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化学品メーカー業界

就職活動中に意気投合した同期とともにダイセルに入社。10年間で3カ所の工場勤務を経て次々と重要なポストに抜擢。フル回転で挑むものづくり改革!

剣道とラクロスで心身を鍛えた学生時代

その時期の学びを生かし、ひとり三役で奮闘

毎日が「刺激しかない」

株式会社ダイセル 生産本部 副本部長 兼 社長室 室長 兼 モノづくり革新センター センター長

三好 史浩  (みよし ふみひろ)

1982年

富山県射水市で生まれる。

小中学生の頃、剣道が休みの日は父親に連れられて

よく山に行った。泊まりがけで行く、本格的な登山だった。

1998年

富山県立砺波高校理数科に入学。

学校の授業の難易度が高く、朝6時には家を出て図書館で予

習、部活が終わった後も図書館で復習をしていた。

2001年

新潟大学工学部化学システム工学科入学。

新潟大学大学院自然科学研究科材料生産システム専攻修了。

2007年

株式会社ダイセル入社。

最初の1年は組立加工事業場での研修を経験。

2008年

有機合成カンパニー新井工場技術グループ配属。

この工場で8年間勤務。その間に結婚し、自宅を建てる。

2016年

セルロースカンパニー網干工場へ異動。

この工場で働き始めて間もなく、社長から新プロジェクトの

リーダー就任の電話を受ける。

2024年

ひとり三役で奮闘する日々を送る。

 大阪に本社を置く化学品メーカー、ダイセルに勤める三好史浩さんは、社長室室長、モノづくり革新センターのセンター長、生産本部副本部長という3つの重要な役職を兼任している。


 世界シェアトップクラスの製品をいくつも有し、約5600億円の売り上げを誇るダイセル。


 15の国と地域に拠点を置くグローバル企業で、三好さんはなぜひとり三役を務めることになり、どう働いているのだろう?

心身を鍛えた中学の剣道部 背水の陣で国立大に現役合格

 三好さんは1982年、富山県射水市で生まれた。兄の影響で小学校2年生の時に剣道を始め、次第に夢中になった。最も思い出深いのは、全国での活躍を目指すレベルだった中学校の剣道部で、三好さんも全国大会に出場している。


 学校のテスト期間中に合宿をするなど練習はとてつもなく厳しかったそうだが、三好さんは勉強を疎かにしなかった。


 武道場の壁には「勝者になる為に、敗者の特性を知ろう」という貼り紙があり、「敗者は努力に逃げ込み、成果に対して厳しくない」など10個の言葉が記されていた。合宿のせいでテストの成績が悪いというのは、敗者の言い訳。剣道部のメンバーに学年一の秀才がいたこともあり、三好さんも「勉強は時間じゃない」と毎回短期集中でテストに臨み、上位10%に入る成績を収めていた。


 高校は、富山県立砺波高校の理数科に進学。県内有数の進学校で剣道の強豪校だった。しかし、三好さんが入学した年に、剣道部の顧問が他校に異動してしまう。これを機に練習の内容も部内の雰囲気も変わり、高校では中学時代のような成績を収めることができず、「中途半端に終わりました」。それでも熱心に練習に取り組み、現在も関係が続く仲間にも恵まれた。


 両親から「自分に厳しい」と評される三好さんは、受験の時期に入ると、毎日図書館に通い、閉館時間まで勉強して帰宅後にまた机に向かった。環境問題に興味を持ち、「誰も解決していない課題に挑みたい」と、第一志望の北海道大学を目指して妥協せず勉強に励んだ。それなのに、センター試験(現共通テスト)でつまずいた。


 「センター試験の英語で大失敗しました。学校の先生には、北海道大学どころか、どこも受からないと言われましたから」 私立大学への進学も、浪人も考えておらず、選択肢国は公立のみ。背水の陣で新潟大学を受験したところ、「完璧」と言える手応えを得て、工学部化学システム工学科に合格した。

ラクロス部で創部初の全国大会出場 「約束」を守ってダイセルに入社

 高校の部活が不完全燃焼に終わったことで、「一からできる新しい競技で、もう一度勝負したい」と思い、大学では4年間、ラクロスに没頭した。


 目標は全国大会出場。自分たちが部活をリードする大学3年生になると、関東から新潟に転勤してきた社会人で、関東の大学リーグのコーチとして実績を上げてきた人物に指導を直接依頼した。その人物から提示された条件は、1年間で大きい段ボールが満杯になる分量の練習ノートを書くこと。


 「コーチが求めたのは、それほどの覚悟を持ち、自分で考える習慣をつけることでした。単に頑張れと言うのではなく、頑張り方を教えてもらいました」


 「創部から優勝経験がない」ラクロス部は、書き終えたノートと比例するように実力をつけ、三好さんはライバル校を迎え撃つ戦術を無意識に動けるほど練習をしてきた。しかし、その戦術をすぐに実戦することはなかった。4年生のとき、最後の大会となった東北リーグで、一度も勝ったことの無いライバル校に唯一その戦術を講じ勝利し、全国大会出場を果たす。

 

 一方、大学での研究室は発酵する際に発生する泡を制御する方法を研究。ラクロスにほとんどの時間を割いていたが、中学時代に磨いた短期集中型の学習方法で、スムーズに研究を終えた。


 大学院でも関連する研究を続けながら、就職活動を開始。「練習のつもり」で最初に受けたダイセルに入社することになったのは、意外な理由だった。


 「集団面接の待合室で一緒になったほかの大学の学生とめちゃくちゃ意気投合したんです。それで、面接が終わった後に4、5人で食事に行って、ここに受かったら絶対に入社しようと約束したんです」


 その後、大手化学企業からも内定を得たにも関わらず、約束を優先。入社式の数日前、会社の寮に引っ越す時に面接で出会ったメンバーと熱い再会を果した。全員が他社の内定を蹴って、ダイセルを選んだそうだ。


 2007年春に入社してから10年間は、兵庫県の播磨工場、新潟県の新井工場、兵庫県の網干工場で勤務。工場のスタッフとして、製造現場のノウハウを身につけた。


 転機が訪れたのは、2016年。それまでほとんど面識のなかった小河義美社長(当時専務)から、電話がかかってきた。「今度AI関係のプロジェクトをやるから、リーダーを任せる。成果も何も期待せん、好きにやれ」


 その頃、三好さんはAIについて知識がなく、寝耳に水のオファーだったが、「面白そうなプロジェクトを担当させてもらえるなんてラッキー!」と感じたそう。

AIを学び新システム開発 ひとり三役で飛び回る日々

 翌年にスタートしたのが、「次世代生産システム構築プロジェクト」。「熱いチームを作りたい」と考えた三好さんは、リーダーとして部署の垣根なく優秀な人材に声をかけ、月1回の合宿をするところから始めた。


 目指したのは、2000年に確立した「ダイセル式生産革新」の刷新。これは、生産性向上を目的に、製造現場のヒアリングを重ね、ノウハウを誰もが使えるように標準化した取り組みだ。工場で一人あたりの監視範囲が3倍になるなど、大幅な生産性向上を達成したこの仕組みに目をつけたのは、現場を知る三好さんが「もったいない」と感じていたからだった。「網干工場だけでも、抽出されたノウハウは840万個あります。でも、そのうちの2割しかシステム内に登録されていません。あとの8割は辞書のような形で残されていて、必要な時に読み込むという運用でした。その8割の情報がもったいないと思い、AIで活用しようと考えました」


 誰ひとりAIに通じたメンバーがいなかったため、三好さんとメンバーは東京大学大学院の講義「人工知能論」を受講。ひととおりの知識を得たうえで、東大とAIの共同開発を進めた。そのAIは、現場のデータと熟練運転員の業務を分析し、膨大なノウハウを抽出する役目を担う。


 工場の生産業務と兼任でAIの開発を行っていた三好さんに、小河社長から再び電話がかかってきたのは2019年。今度は「秘書になってほしい」と言われ、上京して社長秘書に。スケジュール管理、社長が使う資料作成、お礼状や手土産の手配などを手掛けながら、プロジェクトリーダーも続けていた。さすがにひとりでは手が足りなくなり、自ら希望を出し、「社長室」が設立され、社長特命業務を担うスタッフを束ねる室長に就任した。


 「仕事でも『先を取る』ために、社長室のメンバーが来たら雰囲気が変わるような存在感を出せるようになろうと話しています」

 

 2021年に「AI自律型生産システム」が完成すると、次は各工場に実装する段階に入る。プロジェクトの核となる作業を滞りなく進めるために「モノづくり革新センター」が立ち上げられ、センター長にも就いた。翌年から各工場に導入が始まり、すでに年間約20億円という「かつてない次元」のコストダウンを実現しているという。


 AIの導入作業が続くなか、今年1月、主力事業の製法転換プロジェクトのリーダーに。このプロジェクトを主に担当する生産本部の副本部長も兼任することが決まり、ひとりで三役を務めることになった。


 三好さんの行動指針は、中学時代、剣道場の壁に貼ってあった勝者の心得。大学時代に身につけた、自分で考える習慣も今に生きる。月の半分は出張で国内を飛び回る三好さんは、「毎日刺激しかないですね!」と笑顔を浮かべた。

Q&A

休日の過ごし方は?

 自分が興味のない美術館の展示などに行くようにしています。自分の感性が低いから良さがわからない、でも実際に観てみたらなにか感じるかもしれないので。

将来したい仕事は?

 経済活動だけじゃない仕事をしてみたいです。その仕事を実現する場所として、工場が理想だと思っています。工場の仕事を通して企業の成長と地域の発展の両立に貢献したいですね。