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製薬業界 MR編

ドラマをきっかけに、興味を持った「医療」。大学の就職活動セミナーで、「情報を駆使して働く仕事」と聞いて、製薬会社のMRを目指した。MRの仕事で大切なことの一つは、医師とのコミュニケーション。ただ薬を売るのではなく、医師の困りごとを聞き出し、サポートすることで信頼を得る。現在はMR経験を経て、プロダクトマーケティング部での業務を担っている。「仕事が楽しい」と語る、社会人10年目。

医薬情報を届け医療を支えるMR
困りごとに寄り添い課題解決をサポート

住友ファーマ株式会社 プロダクトマーケティング部 糖尿病領域担当

永沼 恵理奈  (ながぬま えりな)

1990
福島県いわき市で生まれる。
中高時代からテニスに没頭していたので、「もっといろんな人と関わっておけばよかった」と思うことも。
2009
法政大学社会学部に入学。
テニスサークルとフィールドワークに明け暮れる。就職活動では製薬会社に絞って採用試験を受け、大学の友人からは「なんで?」と不思議がられたそう。
2013
住友ファーマ株式会社(旧:大日本住友製薬株式会社)に入社。
MRとして医師とコミュニケーションを取るのが苦にならず、営業としての実績目標に対しても「あまり大変だと思ったことはありません」。
2021
プロダクトマーケティング部糖尿病領域担当に異動。

 

新型コロナウイルスのパンデミックによって、ここ数年かつてないほど注目されている職業が、医療関係の仕事だ。テレビや新聞、雑誌、ウェブなどあらゆるメディアで、「命を守る最後の砦」として奮闘が伝えられている。

しかし、医療の現場で使われる「薬」がどのように届けられているのかは、話題にならない。コロナ以前から現在に至るまで、常に縁の下の力持ちとして薬で医療を支えてきたのがMRだ。「Medical Representative」の略で、日本語に訳すと「医薬情報担当者」。

主に製薬会社で働き、医師に薬の情報を提供・収集・伝達する役割を担う。今回は、住友ファーマ株式会社にMR職として入社し、現在はプロダクトマーケティング部の糖尿病領域担当として活躍している、永沼恵理奈さんに話を聞いた。

テニスに明け暮れた中高時代 就活セミナーで興味を持ったMR

永沼さんは1990年、福島県いわき市で生まれた。地元の中学でテニスを始めてからは、真っ黒に日焼けした姿でラケットを持ってボールを追いかける日々だった。そして、勉強にも打ち込んだ。「中学のときに通っていた塾の先生がとてもいい先生で、塾が好きだったんです。勉強も楽しかったから、高校受験のときはそれほど苦労しませんでした」

高校は、福島県立磐城桜が丘高等学校に進学した。もともと2歳年上のいとこが通っていて、どんな学校か話を聞いていたこともあり、憧れもあったからだ。

高校でも、テニス部に入部。年間360日部活動に打ち込んでいたが、進路を考える時期になり自分の「将来」をイメージした時に思い浮かんだ職業は、看護師だった。

「小学生のとき、小児がんをテーマにした『電池が切れるまで』というドラマが放送されていて、それを観てから医療に興味を持ち、看護師になりたいなと思うようになりました」

当初は、看護学校を志望していた。しかし、両親と話し合うなかで「一度、四年生の大学に進んでから、じっくり考えよう」と思うようになり、どこでなにを学ぶかを改めて検討するなかで浮上したのが、法政大学の社会学部だ。

高校の地理の授業で、故郷のいわき市をテーマにしたフィールドワークの授業があった。それがとても楽しかったこともあり、「フィールドワークに力を入れている学部」を探して見つけたのが、この学部だった。

2009年、志望校に合格。テニスサークルで汗を流しながら、選挙の際には世論調査をするなどフィールドワークにも夢中になった。年に二回、他大学の生徒と国内政治についてディベートを行う大会にも参加した。その際には、1カ月ほど図書館に通い詰め、ディベートの準備をした。それは学生時代のとても良い思い出になっているという。

それでもやはり、就職活動を始めるときには「医療関係に進みたい」という想いが強かった。看護師という選択肢も頭にあったが、大学で開催された就活セミナーで、製薬会社の社員からMRについて「ただ薬を販売するのではなく、情報を駆使して働く仕事」と聞いて、興味がわいた。

製薬会社に絞って採用試験を受けるなかで、住友ファーマに就職したのは、面接などで接した社員の印象が良かったからだ。「就職活動の過程で社員の方と交流させてもらう機会がありました。皆さん温かい雰囲気があり、この会社であれば自分も思い切って挑戦ができると感じたことが、決め手です」

最初の課題はMR認定試験 医師の何気ない「愚痴」が営業のヒントに

永沼さんが2013年から働き始めた同社は、糖尿病と精神・神経領域の薬が売り上げの二本柱の会社。新入社員がこの薬をクリニック・病院に販売するために求められるのが、MRの資格である。

資格取得試験が行われるのは、入社した年の12月。それまでの間に研修を終え、10月に全国の勤務地に配属されるが、MRの試験の合格率は80%前後でけっして簡単ではないため仕事をしながら、勉強を続けなくてはいけない。

永沼さんは、入社後の最初の課題としてプレッシャーを感じたのがこの試験だったと振り返る。

「疾患、医薬品の制度、薬剤の作用など幅広い分野の問題が出ます。私は大学が文系で医療の基礎知識がなかったので、大変でした」

結果発表は、1月末頃。永沼さんは見事に一発合格して、MRの資格を得た。ここから本格的な仕事が始まる。

最初の頃は、医師の話が専門的でよくわからないこともあったという。そこで大切なのは、知ったかぶりをしないこと。倫理観が求められる仕事なので、曖昧な回答をするのではなく「先生、その点はわかりかねるので調べてきます」と正直に伝えることを大切にしているそうだ。回答を早急に伝えることは怠らないという。

医師とのコミュニケーションは、MRにとって最も重要な仕事である。いくつもの製薬会社があり、特徴こそ違えど、同じ対象、同じ領域の薬を売っていることも少なくない。そのなかで、ただ「薬を使用してください」と頭を下げるだけでは、誰も自社の薬を使用してくれないだろう。

1年、2年と経験を重ねるうちに、永沼さんは医師との会話で自社の薬に関する有意義な情報提供以外に、あることを意識するようになった。

「私が一番聞きたいのは、先生の愚痴です。何か困っていることがないかを伺って、そこに対してお役に立てないかと考えました」

事例としては、自身の専門分野外の病気を患っている患者さんについてA医師が、「対応が難しい患者さんがいる」と永沼さんにこぼしたことがあった。たまたま永沼さんが担当になった新しいクリニックのB医師が、その患者さんの病気を専門にしていたので、「近くで専門医の先生が開業されていましたよ。とても感じのいい方です」と紹介した。すると、A医師にもB医師にも喜ばれた。

これがまさに、永沼さんが就職活動のときに聞いた「情報を武器にして働く仕事」。自社の薬を売り込むのではなく、自身の情報を駆使して、医師の課題を解決に導くということだ。このようにして得られた信頼関係から、ようやく医師の治療方針や治療課題をより深く伺っていくことができる。そしてその先にあるのが、薬の処方、患者さんへの貢献だ。

異動しても考えることは同じ いかに価値のある情報を提供するか

4年半、開業医を担当するMRとして働いた後の2018年、特定機能病院(主に大学病院)を担当するMRとして異動した。

個人で開業されている医院と比べると、特定機能病院の場合、命にかかわるような重い症状の患者さんも少なくないため、開業医とはまた違うコミュニケーションが求められる。それでも、永沼さんの姿勢は変わらない。常に多忙な特定機能病院の医師が着手したいけれどできていないことなどを聞き出し、自分にできることがあれば、なるべくサポートするように心掛けた。

2年半、特定機能病院担当のMRをした後、現在はプロダクトマーケティング部の糖尿病領域担当として働く。今度は、自社の薬についてMRが医師に情報提供する内容を考え、MRが使うパンフレットや患者さん用の資料を作るのが仕事になった。新しく作成するものもあれば、既存のものをアップデートする時もある。糖尿病領域だけで100以上の資材があるというから驚きだ。

もう一つの仕事は、医師や医療従事者を対象にした講演会の立案。薬の宣伝になってしまうと登壇者も参加者も集まらないのは、薬の営業と同じ。永沼さんは、いかに興味を持ってもらえるテーマにするか、日々頭をひねる。

最近は、チーム医療への関心が高く、メディカルスタッフと言われる看護師、薬剤師、管理栄養士なども対象にした講演会は参加者が多いそうだ。学生時代に「医療関係の仕事」を目指して就職してから、丸10年。実際に仕事をしてみて、どう感じていますか?と尋ねると、永沼さんは、ほほ笑んだ。

「本当に仕事が楽しいです。先生や看護師さんたちに会ったとき、弊社の医薬品を使って患者さんの状態が良くなったよ、助かったよと言ってもらったときが、一番やりがいを感じますね」

Q&A

どうやってストレスを発散していますか?

コロナ前はよく旅行に行っていました。最近はあまり出かけられないので、家でNetflixを観たり、友人とオンライン飲み会をしています。

社会人の醍醐味は?

学生の頃って「社会人は自由じゃない」という印象があるんですが、自分でできることが増えて、思った以上に自由なところです。好きなところでご飯を食べたり、気軽に買い物をしたりするのは、やっぱり学生の頃はできないので。