筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長
教授
柳沢 正史先生
【ご講演内容】
今回は睡眠研究で画期的な成果をあげて、2022年に続き、2023年9月にも世界的な賞を受賞された柳沢正史先生をお招きし「睡眠の謎に挑む」をテーマに、睡眠の定義から最新の睡眠研究などについてご講演いただいた。
睡眠については二つ、大きな謎があります。まず、なぜすべての動物が眠るのか。眠っている間は外界の刺激に対して鈍くなるので、非常に危険です。にもかかわらず眠るのは、なぜなのでしょう。もう一つ、動物には種ごとに一日に何時間眠るかというセットポイントがありますが、これがどのように決まっているのかがわかっていません(資料1)。例えばなぜ間が7~8時間眠るのかは不明なのです。
睡眠とは次の四つで定義されます。第一は、睡眠と覚醒の切り替えが素早く可逆的で、叩き起こせばすぐさま起きる状態これが睡眠です。第二に、睡眠中は基本的にあまり動きません。第三は、感覚刺激に対して反応が鈍くなっていること。第四が、徹夜明けなど眠りの足りない状態になると、次には深く眠るリバウンドが起こること。これらが睡眠の定義となります。
この定義に従い、脳を持つ動物はすべて眠ると考えられていました。
ところが五年ほど前に『クラゲも眠る』と題し衝撃的な論文が出されました。クラゲは脳を持っていないにもかかわらず、眠るとはどういうことか。睡眠は脳よりも先に発明されたということであり、睡眠がいかに根源的なものかがわかります。
人間の脳の状態は、ノンレム・レム・覚醒の3つに分けられます。ノンレム睡眠には3段階の深さがあります。レム睡眠とはRapid Eye Movementの略で、脱力して深く眠っていながらも目がキョロキョロ動いている状態で、このときにはっきりとした夢を見ています。
誤解されがちですが、レム睡眠はけっして浅い眠りではありません。ただ脳の状態は、ノンレム、レムと覚醒ではまったく異なっています。
資料1
国際標準では昼間に眠いのは体調不良とされます。若者に多い原因としては睡眠不足、不眠症、リズム障害が考えられます。寝る時間を確保しているのに、思うように眠れないのが不眠症で、体のリズムが遅れがちになり朝起きられないのがリズム障害です。
国民一人あたりのGDPと平均睡眠時間の関係を見ると、経済的に豊かな国ほど良く寝ています。ところが日本はGDPでは世界の中間レベルにありながら、睡眠時間では完全に異常値です(資料2)。寝不足になると、脳のパフォーマンスがどんどん落ちていきます。
よく「寝すぎて調子が悪い」とか「寝過ぎは良くない」などと言いますが、実際には人間は寝すぎたりできません。必要としている睡眠量以上には眠れない、つまり睡眠は貯金できないのです。
睡眠が足りていないとメンタルの不調を起こしたり、メタボリック症候群になったり、認知症のリスクが確実に高まったりします。逆に毎晩10時間以上寝ている人も、体のどこかに不調を抱えています。
休日つまり朝起きなくてもよい日と平日の睡眠時間の違いが、2時間以上ある場合は要注意です。また昼間に暗い部屋で横になったときに何分で寝落ちするかを計測して、8分以下だったら睡眠不足です。
日本人は世界レベルで見ると睡眠不足で、なかでも中学生から大学生までの大多数が睡眠不足です。睡眠を削って勉強するのは逆効果、よく寝ている学生の方が成績が良いとのデータがあります。
眠るためには、寝室の環境を整えることが大切です。暗くて静かなのは当たり前だとして、温度にも注意してください。よくエアコンをつけっぱなしで眠ると体に悪いと言いますが、これには根拠はありません。自分にとっての適温を朝まで保つのが、睡眠の質を高めるコツです。
資料2
睡眠の制御に関係しているのが「眠気」です。ただ眠気の脳内の実体はわかっていません。一方で眠気の調節の現象面はよく研究されていて、「恒常性制御」と「体内時計による制御」が知られています。
起きている間に眠気が蓄積されていき、眠っている間に睡眠要求が解消される仕組み、これが恒常性制御です。ただしこれだけだと、一番眠くないのは朝起きたときで、それから時間が経つにつれて眠くなるはずですが、実は夜の9時ぐらいが最も眠くない時間です。これは体内時計の仕組みにより、覚醒方向のシグナルが出るためです。
全身のマスタークロックは、視床下部の底に位置する「視交叉上核」にあります。大きさは直径1ミリ程度、神経細胞の数は数万個と非常に小さな構造ながら、この細胞が体内時計を刻んでいます。強い短波長の光が目に入ると、視交叉上核に伝わり、朝のシグナルとして受け止められます。 だから晩になったらブルーライトを避けたほうがよいのです。
体内時計のメカニズムはわかっているけれども、それが具体的にどのように眠気を制御しているのかは、まだ不明ですが、体内時計と眠気をつなぐものとして提唱されているのが、ホルモンの一種メメラトニンです。メラトニンは夜の時頃から朝の7時ぐらいまでの間だけ分泌されます。そしてメラトニンが出ている時間帯はよく眠れる。ところが夜に強い光を目に入れると、メラトニンが抑制されるため眠れなくなります。体内時計のリズムについては、子どもの頃が朝型、思春期から20代にかけて夜型になり、そこから年齢を重ねるに連れて再び徐々に朝型に戻っていきます。このリズムの変化に注目してアメリカでは「スタートスクールレイター運動」が行われました。高校生を朝早く起こすのはよくないから、学校の始業時間と終業時間を2時間ぐらい遅らせた結果、成績が良くなったと報告されています。
私の睡眠研究は、脳内物質オレキシンの発見から始まりました。ただ新しい物質を見つけたけれども、当初はその役割がよくわからず、食欲を抑制する物質として論文を発表しました。
次の段階として、遺伝子操作によりオレキシンを作れなくしたマウスを作り、どのような状態になるのかを調べました。ところが、このオレキシン欠乏症マウスは基本的に健康で、普通のマウスと比べて異常な点は見つかりません。
なにかおかしいと考えた末に、マウスが夜行性動物であることに気づきました。そこでマウスにとっては寝ている時間帯となる昼間の行動ではなく、積極的に活動する夜間の様子をビデオ撮影して観察しました。するとオレキシン欠乏マウスは突然、発作的に行動停止して倒れてしまうのがわかったのです。覚醒からいきなりレム睡眠様の状態に飛んで倒れてしまう。明らかに何らかの異常が起きています。
これはナルコレプシーという覚醒障害の一つだったのです。ヒトでナルコレプシーの患者さんの脳を調べると、オレキシンが欠乏している事実が明らかになりました。オレキシンの発見により、脳で睡眠と覚醒を切り替えるメカニズムがわかってきました。その結果オレキシンの作用を抑える薬が、新しいタイプの不眠症の治療薬として臨床応用されています。この薬は飲み続けてもくせにならない睡眠薬として注目されています。
さらに研究を進めた結果、シナプスで機能するタンパク質のリン酸化の状態が、眠気の正体の一つではないかとの仮説を得ました。この論文は2022年末に『Nature』に掲載されています。
今取り組んでいるのが、不眠症の客観的な診断です。不眠症とは今のところ、基本的に患者さんの主観的な訴えだけによって診断される疾患です。けれども客観的に睡眠状態を評価すれば、不眠症を訴えている人の中にきちんと眠れている人もいます。ただ睡眠脳波の測定はあまりにも大掛かりな検査である点が問題なのです。
そこで在宅で簡単に自分で睡眠脳波を測定できるシステムを開発しました(資料3)。この測定デバイスを使って自分で計測すればレポートが送られてきます。かつて家庭用の血圧計が開発され、誰でも家で血圧を簡単に測れるようになった結果、高血圧に対する意識が高まり脳卒中の患者さんが激減、高血圧の治療についての教科書が書き換えられました。これと同じことを睡眠障害の治療で起こして、不眠などに悩む人を救いたいのです。
最後に皆さんへ四つのメッセージを贈ります。第一は、人と違っているのを厭わない人になってください。第二は、良い問いを考える能力を大切にしてください。第三は、一度は外国で暮らすことを考えてください。第四に、特に研究者を目指す人は「真実は仮説より奇なり」という言葉をいつも心に留めておいてください。
資料3
睡眠に関してなんでもいいので良い問いを考えてください。その問いを解決するためにはどうしたらいいか、それも考えてください。
柳沢先生より甲乙つけがたいということで、2チームを優勝に選んでいただいた。
優勝チーム1の内容
問いは「金縛りのときに機能している部位はどこなのか」です。これに答えるために、電気信号を使って感覚を客観的にデータ化します。金縛りにあっている人の電気信号を調べると、何かがわかるのではないかと思います。ナルコレプシーと金縛りが似ている可能性があるから、オレキシンの分泌と金縛りに関連性があるとも考えられます。オレキシンの量を数値化する、オレキシンの薬を投与するなどの試行錯誤も可能だと思いました。
優勝チーム2の内容
問いは「日本における睡眠の優先度が低い歴史的背景は何か」です。江戸時代には丑の刻参りなどが睡眠を削って行われ、戦時中には自らを犠牲にして戦力とする風潮があったために睡眠の優先度が下がりました。さらに戦後もサービス残業や一夜漬けなど、睡眠を削って働いたり勉強したりする風潮がありました。これらが日本における睡眠の優先度を下げた原因ではないかと思います。
先生の講評
生物学的な視点と社会的な視点からの問いかけがあり、優劣をつけがたいので2チームを選びました。金縛りが脱力発作と本質的に同じであると見抜いたのはすごいと思います。もう一点は、日本人が眠らない理由を、そのルーツに遡って探ろうという視点が、とてもおもしろいと思いました。