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大学入試の東進衛星予備校 涙の体験記
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『やらないで後悔』だけはしたくない
この春、東京大学に進学した鶴山浩平は、
高校時代を振り返ってこう答える。
「やりたいことは、すべてやりきったという感じです。高校生活に悔いはありません」。団長として活躍した応援団。引退まで完全燃焼した放送部。そして、秋に行われた文化祭……。「やらないで後悔したり、『勉強だけ』になったりしてしまうことが嫌だったんです」
部活を続けたいでも、受験勉強も
▲憧れの東大に入学して、一人暮らしを始めた。「金沢ではあり得ない」という通勤ラッシュにも少しずつ慣れ、テニスサークルでの活動も始め、充実した毎日を送っている。
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落ち葉が舞い散る、高2の秋。部活の帰り道、友人たちは決まって「予備校に行くから」と、足早に帰っていった。そんな友人を見て、鶴山も受験を意識するようになった。
「そろそろ受験勉強を始めないといけないなと。数学の成績が振るわないことに、不安を感じていたんです」
しかし、応援団と放送部の活動を続けていた鶴山には、予備校に通う時間を作ることは不可能に思えた。そんな不安を友人に話すと、「東進なら両立できるよ」と教えられた。
友人に連れられて校舎を訪れたとき、詳しく聞いてみると、都合の良い時間に映像授業を受講できるシステムだという。「これなら、両立できるかもしれない」。受講ブースでは真剣に勉強し、休憩するときは楽しく談話するという、メリハリのある校舎の雰囲気も気に入った。
「ここで勉強したい」と、入学を決めた。
最も影響を受けたのが、長岡先生の数学だった。「1講目から、『この先生は違う』と思いました」。黒板に式をぎっしりと書き連ねるにもかかわらず、理路整然としていて、頭にすんなり入る。先生の解き方を学ぶうちに、解答への道筋が見えてきた。それまでは、なんとなく解いていた問題が、順を追って解くうちに理解できるようになった。そして、問題の最後には必ず別解が提示される。
「僕が10分以上かけて解いた微積の体積問題を、一瞬にして解く鮮やかさには驚きました」
この先生についていけば、必ず成績が上がる。鶴山は、そう確信した。
以来、部活後に東進で勉強してから帰宅する生活が当たり前となった。その成果もあり、学校で100番近くだった順位はぐんぐんと上昇し続けていった。
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幼い頃から『スターウォーズ』などのSFが好きだった鶴山は、宇宙に対する漠然とした憧れを抱いていた。大学でも、航空宇宙工学を学びたいと思っていた。
そんな思いを東進の担任・湯口に話したところ、「宇宙について学びたいなら、最先端の研究をしている東大だよ」という言葉が返ってきた。
「狙ってみるか」
志望校を東大に定め、そのための戦略を湯口と練った。得意な国語や英語などの文系科目で差をつけるという戦略だ。湯口とは、勉強の進め方で困ったときはもちろん、学校や部活の話など、東進に行けばいつでも話をした。たとえ短い時間の会話でも、その一言ひとことは鶴山にとって大きな支えになった。
1分30秒に賭ける想い
夏休みが近づいた高3の7月。鶴山が所属する放送部の晴れ舞台でもある「NHK杯全国高校放送コンテスト」の予選が始まった。「来年は、絶対に出場するぞ」。舞台袖から先輩を見守り、そう誓った日からちょうど1年。ついに、そのときがやってきたのだ。県内各地からは放送系の部活生がゾクゾクと集まり、朗読やアナウンス、映像ドキュメントなどの部門に分かれて、その成果を競い合った。
鶴山は日ごろ鍛えた技術を活かして、アナウンス部門に出場。応援団で一緒だった副団長のエピソードをテーマにした。
与えられた時間はわずか1分30秒。審査員がずらりと並ぶ中で、たった一人、マイクに向かった。原稿用紙を持つ手が震えた。
「私が団長を務めていた応援団では……」
読みながら、その光景が頭をよぎった。高2の秋に行われた文化祭。応援団の出し物はお化け屋敷だった。文化祭が翌日に迫った前日の夕暮れ、副団長は一人黙々とダンボールを切り、作業を続けていた。誰も見ていない場面でも、しっかりと仕事を続ける姿……。鶴山が心を打たれた、その場面を発表した。
「ピーッ」
終了の合図が会場に鳴り響いた。前年は出場できなかった鶴山にとって、最初で最後の大舞台が幕を閉じた。
舞台から降りると、後輩から声を掛けられた。「先輩、お疲れ様でした」。仲間と共にやりきった達成感に、涙が溢れてきた。惜しくも全国大会出場は果たせなかったが、優良賞を受賞し、引退に花を添えた。
「鶴山君の集中力は、きっと武器になる」 その一言を信じて
夏休み。過去問を解き、東大合格へ向けた受験勉強を始めた。9月のはじめに行われる文化祭の準備に携わりながらも、東進に通う日が続いた。
「あの夏、過去問に取り組んでいるうちに『これはいけるかもしれない』という感覚が生まれました」
▲「第89回高等学校相撲金沢大会」では応援団長として活躍。
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鶴山にとって東京大学は単なる「憧れ」だったが、この夏は明確な「志望校」として意識するようになっていた。成績は順調に伸び、文化祭でも完全燃焼。まさに「文武両道」を地でいく毎日だった。
ところが――
頬にあたる風が冷たくなり始めた10月。東進で受験した「東大本番レベル模試」の講評は、厳しいものだった。
――今回の結果は東京大学理科I類の合格レベルとは開きがありました。基本理解に不十分なところが見受けられます――
合格レベルには100点以上足りなかった。センター試験レベルの問題はある程度解けるようになったが、二次試験の記述対策はまだまだ十分ではなかった。模試結果のランキングでも、自分より上に何人もの名前があった。
過去問を解いても解けない。そんな状況が追い討ちを掛けた。極めて前向きな性格の鶴山が、初めて落ち込んだ。
「やっぱり東大なんて無理じゃないのか?」
そんなとき、鶴山を支えたのは担任の湯口だった。「部活も文化祭もやりきって成果を出せたのだから、勉強だってこのまま続けていればきっと伸びる」。湯口の励ましは、鶴山に再び前進する勇気を与えた。
「大丈夫。鶴山君の集中力は、きっと武器になる」
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ついに迎えた、東京大学の二次試験の朝。
「ここまで来たんだ」。安田講堂を前にした鶴山には、万感込みあげるものがあった。前日の夜は、慣れないホテルでも緊張せずにぐっすりと眠れた。準備は万端のはずだ。
試験会場に入った鶴山は、「いまさら、じたばたしても始まらない」。そう決め込んで深く目を閉じ、じっと試験開始を待った。
問題と解答用紙が配布される。鞄には友人からのお守りが入っている。「きっと、大丈夫だ」。自分を信じて、深く深呼吸をして試験開始を待った。
1日目は順調。一番の不安要素だった数学も、完答はできなかったものの解答欄を埋めたという自信があった。しかし2日目の英語で思うように解答できず、「出来は五分五分」といった感じだった。
「絶対にここで勉強したい!」そう誓って、東大を後にした。
冷静だった父親が思いがけず絶叫
▲大学の講義で最先端の学問に触れ、航空宇宙工学以外の分野への関心も出てきた。工学と医療が連携して、心臓などの臓器を人工的に造る研究を進める「サイボーグ工学」だ。将来はエンジニアとして「人や社会の役に立てることを実感できるもの」をつくりたい。そんな夢も描き始めている。
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合格発表の朝、金沢から飛行機で東京へ向かった。時計の針が正午を指す頃に、2週間前に試験を受けた東大に着いた。合格発表まで、あと1時間あまり。「落ちたらどうしよう」という不安は、不思議となかった。
発表時刻の1時を過ぎて会場へ向かうと、すでに掲示は張り出されていた。周囲を見回すと、歓声が上がる一方で、だまって会場を去る受験生もいた。人ごみの中を歩きながら、今までは楽観的だった鶴山も、このときばかりはさすがに「心臓が破裂するようだった」。
一歩下がった場所から、掲示板を見た。自分の受験番号よりも、100番くらい手前から眺めていった。ひとつずつ、ひとつずつ、目を凝らしていく……。
「あった!」
目をこすり、もう一度手元の受験票と掲示板を見比べる。
確かに、ある。不安になり十数回は見比べたが、確かに番号がある!
すぐに鞄の中の携帯電話を探した。でもこんなときに限って、なかなか見つからない。ようやく携帯電話を手にすると、自宅へ電話した。
出たのは、父親だった。
「どうだった?」
「合格してた」
その瞬間、いつもは無口で冷静な父親の叫び声が聞こえた。父親の「おめでとう!」という声の後ろからは、母親や兄弟の喜びが聞こえてきた。
電話をいったん切り、掲示された番号を携帯電話で撮影していると、恰幅のいいラグビー部員から声がかかった。
「合格しましたか」
「はいっ!」
東京の空に舞った。万歳という大きな掛け
声と共に、1回、2回、3回。
合格を実感した瞬間だった。
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