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医療シリーズ② 医師 編
命の最前線で活躍中のプロフェッショナルを紹介する「医療シリーズ」。第2弾は先月号に引き続き、新宿海上ビル診療所の医師にご登場いただく。近藤健司氏は、同診療所の消化器病センター長。主に大腸疾患を専門としており、とりわけ内視鏡を使った検査・診断・治療を数多く手がけてきた。「腸に魅せられた」と語る近藤医師が、研修医時代に直面した壁とは。また、恩師や先輩からの教え、そして座右の銘としている「四つのことば」についてもお話を伺った。
医師の仕事は常に真剣勝負技術を磨き、患者のことばに寄り添いながら病に立ち向かう。

大島駅前クリニック院長
近藤 健司 (こんどう けんじ)
1958年 東京都生まれ
1977年 保谷高校 卒業
1984年 福岡大学 医学部 卒業
同年 福岡大学病院第一内科 入局
1985年 順天堂大学附属順天堂医院 内科研修医
1987年 同医院 消化器内科 入局
1993年 社会保険中央総合病院 (現・東京山手メディカルセンター)内科 入局
2008年 東京都保健医療公社東部地域病院 内科部長
2011年 医療法人社団 つるかめ会 新宿海上ビル診療所 消火器病センター長。
「腸の美しさ」に魅せられて消化器内科の道へガン早期発見の切り札「大腸内視鏡検査」とは?
「私が医師になった当時は、実は内視鏡はそれほど発達していませんでした。消化器医療はバリウム検査が主だったのです。それが一九八五年頃になって、機器の発達や、検査前に腸内をきれいにする方法、そしてそれを扱う医師の技術向上などが重なって、一気に普及していきました。大腸の場合は、内視鏡で検査中にポリープを見つけたら、その場で取ってしまいます。内視鏡を使った検査、診断、そして治療が、私の仕事の範囲です」
近藤が医学を志した理由は、子ども時代に遡る。自身が腸が弱かったのだ。「ですから、腸に対する興味関心が尋常じゃなかった」と、近藤は笑う。さらに医学の道に進んでからは、「腸の写真に魅せられた」のだという。
「私の大学時代の恩師は、レントゲン撮影の卓抜した技術を持った先生で、とてもきれいな写真を撮るんです。腸というのは、ひだがあって、とても美しいんですね。腸を専門に選ぶ人は、たいていこの美しさに魅了されるんです(笑)」
興味深いことに、内視鏡で撮影した写真にも「個性」が出ると近藤はいう。
「現在の内視鏡はオートシャッターですから、誰が撮影しても同じ写真が撮れます。でもそこでいかに個性を出せるかが腕の見せどころ。画像に込める自分の思い入れが出てくるものなのですよ」
月に一〇〇例もの大腸内視鏡検査を行うという近藤の言葉だけに、大いに説得力がある。
厳しかった研修医時代勇気とやりがいを与えてくれた恩師のひとこと

「研修医時代は、誰よりも早く病院に来て、誰よりも遅く帰りなさいと指導されました。つまり病院に寝泊まりしなさいということです。それが3カ月続いたときは、さすがにつらかった。いつも辞めることばかり考えていましたね」
そんな近藤を思い止まらせたのは、「目の前の患者を放ってはおけない」という強い使命感だった。そしてさらに、一人の恩師との出会いが、近藤の医師としての道を決定づけることとなる。
「30才のときに東京から秋田の病院へ移って研修をしたのですが、そのときに内視鏡の恩師のもとで、技術を学びました。その先生は、日本で屈指の内視鏡技術を持っていらっしゃる方です。そこで腕を磨くことができた。これが、私の人生の大きな宝となりました」
しかし、それも決してやさしい道のりではなかった。寡黙な恩師は、近藤が質問しても答えようとしない。恩師の技術を学びたければ、じっと観察し、盗むしかなかった。研修期間は6カ月。それを過ぎれば、東京の病院へ戻らなければならない。目標は、内視鏡を大腸の一番奥、つまり盲腸まで「5分で到達させる」ことだった。しかし、どうしても5分を切れない。このままでは、自分を送り出してくれた東京の同僚たちに顔向けもできない。近藤は必死に、師の影を追い求めた。
「ようやく5分を切れるようになったのは、秋田へ来て4カ月が過ぎた頃でした。それまで検査を完遂できない状態が続いていましたから、とてもうれしかった」
さらに近藤を喜ばせる出来事があった。恩師にそのことを報告すると、思いがけない言葉が返ってきたのだ。
「お前はうまくなると思っていたよ、と言っていただけたんです。勇気が湧いて、このとき医師のやりがいを実感しましたね」
恩師はあえて、自分の背中を見せることで自身の技術を伝えようとした。初めから近藤の力を確信していたのだ。そんな恩師の優しさが身にしみた。近藤が、内視鏡医としての一歩を踏み出した瞬間だった。
思うように検査ができない!周囲の理解と協力を得て取った驚くべき行動とは?
「そういうときでしたから、一日に2例ぐらいしか検査できない。これでは上達しません。秋田まで何をしに行ったのか。随分と悩みました」
そこで近藤は、思いきった行動に出る。
「実は当時、週三日ほど注腸検査を任されていたんです。そこで注腸検査の前に、大腸内視鏡検査を行ってみてはどうだろう。そう先輩から助言されたんです。検査は一日10例以上行いますから、週30例以上は手がけることができます。当時は、こうして腕を磨いていくしか方法がありませんでした。おそらくこの経験がなければ、今の私はないと思います」
また、ときには別の病院にまで出向いて、検査を行ったこともある。もちろん、周囲の理解と協力がなければ、このような無茶は通らない。ときに厳しく、ときに寛容に見守ってくれた恩師や先輩の協力があったからこそだ。
「人生において、師となるような人、あるいはいい先輩に巡り会う機会は思っているよりも少ないんです。だからこそ、自分にとって学ぶべきことが多いと思える人との出会いは、大切にしなくてはいけません。彼らはきっと人生の指針となってくれます」と近藤は語る。
例えば、研修医時代、近藤は先輩からこんなアドバイスを受けたことがある。患者と近藤とのやり取りを耳にしたその先輩は、近藤のことを「まるで安請け合いの車のセールスマン」と評したのだ。
「私が専門用語を早口でまくし立てている姿を見て、心配になったのでしょう。患者はわかったように肯いているかもしれないけれども、ほとんど理解していないのではないかと指摘されました」
以来、患者に「平易にわかりやすく説明する」ということも、近藤の大事なポリシーとなっている。そしてその言葉どおり、近藤は順天堂時代に知り合った上司と先輩に今でも公私ともにお世話になっているという。
医師に必要なのは「国語力」人生の指針となった四つのことば
「医師は、確かに理系の力が必要です。ですが、文系の力も同等かそれ以上に求められます。ものごとをまとめて、それをいかに過不足なく伝えられるか。それは国語力なんです。つまりことばです」
ではことばをうまく伝えるためには何が必要か。それが「教養」であると近藤はいう。
「教養とは、先人たちが遺していったことばに他なりません。それらを勉強して、仕事に生かしていく。それが教養を身につけることなのだと思います。先達はあらまほしき事なりという兼好法師のことばも、まさにそのことを伝えているわけですね」
加えて、近藤は「心の平静を保つ」大切さも説く。
「医師の仕事は、一例一例が真剣勝負。日々の緊張は相当にあります。しかし医師の心が平静でなければ、病んだ人の気持ちは治せません。そのためには、教養、包容力、平常心が不可欠です。それらをもって初めて、冷静に患者の声に耳を傾けて、適切な診断や治療を行うことができるわけです。だからこそ医師は先生と呼ばれる職業なのだと思っています」
振り返れば、近藤が大腸内視鏡にこだわり続けてきたのは、医局員時代の「こんなに苦しくてつらい検査を受けたのは初めてだ」という、患者からの厳しいことばがきっかけだった。そのことばに奮起し、研鑽を積んだからこそ、今の近藤がある。もちろん、恩師や先輩からもたくさんのことばをもらってきた。だからこそ、近藤は繰り返す。「ことばの大切さ、ことばの教えを伝えたい」と。