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トップリーダーと学ぶワークショップ
TOP東進タイムズ 2021年8月1日号

脳研究は脳を生かす時代へ
脳とAIを融合させたイノベーションがやってくる

東京大学大学院 薬学系研究科 教授
脳科学者 薬学博士

池谷 裕二先生

今回は東京大学大学院薬学系研究科で教授を務め、脳科学者でもある池谷裕二先生をお招きして「脳が秘める力」をテーマに講演いただいた。

【ご講演内容】
池谷先生は、神経科学および薬理学を専門とし、海馬や大脳皮質の可塑性を研究されています。可塑性とは「何らかの情報によって脳が変化し、その変化がしばらく留まること」を意味します。記憶も可塑性の一つであり、知らない状態から知っている状態への変化と捉えられます。

変化し続ける脳が秘める潜在能力は、一体どれほどのものなのでしょうか。脳はどこまで開拓できるのか。この問いに答えを出すため池谷先生は、『脳AI融合プロジェクト』に取り組んでいます。脳科学とAI、その融合や研究についての話から始まり、脳力の引き出し方までが展開されたオンライン講演とワークショップの様子をお伝えします。

問題意識のあるなしで
同じものでも見え方が違う

東京大学薬学部に進学したとき、研究室の教授から「君は学部時代と修士課程、博士課程でそれぞれ研究テーマを変えなさい」と言われました。研究とは通常、一つのテーマを究めるだけでも10年ぐらいかかるものです。だから短期でテーマを変えるようになどと普通は言わないはずなのですが。その教えに従い最初の一年間は「嘔吐の研究」に取り組みました。

なぜ嘔吐だったのか。抗がん剤の副作用で嘔吐する人が多く、どうすれば抑えられるかが当時の重要課題となっていたからです。ただ実験動物としてよく使われるネズミは嘔吐しないので、この研究には使えません。そのためイヌやネコなどの大型動物で実験が行われていました。

ところが、私の指導教官だった齋藤洋教授があるとき偶然、小動物のスンクス(日本名:トガリネズミ)を嘔吐の研究に使えると気づきました。その頃スンクスは肝硬変の研究に使われていました。肝硬変は齋藤教授とは何の関係もないテーマでしたが、あるとき肝硬変の実験に使うスンクスが大量に必要になり、齋藤教授も学生に頼まれてスンクスを肝硬変にする作業に付き合っていたのです。

スンクスを肝硬変にするのは簡単でアルコールを注射するだけ。するとスンクスは嘔吐します。これを見た教授はびっくりです。「なんだこのスンクスって、嘔吐するじゃないか」と。けれども周りにいる学生にとってはごく当たり前のこと、「何をいまさら?」といった反応でした。嘔吐の実験に使える小型動物がいないことが問題だったことを知っていた教授からすれば、これは大発見です。

このエピソードで伝えたいのは、問題意識のあるなしで、同じ情景を目にしても見えてくる意味がまったく変わってくるということ。何ごともぼんやりと見ているだけではダメで、常に問題意識を持てと、そんな教えを教授は身をもって示してくれました。

こうして嘔吐を引き起こす脳の回路の研究に取り組み、修士に進んでからは脳の可か塑そ性をテーマとしました。博士課程ではまたテーマを変え、神経活動の可視化、いわゆるイメージングに取り組むようになりました。

ワクワクで暗記スピード上昇
睡眠学習も嘘じゃない

私の専門分野は記憶学習で、対象となる脳の部位は海馬です。海馬こそはまさに記憶の製造工場です。脳からはアルファ波をはじめとしてさまざまな脳波が出ている中で、海馬からはシータ波とリップル波が出ています。

シータ波は歩いているときに出て、立ち止まるとリップル波に変わります。同じ歩くにしても初めての場所に行くと、強いシータ波が出ます。つまり何かに興味を引かれているとき、シータ波は強くなるのです。逆にリップル波は、何も考えずにぼーっとしているときや、リラックスしているとき、眠っているときなどにも強く出ます。

シータ波の実験結果を一つ紹介します。ウサギの目に、いきなり空気を吹きかけると、ウサギは目を閉じます。これは反射ですが、実験ではこの反射をブザーと組み合わせました。ブザーを鳴らして空気を吹きかける、この動作を繰り返していると、やがてウサギはブザーが鳴っただけで目を閉じるようになります。

ブザーと空気の因果関係をウサギは、何回練習すれば覚えるか。最初は0点ですが、200回ぐらい繰り返すと90点ぐらい取れるようになります。練習の効果を大きく左右するのがシータ波です。海馬からシータ波が出ていれば、出ていないときと比べて覚える速さが4倍ぐらいになります。

興味がないものを覚えるのは難しいのです。逆に考えれば、何か勉強しようと思ったときに"これおもしろいじゃん、次どうなるの?"とワクワク感があれば、覚えるのが速くなります。例えば「大好きなゲームの情報ならどんどん覚えられる」、イメージできますよね。

海馬の神経細胞をさらに細かく調べると、場所細胞の存在が明らかになりました。海馬の中の特定の神経細胞は、特定の場所に来ると発火し、別の神経細胞は別の場所に来たときに発火する。これがネズミの実験で突き止められて、発見者にはノーベル賞が与えられました。

興味深いことに、場所細胞はネズミの睡眠中に活性化していました。眠っているときに海馬からリップル波が出て、リップル波が出ると昼間の経験や記憶が海馬から大脳皮質に送り戻され整理整頓されるのです。

つまり記憶は眠っている間に定着する。だから覚えた内容をしっかり頭の中で定着させるためには、睡眠が必要なのです。

資料1

資料1

脳だけ大きく立派な人間
人間に秘められた大きな可能性

人がモノを見る仕組みを知っていますか。単に目があるから見えるわけではありません。目から入ってきた光は眼球で屈折され、眼底にあるスクリーン・網膜に到達します。網膜は光の信号を電気信号に置き換えます。その電気信号が後頭部に伝えられて視覚皮質を刺激する。この一連のプロセスを経てはじめて、私たちはモノが見えるのです。

つまり網膜の役割は、光刺激を電気刺激に変換する情報交換機・コンバーターです。網膜には赤、青、緑の光に反応するセンサー"錐体細胞"があります。光の三原色というのは、私たちの目にあるアンテナが3色分だということ。私たちが見ているのは太陽の光の反射ですが、実際には太陽が出している光の半分ぐらいしか、人間の目では感じ取れていないのです。それなのに世の中のすべてを見通したような気分に浸っている人間なんて、実はちょっと痛い生き物ですね。

可視光のすぐ隣にある紫外線や赤外線すら、私たちには見えていない。ところが昆虫や鳥、魚類などには紫外線が見えています。せめて紫外線ぐらい見たいじゃないかと、自分の目で紫外線を見ることのできない人間は、紫外線カメラを発明しました。さらに赤外線の測定装置をつくった結果、赤外線に反応している動物たちの存在にも気づきました。

世の中には超音波を感じ取る生き物もいます。コウモリやイルカたちは、超音波を活用して飛び回ったりコミュニケーションも取っている。けれども、そんな特殊能力を持つ動物たちの脳は、実に小さい。一方で、私たち人間の脳は大きい。にもかかわらず人間は空を飛べないし、速く走ることもできない。脳だけは大きくて立派だけれど、脳を乗せている体の性能が低いのです。ということは人間にはまだまだ可能性が残されているはずです。

脳の潜在能力を全開にする
『脳AI融合プロジェクト』

せっかく持って生まれた脳を生かさない手はない。今のところ性能をフルに発揮できていない脳の潜在能力を、何とか少しでも多く引き出して生かしたい。そんな思いを実現するため、政府から委託されて進めているのが『脳AI融合プロジェクト』です。プロジェクトのテーマは上に示している資料2の4つ。

ちなみに私たちの脳はいま、何パーセントぐらい使われているでしょうか。実はこの問いに科学は答えることができません。なぜなら分母、つまり脳の能力全体がどれぐらいになるのかがわからないからです。

歴史を振り返れば、新しいツールができるたびに、新しい脳の使い方が開拓されてきました。何千年も前に文字ができて、脳の使い方は大きく変わりました。さらに電話ができ、インターネットやコンピューターができて、脳の使い方はどんどん変わっています。今やAIがあるのだから、これを活用すれば脳の潜在能力をもっと引き出せるはずです。

いま取り組んでいるのが、ネズミに英語とスペイン語を聞き分けさせる実験です。これまでネズミは、何回訓練しても英語とスペイン語を聞き分けることができませんでした。でも、本当に聞き分けられないのでしょうか。

英語とスペイン語では音波が異なるため、鼓膜で受ける振動も違っています。ということは鼓膜の振動を通じて脳に届けられている信号も、英語を聞いたときとスペイン語を聞いたときでは異なっているはずです。つまりネズミも聴覚皮質では、英語とスペイン語の違いを認識している。ただ脳が、その違いを理解できていないのです。

ネズミの神経活動をきめ細かく解析すると、英語とスペイン語の違いが確かに反映されていました。そこで英語、スペイン語を聞かせたときの脳の活動をAIで解析し、その結果をネズミの脳に戻すと何が起きるか。要するにネズミの脳のなかでこれまでつながっていなかった部分を、AIによってつなぐのです。これによりまもなく英語とスペイン語を聞き分けられる、スーパーネズミが誕生する予定です。

同じような実験を人に対しても行いました。テーマは英語の「L」と「R」の聞き分けです。LとRを聞いたときは、それぞれ鼓膜の振動が異なるから、大脳皮質でもLとRは異なる反応をしているはずで、その反応をMRIで記録します。LとRを聞いたときの反応の違いを本人に教えてトレーニングする。このトレーニングを3日間行うだけで、人はLとRを聞き分けられるようになりました。しかも一度能力を身に着けてしまえば、あとは何もしなくてもずっとLとRを聞き分けられるようになったのです。

資料2

資料1

迫る近未来の世界
念じただけで会話ができる

さらに研究が進められていて、脳に手を加えて苦手を克服できる可能性が出てきています。ゴキブリを見ると不快な気分になる人が多いと思いますが、ゴキブリを見ても"嫌だ!"という反応を起こさないように脳を改変できる。虫の好みを変えるばかりか、人の好き嫌いを変えるのも可能です(資料3)。

脳の活動を記録すれば、言葉にして話さなくても、脳内の情報を解読したり脳を操作したりできます。例えば声には出さずに頭の中だけで強くしゃべってもらい、その際の脳の活動をAIで読み取ってデータ化します。そのデータをAIで再現すれば、スピーカーからことば音として再現できます。頭の中で強く念じただけで、ことばが音声として出てくるのです。これは事故などで声帯を失った人、しゃべれなくなった人などをサポートする技術として注目されています。

地磁気を感じる、方角がわかるネズミをつくることにも成功しました。いま使われているスマートフォンには、超小型の地磁気センサーが組み込まれています。このセンサーをネズミの脳につないで実験したところ、ネズミは方角を正しく認識できるようになりました。この実験成果は"日本の研究者が、ネズミに第六感を移植した"と、海外のメディアで大きく取り上げられました。

自分の脳と誰かの脳をつなげれば、他人の脳から情報をもらうことが可能です。 “Brain to Brain Interface”と呼ばれる技術で脳と脳を繋げると、リアルタイムで他人の感覚や運動の情報をシェアできる。仮にそうやって世界中の人の脳を繋げると、とてつもなく高次元な心ができるかもしれません。

これらバイオハッキング、あるいはトランスヒューマンと呼ばれる技術は、世界の一部ではすでに現実のものとなっています。この先、脳に関する理解が深まれば、脳をどんどん拡張できるようになるでしょう。だからといって"科学的に可能であれば何をやっても許されるのか"。これからの脳科学は、常にこの問いとも向き合いながら研究を進めていかなければならないと考えています。

資料3

資料1
ワークショップの写真

ワークショップ【探る】

テーマは【脳の機能を開発することで人の幸せがどう変わるのか どのような未来社会が実現できるのか】

池谷先生の講演後は、それぞれのチームにわかれてワークショップを開始。池谷先生から与えられたテーマは【脳の機能を開発することで人の幸せがどう変わるのか どのような未来社会が実現できるのか】。講演内容を基にメンバー一丸となって考え、発表を行った。ここでは、ユニークな2チームのプレゼン内容を紹介します。

ワークショップの写真

ワークショップ【Aチームのプレゼン内容】

記憶をVRに保存して、記憶を共有する

AIと脳の融合によって可能になること、例えば記憶をVRに保存すれば永遠に生きる夢が叶い、昔の経験を振り返ったり、他人と感情を共有できたりするでしょう。ただ、それが本当に幸せなのかとも考えました。過去の経験に浸っているときはいいけれど、現実に戻るとむなしくなるかもしれない。過去の経験は楽しかったものだけではなく、反省すべきこともあるはずで、そうした経験があるからこそ今後をより良くするよう考えることもできる。このようにさまざまな考え方があるはずなので、未来社会になっても幸せの定義は難しいと思いました。

ワークショップ【Dチームのプレゼン内容】

言葉で表現できない感情を共有する

犯罪を犯した人の脳機能を再現し、犯行中の映像を復元できるようになれば、冤罪を抑止できるようになります。亡くなった人の思い出をVRで復元することも可能でしょう。記憶や感覚を映像化できれば、言葉で表現できない感情を共有するコミュニケーションツールを開発できそうです。脳波を使ってネイティブの発声を脳に送れば、リスニングやスピーキングなど語学教育に役立てられます。リハビリなどでも言葉で伝えにくい動きを、脳内にあるイメージを体現する装置を使って、完全に伝えられると考えました。

ワークショップの写真

ワークショップ【講評】

池谷先生の講評【Aチーム】

VRが進めば、脳内での刺激なども実現できそうです。良かったポイントは、最後の“幸せの定義”のところ。時代や世界が変われば、幸せの定義自体が変わってきます。だからどんなに技術が進んでも、その世界の中で自分が幸せになるにはどうすればよいかと考えなければならない。この指摘が参考になると思いました。

池谷先生の講評【Dチーム】

犯罪に関しては、実際にAIがウソ発見器に活用されている国があります。いくつもあげてもらった中で特に良かったのが、コミュニケーションの部分。言葉でしかコミュニケーションできないからギャップが生じたりするわけで、直接感情を共有できると齟齬を解消できる。さらに新しい芸術のあり方にも発展すると思いました。

未来発見サイト

タイトル

ナガセの教育ネットワーク

教育力こそが、国力だと思う。