京都大学医生物学研究所 所長、再生免疫学分野教授
藤田医科大学 国際再生医療センター客員教授リバーセル株式会社 創業者・最高技術顧問
河本宏先生
【ご講演内容】
日本を牽引するトップリーダーを講師に迎え、自分の将来・志を見つめる「トップリー ダーと学ぶワークショップ」。今回は免疫研究の第一人者である河本宏先生をお招きし、「免疫を知る、創る、操る−再生T細胞を用いて、がんやウイルス感染症を治す!」をテーマ に、斬新な研究が導く未来や、研究者としての生きる姿勢についてご講演いただいた。
私は、理科好き少年がそのまま大人になったような人間です。絵画やマンガ・アニメ、音楽も大好きで、自分でやるのがもっと好きな、また注目されるのが好きなタイプです。関西の言葉で「いちびり」ですね。実は、大学院の2回生のとき、本気でマンガ家を目指し、小学館の「ビッグコミックスピリッツ」で奨励賞をもらったこともあります。
なのでその当時、研究に対してはとても不真面目でした。ADA欠損症の遺伝子治療(染色体ごとに遺伝子を入れる)方法の開発が研究テーマでしたが、どうにも上手くいかず、毎日さっさと帰り、夏休みは一カ月取るという調子で、研究成果は寂しい限りでした。
結局、課程博士を取り損ね、学位もないまま32歳になっていました。マンガ家になるには画力が足らず、このまま臨床の現場に戻ろうか。だけど一度も真面目に基礎研究をしないのは嫌だな。そもそも自分は研究者になりたかったんじゃないのか。とそんなことを思っていたとき、ADA欠損症ではT細胞の分化が阻害されることを思い出し、T細胞分化の研究をしたいと思ったのです。そこで心を入れ替え、厳しいことで有名な、桂義元先生の研究室に入ることを決めました。
T細胞というのは血液中の免疫細胞の一種で、感染細胞やがん細胞を殺せるすごい細胞です。免疫細胞はほかに抗体をつくるB細胞などがあり、身体中、特にリンパ節の中にたくさんいて、動き回っています(資料1)。
免疫は、大きく二つに分けられます。先天的に備わっていて、すぐ発動する自然免疫と、後天的に獲得し、時間をかけて発動する獲得免疫。T細胞とB細胞は獲得免疫で、四つの特徴があります。①病原体を見分けられる特異性②どんな敵でもやっつける多様性③自分の身体は攻撃しない自己寛容④二度目はかからない免疫記憶です。
免疫反応を起こす元の物質を抗原といいます。T細胞やB細胞は、抗原レセプターという分子を表面に一種類だけ出していて、特定の抗原だけを認識し、他の抗原には反応しません。これを抗原特異性といいます。身体中には、多種多様な抗原を攻撃できる何百万種類ものリンパ球があるのです。
細胞の設計図である遺伝子が数万個しかないのに、何百万種類も用意できるのは、遺伝子の断片が大量に用意されていて、それを部品として切り貼りして並べ替え、異なる遺伝子をつくり出せるからです。これは遺伝子再構成といい、T細胞とB細胞だけで起こるすごい仕組みです。
それほどたくさんT細胞はあるので、なかには自分を攻撃するものもできてしまいます。T細胞は胸腺でつくられますが、そのとき、自分を攻撃しかねない細胞を取り除いています。
そして、なぜ感染症に二度はかからないかについて。抗原によって活性化されたT細胞は、エフェクターT細胞という、仕事をする細胞となって感染細胞を殺し、感染症は治ります。仕事を終えたエフェクターT細胞も死にますが、その一部が、メモリーT細胞となってリンパ節などで長い間生き続けます。二回目の感染では、メモリーT細胞はすぐ大量のエフェクターT細胞となるため、一回目に比べ、速く、効率よく反応できるのです。
そんなT細胞はどうやってできるのか?これが桂義元先生の研究室で、私に与えられたテーマでした。当時、T細胞はB細胞と共通の分化経路を通ってできると考えられていて、教科書にもそうありました。見た目や働きが似たものは、近縁と類推されやすいのです。けれどクジラとサメは似ていても遠縁です。独自に開発した方法でていねいに調べたら、T細胞とB細胞は異なる経路でつくられることがわかりました。
こうした研究で成果をあげ、論文もいくつか出せて、学位も取れました。桂先生の定年退職にともない、現在の京大総長で、当時免疫学教授だった湊長博先生から、助手として声をかけられ、40歳にして研究に専念できる環境が整ったのです。
その後すぐ、自然科学の総合研究所である理化学研究所にチームリーダーとして採用されました。十分な研究スペースと潤沢な研究費が使える素晴らしい環境でした。ここで、造血幹細胞からT前駆細胞へ至る過程を解明し、胸腺中の最も未分化なT前駆細胞は、B細胞へ分化する能力は失っているが、マクロファージへ分化する能力は保持していることを突きとめました。この論文は世界的権威の「Nature」に掲載されました。
それから京大に教授として戻り、最近は血液細胞の進化的起源について研究しています。
資料1
私の研究室にはもう一つ、リンパ球を試験管内で作製し、がんや感染症を治すという研究テーマがあります。研究の過程でさまざまな培養法を開発してきて、これを病気の治療に使えないかと考えてきました。
例えば、現在のがん治療で、自分のT細胞を採取し免疫記憶を担う遺伝子を移植、増幅させてから体内に戻す「自家」T細胞療法があります。ただし時間がかかり、治療費も三千万円ほどと高額で、品質もばらつきがあります(資料2)。
もしこれを自分のT細胞ではなく、iPS細胞で再生したT細胞に置き換えられれば、多くの人に使えて、低価格で高品質、均質な治療を提供できます。現在、京都大学医学部附属病院で白血病を対象にした臨床試験に向けて準備を進めています。
また、感染症から治った患者の免疫記憶を、iPS細胞などで再生したT細胞に移植し、投与することで、患者の免疫に拒絶されずに免疫記憶を移植できます。現在、新型コロナウイルス感染症の重症者向け治療薬として、2029年頃の実用を目指しています。
こうした、がんや感染症の治療法の実現を目指すため、2019年にベンチャー企業を立ち上げました。開発した技術を患者さんに届けるには、資金が必要です。「発明」だけでは大手製薬会社は引き受けてくれないし、国の機関も臨床試験の第一段階までしか支援してくれません。臨床の現場で使えるようになるための臨床試験には、数百億円かかると言われます。企業価値を高め、投資というかたちで、できるだけたくさんの資金を集め、治療法を確立するための起業です。
別な形の社会貢献として、「科学コミュニケーション」も大事にしています。かつて、科学者が科学を市民に啓蒙していた時代から、今は双方向的なコミュニケーションによって伝えることが科学者の義務であり、国の指針にもなっています。
科学者は一般市民の思いを知り、より正しい科学を実践する。市民は科学を知ることで純粋に楽しんだり、倫理的問題がある場合は中止を要請したりします。例えば人間の臓器を豚の体内でつくる話や、ヒトiPS細胞から再生した脳組織に脳波が検出された事例もありました。このように、市民の理解が追いつかないような方向に科学が進歩すれば、科学は暴走しかねません。コミュニケーションをしっかり取る必要があるのです。
私の場合、コミュニケーションとは人として自然な活動だと考えています。自分にとっておもしろくて楽しい科学のことを、心を込めてみなさんに話し、共感を得ることは、まさに喜びです。
一般公開の展示や実験教室は言うに及ばず、得意のイラストを生かし、学会ポスター(資料3)や書籍の表紙の制作。さらには免疫学者同士でバンドを組み、免疫をテーマにロックしています。ライブも開催し、NHKの生活科学番組「ガッテン!」にも出演、CDもリリースしています。趣味を大事にすれば、人生は豊かになるんですね。
資料2
資料3
免疫学の知見は、この30〜40年で驚くほど集積しています。しかし、転移したがんや致死的なウイルス感染症など、完全な解決にはさらなる研究開発が必要です。
もし自然や科学への好奇心を持ち、理科が好きならば、研究者の道を検討してみてください。研究者はクリエイティブワークの中でも特にやりがいがあります。人類が知らないことを発見したり、直面する問題、病気や災害などを本質的に解決したりできるのです。
私の父は高校で生物を教えながら、植物の培養の研究を続けていました。そんな姿を見て育ち、研究者はおもしろそうだと思いました。父は「Nature」に論文を送ったこともありますが掲載にはいたらず、とても残念がっていました。なので私は論文が「Nature」に掲載される際に、父に向けて「河本氏の貴重なアドバイスに感謝」という一文を忍ばせました。
そんな父に73歳で膵臓がんが見つかり、手術したのですが、半年後に再発しました。ちょうどその頃、私の理研への着任が決まり、なんとか一人前の研究者になったことを、父は見届けて亡くなりました。何もできず、もう悔しくて悔しくて、父親の仇打ちのような気持ちで、がんの治療法に取り組んでいます。
私にとって医学とは、知る喜びと創る喜びと、命を救う術なのです。そしてもし、今日の話を聞いて、命を救う術の研究開発に、一人でも多くの人が挑戦してくれたなら、こんなに嬉しいことはない、そう思います。
「免疫細胞社会と珊瑚礁の生態系はどこが似ていてどこが違うか、そして我々人間社会は免疫細胞社会から何かを学べるか」。河本先生のお話を基に、与えられたテーマに沿って、メンバーと共に考え、話し合い、発表しよう!
優勝チームの内容
細胞社会と珊瑚礁は、どちらも場所が限定的ながら多様性があるものの、珊瑚礁には白化もあり、細胞の方が適応能力は高いと思います。また珊瑚礁は弱肉強食ですが、細胞社会は全体のために働いていて、他者や社会のための行動の重要性を学べました。そして免疫記憶のように、一度経験した過ちは二度と犯さないことは大切で、そのためにも人間社会のシステムをアップデートする必要性も感じました。
先生の講評
優勝チームは、論点が整理されて考えやすかったです。大事なのは、ユニークな視点を持つことと、プレゼンを印象的にすること。私もマンガや動画を入れたり、相手の意表を突く、誰もやらないことを心がけています。そのためにも趣味を大切にし、忙しくても歳をとっても、遊び心は忘れないでください。