創刊5年目に寄せて
「私」は、これまで思い出せないほど多くの願いを抱いてきた。
しかし、その中で実際に実現したものはほとんど、ない。
その結果、「私」は、「人間の抱く願望は現実にはならないもの」と
思い込む人間になってしまっている。
・・・・・・
「いや、それは間違っている!」
「先輩」は、そう教えてくれた。
「人間は、およそ心に抱ける願望の、
ことごとくを実現できるものなのだ」と。
“I wish I were a bird.”
「鳥のように大空を飛んでみたい。」
この願望は現実のものとなっている。
平安時代に『竹取物語』を著した人は、
美しい月を眺めながら「お月さまへ行ってみたい」と思った。
それは実現したのか?
実現したのだ。
平安時代に願望を抱いた人自身は、月へ行けなかった。
しかし、その願望は、人から人へと受け継がれ、
1,000年以上も保ち続けられ、ついに人類は月面に着陸したではないか。
あらためて問う。
「自分が抱く願望はすべて実現できる」――この命題は、真か偽か?
答えは、「真」だ。
・・・・・・
心の底からそう思えない自分が、まだいる。
この命題の反証として、事実、現に、
自分自身が過去に抱いた願望のことごとくは
実現されていないではないか!
ならば、願望には実現できるものとできないものがあるのか?
実現できる人とできない人がいるのか?
・・・・・・
違う!
心に抱ける願望は、ことごとく実現できるのだ。
では、実現できなかったのは、なぜか?
答えは簡単だ。
途中で打ち捨てたから……ただ、それだけのことだ。
願望は捨ててしまわない限り、必ず実現できる。
しかし、願望は保ち続けることが大変なのだ。
願望は、何もせずにじっと待っていれば実現するものではない。
頭も体も財産も人脈も使えるものは何でも使う。
死に物狂いになって、実現する術を模索する。
単なる「あこがれ」や「淡い期待」とは違う。
たわいない願望は、願望とは呼ばない。
なまじいな努力では実現不可能なことこそが、願望の名に値する。
願望は、大きければ大きいほど、
たくさんの時間と知恵と根性が必要となる。
さらに、家族の、隣人の、膨大な人々の心を動かす力も必要となる。
願望を抱いたときには予想だにしなかった事態、
願望を捨て去るための十分すぎるほどの言い訳、
願望から解放されたいという誘惑と闘い、追い続ける努力の大切さ。
「先輩」は、そのことを教えてくれている。
・・・・・・
このような「私」の思考と格闘の連続に比べれば、
“志望校合格”なんて月とスッポンほどの差があるではないか。
やるべきことをたったの1・2年間やるだけのことだ。
でも、今の自分にとって、
志望校に合格することは、
もっと大きな願望を抱くための大事なステップなのだ。
――「夢」をかなえる第一歩を踏み出すために
『新大学受験案内』編集部
夢は大きく、目標は高く。――はしがきにかえて
なぜ、大学へ行くのか
何のために勉強するのか
「答え」は、本書に登場していただいた多くの先輩方の「生き様」に、はっきりと見て取ることができる。
本書『新大学受験案内』は大学受験のデータブックの体裁をとってはいるが、本書の目的はまさに「なぜ、大学へ行くのか」「何のために勉強するのか」というテーマを追い求めることである。
したがって、皆さんには自分の志望大学や志望学部だけでなく、様々な大学生や卒業生からのレポートやアドバイスを読んで、自分の「答え」を見つけ出してほしい。
「自分が好きなことを勉強するため」という答えを用意している人へ。
それは正解である。大学とは学問研究機関だ。講義や担当教授の指導を受けながら、自ら設定した課題について学問的手法にもとづいて追究し、4年間かけて論文や研究に取り組む。これが大学生の「仕事」である。
だから、好きな勉強や深く研究したいことがある者にとって、大学は最高の環境であり、大学時代は天国にいるような時間である。高校時代のように、嫌いな科目のやりたくもない勉強を強いられることはない。好きなことを朝から晩まで毎日やっても叱られることはないのだ。
一方、特にやりたいことがあって大学に入ったわけではない人、あるいは、少しだけ大学で勉強してみると毎日やりたいと思うほど学問が好きではないことがはっきりしてしまった人にとって、大学生活とは長く苦痛な日々である。気がついたら講義を欠席し始め、最低限の単位を取り、「大卒」という履歴を得るためだけの「形ばかりの卒業」が目的になる。
昔から、高卒で社会人になることを回避し、就職を先送りするために大学に進学する「モラトリアム人間」はたくさんいた。
しかし、今や状況は変わったのだ。これから大学進学を目指そうとする皆さんの世代には、それが許されないのである。
大学の目的と学生の目的は
ズレている
大学の教授は、高校の先生ほど叱ってくれたり、親切に面倒を見てくれることは少ない。十分に働ける年齢に達しているにも関わらず、さらに長い期間を費やし、決して安くはない授業料を払ってまで大学で学ぶからには、当然、勉強したいことがあり、目的があって入学したものと心得て、教授は学生を「一人前の大人」として扱うからだ。
教授の方々が求めているのは、自分と同じフィールドで共に勉強しようとする研究者の卵、弟子になりそうな学生である。また、教授が学生に講義をするのは、週3回程度、講義にあてる時間は1年間の半分ほどしかない。一方、学生の大半は研究者にはならない。入学して4年後には就職していく。大学で学ぶ多くの学生の最終目標は「就職」である。学会誌に残る画期的な論文を書くことではなく、就職試験にパスする力をつけることであり、資格を取得することである。
昔も今も大学は将来の社会を担う「人財」を育成し、輩出する機関であるのは事実である。しかし、大学の本来の目的や機能はあくまでも学問研究機関だ。つまり、学生の目的とはズレているのだ。このことをよくよく承知しておく必要がある。
皆さんが生きていく社会
――大学生の就職内定率は57%
世界の中で日本ほど大学生が勉強しない国はない。日本の大学は、まともに勉強しない学生にも卒業証書を与える。学生は、授業料を納めるかわりに、「大卒」の学歴と自由な時間をもらえればいいと考えてきた。
ところが、現在の高校生にとって、社会情勢は深刻なものとなっている。冷戦終焉後の世界はグローバル化が急速に進み、中国をはじめとする新興国が技術的、経済的に大躍進を遂げている。労働市場に国境がなくなった結果、日本国内における単純労働の価値は大きく下がり、年収70万円でも喜んで働きたいと考える“労働力予備軍”が、世界中に数十億人いるといわれる時代になった。
一方、2011年度卒業予定の学生の就職内定率は57%程度(2010年10月時点)、採用に占める日本人枠が2割しかないという大手企業も例外ではなくなっている。日本は1,000兆円にも迫る債務を抱えたままに、歴史上、例のない少子高齢社会に突入しようとしている(新興国の平均年齢は25歳、日本は45歳!)。
皆さんが生きていく
次代の日本
現在の出生率から推定すると、日本の平均年齢は50歳を超えることが確実である。そのとき、60歳で定年退職し、80歳を超える頃までの余生を年金で生活しようとすると、高卒・大卒時から働き始めて定年までの勤労世代の1人につき、高齢者1人の年金や医療費などを全額負担することになるのだ。
想像してみよう。月30万円にも満たない手取りの給料で子育てをしている最中に、毎月10万円もの金額を、全くの他人でしかも働ける能力があり健康な身体であるにもかかわらず働こうとしない初老の人の生活費を、誰が払いたいと思うだろうか。すでに将来の年金受給資格を放棄して国民年金を支払わない若者が増加し、現在の社会福祉の水準を維持することは絶望的な状況である(2025年の社会保障費は141兆円超に達する)。遅ればせながら、消費税を10%程度に引き上げたくらいでは“焼け石に水”なのだ。皆さんが大学を卒業する前に、日本という国家は破綻するかもしれない。今、まさに日本は崖っぷちに立たされている。
破綻国家は、国際社会から強制的に財政改革を迫られる。税金や公共料金は否応なく引き上げられ、道路などのインフラの維持は困難をきたす。医療費は自己負担となる。お金のない人はお腹が痛くても病院に行くのを我慢しなければならない。社会的保護を断たれた弱者から順番に食えなくなる。社会全体に不安が渦巻き、人心は荒(すさ)んでいく……。
税金を負担できる力のある高額所得者は高負担の日本を脱出し、経済を支えてきた大企業は生産拠点を海外に移していく。日本に残る人たちの雇用は消え失せて、街は失業者であふれていく……。
こうした状況下で、大学受験を志す皆さんは、何をするために大学へ行き、何を持って21世紀の世界という荒海に乗り出して行くつもりなのか。今、真摯に問われている。
何のために、
人は生まれてきたのか
物事にはすべて目的と意味がある。であるならば、私たち一人ひとりにも生まれてきた目的と意味があるはずだ。
本書に掲載している皆さんの先輩たちのインタビューを丹念に読んでいくと、それがはっきりと見えてくる。「生まれてきた目的と意味」に対して、真正面から真摯に取り組んでいくと、誰でも「これだ!」と思える「天職」(Life Mission)にたどり着く。その天職を全うすることによって、社会に貢献する喜びを得たいと思うのだ。
勉強する目的も、はじめは自分を取り巻く世界や社会のことをもっと知りたいという本能=好奇心から出発する。それが次第に得た知識と業わざを人のために役立てたいと考えるようになる。自己目的の達成によって得られる満足よりも、人が喜んでくれることを自分の喜びとする方が何倍にも大きく、また無限に拡大できることを体験するからである。
「利己」から「利他」へ――思い切って生きる姿勢を切り替えてみると、想像以上に清清(すがすが)しい気持ちになる。いずれにしろ、「利己」と「利他」、どちらが自らのモチベーションを高めるのに効果的か、試したうえで選べば良い。
次代の日本は、
若い世代の描くとおりの国になる
人は生まれた環境と時代によって2つに大別されるだろう。生まれたときが死ぬときよりも豊かで幸せだったという人と、生まれたときは貧しかったが、だんだんと豊かになり幸せになっていった人である。
皆さんの世代は、物心両面で考えると、急速に前者が多くなっていくだろう。皆さんの前の世代は、遊んで暮らせるほどの財産を遺(のこ)してくれるどころか、山積みの借金と難題を押しつけていく。皆さんと、皆さんの後輩には、そのツケを払う運命が待っているのだ。
「太平の時代」と「国難の時代」、果たしてどちらが幸せなのだろう。
国難の時代にめぐり合う世代は、日本の近代以降では3つある。1つ目は、「鎖国」による260年余の平和を享受したツケが近代化の遅れとして回ってきた、幕末から明治にかけて近代国家を建設した世代。2つ目は、英米との国力の差を顧みずに戦争を引き起こして廃墟となった国土を再建した世代。いずれも国際社会からふみつぶされそうになった国家存亡の危機の時代であった。現在が3つ目の世代となる。どんな日本再生へのビジョンを構築するのか。既成観念に囚われない斬新な発想で描く国家ビジョンこそが、30年後の日本の姿となるだろう。
何の権力も持たないかつての下級武士のような存在――それが皆さんである。物質的な豊かさより精神的な喜びを優位とし、自己満足よりも他人の幸せを自分の喜びと思える。子孫に良きものだけを遺すためにはどんな努力も惜しまない――価値観を転換できた人だけが、幸せを手に入れられる。さらには、世界を舞台に様々な人種、宗教、文化を持つ人々と交流し、その中で日本人としての長所と短所を知り、己を見つめ直し、自己実現を遂げていく。こんな楽しい人生を送ることのできる時代は、これまでの日本の歴史にあっただろうか。
日本の若者が人類の未来を先取りした世界のビジョンを率先して描き、リーダーとして活躍する。未来の教科書に「あの時代の日本の若者たちは、すばらしかった」と位置づけられる。皆さんにはそのようになれる可能性があるのだ。坂の上の一朶(いちだ)の雲のように。