映画プロデューサー編

 誕生から100 年以上を経た現在でも、私たちに夢と感動を与え続けている映画。大きなスクリーンに映し出される俳優たちの演技に、思わず引き込まれてしまったという経験を持つ高校生も多いに違いない。今回ご登場いただくのは、数々のヒット作を世に送り出してきた映画プロデューサー・山本又一朗氏。映画を完成させるまでの大きなプレッシャーとの闘いや、若手俳優の育成にかける情熱など、まさに“銀幕の舞台裏”をお伺いした。

映画作りは巨費を投じる一大プロジェクト!
あらゆる逆境を乗り越えながら人々に夢と感動を届けたい!

映画プロデューサー
(株)トライストーン・エンタテイメント代表取締役

山本 又一朗  (やまもと またいちろう)

1947年 鹿児島県生まれ
1965年 東京都立 新宿高校 卒業
1967年 さいとう・プロダクション 入社
1970年 ハリウッドのプロデューサーに出会い、映画製作の道に進むことを決意
1973年 テレビドラマ『子連れ狼』の企画・プロデューサーを担当
1979年 映画『ベルサイユのばら』『太陽を盗んだ男』『がんばれ!!タブチくん!!』を製作
1992年 アメリカとの合作映画『ウインズ』を製作
1993年 トライストーン・エンタテイメントを設立
2003年 映画『あずみ』を製作
2007年 映画『クローズZERO』を製作
現在に至る

映画作りはプレッシャーとの闘い!成功へと導く鍵はタフネスな心

 憧れという言葉が最も似合いそうな、華やかなエンターテインメントの世界。その代表といえるのが映画だ。しかし、映画製作は巨額の費用をかけて行う大プロジェクトでもある。しかも芝居や映画のような興行は、昔から水もの?と言われるように、いい作品を作っても確実にお客が入るとは限らない。とても大きなリスクを伴うものだ。その全責任を負い、映画を成功させるべくプロジェクトをまとめあげるのが映画プロデューサーの仕事である。

 「映画の製作者といってもいろいろなタイプがあります。私の場合は、企画から脚本作りに監督選び、俳優のキャスティングやロケ現場の決定、映画の配給会社との交渉など、ありとあらゆる仕事をします」

 そう語るのは、映画プロデューサーとして数々の作品を生み出してきた山本又一朗である。沢田研二を主役に据えた名作『太陽を盗んだ男』(1979年公開)を皮切りに、近年では上戸彩主演の『あずみ』や小栗旬主演の『クローズZERO』などの多くのヒット作を手掛けてきた名プロデューサーだ。その一方で「トライストーン・エンタテイメント」という芸能プロダクションも経営。小栗旬や綾野剛といった人気俳優を抱える芸能事務所の経営者でもある。

 「映画製作の現場はとてもエキサイティングですが、一方で、苦痛を感じることも多い。苦痛に耐えることで心を強くして、いろんなことに平常心を持って立ち向かっていかなくてはいけません。もちろん、作品にも口を出します。自分が信じる創作の姿勢や正義感、何が面白いかという点を、スタッフ同士で追究しあわなければいい作品は生まれません。切磋琢磨することも、作品作りにはとても重要です」

 その一方で、自分が惚れ込んだ監督に「好きに作っていい」と一任するときもある。いずれにせよ、すべての責任を一身に背負って走る。そのプレッシャーと戦い続ける強い精神力こそが、映画プロデューサーに必要な力なのだ。

製作費が1億円足りない! 土壇場で放った起死回生の逆転ホームラン!

 しかし、映画プロデューサーとしての山本の軌跡は決して順風満帆というわけではなかった。1979年に手掛けたアクション映画『太陽を盗んだ男』では製作費が膨らみ、1億円を超える資金不足に陥った。当時31歳だった山本が抱えるにはあまりにも巨額だ。だが調達しなければ、映画は完成しない。すべてが水の泡となる。

 そこで山本は起死回生の策に出る。新たな映画の企画を立て、別の映画会社に売り込んだのである。その企画を担保にして資金を調達しようと考えたのだ。しかし、その目論みはけんもほろろに一蹴される。

 「ダメなプロデューサーが、失敗する寸前に持ちかける話だと言われましたね。それで今度は親戚のところへお願いしに行った。そうしたら利息はいくらだと問い詰められた。あげく、事業をやってる人間が利息も考えずに金を借りに来るとはなにごとだと(笑)」

 だがそれは、いずれも山本への叱咤激励だった。企画を持ち込んだ映画会社の役員も親戚も、社会の厳しさを教えんがための行動だったのだ。そのときの映画会社役員の言葉は、今でも山本の胸に深く刻まれている。

 「最後には俺が全責任をもって出す、と言ってくださった。そのお金をもらって、ズタボロになって作ったのが『太陽を盗んだ男』なんです」

 そしてこの年の10月、『太陽を盗んだ男』が公開される。しかし結果は惨憺たるものだった。このままでは製作資金を回収できず、借金を返すこともできない。山本は、またもや窮地に立たされる。

 だが希望の兆しはあった。起死回生の布石として製作していた新作映画だ。この映画の予告編が9月から劇場で上映されていたのである。

 「この予告編を観たお客さんたちが、どっと笑うというんです。しかも帰りに前売券を買っていってくれている。そのうちに上映館での販売記録まで作ってしまって、これはすごいということになった」

 この映画こそが、後にシリーズ化もされるアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」である。原作は、実在のプロ野球選手をモデルとした四コマ漫画だ。野球のイニング数になぞらえて9つの短い話をつなげ、途中からでも映画館に入れるようにした点も奏功した。結果は大入り。興行収入14億円という大ヒット作となり、山本は見事に逆転ホームランを放つこととなる。

ときには人格破壊も !? 体当たりで臨む若手俳優指導法

 この成功を機に、山本は次々とヒット作や話題作を世に送り出す。また、アメリカの大手映画会社に客員プロデューサーとして迎えられるという機会にも恵まれた。そうした経験を生かしながら今、力を注いでいるのが俳優の育成だ。デビューを控えた若手には、ときには8時間もつきっきりで演技指導をするという。

 「私は、誰もが芝居を演じることができると思ってるんです。演技とは、自分にないものを体験するということです。それは人間的な幅を広げ、ひいては対応力や理解力、タフネスを作っていく。ですから、演技を経験するとみんな強くなりますよ」

 「ときには人格破壊のようなこともします」と厳しい言葉を口にするのも、その先にある成長を確信しているからこそだ。

 例えば最近、こんな俳優がいた。山本の事務所の門を叩いて1年半あまりの俳優だ。ある日、レッスン風景を覗いた山本は、彼が伸び悩んでいることに気づく。そんな彼の前に、山本はスピーカーを置いた。自分のセリフをうまく言おうとばかり考えているだけでは、共演者ばかりか、その向こうにいる視聴者の心に訴えることなどできはしない。それはスピーカーのような機械が音を出しているのと同じだと、山本は教えたかったのだ。

 「俳優とは、その芝居の中を生きている人間でなければなりません。登場人物の関係性にはいろんな温度がある。その温度がどのようなものであるかを、徹底的に分析するんです。俳優には、観ている者をその物語に巻き込んでいく力が必要なのです」

 そのうえで登場人物の気持ち?を作る。だが、それだけでは十分ではない。次に大切なのはその気持ちに行動?を乗せることだという。

 「例えば兄さん!何言ってるんだ!というセリフがあるとします。表情だけ作ってもダメです。じゃあどうするか。そんなときはいったん、目を落としてみる。何度か視線を外す。それからまた兄の顔を見る。この一連の動作の中に、兄に対するどんな感情が込められているか。感情と行動とをつなげて、具体的な動きを教えるんです」

 若手俳優が練習していたのは、わずか1分10秒のシーン。それを何度もふたりで繰り返す。ようやく演技が完成したのは3時間近く経過してからのことだったという。山本の薫陶を受けたその俳優は、後に人気ドラマ『GTO』への出演を果たすこととなった。

目指すは日本映画の世界配給!閉塞感溢れる現代だからこそ若者たちに期待したい

 日本映画界のトップランナーとして走り続けている山本だが、今なお果たせぬ積年の夢がある。それは日本映画の国際化だ。たとえ日本人が傑作を作ったとしても、現状では世界中の人々に観てもらう機会がとても少ないからだ。

 「今、一番の映画大国はインドです。なぜかというと人口が多いから。12億人といえばアメリカの4倍。だから国外に輸出する必要がない。一方、人口の少ない日本では、海外に出て行かなければ、製作費も少なくスケールも小さくなりがちです。韓国や中国の台頭も目に見えていますから、日本映画を先んじて世界に配給しなければならない」

 そんな夢を持って、かつて山本は国際映画祭の立ち上げに尽力したこともある。また、アメリカ流の大手プロダクションや大手映画会社の手法を目の当たりにして、疑問を感じたこともある。

 「アメリカの場合、大手の独占的な支配の中で、プロデューサーは彼らに雇われる労働者のようになってしまった。それでは斬新な発想は生まれません。作られる映画はどれも新味のないものばかり、あるいはヒット作の続編ばかりです。ハリウッドが衰退していった原因はここにあります」

 そうしたアメリカの現状に学びつつ、自らへの回答のひとつとして立ち上げたのが、トライストーン・エンタテイメントだ。映画製作と俳優の育成を両輪とした芸能プロダクションは、日本では初の試みだった。モットーは「地道ではあるが、本物志向のマネージメント」。質の高い役者やミュージシャンの育成を目指しつつ、山本自身は、斬新な映画の製作に現在も邁進している。

 「今の日本はどんどん閉塞していって、世界でも負けている状況です。たしかに今は何でもできる時代かもしれない。でも、人間は恵まれすぎるとダメになるんです。文化も経済も、このままでは他国に支配される時代が来る。ですがむしろこんな厳しい時代だからこそ、これからの若者には期待できますよ」

 幾多の試練を乗り越えてきた山本だけに、その言葉の一つ一つが強く心に迫る。

Q&A

俳優になることで身につく力はなんでしょうか?

 深い演技をする人というのは、セリフを理解するだけじゃなくて、それを微妙なニュアンスとして体を動かし、そのことを観ている人に理解させなくてはいけません。その意味では少し、人よりも物事を深く考える癖はつくのではないでしょうか。でもこういう時代ですから、浅くても元気がよければそれで売れるという人もいますからね。何も深いことだけがテーマではない気はします。人間を楽しくさせる力がある人も大変立派ですから。

プレッシャーを乗り越えるコツはありますか?

 ひとつのことばかりを考えすぎないようにすることです。日本で大きな壁に当たってアメリカに渡ったとき、沈んでいる私を見かねた友人がテニスに誘ってくれたんです。「こんなときにテニスなんて!」と思いましたけど、ボールを打ち返してるときは、他のことを忘れられるんですね。そこで「忘れることは必要なんだ!」って気がつきましたね。

どんな青年時代を送られたのでしょうか?

 みんなが一様に貧しい時代だったと思います。それでも夢が途絶えなかったのは、仲間がいたから。中には豊かな才能を持ちながらも、経済的な理由で挫折していった友人もいます。ですが、横並びの貧しさをみんなで分かちあい、どんなに悲しいことがあっても、ともにやり抜いていけるという気持ちを共有していました。それだけにみな「戦友」のようでしたね。

もっと詳しく

映画プロデューサーとは

 山本氏の言葉にあるように、プロデューサーといってもさまざまなタイプがある。一般的には、製作における全責任を負い、企画、資金調達からスタッフのとりまとめなど、作品完成までの道のりを明確に示すのが映画プロデューサーの責務である。しかし近年では製作方法も多岐に渡り、テレビ局や商社などがコンソーシアムを組んで製作する場合もある。状況によりプロデューサーの役割も変化している。

映画プロデューサーになるには

 必ずしも学校を卒業したからといってなれる職業ではないが、映画関連の専門学校等で学んだのち、製作プロダクションに入社し、助手として実地で経験を積むというかたちが一般的である。いずれにせよ、旺盛な好奇心と学習意欲、企画力、多くのスタッフや俳優とのコミュニケーション力など、幅広い力が要求される。なによりも、映画に対する情熱が必要であることは言うまでもない。