意匠建築士 編

 「建築士」は「設計」のみならず、現場での「工事監理」にも携わる「士業」だ。さらに「設計」の仕事は、大きく三つに専門化されていることが多く、それぞれ「意匠」「構造」「設備」に分けられる。そこで今回は、株式会社佐藤総合計画技術室で構造設計のプロジェクトリーダーを務める渡邊朋宏氏にご登場いただく。構造設計の基礎知識から、世界を股にかけたスタジアム建設での体験、そして来る東京五輪に向けての熱意をお伺いした。

目指すは2020年の東京五輪!
世界に誇る建築物を手がけたい

株式会社 佐藤総合計画 技術室 構造
プロジェクトリーダー 構造設計一級建築士 APECエンジニア

渡邊 朋宏  (わたなべ ともひろ)

1969年 千葉県生まれ
1988年 千葉県立 袖ヶ浦高校 卒業
1993年 日本大学 理工学部 建築学科 卒業
1995年 同大 大学院 理工学研究科修士
     課程 建築学専攻 修了
 同年  株式会社 佐藤総合計画 入社
現在に至る

「設計」は人間のからだに似ている 骨組みを考える「構造設計」

 「建築士」の仕事は、主に「設計」と「工事監理」を行うことだ。ただし、一概に「設計」といっても、その仕事内容は「意匠(デザイン)」「構造」「設備」に細分化されていて、それぞれを専門とする建築士たちが存在する。

 「設計の役割分担は、私たちの身体に例えることができます。容姿が意匠、細胞や血管は設備、そして骨が構造、という具合です。だからといって、骨組みから設計すればよいのかというと、それは違います。骨組みだけが先行しても、かたち(意匠)と機能(設備)をそれに合わせることは難しい。やはり、それぞれがディスカッションしながら、一緒に進んでいかないといい建築はできません」

 そう語るのは、佐藤総合計画技術室でプロジェクトリーダーを務める渡邊朋宏だ。構造設計の中でもとりわけ、人々が集う「空間構造」を追求し続けてきたキャリア20年の構造設計建築士である。

 「空間構造といっても大きなホールだけに限りません。大小に関係なく、人が集まる建物を空間構造と位置づけます。中に入ってホッとする、あるいは逆に居づらい空間というのがありますよね。私の場合、人が過ごしやすい場所を提供していくという点を、念頭に置いて設計しています」

 その際に、基本となるのが「用」「強」「美」という三つの要素だ。「用途」「強度」「美しさ」を兼ね備えた建築物は、構造的に最も理に適っていると渡邊はいう。

 「例えば、卵の殻を思い浮かべてみてください。ある一定の堅さをもっていて、中身を守っています。あるいは水滴なども安定したかたちです。建築には、常に重力の問題がつきまといます。つまり、自然との釣り合いが大事なんですね。自然界が作り出す形はとても効率的です。それがうまく反映されると、構造的には安定した建物といえるわけです」

恩師との出会いを経て「構造設計」の世界へ 2002年の日韓W杯会場設計へ

 渡邊が「空間構造」に魅せられたのは、大学での恩師との出会いがきっかけだった。建築学科では研究室を選ぶ際、意匠系と構造系に分かれる。当初、渡邊は意匠系の研究室へ進むつもりだった。しかし3年生のときに受講した、ある講義に強く引きつけられた。

 「それが、大空間を専門とする斎藤公男先生の講義でした。先生は、1964年の東京五輪の際に、代々木体育館の設計チームに参加されていた方です。その斎藤先生の、意匠の世界にも踏み込んだ構造設計の考え方に深い感銘を受けました。そのとき、引きずり込まれるように、構造設計の分野に興味が湧いてきたんです」

 こうして斎藤研究室の門を叩いた渡邊だが、恩師との縁は、大学を卒業してからも続くこととなる。卒業当時、研究室で後輩たちが取り組んでいた建築物を、社会人となった渡邊が手がけることになったのだ。場所は静岡県の「エコパスタジアム」。日韓W杯の会場の一つとなった、収容人数5万人の大スタジアムである。入社4年目の渡邊は、およそ3年間、現地に常駐して工事監理に務めた。初めて体験する「大きな現場」。それだけに、戸惑ったことも多い。

 「これだけ大きな現場ですと、携わる人間の数が桁違いです。それだけに、みんなの意見を共有して、一つにまとめるのが難しかったですね」

 なにせ12の建設会社が関わっているのである。設計図通りに工事が進んでいるかを監理するのが建築士の仕事だが、そのプロセスにおいては、各社で考え方が違うことがある。A社がより効率的な工法を提案してきても、B社がそれを実施できるとは限らない。その調整役も、建築士の重要な責務なのだ。

 「現場では何より、設計の考え方を理解してもらうことが大切です。建設会社だけの判断で進めてしまうと、こちらの設計意図が反映されなくなってしまいます。ですから、ここは大事にしてほしいというポイントをきちんと説明して、理解してもらうというやり取りが重要になってくるのです」

 こうして2001年、無事にエコパスタジアムは竣工した。できあがったスタジアムに、渡邊は自らチケットを買って、足を運んだという。「やはり、満員の観客が入ったときのスタジアムは、建設中とは全く雰囲気が違いました。大きな歓声が沸きあがるスタジアムで選手たちのプレーする姿を観たときの感動は、今も鮮やかに記憶に焼きついています」

活躍の舞台は世界へ! 北京オリンピックスタジアム設計

 2002年の日韓W杯というビッグイベントに合わせて作られたエコパスタジアムに続き、渡邊の活躍の場は中国へと移る。2008年に開催された北京オリンピックの会場の一つ「天津オリンピックセンタースタジアム」の設計を任されたのだ。

 「こちらは国際指名コンペで勝ち取りました。天津は〝水の都?と呼ばれていますから〝水滴?をイメージして、滑らかな三次元曲線の表現に挑戦しています。最終的には住民投票によって満場一致で選ばれたんですが、報告を受けたときはすごく嬉しかったですね。最初に声をかけてもらったときから、ダメ元ではなく参加するからには勝ち取ってやろうという意気込みで臨んでいましたから」

 国際コンペともなると、ライバルは世界有数の設計事務所ばかりだ。並みいる強豪のなかで、どうやって勝利を掴んだのか。渡邊は「お客様が求めているものを、どれだけデザインに落とし込めるか」が、その鍵だと語る。

 「この場合のお客様とは、天津市です。オリンピックのメインスタジアムではないけれども、北京の隣の大都市で、彼らもスタジアム建設によって世界にアピールしたい。それを具現化すると、どのような形になるのか。その点を私たちはデザインに作り込んでいったわけです」

 確かに、形状の異なる金属パネルや強化ガラス、ポリカーボネートといった素材をうまく組み合わせた曲面屋根は、流麗な「水滴」そのものだ。同時に、内部には光が溢れ、スタジアムの命ともいえる天然芝に差し込む。まさに「用」「強」「美」を兼ね備えた、水の都にふさわしいランドマークだ。

 結果、渡邊の仕事は海外における設計、建設工事、不動産開発等の優れたプロジェクトに贈られる「JAPANプロジェクト国際賞」を受賞。足掛け6年を費やして完成したスタジアムは、高い評価を得ることとなる。

 「実はスケジュールの関係で、完成したスタジアムにオリンピックを観にいくことができませんでした。今でもどうしているかなと気になることはありますね。完成した建物は、どれも自分の子どものようなものです。便りがないのは元気な証拠。それと一緒です(笑)」

次なる目標は2020年東京五輪!

 そして今、渡邊が見据えているのは、2020年の東京オリンピックだ。

 「故丹下健三氏が設計し、恩師である斎藤先生も設計チームに参加した代々木体育館は、今でも色褪せることのない素晴らしい建築だと思います。当時は戦後復興から経済成長を経て、世界に日本をアピールする時代でした。ですから技術者たちもみな、とてもエネルギッシュです。そうした叡智が結集されてあのような傑作を生みだした。技術的にも前例のないことにチャレンジしていますから、自分たちがこれだと思ったものを突き詰めていった。そのパワーには圧倒されるものがあります」

 だからこそ、それから半世紀を経た自分たちに何ができるのか。渡邊は日々、自らに問いかけている。

 「2020年に、どれだけ日本の設計と技術力を世界に発信できるのか。海外での実績を積み上げながら、オリンピック関連の仕事にも携わっていきたい。それが目標です」

 では、渡邊の目指す「理想の空間」とは、どのようなものなのだろう。

 「当社は公共建築の比率が高いんです。ですから、飽きのこない空間というものを心がけていきたいと考えています。デザイン的に洗練されていて、何年経っても人々が集まって来てくれるような、そんな空間を提供していきたいですね。それも社会貢献の一つなのではないかと思っています」

 渡邊のいう「飽きない」とは、「使いやすい」という意味だ。しかしそれは、簡単なようで実に難しい。「使いやすさ」の指標は、人それぞれで異なるからだ。それでは、日本国内で「使いやすい」と感じさせる建築物はどこか。尋ねてみると、やはり恩師の手がけた「代々木体育館」がその一つだと、渡邊はいう。

 「代々木体育館は、デザイン上も飽きがこないですし、今ではスポーツの聖地でもあります。学生から社会人まで、たくさんのひとたちがあの場所を目指しています。私もいずれ、多くの人に愛される、目標にされる、心の中にいつもあるような、そんな空間を作っていきたいですね」

 世界を舞台に活躍する渡邊は、恩師の偉業を追いかけながら、さらなる高みへと上ろうとしている。

Q&A

子どもの頃から建築士を目指していたの?

 明確に決めていたわけではありません。五つ上の兄が学生のときに製図板を使っているのを見ていましたから、それがきっかけといえばそうかもしれません。物を作ったり、絵を描いたりするのは好きでしたね。

設計のイメージはどうやって考えていくの?

 最初はイメージですから、スケッチから入ります。メモ帳みたいなものに、スケッチのようなラフと呼ばれるものを描きます。そして具体的にシステムなどを考えて、イメージ通りにできあがるかどうか解析モデルを組んだりして検証します。

海外での仕事で困ったことはあった?

 国が違えば、お互いの常識が異なることを知りました。例えば、中国は欧米並みの契約社会。実際により良いものをつくろうと思って建設途中での設計変更を提案しても、当初の契約にないということで受け入れられませんでした。その経験から、世界で仕事をするのであれば、その国の文化や考え方を真摯に受け止め、その決まりを尊重しながら進めなければならないと感じました。