
「勉強に向いている」と思ったのは矢野が小3の時。軽い気持ちで全国統一小学生テストを受けたらいきなり愛媛県でトップをとった。
中学受験は開成、灘、ラ・サールなど受験したすべての学校に合格。その頃から大学は東大理科三類に行こうと決めていた。スポーツの得意な人がオリンピックを目指すように自然な流れだった。
地元の東進衛星予備校には中1から高3まで通った。学校では、陸上部に所属し、最後は部長を務めるほど打ち込んだ。正直、受験も上手くいくと思っていた。東大模試では合格圏内だった。
しかし東大理科三類入試は甘くない。全国から猛者が集まり合格できるのは100名弱の“狭き門”なのである。それは入試本番の2日目に天変地異のごとく起きた。物理の第一問を見て体中の血の気が引いた。見たことのない問題。気持ちを切り替えようとしたが、抑えようとすればするほど動揺はひどくなった。
「物理は散々な出来で、2限目の英語もリスニングが耳に入ってこないほど最悪な状態でした」
2020年3月10日。覚悟していたとはいえ、不合格のショックは想像を上回った。東大理科三類しか考えていなかったので、他大学は受けていない。再チャレンジにあたり、矢野が考えた選択肢は次の4つ。①東進の新宿校大学受験本科、②東進以外の東京の予備校、③地元の予備校、④宅浪。
そのなかで新宿校を選択した理由は、「家族のもとを離れて厳しい環境に身をおきたかった」のと、「積み重ねてきた知識を土台に高みを目指したい」と思ったからだ。予備校を変えようと思わなかったのか。
「東進の講座を信頼していました。不合格の原因は自分自身の精神力の弱さだとわかっていましたから」
3月下旬。上京し、母と新宿校の説明会に参加した。
「一番びっくりしたのは”君たちは志望校に落ちたからここにいるんだ“とストレートに言われたことです」直視できなかった現実を指摘され、逆に気持ちが楽になったという。
「再挑戦できるのは当たり前じゃない。感謝と覚悟のある人に入学してほしい」
朝7時に起床し、8時半までに登校。昼食時間を除き、夕方の6時半まで受講を中心に学習。
「高3のときは睡眠時間を削って勉強していましたが、担任からのアドバイスで、日付が変わる頃には就寝するようにしました。日中に眠くなる弊害がなくなり、学習効率は上がったと思います」
とはいえ、そんな生活も1週間ほどで中断された。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックで、緊急事態宣言が発令されたからだ。
矢野は自宅で学習を進めることになったが、映像による授業に慣れていたのでほとんど不自由を感じなかったそうだ。行き詰まると自主的にランニングして体と心のバランスを保った。
6月から登校が再開するとやる気を刺激する嬉しい出来事があった。映像による授業でしか受けたことがなかった先生のライブ授業が始まったのだ。とりわけ胸が高鳴ったのは苑田尚之先生の物理だ。
「苑田先生に憧れていました。まさか生で受けられるとは思ってもみませんでした」
苑田先生の口癖は「こんなの基本です」である。「そんなわけない」と思うのだが、説明を聞くと、なるほど先生の言う通りで、「どうしてこれがわからなかったんだろう」と思わせられた。この授業で初見の問題に焦らず、本質から取り組むことができる力が身についた。
反面、コロナ禍で黙々と一人で学習を進めてきた矢野には「学習の方向性は合っているのか」という不安が常にあった。それを解消してくれたのがチームミーティングだ。
「週に一度、同じ志望校を目指す者同士で互いの学習状況を具体的に報告し合うことはとても励みになりました。と同時に、自分の学習の進め方について”これでいいんだ“と安心感を持てたのが良かったです」
そして、もう一つが『東大本番レベル模試』だ。7月実施の模試で、矢野はそこでかつてない高得点を叩き出した。
「努力した結果が数字で示されたことは大きな自信になりました」
浪人は高3の単なる延長ではない。矢野の受験勉強への取り組み方は高校のときとそれから大きく変化した。最も成長を遂げたのが得意科目の数学である。
きっかけは青木純二先生の『数学の真髄ー基本原理追求編ー文理共通』。公式の意味などそれまで意識していなかったが”数学の真髄“を理解することで、応用問題を基礎からていねいに順序立てて考えられるようになった。
また、青木先生のライブ授業ではあらゆる種類の東大数学の演習問題を解いた。予習は必須で、授業では2コマかけて問題解説をたっぷり行う。
「この解説が感動するほどわかりやすいんです」
東大入試は全6問(120点満点)を150分かけて解いていく。高校生のときは解ける問題とそうでない問題を素早く見極め、得点を積み重ねていった矢野。浪人してからの飛躍的な進化により「150分かければどんな問題でも解いてみせる」という境地に到達し、そこから可能な限りの高得点を叩き出すようになったという。
高3のときは東大理科三類以外受験しなかったが、2年目は慶應義塾大医学部と千葉大医学部(後期)を受験することにした。「親や兄弟のために二浪はできない」という理由と、「将来のための大学受験」という本来の目的に立ち返ったからだ。
矢野が「医者になりたい」と思ったのは小1までさかのぼる。
「夏休みの自由研究で身近な人に”仕事のやりがい“についてインタビューしたとき、脳外科医をしている叔父が自らの手で人命を助けていることをかっこいいと思ったんです」
2021年2月。東大入試当日。泣いても笑ってもこれが最後の挑戦だ。この1年、「440点満点中、300点を目指す受験勉強」を指導されていた矢野は330点という極めて高い得点を設定して当日に臨んだ。
1日目。苦手な国語を想定内で終え、次は得意な数学だ。自信もあったし、実際に会心の出来だと感じた。その夜、解答速報で答え合わせをした。
「そしたら、なんと第2問の計算ミスが判明したんです。20点分が丸ごと得点なし。目の前が真っ暗になりました」
嫌な記憶がフラッシュバックしてくる。同じ過ちを繰り返すのか。ところが、ここからの展開は1年前とは全く違っていた。
矢野は冷静さを取り戻すと、「2日目にミスしなければ合格できる得点である」ことを見極めた。この精神力の強さも、1年間の浪人生活で身についた大切な力である。「必ず挽回してみせる」と強く自分に言い聞かせ、果敢に2日目に挑んだ。
2021年3月10日。携帯が鳴っている。
「寝てたの?もう発表されてるよ」
母の声に一気に目が覚めた。東大入試の合格発表日。昨夜は発表時刻の12時ぎりぎりに起きようと敢えて夜更かしをした。
反射的に言葉がでた。
「結果はまだ言わないで。一度切るね」
まっさらな状態から自分の目で確かめたかった。大学のサイトにアクセスすると、拍子抜けするくらいすぐにつながった。震える手でスクロール。
「あった!」
受験票で一文字ずつ確認した。間違いない。急いで母に電話を掛け直す。そのあとはお互いに言葉にならなかった。まさに号泣という表現がぴったり。もちろん幸せの涙である。最後に矢野はこう言って取材を締めくくった。
「勉強だけに打ち込み成長した1年は僕にとって楽しい時間でした。東大理科三類に合格できなかったとしても後悔しなかったと思います」