木瀬裕介 くん  愛知県 私立 東海高校(高2)
東進衛星予備校 桑名大山田校

 私が人生を懸けて成し遂げたいことは、「完全なバリアフリー」の実現だ。現状、先進国と言われる日本でさえ、バリアフリーは構造的に不完全だ。バリアフリー化の地域格差はもちろんのことだが、都市部でさえ身体障がい者(知的障がい者を含む)は健常者とは同等に生活できていない。例えば、車いすを利用している人が電車に乗る時に駅員に補助されているのを見たことがあるだろう。これは障がい者が周りの健常者の力を借りないと生活が困難であることの大きな証拠である。これを何とかしたいと考えて出来た志が、私の提唱する「完全なバリアフリー」である。この「完全に」バリアフリーな社会は、脳や脊髄と機械をつなぎ、AIでそれを補助することで体を真に自由自在に動かせるというデバイスを研究し、発明することで実現される。そのデバイスは、義手義足に加えて、目や耳などの感覚器官、あるいは人体にとらわれない形のものも含む。例えば現在の末梢神経の電流を受信して動かす義手義足は精密な操作が効かず、健常者と同等なパソコンの操作や繊細な手作業などがほぼ不可能である。それが、私の考えるデバイスが現実なものとなれば、より自由に操作できるようになって、生活や仕事のどんな場面でも今、障がい者が感じているような不便が解消される。それにより世界中の人々が平等に健康な生活を送ることができるに違いない。今回の志作文を通して、自分の考えを整理し、他者の意見を聞くことで、この完全なバリアフリーが社会に与える影響に関する新たな発見もあった。その一つが、「完全なバリアフリー」の社会の実現は、現代日本で非常に問題となっている少子高齢化の対策としても非常に有効なもの、ということである。例えば、現在少子高齢化の対策として幅広く唱えられているものに移民を受け入れるというものがある。少子高齢化社会は、経済が成熟することで国民が少数の子供に教育を集中させ、より高い経済地位を得ようとすることで起きる。移民などの経済的地位の低い人々は、高い経済的地位が目的ではないので子供をたくさん産んで、たくさん育てる傾向にある。この特質を利用することで少子高齢化が解決されるというのがこの主張なのだ。しかし、この考えではただの問題の先延ばしに過ぎない。なぜなら、いずれ移民の経済的地位も高まった時点で同様に少数の子供しか産まなくなり、豊かな暮らしを営もうとするので根本的な解決には向かわないからである。それに対して、「完全なバリアフリー」の社会では、高齢者から身体障がい者などの体が自由に動かない人々でも健康な人と同じように働くことができるため、労働力が増え、年金や障がい者保障等の社会福祉費用が減る。こうして少子高齢化社会の問題の根本的解決ができ、少子高齢化社会との共存という形で地球規模での人類の発展に貢献できるだろう。もう一つの発見として、障がい者への差別、偏見を解消することができるということだ。国連広報センターによると、およそ10億人の人々が何らかの形の障がいを抱えており、それが理由でその中の多くの方が、健常者と同様に扱われず、差別を受けているというデータがある。このように障がい者をめぐる差別はいまだ根強いものである。そしてその理由は彼らが健常者と同等に働けず、または他者の介助を必要とするところにあるだろう。この事実は、周囲の人々だけでなく、障がいを持つ本人の自尊心も苦しめている。その点、「完全なバリアフリー」が実現した社会は障がい者が健常者と同じように働くことを可能にするので、これらの差別や偏見の解消に大きく役立ち、また障がい者の人達も働くことで、今まで苦しめられてきた彼らの自尊心を取り戻すことができると考えている。

 そしてこの志作文と向き合うことが私の考えを見直す上でとても大きな役割があった。その中で特に大きかったものを2つ挙げる。

 1つ目は、自分の志や将来の展望がより強固になったことだ。志作文に取り組む前までは、自分の夢・志は正直なところぼんやりとしていた。こうしたいという漠然とした夢はあったものの、それはいわゆる妄想と大差ないものだった。しかし志作文やディスカッションの準備をしていく上で、自分が真に社会とどう関わりたいか、どのようなことを実現したいのかということを自問自答したことが、自分の目標を定めることに大いに役立ち、明確に進路を決めることにもつながった。その進路というのは、医学部に進学し、大学院の博士課程に進んで脳科学の研究をし、その後は、海外に渡り、一次選考でも話題に出したGoogle傘下のDeepmind社で研究するということだ。このDeepmind社は、IT・AIと脳科学を融合させた研究の最先端であり、ここに行くことは私の志の実現に最適な環境だと思う。このような具体的なビジョンを持てたことこそが、志作文に取り組んだことの最も大きな成果であったと今になって感じる。

 2つ目に、議論の大切さである。一次選考では、今まで自分なりに情報収集を行ってきて、ある程度の知識量があると自負して、その大切さを述べた。だが、今回のディスカッションでそれだけでは不十分であることを痛感した。ディスカッション中、私は、他の人の強固な意見に驚き、またその社会問題に対しての知識はあれど、明確な意見がない自分に気が付いた。そんな状況でディスカッションを続けていく中で、自分の考えを徐々に整理していくことで、考えがクリアになっていったのだ。そうして自分の考え、アイデアを他者に伝えたい、共有したいという強い気持ちを持つようになった。このように議論をすることで、私は、今まで明確な意見をもっていなかったことに対しても視野が広がり、より深い考えを持ち、3回目のディスカッションでは積極性を持てた。

 また、二次審査で私達は、「身につけるべき能力」について論じたが、このディスカッション中、自分に足りていないと感じた力が2つあった。それは、コミュニケーション能力と、正しい批判的な視点である。今回のディスカッション中、私はそこで自分の「完全なバリアフリー」について語った。その際、自分の考えがあまりうまく伝わらなく非常にもどかしく感じた。そのことで、どんなに良いアイデアであっても、それを伝えることができるコミュニケーション能力が足りなければ実現が遠いのだと思い知った。また、同様に批判的な視点もなければ良い議論はできない。今回私はディスカッションでリーダーも務めたのだが、一般論に流されかけてしまい、問題点に気づかず、進めてしまいそうになった。その時、チームの仲間が出した批判的な意見でそれまで気づかなった考えを知り、ディスカッションの活性化につながった。このように建設的な議論は、現状の問題を挙げ、それに対する解決策を提示することで初めてできることであり、その問題点を見つけ、指摘することで初めて議論をより進めるのに必要なのが批判的視点を持つということだろう。勿論、ただ批判的なだけではなく、そのうえで問題点を解決する方法を提示することも大切だろう。ただ単に他者の意見に否定するだけでない批判こそが正しい批判であると思う。これら2つの能力は、現在の自分にはまだ足りないものであり、これからの大きな課題である。その能力を身に付けるため、今まではただ情報収集のみに、利用してきたSNSの使い方を見直そうと思う。SNSでは様々な情報や意見が活発に発信されており、それらの情報、意見は非常に幅広く、手軽に遠くに離れた人と話せるというメリットがある。コミュニケーション能力や批判的な視点を養う上で、これらの特徴を利用しない手はないだろう。SNSで軽い議論をすることは、自分の意見を他者に伝えるコミュニケーション能力の向上が見込めるし、幅広い賛否両論の意見に目を通し、自分にはなかった考えを知ることで批判的な視点を育成できる。SNSの利点を生かし、自分に不足している能力を得られるであろう。これらの努力は、将来自分の研究によって重大な議論を仲間と研究する時などに、自分の考えを通じて志を実現することの役に立つと思う。

 今回の志作文を通じて、自分は様々な刺激を受け、将来の目標を定めることができた。今後は、その定めた目標に先ほど述べたような自分に足りない能力を得るために必要な精一杯の努力と覚悟をもって立ち向かい、身体障がい者と健常者が平等に暮らせる「完全なバリアフリー」の社会を必ず実現させようと思う。