ページを更新する ページを更新する
トップリーダーと学ぶワークショップ
TOP東進タイムズ 2023年11月号

「動かない岩を動かす。」
~「人との出会い」と「発明」で綴られたぴあ50年史~
(矢内 廣先生)

ぴあ株式会社
代表取締役社長

矢内 廣先生

【ご講演内容】

今回は学生時代に情報誌『ぴあ』を創刊して起業し、後に上場企業にまで育て上げた矢内廣先生をお招きして「動かない岩を動かす。」をテーマに、事業展開を支えた思いと出会いについて講演いただいた。

必要なのにない
それなら創り出せばいい

大学4年生のときの話です。ちょうどそのころ、テレビ局で一緒にアルバイトをしていた友だちと「そろそろ就職を考えないとな」などとよく話していました。そうは言いながらも大学を卒業し就職して企業で働くというのが、なんかしゃくだったのです。

今なら就職してからでも、かなり自由に人生を変えられます。けれども50年前の就職とは、一度決められたレールに乗せられると、一生そのレールの上を走り続けなければならないイメージでした。それは嫌だな、じゃあどうしようかと話しているうちに、自分たちで仕事をつくってしまおう、そうすればサラリーマンにならなくていいじゃないかと思いついたのです。

では、何をやるのか。最初は店舗を伴う、自分たちの身近な販売のお店の案が出てきました。ただいずれも「これぐらいならできそう」レベルの発想でしかない。この先の人生を賭けるのだから、今までなかったもの、こんなものが欲しかったんだと人から喜ばれるものを創り出したいと考えました。

そこでひらめいたのが映画です。実は私は映画研究会に入るほどの映画好きでした。ところが当時は自分の観たい映画を、いつ・どこでやっているのかがわからない。上映情報を一覧で紹介しているメディアがなかったのです。それなら自分たちで映画情報をひとまとめにした情報誌を創ってしまおうと思いついた。

これが『ぴあ』の原点です。映画だけでなく都内の演劇・音楽・美術など「いつ・どこで・誰が・何をやる」という情報だけが載っている。主観的な評論などは一切なし、情報提供に徹したそれまでなかった雑誌、だからネーミングも敢えて意味のない言葉を選び『ぴあ』と決めました(資料1)。

資料1

資料1

必死の思いがつないでくれた
人の縁に救われる

雑誌を創るには印刷代が必要です。創刊号は1万部と決めていたので、30万円ぐらいかかる。学生にとっては大金です。

そこへたまたま父親が、実家から私を訪ねてきました。卒業旅行ぐらい海外に行かせてやろうと、お金を工面してきたというのです。その金額がちょうど30万、父親を説得して印刷費は工面できました。

次の課題は配本です。雑誌や書籍は基本的に取次と呼ばれる、出版業界の問屋を経由して各書店に運ばれます(資料2)。だから取次店に頼みに行きましたが「定期刊行の保証もない学生の雑誌など扱えない」と、相手にもしてもらえません。

途方に暮れていたとき、たまたま紀伊國屋書店の社長のインタビュー記事を専門紙で見かけました。そこには「書店の利益をもっと増やさないと、日本の出版文化が廃れてしまう」と書かれていた。この話にピンときて、その記事に出ていた社長、田辺茂一さんにすぐに連絡をしました。

ほとんど突撃状態で田辺社長とお会いできて、思いを伝えました。取次を通さずに情報誌を書店に置いてもらったら、取次の手数料がいらなくなるから、書店の利益が増えるじゃないですかと。すると日本キリスト教書販売の中村専務を紹介してくださった。そこで「『ぴあ』のような情報誌を求めている人はたくさんいるはずで、きっと書店のメリットにもなります」と訴えると「とにかく置いてもらいたい書店のリストを持ってきなさい」と言ってもらえたのです。

すぐにみんなで手分けをしてリストを作り、中村専務に届けました。次に専務を訪ねた日、それは私にとって一生忘れることのできない日となりました。専務の机の上には封筒がどさっと積まれていました。なかには「矢内廣くんを紹介します、取次店に断られたぴあを書店に置きたいと言ってるので、協力してあげてほしい」と、専務の実印を押した紹介状が入っていて、封筒には各書店の社長名がきちんと記されています。それを見た瞬間、膝がガクガク震え出してしばらく止まりませんでした。

紹介状の威力は抜群で、すぐに89軒の書店が扱ってくれました。それからの4年間で扱い店は1万6000店にまで増えていき、その頃には発行部数も10万部を超えました。こうした状況を知った取次店から「うちを通しませんか」と連絡が入り、それ以降は取次店経由となったのです。

 

資料2

  資料2  

人の縁が広がって
できた応援団

次の転機は『チケットぴあ』です。これはイギリスで始まった「プレステル」、電話回線を使って家庭のテレビで情報を見たりプリントアウトできたりするサービスを知らせるニュースを見たのがキッカケです。こんな技術が日本でも普及すれば情報誌『ぴあ』はいらなくなる、と危機感を募らせる一方で、このシステムを活用すればチケットの入手問題を一挙に解決できるともひらめいたのです。なにしろその頃チケットを手に入れようと思えば、都内に10カ所ぐらいあるプレイガイドへ買いに行くしか手がありませんでした。ところが行った先に望むチケットがないと、そこで諦めるしかない。実際にはほかのプレイガイドにはあるかもしれないのに、在庫状況がわからないから、みんな困っていたのです。

チケットの情報をリアルタイムで提供・管理できて、注文も受けられるようにすれば、格段に便利になります。プレステルと同じようなシステムを郵政省(現・総務省)と電電公社(現・NTT)が、共同で「キャプテンシステム」と名づけて実証実験を始めると知り、すぐに参加を申し出ました。これが電話予約でチケットを買える『チケットぴあ』の始まりです(資料3)。

参加するには莫大なコンピューター投資が必要ですが、そんな資金はありません。けれどもあきらめずに電電公社の当時のトップ真藤恒総裁に直談判して、最初のシステム投資なし、月々の利用料だけで使わせてほしいと頼みこみました。

総裁は「おもしろいことを言う人だね」と話を聞いてくれて、しばらくしてOKが出た。その後、取引銀行の支援で興銀の産業調査部を紹介してもらい、『チケットぴあ』のビジネスとしての可能性を調べてもらうと「有望」と判断されました。これで一気に風向きが変わった。

その頃知り合った通産省(現・経済産業省)の次官が「チケットぴあの事業を始めるなら、応援団が必要だね」といって、日本を代表する企業のトップを紹介してくれました。それまでみんなが不便に感じていたチケット入手を画期的に変える『チケットぴあ』、みなさんがその意義を理解してくださり相談役として参加してくれました。

 

資料3

  資料3  

経済性の土台を固めて
理想を追求する

情報誌『ぴあ』から『チケットぴあ』へと事業を展開して2003年には東証一部上場(現・プライム市場)、さらに2020年には『ぴあアリーナMM』をオープンさせるなどビジネスは順調に成長していきました。その一方で実は、お金にならない事業にも真剣に取り組んでいました。

その一例が『ぴあフィルムフェスティバル(PFF)』です。映画監督を目指す若者を応援するため、毎年作品を募集してコンペティションを実施しています。さらに、入選作の監督の中から一人を選び、新作の制作資金3000万円を提供します。このスカラシップによりこれまで27本の作品がつくられ、PFF出身の映画監督は180人を超えました。

もう一つは『チームスマイル』、東日本大震災で被災した人たちをエンターテイメントで励まし、心の復興をサポートする活動です。笑顔を失いがちな被災地のいわき、釜石、仙台に『PIT(Power Into Tohoku)』と名付けたホールをつくり、エンタメイベントでみんなに喜んでもらう。活動を継続するために必要な資金は、東京に『豊洲PIT』というホールをつくり、その収益と寄付金でまかないました。

そんな『チームスマイル』の活動を強力に支援してくれたのが、1990年代に数多くのヒット曲を生み出し、ガールズバンドを代表する『プリンセス プリンセス』です。彼女たちも震災の復興支援のためにバンドを再結成し、コンサートを開催して募金活動に取り組んでいました。チケットの売上金を自分たちは一切受け取らず、自治体に寄付するほか『PIT』に3億1千万円も寄付してくれたのです。この支援を受けて仙台PITが完成し、そのオープニング公演ではプリンセス プリンセスのコンサートを3日間連続で開催しました。

なぜ、お金にならない活動までやるのか。私たちは「経済性」と「趣旨性」を両輪として前に進むという経営理念を定めているからです。単に事業を展開し規模を大きくして、お金を稼ぐだけでなく「それで何をしたいのか」をいつも考えています。

スタートは「あったらいいのにな」と映画好きなら誰もが望んでいた情報誌でした。続いて「もっと便利にならないのか」と不満を感じていたチケットの入手法を劇的に改善しました。

まず自分が何をしたいのかを突き詰める。誰かの役に立つこと、つまり何かの発明でそれを実現するため無我夢中で動いていれば、きっと応援してくれる人が出てくる。最初は目の前に巨大な岩が立ちはだかっているでしょう。でも、そんな岩でも、みんなが後押ししてくれれば、きっと動かせるものです。

だから皆さんもぜひ「自分が何をしたいのか、それは誰の役に立つのか」を考えながら、学生生活を送ってほしいなと思います。

ワークショップ【優勝したチームのプレゼン内容】

あなたが住む都道府県、あるいは市区町村をあなたが考える、もっと住みやすい街にするため、どんな仕掛けをしたらよいのかを考えてみてください

矢内先生より甲乙つけがたいということで、2チームを優勝に選んでいただいた。

優勝チーム1の内容
「満員電車から街へぷワぁ→」というアプリを考えました。これは地元の地元による地元のためのアプリです。自分の知っている街のちょっとした情報を、誰もが自由に提供できるようにします。

優勝チーム2の内容
複雑な駅の出口が簡単にわかるアプリがいいと思いました。地下ホームだとGPSが届かなくて検索のマップも使えません。そこで乗ってきた鉄道と行きたい場所を入力すれば、駅内の経路と出口をわかりやすく案内してくれるシステムです。

ワークショップの写真

ワークショップ【講評】

先生の講評

優勝チーム1の提案は、意外にも地元の人が地元について知らないという、その着眼点がおもしろいと思いました。優勝チーム2は、駅の出口がわからないから、適切なガイドがほしいというのは、切実な悩みであり、その解消につながるアプリだと思います。

スゴイ大先輩に学ぼう

タイトル

ナガセの教育ネットワーク

教育力こそが、国力だと思う。