インターネット業界編

大学生のとき抱いた、「社長になりたい!」という夢をサイバーエージェントに入社して3年後には実現させた岡田寿代さん。しかし若き社長は経営に行き詰まり、挫折も経験。得意の営業職に復帰して見事に復活した後は、グローバル事業部の責任者を任された。成功も失敗も味わった岡田さんに、これまでの歩みを振り返ってもらった。

「社長になりたい!」20歳で抱いた夢を実現
手痛い失敗から立ち直り再び挑む100億円事業

株式会社サイバーエージェント
インターネット広告事業本部 営業統括

岡田寿代  (おかだひさよ)

1986年大阪府箕面市に生まれる。
2004年必死の受験勉強で関西大学商学部に入学。
2008年サイバーエージェント入社。新人賞を狙う。
2010年24歳でプーペガール代表取締役に抜擢。
2012年プーペガール解散。苦渋の思いで営業復帰。
2014年営業で挽回し、グローバル事業部の代表に。
2017年売上100億円達成! 執行役員に抜擢される。
2019年営業統括に就任。現職

「私も社長になりたい!」

関西大学2年生のとき、岡田寿代はふらりと入った書店で若くてきれいな女性起業家が出版した書籍を目にしてそう決意した。

それからわずか5年後の2010年、岡田は夢を叶えた。大学卒業後に入社したサイバーエージェントでインターネット広告事業部の営業として抜群の成績を上げて、三年目にして子会社の社長に抜擢されたのだ。任されたのは、会員数が100万人を超える女性向けソーシャルコミュニティサービス「プーペガール」を運営する会社だった。

社長という目標まで最短距離で駆け上がってきた岡田だったが、ここで躓いた。原因は、ユーザーのためにサービスを拡充したい既存のメンバーと、利益を上げることを重視する岡田の間で意見が食い違ったこと。就任して1カ月経った頃、会議室に呼び出されて、10人ほどの部下から直談判された。

「岡田さんのやり方にはついていけません」

結局、両者の溝が埋まることはなく、むしろ深まり、この子会社は岡田が社長に就いて2年で解散することになった。完全なる失敗だった。岡田は、会社を辞めようと考えた。責任を取るというより、「ストレスフルすぎて、いったん逃げたかった」。すると、岡田の辞意を知った新卒時代の元上司たちが、「営業に戻ってこない?」と声をかけてきた。得意の営業なら、会社に貢献できる自信がある。奮い立った岡田は、スマートフォン広告事業部に移った。そこから、本人も予想しなかった快進撃が始まる――。

中高で2度の挫折 自分の未来をどうしたいのか考えるきっかけに

岡田は1986年、大阪の箕面市で生まれた。両親は教育熱心で、幼稚園の頃から複数の塾に通っていた。小学校受験に失敗すると、さらに厳しく勉強を課され、塾の送迎のために、毎日のように親が学校まで迎えに来た。放課後に友達と遊びたかった岡田は、「学校のなかを逃げ回っていました(笑)」と言う。

本人というより両親の熱意が実り、中学受験には合格。大学までストレートに進学できる名門女子校、甲南女子中学に入学した。その解放感を楽しみすぎたのかもしれない。少々ハメを外してしまい、中学2年生のときに一度、高校1年生のときにもう一度、自宅待機処分を受けてしまう。そのせいで、学校から「付属の大学には上がれません」と通告されてしまった。これが転機になった。「これで人生ダメになったと思うより、人生をより良くするためにどうすればいいのかを考えました。このときから、自分の未来をどうしたいのか、長期的に見るようになりましたね」

岡田は「難関大を目指そう」と決意。学校の授業に真剣に取り組むだけでなく、予備校にも通って勉強に励んだ。間もなく成績がぐんぐん伸び始め、指定校推薦で関西大学に入学することができた。自分にとっても、両親にとっても、文句なしの結果だった。

大学では楽しく過ごしていたが、冒頭に記したように2年生のとき、女性起業家の書籍を手に取り、「社長」が目標になってから、意識が変わった。「将来に向けて投資しよう」と、簿記の資格を取得し、ゼミでマーケティングを学んだ。

就職活動で目指したのは、「最短で社長になれる会社」。いくつかの企業を受けたなかで、子会社が多く、入社数年の若手が社長を務めるのも珍しくないサイバーエージェントに魅力を感じ、入社した

社長を目指して駆け回った日々 手痛い挫折の後に挽回のチャンス

「最短」を実現するための努力は惜しまなかった。卒業旅行のために貯めていた貯金を使って、関西から引っ越して、東京のウィークリーマンションに入居。入社の半年前から内定者アルバイトを始めた。

「スタートダッシュしようと思って。84人の同期のなかで、後れを取りたくなかったんです」

狙うは、最も貢献度が高い新入社員に贈られる新人賞。まずは営業成績のいい社員に同行させてもらい、クライアントとの会話を録音して話し方を真似るところから始めた。さらに、新人賞を取るためになにをすべきかを逆算し、時には上司に「お客さんが足りないから譲ってほしい」と頭を下げて、営業に駆け回った。その甲斐あって、見事に新人賞を獲得。

二年目には営業マネージャーに昇進し、迎えた三年目、満を持して「プーペガール」を運営する子会社の社長に就任した。そこで経験した挫折。なぜうまくいかなかったのだろうか? 岡田はこう振り返る。

「熱い想いがあれば、なんとかできたかもしれません。でも、自分で作ったサービスじゃなかったこともあって、こうしたいというWantがなかった。私自身の本気度が薄かったんです」

2012年、元上司たちからの誘いを受けて、イチ社員として、スマホ向けの広告の営業に移籍。当時は特にスマホゲームを手掛ける海外企業から「日本で広告を出したい、プロモーションしたい」という問い合わせが増えていた時期で、社内で「海外企業専門の営業チームを作ろう」という話になった。そのトップとして推されたのが、失敗を挽回するために奔走し、営業成績を伸ばした岡田だった。

2014年、29歳でグローバル事業部の代表に就いた岡田は、英語が堪能な社員と二人で渡米。なんのツテもないなか、ゲーム系ベンチャー企業が出展するイベントなどに積極的に顔を出し、その場で「日本で広告を出しませんか?」と営業した。アメリカでサイバーエージェントは無名だったため相手にされないことも多々あったが、そこで挫けるわけにはいかない。イベントで思うようにアポイントが取れなかったときは、あの手この手を使って相手のキーマンにアクセスした。

「当時は英語もほとんど話せませんでした。よくやれたなって思いますね(笑)」

話をして、相手が少しでも興味を持ってくれたら、チャンス。短時間でいかに興味を持ってもらえるか研究を重ねて、プレゼンした。

「アメリカ人は合理的で結論を重視するので、最初に結論を伝えるようにしました。彼らは文字の多い資料が好きじゃないので、図やグラフを使って一目で理解できるようにしました。日本人が課金する金額の高さなどアメリカの企業が知らないような日本の情報も必ず加えました」

絶対に成功する!多国籍チームで本格始動から3年売上100億円に

岡田の情熱と工夫が功を奏し、10分、15分ほどのプレゼンの後に、「もっと詳しい話を」と言われることが増えた。手ごたえを感じた岡田は、上司に依頼して海外経験豊富なメンバーを一気に増強。7人体制でアメリカのほか、中国、韓国などにも営業をかけ始めると右肩上がりでクライアントが増え、本格始動から3年後の2017年にはグローバル事業部の売り上げが100億円に達した。この業績が高く評価され、その年、岡田は若干31歳にしてサイバーエージェントの執行役員に就任した。

「海外事業はゼロから自分で担当していたので、絶対に成功してみせるという気持ちが強かったですね。でも、こんなに短期間で100億円に到達するとは思いませんでした」

岡田自身も驚く成果をけん引したのは、入社三年目で社長に就いたときには持ち合わせていなかった「Want」。そこに、リーダーとしての成熟が掛け合わさることで事業が拡大した。

「上司が私の強みを理解してセカンドチャンスをくれたので、メンバーにも同じようにしてあげたいと思っていました。いろいろなルーツのメンバーが集まっているので、チームの一体感の醸成や活性化を意識しながら、各国で、『育てて任せる』ことを心掛けました」

岡田は2019年より、入社時に経験したインターネット広告事業部に復帰。営業統括として若い社員を率い、企業の広告営業を担う。社長になりたいと願った20歳から15年。今は別の夢を抱いて走る。一人ではなく、チームで。

「今はいかにチームをレベルアップさせて成果を出すかに集中しています。いつかもう一度、100億円を超える事業をゼロから生み出したいですね。それがすごくおもしろかったから」

Q&A

休日は何をして過ごしていますか?

土日のどちらかは一人でゆっくり過ごす時間にしています。コロナ以前は、日曜日は友人とゴルフをしたり、バーベキューをしたりすることが多かったです。

海外生活は楽しかったですか?

チームのメンバーが、自分の国の歴史や文化などいろいろ教えてくれるので、知らないことばかりでおもしろかったですね。個人的にはたくさん旅行に行けたのも良い思い出です。金曜夜に出発して土日で楽しみました。