大学受験|英語


高校生のための英語道 今度こそ「英語は、大丈夫。」

はじめに

 この15年あまりで、「大学受験で求められる英語」の性質は大きく変化しました。私はその15年間を予備校の英語講師として過ごし、「大手予備校」と呼ばれる3つの予備校を、自分で言うのもナンですが、「トップ講師」として渡り歩いてきました。
 そして、受験の最先端と思われるそれらの予備校の内部から、きわめて生々しい現場の感覚として、いわゆる「受験英語」の変遷を目撃してきました。

 簡潔に一言で言えば、
「役に立たない受験英語」の消滅または終焉であり、「本格的な実用英語」への急速な傾斜でした。

 この2〜3年だけ見ても、
(1) センター試験をはじめとするリスニングの採用
(2) ライティングにおける自由英作文の重視
(3) 会話表現における実用英会話の重視
(4) 長文読解の長文化・時事英語の重視
(5) センター試験 第3問などでの「情報処理能力」の重視
(6) TOEIC・TOEFLの積極的な活用
(7) 文部科学省「学習指導要領」における「スキミング・スキャニング」への言及
など、「枚挙にいとまがない」状況です。

 こうした急速な変化は、グローバル化の時代背景と照らして、まあ、きわめて当然の望ましい流れでした。しかし、その変化があまりにも急速に訪れたために、多くの受験生や、彼ら彼女らを教える高校教師・予備校講師たちが、流れについていけずに立ち往生しているというのもまた事実です。

 昔、「受験英語」と呼ばれたものは「実際には何の役にも立たないもの」の代名詞であり、予備校講師はそれを巧みに教えるプロであって、役に立たないものを教えてカネを稼ぎまくり、マスコミに批判される悪役中の悪役でした。
もちろん、そうした状況の中でも
「受験英語などというものは存在しない」
「本当の英語を学ぶことこそ、受験でも最高の王道である」
と発言し続ける良心的な教師も少なくはなかった。しかし、相変わらず「いわゆる受験英語」を教えることに固執し、そのことで「人気講師」の立場にしがみつこうとするのが、今なお受験の現場での「多数派」であるように思われます。

 例えば、次にあげる3つが「役に立たない受験英語」の典型例でしょう。
(1) 「外来語は全部、日本語に直して訳すんだ。さもないと減点だ(または『危険だ』)」
(2) 「無生物主語の構文は主語を副詞的に訳せ。さもないと減点だ(または『危険だ』)」
(3) 「強調構文は、必ず後ろから訳せ。後ろから訳さないと減点だ(または『危険だ』)」

こうした「減点するぞ」「危険だぞ」という発言、いわば「脅迫」と「恫喝」とで生き長らえようとする悪質な教師が数多く存在することこそ、日本の英語教育の悲劇でしょう。しかもその脅迫や恫喝には、根拠も論理的な理由も何ひとつないんです。

 そして、滑稽で惨めな授業が日本中で大マジメな顔をして進められることになります。(1)のタイプでは
「『キャリアウーマン』は×。『職業婦人』でないと」
「『オフィスのデスク』、は×。『事務所の机』でないと」
「『ミネラルウォーター』、は×。『天然鉱水』でないと」
「『ハイウェイ』は×。『幹線道路』でないと」
これは冗談や作り話ではなくて、有名な予備校の授業で今も行われている授業内容です。

 (2)のタイプだと
「『愛が2人を結びつけた』は×。『愛』は生物ではないから。『愛のおかげで2人は結びついた』でないと」
「『憎しみが2人を引き裂いた』は×。『憎しみ』は無生物だ。『憎しみのおかげで、2人は引き裂かれた』でないと」
 つまり、生物でないものが「結びつけ」たり「引き裂い」たりするはずがないから、主語を副詞的に訳さないといけない、というわけ。多くの教師はこの「…のおかげで」というところで声が裏返って、いかにも得意げな顔をしてみせたりします。

 でも、もしそういうことなら、現代小説の台詞も、映画やテレビドラマのセリフも、全部「主語を副詞的に」書き換えなきゃならないでしょ。そんなの、バカげてる。しかも「英語」の授業時間なのに、こんな日本語談義で教師も生徒も夢中になっている。これで英語が得意になるはずありません、よね。

 まあ、受験生の多くは、こういう英語教育の被害者であると言っていい。しかし、一方の受験生は受験生で、またまた別の問題をかかえています。今も昔も変わらない「ダメ受験生」は、グローバル化の時代になっても同じように日本中にあふれています。そのタイプ分けは、以下の通り。

(1) 高1・高2の基礎がパカッと抜けている「パカヌケ君
(2) 学習法にやたらうるさくこだわる「ツベコベ君
(3) はりきって始めても長続きしない「スタートダッシュ君
(4) 音読も書く勉強も面倒くさがる「ウデグミ君
(5) 基礎よりも、高級な話ばかり聞きたがる「トマト君

 こんな感じでしょうか。(1)(2)(4)については、本文中で言及します。言及される前に、すでに「おお、それは自分のことだ」と瞬間的に感じたあなた。あなたは、これから急速に伸びていく可能性を秘めています。ぜひ本書を熟読して、可能性を一気に花開かせてください。

 例えば(3)のタイプ。あなたは、高校で4月に学習する分野だけ、妙に得意なのではないか。
世界史で「ネアンデルタールはまかせろ」「ギリシャ・ローマまでは完璧」。でも「ヘレニズム? 何、それ…」
 日本史で「岩宿遺跡、仁徳天皇陵、カンペキ」「奈良時代までなら、まあまあ」。でも平安時代から先は、「漢字が多くて、キラーイ。やっぱ、地理にしとく…」
 数学で「因数分解までなら、ラクショー!」でも、「判別式、かなり苦手」「ベクトル、最悪」「微分って?」あげくの果てに「数学なんか、人生の役には立たネエゼ…」とか、妙なところに「人生」まで登場して、数学自体を放棄する。

 通信添削を始めたけれど、提出したのは3回だけ。あとは問題用紙がたまるだけ。その様子がムカつくので、目に見えないところに隠してしまった。予備校の講座に通ったけど、10回の講座のうち最後の3回は、ウザくなって行かなかった。マンツーマンの「個別指導」なら続くと思ったけど、「先生の口がくさくて」ムカついてやめた。これが(3)タイプです。ほら、キミですよ。キミ。

 (5)のタイプは、もっと始末が悪い。「トマト君」は、自分が今いる場所が気に入らないんです。自分は野菜に分類されているけど、本当はフルーツのつもりでいる。スーパーで、隣に並べられた「タマネギ君のニオイ」や「ピーマン君のつやつやした濃すぎるグリーン」や「ゴボウ君についた土や泥」が、ウザくてたまらない。

「何でボクが、あいつらといっしょなの?」
「ボク、もっと高級な世界がふさわしいと思う」
「分かりきった基礎なんて、あいつらにやらせておけばいい」
「基礎とかより、単語の細かいニュアンスとかを教えてほしい」

というわけで、「トマト君」は基礎や基本をおろそかにし、音読を繰り返したり手を動かして書いて勉強したりする「泥くさい努力」を毛嫌いします。そうして「ネイティブも知らないニュアンスの違い」みたいなことばかり言っている、悪質な予備校講師の「ファン」になったりするのがこのタイプ。タイプ(2)「ツベコベ君」やタイプ(4)「ウデグミ君」にも直結する、「ミラクルタイプ」でしょう。難しいこと・細かいことばかり言いまくっているわりに、成績が中途半端なところで伸び悩む典型です。

 そこで、皆さんには、ぜひ「ゴボウ君」になってほしい。「ゴボウ君」は、トマト君たちの悪い誘いを断って、ひたすら地中に深く根を下ろすことに専念している理想タイプです。すぐそばでは、トマト君がスベスベな真っ赤な顔をして「フルーツ気取り」で風に吹かれています。

「そんな汚い土の中で、基礎とか基本とかやってて楽しいの?」
「音読とか、書いて覚えるとか、メンドくさくない?」

トマト君はそう言いますが、皆さんは耳を貸さないでください。そして、ひたすら地中に深く、深く根を下ろしていくのです。
 ある日、嵐がやってきます。「嵐」は、模擬試験だったり、入試本番だったりするでしょう。あんなに自信満々だったトマト君たちは、風に耐えられずに次々にベチャベチャ地面に落ちて、腐ってしまいます。
「あーあ、ゴボウ君の言うことも、聞いておくんだった」
と、彼らは嘆きますが、もう、あとの祭りです。最初は泥くさく思われたゴボウ君たちが、しっかり根を下ろした後にこそ、美しい花が咲く。これは、間違いないことでしょう。

 英語で言えば、ゴボウ君になるのは「英語の肉体化」です。これも本書の中で触れていますが、筋肉になり血液にならなければ、語学は「使えるレベル」のものには成長しません。「知っている」「分かっている」ではなくて、「気がついたら、何も考えていないのに、英語で反応していた」というレベルでなければ、「使えないムダ知識」でしかないのです。
 そして、ゴボウ君たちは最後に気づくはずです。地中深く、しっかりと育った根っこから水分と養分をタップリ吸収し続けるうちに、最初は細かった茎が、ぐんぐん成長し、ずんずん太くなり、「幹」と言えるほどのたくましいものに変貌し、やがては年輪を刻み、枝を大きく天に向かって伸ばし、のびのびと健やかに伸びた枝からは、新緑のつややかな葉を、豊かに茂らせていくでしょう。

「ゴボウ君のつもりが、実は、美しい樹木だったのだ」

 今、英語の成績が振るわない人、英語に限らずどんな科目でも伸び悩んでいる人、あきらめかけている受験生のために、この本を書きました。やり方さえ間違わなければ、だれでも「豊かな樹木」に変貌するチャンスはあります。そのチャンスを、いまここで、しっかりとつかんでください。
 そして、「大学合格が最終目標ではない」ということを忘れないでいてほしい。ゴボウ君のままでも、難関大学に合格できます。「豊かな樹木」への成長は、その先にある。この本で読んだ学習法を、大学入学後にもずっと忘れずに継続して、5年後・10年後・20年後に、皆さんの後輩たちの憧れの対象になるような背の高い樹木に成長してほしいと、心から願っています。
今井 宏

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