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航空業界

 小学生のとき、5年間過ごしたタイ生活は多様な文化に興味を持つきっかけになったと話す抽冬珠侑さん。

 「いろいろな人に会いたい」と航空業界へ飛び込み、JAL入社後は、ビジネスの戦略を練る日々を送る。

異文化に興味を持ったタイ在住の子ども時代

京大アメフト部を経てJALで航空事業領域の収益最大化を考える

日本航空株式会社 ソリューション営業本部 

レベニューマネジメント推進部 企画グループ 主任

抽冬 珠侑  (ぬくと みゆ)

1994

兵庫県生まれ。小学校2年生のときにタイのバンコクへ。1学年に300人以上いる現地の日本人学校で5年間過ごす。

2007

東京都私立渋谷教育学園渋谷中学高等学校入学。帰国子女が多かったため、特に違和感なくなじんだ。

2013

京都大学経済学部に入学。アメフト部に入ったのは、「かつて父親がプレーしていた」というのもきっかけの一つだった。アメフト部では朝食前から選手とのミーティングが始まり、練習後の夜にその日の振り返りと翌日の準備が行われるため、朝から晩までアメフト漬けの日々だった。

2018

日本航空株式会社入社。同年、株式会社JALスカイ羽田事業所出向。

2022

国内路線事業部・地方路線グループのフライトアナリストになり、最も興味があった仕事に就く。現在は、ソリューション営業本部 レベニューマネジメント推進部 企画グループの主任として働く。

父親の赴任地タイで5年間生活 渋谷の中高を経て京大に進学

 「空の足」として、飛行機での移動を担う航空会社。世界中でたくさんの人が利用しているのは想像がつくが、航空会社はひと月にどれぐらいの飛行機を飛ばしているのだろうか?

 運航便数を調べると、驚くべき数字が出てきた。例えば日本航空(JAL)が2023年6月に運航したのは国際線・国内線を合わせて2万9073便。毎月変動はあるものの、単純計算で1日に900便以上を運航していることになる。

 JALでこれら膨大な数の運航便を管理し、持続可能なビジネスの戦略を練っているのが、ソリューション営業本部レベニューマネジメント推進部企画グループ。

 この部署で主任を務める抽冬珠侑さんに、JALを志望した理由やこの仕事の舞台裏、やりがいなどを尋ねた。

 抽冬さんは1994年、兵庫県で生まれた。メーカーの技術者だった父親は転勤が多く、小学校に入る前に関東に移った。その後の人生に大きな影響を与えたのは、父親の仕事の都合で小学校2年生から6年生まで過ごしたタイの首都バンコクでの生活だ。

 「日本人や日本の文化がマイノリティだったタイで過ごした5年間は、今も私のなかに色濃く残っています。家族でタイの田舎やビーチ、カンボジアなど近くの国によく旅行に行って、文化の違いにも興味を持つようになりました」

 中学に入学するタイミングで日本に戻ることになり、同じ時期に帰国が決まった友人が受験すると言っていた渋谷教育学園渋谷中学を受け、合格した。

 中高の6年間は、陸上部の短距離走者として、100メートルを走った。熱心に取り組んだが、抽冬さんの思い出に残っているのは、学校で友人とはしゃいで過ごした、なにげない日常。

 「当時から自由な校風で、携帯の持ち込みもOKでした。友だちの誕生日にはホールケーキを買ってきて、先生の部屋の冷蔵庫に保管してもらい、放課後にみんなでお祝いしました。学校生活のすべてが楽しかったですね」

 受験が近づくと、「一つの文化、一つのコミュニティで生きるのはもったいない。いろいろな背景を持つ人と出会える総合大学に進みたい」と考えた。

 両親の希望もあり、関東と祖父母の家がある関西で国公立を志望。センター試験を受けた後、自由な印象のあった京都大学に挑戦することを決める。

 予備校の模試ではD判定だったものの、「力試し」で受けた前期試験に合格し、2013年春、京都大学に入学した。

アメフト部で戦略担当を経験 JALでもアナリストに

 大学では、強豪として知られるアメリカンフットボール部に加入。チームスポーツを経験してみたかったこと、当時、女子がプレーする部活に強いところがなかったことで入部を決めた。

 アメフト部では、アナライジングスタッフという戦略担当を務めた。アメフトには複雑な戦略があり、チーム状況と相手チームの分析をしたうえで、勝つための作戦を考えるのがアナライジングスタッフの役割だ。

 戦略担当の仕事は練習と試合の前後に集中しているため、朝から晩までやることが尽きない。4年間、どっぷりと部活中心の生活に浸った。現在は4年で卒業する部員も多いというが、抽冬さんは夢中になりすぎるあまり、1年卒業を延ばした。その分、就職活動は、学生生活を後悔なくやり切ったという充実感とともに始めることができた。この時も「いろいろな人に会いたい」という思いがあり、その一つが航空業界だった。

 「バンコクに住んでいたとき、よく飛行機を利用していたこともあって、エアラインへの関心はずっと頭の片隅にありました。エアライン事業ってビジネスとしてどう回ってるんだろうという純粋な興味もありましたね」

 複数の航空会社を受けるなか、JALに入社を決めた要因は、「人」だった。「就職活動中、JALの担当者は肩書など表面的な部分を評価するのではなくて、中身を見ようとしてくれていると感じたんです。一緒に仕事をするなら、こういう人たちがいいなと思いました」

 JALの新入社員には多様なキャリアパスが用意されている。2018年に入社した抽冬さんはグループ会社に出向し、羽田空港で空港サービスを提供する業務に就いた。

 そのオペレーションは膨大なうえに、お客さまからは日々さまざまな質問が寄せられる。それらに答えられるように業務の要点、大切なこと、気づいたことなどをまとめた手帳は、細かな文字でいっぱいになった。

 二年後、国内路線事業部・地方路線グループに配属され、フライトアナリストに。ここは、どういう仕事をする部署なのだろう?

 「飛行機をできる限り満席に近づけて、一機あたりの収益を最大化するのが仕事です。システムも使いながら過去のデータを分析して、運賃や便数をどうコントロールしたら収益が最大化するのかを考えます」

 入社してからずっと「早く航空ビジネスに携わりたい」と願っていた抽冬さんにとって、まさに「一丁目一番地」の部署だった。

 ここで京大アメフト部での経験が、実際の仕事に役に立ったそうだ。「扱うデータの量がまるで違いますし、仕事はまったく別物です。でも、傾向を見極めるために数字と睨めっこする我慢強さは、アメフト部で培われたと思います」

 しかし、時を同じくして新型コロナウイルスのパンデミックが起こり、世界的に厳しい移動の制限が始まって、航空業界は大打撃を受けた。その渦中は、減便対応をしながらも飛行機での移動を必要とするお客さまのご要望にもお応えするという一筋縄ではいかない業務だった。

 一方で、それは現場との「つながり」を実感する時間だったと振り返る。

 「フライトアナリストとして仕事をする中で、初期配属で空港カウンターで一緒に働いていた仲間のことを思い出しました。お客さまと対面する空港やコールセンターのスタッフ は、直接お客さまからのご意見をいただくこともあったと思いますし、大変だったと思います。現場も私たちのようなアナリストもチーム一丸となって飛行機を飛ばしているのだと改めて感じましたね」

航空ビジネスの核となる部署へ 将来を見据えて戦略を練る日々

 フライトアナリストとして二年間の勤務を経て、現在はソリューション営業本部・レベニューマネジメント推進部・企画グループで主任を務める。フライトアナリストには担当の路線があり、その路線をどう収益最大化するかが問われるが、今の部署では国内線、国際線の全体を見ながら、いかに飛行機に乗ってもらうか、策を講じるのが仕事だ。

 抽冬さんによると、コロナ禍が落ち着き始め、グローバルでは空の移動が再び活発化してきているのに対し、国内は外国人観光客の国内線需要を喚起する必要があるという。そこで例えば、国内線の活用を促すために大きなキャンペーンを企画し、PRの戦略までを考えているそうだ。

 JALは日本の航空会社なので、日本在住者がメインの顧客であるのは変わらない。しかし、少子高齢化や人口減少が進むなか、市場の縮小は避けられない。そこで抽冬さんの部署では、未来を見据えて手を打ち始めている。

 「いかに海外の方に日本にお越しいただき、国内の移動に飛行機を使ってもらうかにフォーカスしていきたいですね。離発着の東京、大阪で終わらず、地方を巡る際にJALを利用していただくことが、今後の鍵を握ると考えています」

 現状、外国人は都市部の空港を利用した旅行者が大半を占めているものの、最近は少しずつ東北や九州など、日本全国に向かう人が増えているそう。これは抽冬さんの部署でも意外なポイントで、それだけにまだまだ地方へ飛ぶ便のポテンシャルがあると言える。

 やりがいを感じるのは、「社外の人との会話で、たくさんの人の移動を支える大きな仕事に携わってるなと感じるとき」と語る、抽冬さん。今日も数字とデータを眺めながら、現場と青い空に想いを馳せている。

Q&A

たくさん旅行しますか?

はい。最近は韓国と台湾に行きました。周りも旅行好きの方が多いですね。

JALに入るには?

なにかをやりきった経験があるといいですね。社会人になっても自信になると思います。