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建設業界

京都大学工学部建築学科でゼネコンに興味を持ち、父親のすすめもあって入社した大林組。海外留学と海外勤務を経験し、その知識と経験を現場に還元する。

「空間作り」が好きで志した建設業界
大林組に入社して現場と海外を経験し、DXで目指す効率化

建築本部本部長室 生産企画部 次世代技術推進課

井上洋二  (いのうえようじ)

1982
愛知県生まれ。
子どもの頃から足が速く、運動会では常に1番だった。
1998
大阪府立天王寺高校理数科に入学。
高校受験時は緊張で頭が真っ白になったそう。
2001
京都大学工学部建築学科に入学。
バックパッカーとして世界を巡って見聞を広げる。
2008
株式会社大林組入社。
東京駅丸の内地下施設は夜勤が多くハードだった。
2015
シドニーのマッコーリー大学へ留学。
2019
アメリカの子会社ウェブコーへ出向。
2021
帰国後、工場長として千葉の現場へ。
2022年、現在の部署に異動。

 

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の水泳競技で使用された、東京アクアティクスセンター、2016年に起きた熊本地震で被害を受けた熊本城天守閣の再建、ラオスのダム、バングラディッシュの橋……。国内外で建築工事、土木工事を問わずさまざまなバリエーションの工事を請け負う大林組は、「ゼネコン」と呼ばれる。

ゼネコンとは「generalcontractor」の略で、日本語では「総合請負業者」。自社で設計、施工、維持管理まで一貫して請け負い、大規模な建物や社会インフラの建設、都市開発などを手掛ける。日本ではゼネコンの中でも年間の売上高が1兆円を超える5社をスーパーゼネコンと表し、大林組はその筆頭だ。

大林組では現在、ITを用いた業務改革「DX(デジタルトランスフォーメーション)」を進めている。建築本部本部長室の次世代技術推進課に所属する井上洋二さんは、入社後に建設現場で施工管理の経験を積み、オーストラリアの大学での留学を経て、現在はDXを推し進めている。なぜ建設業界を志し、どんな思いで仕事をしてきたのか、これまでの歩みを振り返ってもらった。

3年間学年トップで大阪屈指の進学校へ 大学で建築を学び、大林組に入社



1982年、愛媛県で生まれた井上さんは、親の仕事の都合で生後間もなく大阪の南に位置する泉南郡田尻町に引っ越し、高校まで過ごした。人口7,000人ほどの小さな町で、井上さんが通った地元の小中学校は一学年に70人ほど。全員の顔と名前が一致する小さなコミュニティだった。

子どもの頃から走るのが得意で、中学では陸上部に入部。100メートル、200メートルの短距離走に取り組んでいた井上さんが勉強に情熱を傾けるようになったのは、中学1年生からだった。「最初のテストの成績が学年一番だったんですよ。それで手応えを感じて、よし、ずっと一番を取ってやろうと思ったんです」当時、中学校は荒れていたそうだが、周囲に流されないように部活と勉強に集中。有言実行で三年間、学年トップの座を守り続け、大阪屈指の難易度を誇る大阪府立天王寺高校の理数科に入学した。高校では「こんなに優秀な人がたくさんいるのか」と衝撃を受け、「ここで1位を取るのは無理だ。部活を頑張ろう」と気持ちを切り替えて、陸上部で短距離走に熱中。その甲斐あって、大阪府大会の決勝まで進むように。それで「やり切った」と満足し、引退後は受験勉強に励んだ。

子どもの頃からレゴなどで「空間」を作って遊ぶのが好きだった井上さんが目指したのは建築学科。関西での最高峰は京都大学だったが、学校の成績を見ると遠く及ばない。そこで、徹底的に基礎からやり直した。

「教科書の問題を解くところからやり直しました。同じ問題を何度も繰り返し解くんです。そうするとパターンを覚えて応用が利くようになりました」集中力に自信があった井上さんは、長い時には一日10時間に及ぶこの勉強法で急速に成績が上がり、見事、京都大学工学部建築学科に現役合格した。

京都大学には変わった人、おもしろい人が大勢いて、世界が広がった。海外にも興味が湧き、学生時代はアルバイトをしてお金を貯めては、アジア、ヨーロッパ、アメリカを旅した。

大学で建築を学び始めたときには設計に憧れたが、同じ学科には驚くようなセンスを持つ同級生が何人もいたため、方向転換。就職活動の際には「設計ではなく全体を作る方にいこう」と決めて、ゼネコンを中心に建設会社の採用試験を受けた。大林組に決めたのは、面接の際、学生の意見に耳を傾ける姿勢に好感を持ったことと、父親の後押しもあったそうだ。「大阪にある黒ビルと呼ばれていた大林組の旧本社は、西日本最初の高層ビルなんですよ。父は黒ビルが完成した際に衝撃を受けたらしく、『建設会社に行くなら、(大林組に)決まってるやろ』と言われました(笑)」

施工管理の現場で学んだ会話の大切さ オーストラリアでMBAを取得



2008年春、入社。二年間は研修でさまざまな建設現場を回りながら、見積の取り方、生産技術などを身に着ける。最初に施工管理を学んだ東京のマンションの現場が最も「きつかった」という。「見積や生産技術は大学で勉強したことが生かせます。でも現場の施工管理は経験がないので、二十代から七十代まで本当にいろいろな職人さんがいる現場に入って、何をどうしたらいいのかわからなかった。その現場にいた半年間、周囲の人たちに何度も怒られました」

社会人、ゼネコンマンとして洗礼を浴びた井上さんだが、研修を終えて配属されたマンション建築の現場で再び施工管理を担当したときには、同じように苦しむことはなかった。先輩や上司からの指導もあり、積極的に現場の職人さんたちとコミュニケーションを取るようにしたのだ。そうすることで、なにか問題が起きる前にトラブルの種になりそうな情報を得られるようになった。

その後、虎ノ門ヒルズ、東京駅丸の内の地下施設などで計六年、現場経験を積んだ後、大林組の留学制度に応募して、オーストラリアの大学でMBA(経営学修士号)を取得した。なぜ留学する道を選んだのだろうか?

「現場にいるときから、プロジェクト全体の運営に興味があったんです。施主との関係やお金の流れなども学びたかったんですよね」

もともと英語が話せたわけではなく、日本と現地で学びながらの留学だったため、当初は授業でも、クラスメイトとの会話も、ほとんど理解できなかった。しかし、必死に食らいついているうちに少しずつ上達し、語学力と比例して学生生活も充実していった。世界中の企業のファイナンス資料を読み込み、経営戦略を分析したことは大きな学びになったという。

アメリカ勤務で変わった価値観 DXで目指す現場の効率化

建築職では、留学を終えたら一年間アメリカに行くという流れがあり、2019年10月からカリフォルニアに拠点を置く子会社ウェブコーに出向。1年3カ月にわたって、サンフランシスコ市内の複合ビルのプロジェクトに携わった。アメリカでの生活は、井上さんの価値観を大きく変えた。

「アメリカ人も日本人と変わらないぐらい一生懸命働くんですよね。そのうえで、彼らはなによりも家族を優先し、大切にするんです。家族がいるからこそ自分があるんだという考え方に影響を受けて、僕も人生は仕事だけじゃないと考えるようになりました」

2021年1月に帰国した後、一年間、千葉の現場で工事長を担当。そうして日本での仕事の感覚を取り戻してから、次世代技術推進課に異動になった。ここは新しい技術を全国の現場に導入したり、現場で得られたデータを分析したりする部署で、オーストラリアやアメリカで学んだことを生かせるため、「すごくやりがいがある」と語る。 

現在、主に担当しているのは、施工管理プラットフォームの構築。従来の建築工事は紙ベースのやり取りが多かったのだが、デジタル化することで情報を共有しやすくし、施工管理の効率を上げる取り組みだ。意識しているのは、現場全体を円滑化すること。

「デジタル上のやり取りだけでは建物は建ちません。対面のコミュニケーションを中心に据えながら、デジタルの力で周りにある無駄なものを排除していきたい。大林の社員と職人さんたちが現場の施工に集中できるシステムにしたいです」

DXの先には、多忙になりがちな現場に携わる人たちが、自分の家族との時間をより充実させる未来がある。

Q&A

社会人留学することの魅力やメリットとは?

社会人を経験してるからこそ、学びに実感があります。クラスメイトも社会人が多く、いろいろな人の考え方や価値観に触れることで視野が広がりました。

日本に帰国してからも家族と過ごしてますか?

はい、週末は家族と過ごすようにしています。家族のために働くという感覚ではなく、人生を楽しみながら、家族と一緒に働いているという感覚になりました。