ケニア・ナッツ・カンパニー創業者
オーガニック・ソリューションズ・ケニア/
ルワンダ/ ジャパン社 社長
ルワンダ・ナッツ社 会長
佐藤 芳之先生
第一線で活躍する企業人や研究者をお迎えし、講演とワークショップを通じて未来を切り拓く力を養う「トップリーダーと学ぶワークショップ」。去る9月19日は「ケニア・ナッツ・カンパニー」創業者の佐藤芳之先生をお招きし、世界で生き抜くための力とは何かをご教授いただいた。アフリカで起業し、年商30億円企業にまで育て上げた佐藤先生。その波乱万丈の半生から見えてくるキーワードとは? 熱気に満ちた当日の模様をダイジェストでご紹介する。
1939年生まれ。宮城県南三陸町で幼年期を過ごす。1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語科を卒業後、アフリカ独立運動の父エンクルマに憧れて日本人初の留学生としてガーナへ渡り、1966年ケニアで東レ・ミルズに現地職員として入社5年間勤務後、製材工場、鉛筆工場、 ビニールシート工場、ナッツ工場など、小規模な工場を次々と立ちあげ、うち一つを最終的に「ケニア・ナッツ・カンパニー」として年商30億円の企業にまで成長させる。2008年にルワンダで、バイオ液を利用した公衆衛生事業を始める。2012年ルワンダ・ナッツ・カンパニー設立、マカダミアナッツの生産、加工、輸出でルワンダ農業の活性化を目指す。日本ファッション協会日本クリエイティブ大賞、旭日双光章叙勲など。
私がアフリカに渡って、今年で53年になります。戦時中の宮城県で生まれた私は、子どもの頃から「ここから脱出したい」という思いを強く抱いていました。それが「アフリカ」という明確な目標へと定まったのは高校生のときです。ホームルームの時間に「10年後の自分の姿」を発表し合ったのですが、そのときに「アフリカへ行く」と宣言してしまいました。それで引っ込みがつかなくなってしまった。
まずは語学を勉強しようと、東京外国語大学へ入学します。それからボート部に入って、体を鍛えました。大学卒業後はガーナ大学へ留学するのですが、自分の英語力の低さを思い知らされたものです。また、サハラ砂漠でマラリアに罹って死にかけたこともあります。世界で活躍するためには、きちんとコミュニケーションのとれる語学力と体力が必要なのです。
ガーナ大学卒業後は日系企業に採用してもらい、ケニアで働くことになります。就職したのは、起業するにしてもビジネスの基礎を学びたいと考えたからです。また、現地の人と同じ立場、同じ目線で働きたかったので現地採用にしてもらいました。そこで5年間働いた後、起業してケニアに鉛筆工場を作ります。当時、ケニアの子どもたちが使う鉛筆はすべて輸入品でした。ケニア産の鉛筆で子どもたちに勉強してもらおうと考えたのです。
ところがケニアには近代的な製材所がなく、これも自前で立ち上げるしかありません。ですがそのうち「木を伐る」という行為に疑問を感じるようになったのです。逆に、木を植えようと思ったのですね。そんなときに出会ったのが、マカダミアナッツです。さっそく日本の製菓会社に相談してみると、当時の社長がケニアまで飛んできてくれて、資金も人材も出すと言ってくれました。技術も何も持たない私を信じてくれたのです。
こうして1974年、マカダミアナッツの生産、加工、輸出を手掛ける「ケニア・ナッツ・カンパニー」が誕生します。ここで私がこだわったのは「生産者主体の農業開発」という点でした。援助ではなく、彼らの自立を促すため、農民がオーナーとしてナッツを生産して、現金収入を得る道筋をつけようとしたのです。最終的に同社は、年商30億円、従業員数4000人にまで成長することになります。こちらは数年前に一株だけ残して、現地の人たちに譲渡しました。創業社長の私がいつまでも居座っていては、若手が育たないからです。
けれども、若い彼らの活躍を見ていると負けてはいられません。次に私は、内戦が長く続いていたルワンダへと渡り、新たなビジネスに挑戦することになります。私はよく「どこを本拠地にして仕事をしているのですか?」と尋ねられるのですが、そんなときは「地球です」と答えています。地球には本来、国家や国境といった境界線はありません。最後に輝くのは、一人ひとりの人間です。皆さんも、どうか輝く「個」であってほしいと思います。
講演前に東進ハイスクール・東進衛星予備校の永瀬昭幸理事長より挨拶。佐藤先生は一般的な企業家とは異なる「快男児」であると永瀬理事長。また、佐藤先生は今夏ケニアで開催されたアフリカ開発会議(TICAD)の立役者でもある。この日は遠くアフリカから「トップリーダーと学ぶワークショップ」のために駆けつけて下さった。
空腹(Hungry)と満腹(Full)について考える
ワークショップのテーマは「空腹(Hungry)と満腹(Full)について考える」。日本社会で暮らす私たちは満たされているのか、それともハングリーなのだろうか? 6名1チームとなって、物質面、精神面、社会面などから考察し、議論をしていく。
予選に挑む
自分たちの意見をワークシートに記入して予選に挑む。「満腹の人も存在すべき」「モノが満たされていれば幸福か?」など、各チームの論点は三者三様。1分30秒の持ち時間を有効に使って、いかに聴衆の心に響くプレゼンができるかが勝負のポイントだ。
予選を勝ち抜いて、いよいよ決勝。
予選を勝ち上がった6チームによる決勝戦。代表者が壇上に上がってしのぎを削る。「躍動感があって素晴らしい」「マイノリティへの視点は重要です」「我々はコンフォートゾーン、居心地のいい場所にいることを忘れないでください」――高校生たちの熱戦を前にして佐藤先生の講評にも自然と力が入る。
表彰式
栄冠に輝いたのは「空腹」と「満腹」を「International」と「Domestic」という対立軸に置き換えて考察したチームと、「空腹と満腹のどちらも体験すべき」と主張したチーム。視点のフレッシュさと対立軸を明確に示したことが高い評価を得た。「ケニアから来た甲斐がありました」と微笑む佐藤先生から表彰状を授与していただき、大いに沸いたワークショップは閉幕を迎えた。
ワークショップを通じてより明確な目標を決めたいと考えて、参加を決めました。広い視野、世界を変えようという強い意思、失敗を恐れない精神など、佐藤先生の講演から学ぶことはとても多かったです。続くワークショップでは積極的に自分の意見を言うことができました。普段は率先して発言するほうではないので、これも先生の講演を聴いた成果だと実感しています。
世界で活躍するには「体力」が必要という佐藤先生の言葉が印象に残っています。進駐軍を相手にイタズラをしたという子どもの頃のお話もとてもユニークで親近感を持ちました。本当は人前で発表するのは苦手なのですが、ワークショップでは頑張ってみようと一念発起。全体のまとめ役と発表者を務めました。将来は宇宙開発の仕事に携わりたいと考えています。
佐藤先生の実行力には驚かされるばかり。自分の知らない生き方や働き方があることに改めて気づかされました。とくにアフリカの人たちの自立支援のために、会社のほぼすべてを譲渡したというお話にはとても感銘を受けました。「国境のない」生き方を目指して、私も世界に挑戦していきたいと思います。
必ず成功させるという自信を持ち企業トップとわたりあう佐藤先生の生き方を通じて、世界で活躍するためのヒントを掴むことができました。ワークショップは初参加なのですが、それぞれの意見を出しあってまとめていく過程が楽しかったです。「空腹」と「満腹」がテーマでしたが、私は「欲望」を軸にして持論を組み立てました。同じ世代の人たちと意見を戦わせる機会はないので、とても新鮮な体験でした。