1、オーストラリアを比べると1,500分の1と報告されていることに基づく。農地面積が小さいことにより機械が効率的に使用できないと農作物の値段が上がることに繋がるため、たとえ品質の良い農産物であったとしても世界中の国と対等に勝負することは難しくなる。さらにデジタルトランスフォーメーションを取り入れようと考えている。ロボットや情報通信技術を産業に生かしているオランダは耕地面積が日本の4分の1、農業人口が日本の7分の1であるにも関わらず、農業輸出額がアメリカ合衆国に次いで2位となっている。ドローンによる農薬散布や、人工知能による収穫時期の判断、自動運転による収穫、ビックデータによる生育状況の確認といった農業を導入していこうと考えている。

 言うまでもないかもしれないが、私一人が「食」に関する問題の解決に向けて行動したとしても成果は得られない。また、大きな成果が得られたとしても私がいなくなった瞬間に同じ問題が発生してしまっては、とても残念である。多くの人が今までとは異なる効率的な農業をすることによって、初めて意味があるのである。つまり、多くの人の協力が欠かせないわけだ。そこで、効率的な農業が誰にでもできるというシステムを提供し、多くの人が「食」に関する問題の解決に打ち込める場を生み出したいと考えている。二次審査のディスカッションで「サイクル」という言葉が出てきたため、これについても言及したい。私のグループでは、「サイクル」を、指導者がいなくなったとしても、指導者がいたときと同等の成果を得ることが可能で、あわよくば、指導者が出てくる状況と定義した。例えを用いると、魚を捕ってあげるのではなく、魚の捕り方を教えてあげ、上手くいけば魚の捕り方を教えられる人が出てくる状況と言えるだろう。このサイクルを農業において発展させることが出来たら良いと考えている。

 人生を懸けて「食」に関する問題を解決するために高校生・大学生の時代にすべき努力として、「コミュニケーションの能力を高める」「農業に関する知識を蓄える」「論理的思考力を身につける」という3つを掲げる。これらは、状況を分析し、問題があれば解決策を考え、行動するという過程で重要となってくる。

 1つ目の「コミュニケーションの能力を高める」ことは、3つの中で最も重要だと考えていることだ。なぜなら、他のあらゆる能力を養うために欠かせないからだ。私が人生を懸けて成し遂げたいことには、農業の知識だけではなく、少なくとも農地の売買や会社設立のための法律知識やデジタルトランスフォーメーションを取り入れるための技術・世界中の国との農産物の取引のための語学力などが必要となる。それらを1人で全うすることは不可能に近いと思う。そこで分野毎に専門の知識を持っており、その分野を全うしてくれると信じられる仲間を見つけようと考えている。本当に信じられる仲間を見つけたり、仲間と長いスパンで関わったりすることを考えると互いに安心して行動していくために、十分なコミュニケーションの能力を身に付けるべきだと思う。具体的な努力としては、コミュニケーションに関する書籍などの情報を参考に、試行錯誤することを考えている。短期間で成果が得られることではないと思うため、地道に努力したい。

 2つ目の「農業に関する知識を蓄える」ために大学では農学を学ぼうと考えている。特に機械工学を農業分野に応用した学問である農業工学を学びたいと考えている。この学問は、直接的に大規模な農地で大量に効率よく農産物を生産することに役立つだけではなく、信頼を獲得することにも関わってくる。特定の分野において、専門知識を持つということは、謙虚さを失わなければ、その分野において信頼されるということになる。農学に関しては、大学で学ぶ前であっても、新聞やインターネットで情報を得ることができる。自ら進んで農業に関する情報を入手し、大学での学びをより有益なものにしたい。

 3つ目の「論理的思考力を身につけること」は、農業を効率良く行う時に特に役立つと思う。農業では、待っていれば勝手に農産物が完成するといったことは起きない。種蒔きや収穫の時期、肥料や農薬の量など考えるべき要素が沢山ある。それらの要素はランダムに決まるものではなく、論理的に決まるものである。そのため、論理的思考力が欠けていては、正しい要素の見極めができなくなる。私は論理的思考力を身につけるために物事の本質を捉えることと批判的思考をすることを心掛けようと思う。まず、物事の本質を捉えることについては、話を聞いたり、文章を読んだりする時に内容を一言にまとめる癖をつけるようにしたい。無意識のうちに内容をまとめているかもしれないが、敢えて意識的に行うことで論理的思考を意図した時に出来るようにしたい。そして、批判的思考については、自分の思い込みを無くすために行いたい。自分が思い込みをしやすいポイントを見つけ、何かを考える際には、そのポイントを意識して「本当にそれは正しいのか」と批判的に思考することで思い込みを無くそうと考えている。この他にも論理的思考力を身に付ける方法があると思うため、積極的に学び実践していきたい。

 私が人生を懸けて成し遂げたいと掲げたことは、容易く達成できることではない。逆に達成が不可能だということでもない。幸いにも適当な課題設定が出来たとつくづく感じる。また、二次審査を通して、自分が目指すべきところが更に明確になったようにも感じている。この機会を余すことなく活用するため、日々精進したい。