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トップリーダーと学ぶワークショップ
TOP東進タイムズ 2022年8月1日号

自然が生み出した分子工学 生命に迫る

東京大学大学院 工学系研究科 教授
日本生物物理学会 会長

野地 博行先生

【ご講演内容】

研究やビジネスの最前線を走る“現代の偉人”を講師に迎える「トップリーダーと学ぶワークショップ」。研究やビジネスの最前線を走る“現代の偉人”を講師に迎える「トップリーダーと学ぶワークショップ」。今回は、生きた細胞システムを創り出すことに取り組んでいる野地博行先生にご登場いただいた。「まだ誰も成し得ていない新しい細胞を人工的に生み出すのが目標」と語る野地先生のオンライン講義とワークショップの様子をお伝えします。

人を動かすガソリン、ATP

人はもちろん、あらゆる生物の活動にはエネルギーが欠かせません。そのエネルギーを蓄えているのがATP(アデノシン三リン酸)、細胞のエネルギー通貨とも呼ばれる分子です。ATPがADPと無機リン酸に加水分解されるときにエネルギーが放出され、このエネルギーが筋収縮やタンパク質合成など体内のあらゆる活動に使われます。成人では、1日あたりATPの消費量が30~40㎏にもなります。人を動かすガソリンといえます。

人が生きていくうえで欠かせないATPは、細胞内小器官のミトコンドリア内で合成酸素によってつくられます。そのプロセスでは、まず食物から摂取したグルコースを分解するときに発生する化学エネルギーを電圧に変換し、電位を起こします。この電位にしたがって水素イオンのプラス電荷が、上から下に流れる際のエネルギーを使ってATPが合成されます(資料1)。

ポイントは、物理エネルギーの電圧を利用してATPを合成するプロセスです。この解明が、1980年から90年代にかけての研究者たちにとって大問題となっていました。当時すでにATP合成酵素の構造は、直径が10nm(ナノメートル=10億分の1メートル)、高さが40nmぐらいで、F0とF1と呼ばれる部分に分けられるのがわかっていました。けれども物理的なポテンシャルエネルギーである電圧を、ケミカルなエネルギーであるATPに変換する方法が不明でした。

研究者たちの考え方は、直接共益説と構造変化説に二分されていましたが、結論からいえば構造変化説が正解でした(資料2)。分子内に回転する機構があり、その回転エネルギーによってATPが合成されるのです。とはいえ当時はF1が本当に回るのかどうかさえ疑問視されていました。私が所属していた研究室の吉田先生も「F1は回らない、俺はボキッと折れると思っている」と主張します。そこで私が実験で確かめることになりました。

資料1

資料1

体の中のモーターを証明

学部4年生から研究室に配属となった私は、修士を終えるまでの3年間で何も成果を出せていませんでした。この間は私にとって「暗黒時代」です。今度こそは一矢報いないとだめだ、そう自分に言い聞かせながら、必死に実験を繰り返しました。

結果は意外にも、すべて教授の「折れる」仮説に反するものでした。休暇中の教授に、当時はFAXで実験結果を送ります。するとあっけなく「そっか、俺が間違っていたかもしれんな」と返事が届きました。

このとき私は、とても貴重な学びを得ました。それは「先人の考えを鵜呑みにするのではなく、自分で検証して、考えてみないとだめだ」、でした。

どうすれば回転を証明できるのか、つまりATP合成酵素が回転分子モーターで構成されていると証明できるのか。研究室にあるノウハウをすべて使って試したけれど証明できません。行き詰まった私は思いきって外の世界に飛び出し、生物物理学会に行ってみました。そこで出会ったのが、タンパク質一個を顕微鏡で観察する1分子計測です。

ところが、その研究者は大阪大学の柳田敏雄先生で、私は東京です。学生の身分で簡単に東京・大阪間を行ったり来たりはできません。困っていると、周りにいたほかの研究者の方に東京にいる1分子計測のプロ、故・木下一彦先生を紹介してもらうことができました。

木下先生には「一体どっちに回るんだ。私は野地くんと反対向きに賭けるから、勝負しよう」と言われ、再び師弟対決です。1分子計測とはいえ合成酵素の大きさはわずかに10nm、小さすぎて当時の顕微鏡の解像度では見えません。

なんとか観察するために、回転している部分の先に長い棒をくっつけました。回転部分の分子の大きさが10nmなのに対して、くっつけた棒の長さは1000nmから最大4000nmほど。例えるならプールに入って、自分の身長の400倍ぐらい長い棒を持って「回せ」というようなものです。

普通に考えれば、回るはずがない。ところが、このときの私は「もっていた」のです。なんと一回目の実験で、思ったとおりのデータがを取れた。しかも私が予想したとおりの反時計回りです。ただし二回目はだめで、それからの二週間は全部失敗でした。

それでも最初に成功しているから、必ずできるはずだと信じて条件を変えていくと、やがてポツポツと成果が出始めました。最終的に実験は成功し、世界で初めてこの酵素が回転分子モーターだと実証できた私は研究者として認められました。二度の師弟対決は、まさにその後の人生を賭けた実験でもあったのです。

資料2

資料2

生物は、生物からしか生まれないのか?

私が実験で確かめたのは、回転エネルギーによるATP分解過程でした。ATPのエネルギー変換効率は100%近く、ほぼ平衡状態といえます。平衡状態とは可逆性があるので、状況を逆にしても同じ結果が得られると考えました。反時計回りでATPが分解されるのなら、逆に回転させればATPを合成できるのではないか。学位を取って次にトライしたのが、逆回転によるATPの合成です。

実験成功の鍵を握るのが、逆回転させる技術と、合成されたATPを検出する技術です。仮に合成できたとして、得られるATPの量は最大でも1800個です。通常の分析ならATPは1014個必要だから絶対的に足りません。問題を解決するために、10と極小の試験管を用意し、磁気ピンセットを活用しました。このときも、たまたま出会ったマイクロデバイスの専門家と共同研究した結果、実験は成功しました。

次に取り組んだのが、人工細胞の作成です。細胞と同じように生きているものを、分子から組み上げたい。そう考えたとき一番簡単な製造法は、生きている細胞を一個取ってきて、その中身全部を、化学反応を起こす容器リアクターの中に入れてみればよいのです。細胞を構成している分子が、すべて入っているのだから、生きている細胞が自然発生する可能性はある。

研究室には最先端の顕微鏡があり、世界一小さな試験菅を使いこなす技術もあります。けれども期待した「バクテリアサイボーグ」実験の結果は、残念ながらほとんど変化なしに終わりました。

なんとかして自律的に自己増殖するシステムを創りたい。といっても原材料となるアミノ酸からすべてをつくるのではなく、あらかじめつくっておいた部品を与えて、そこから自己複製するようなシステムです。

なぜ、そんなものを創りたいのかといえば、理由は三つあります。第一は、生物学における最大のドグマ、定説である「生物は生物からしか生まれない」をくつがえしたい。生物じゃないものからでも、生物を生めると証明したい。第二が「生きている状態」の必要十分条件を知りたい。第三としては「生命の進化する能力」を活用して新しい分子工学を開拓したいからです。

子ども心に刺さったエピソード

思い返せば、今に至る原点は、小学一年生のときに読んだマンガ『海のひみつ』に描かれていた生命の起源です。このとき生まれた生命とは何かという疑問が、今も心に突き刺さったままなのです。

かつて物理学者シュレディンガーが発した問い“ What is Life? ”は、今では化学の問題であり、これに答えるには生命を創って検証するしかありません。「生命」の性質は、代謝・自己複製・進化とされます。だから三つの性質を備えた生物、進化する分子システムを創って検証したい。

いま取り組んでいるのが「膜なし」原始細胞モデルから、生命を創るチャレンジです。このモデルにDNA、RNA、タンパク質などを入れて、勝手に成長し増殖するシステムを創る計画です。これまでのところシステムづくりはうまく進んでいて、いずれ自律分裂して進化する化学システムを創り出せそうです。

生命とは、自然が生み出した分子工学です。生物からさまざまな学びを得て、化学は進歩を続けています。その生命を構成する分子はとても気まぐれであり、その分子によって構成される細胞も気まぐれです。ところが人は膨大な数の気まぐれ細胞から成り立っているのに、なぜか全体としては協調性を保っている。そのメカニズムはまだ解明されていません。

35億年も生き延びてきた分子システムからは、極めて多くの学びを得られます。「生命の工学」を利用して、さまざまな社会問題を解決していきたいし、ぜひ、皆さんの中からも後に続く研究者が出てくれるのを期待します。

資料3

資料3

ワークショップ【優勝したチームのプレゼン内容】

生命の工学を利用して、環境・エネルギー問題解決に寄与するアイデア

地球温暖化の解決策として「クマムシ建材」を提案します。クマムシは、極限状態など生命に危機が訪れたときに乾眠行動をとります。乾眠とは、体内の水分を放出してグルコースをトレハロースに変えて、体をとても硬くする現象です。乾眠状態のクマムシを建築材料として活用すれば、森林伐採を防止できます。乾眠状態のクマムシの耐熱性は-273℃から151℃まで、耐気圧性は真空状態から7万5千気圧までです。従ってクマムシ建材は、耐火性と耐震性に極めて優れていて、宇宙でも活用できるでしょう。乾眠状態に水分を与えると元に戻るので、使用後は元の柔らかな状態に戻せば、産業廃棄物の抑制にもつながります。

ワークショップの写真

ワークショップ【講評】

野地先生の講評

発想がぶっ飛んでユニークなうえに、ネーミングがいい。しかも現実問題をきちんと押さえています。トレハロースについても、まだ良くわかっていな部分が多くあり、重要な研究対象ですから、クマムシを観察して原理を理解し、抽象化してからテクノロジーに落とし込む発想も良いと思いました。

未来発見サイト

タイトル

ナガセの教育ネットワーク

教育力こそが、国力だと思う。