


1835年の11月25日
アンドリュー・カーネギーは1835年、スコットランドに生まれ、1848年に移民としてアメリカに渡ります。まもなくペンシルベニア州アレゲニーにある木綿工場で、週給1ドル20セントの糸巻き少年として働きはじめ、ピッツバーグ電報局のメッセンジャー、ペンシルベニア鉄道の鉄道官の秘書兼電信技手、ピッツバーグ局の監督者と、順調に昇進。鉄道の通る木橋が焼けて数日にわたり鉄道が不通になるのを見て、これからは鉄橋の時代だと確信を得たと言われます。戦後、カーネギーは鉄道を離れ、鉄橋を造る会社を創設。その後さらに、ピッツバーグに設立した最新式の製鉄工場を成功させ、ほかの大製鉄工場の支配権をも獲得していき、1899年にはアメリカの鉄鋼生産の約25%を支配するようになりました。1901年にモーガンがUSスチール社を創設すると、2億5000万ドルで会社を売却し引退しました。カーネギーは公式の教育をあまりうけませんでしたが、生涯を通じて教育・文化・平和機関への寄贈を行いました。なかでもよく知られているのは、カーネギー技術スクール(現カーネギー・メロン大学)、カーネギー・ホールなどです。彼はまた、アメリカとイギリスに1700近くの図書館を贈り、国連の国際司法裁判所となったオランダのハーグにある平和殿堂の建設のための資金も寄贈しています。1919年、生涯に幕を閉じましたが、墓碑には「ここに、自分より賢い人々を、周囲に集める術を知っていた1人の人間が横たわる」と刻まれています。
椎名林檎
(歌手・1978年)
寺門ジモン
(ダチョウ倶楽部・1962年)
岡田彰布
(プロ野球・1957年)
吉本隆明
(評論家・1924年)
カール・ベンツ
(メルセデス・ベンツ創始者・1882年)

