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カーエレクトロニクス業界

高校時代からの夢、音響系エンジニア。音への強いこだわりと、職人気質を感じたパイオニアで音響機器のハード設計からキャリアを始めた須藤誠さんは、ソフトウェア開発へとその活躍の舞台を広げている

自分の魂が納得する物は自分で作る方が早い。

そんな子どもの頃からのポリシーで歩み続けるプロフェッショナルの道

パイオニア株式会社 技術開発本部/技術統括グループ サウンド技術開発部 サウンドソフト開発課

須藤 誠  (すどう まこと)

1992

新潟県生まれ。ものづくりに勤しみながら、車で1時間の海まで

よく釣りに連れて行ってもらう。

2008

新潟第一高等学校入学。

部活は陸上部で、5000mを得意とし、駅伝ではアンカーを任さ

れるなど活躍。貴重な青春の1ページ。

2011

長岡技術科学大学 工学部 電気電子情報工学課程入学。

2017

長岡技術科学大学大学院 電気電子情報工学専攻修了。

パイオニア株式会社入社。

カーオーディオ製品の電気設計を担当する。

2020

音響設計したディスプレイオーディオが発売。アクシデントによ

る緊急対応を担当、その間に結婚も。

2021

ハード部門からソフト部門へジョブチェンジ。

2022

第1子の女子が生まれる。着物や寺社城郭に興味がある大和

撫子に成長中。

2024

OEM(他社ブランドの製品を製造する)部署でDSPソフトウェ

ア開発に従事。12月に第2子が生まれる予定。

 オーディオメーカーとして1938年にスピーカー製造から始まったパイオニア株式会社。そこで、音響系エンジニアとして働く須藤誠さんは、物心ついた時からものづくりが好きな少年だった。


 「幼稚園の頃、『ドクタースランプ 』のアニメで、博士が電気回路を作っていて『あ、かっこいい』と思ったんです」


 それから、当時好きだった電車を厚紙などで作ったのが、ものづくりのスタートだった。小学校に上がってからはモーターを使い、作ったものを動かして遊ぶようになった。


 「小さい時から、ものづくりと釣りしかしていない。それは今も、変わっていないです」と、須藤さんは笑う。

自分が満足して使えるものが欲しい それならばとエフェクターを自作

 中学に入ると「BUMPOF CHICKEN」や「ELLEGARDEN」などの音楽に惹かれ、中学3年からベースギターを始める。


 「ギターを始める人が多いですけど、皆と同じは嫌だったので、ベースを選びました。そのうちエフェクターなどの機材に興味が出るんですよ」


 エフェクターとは、楽器とアンプとの間に接続し、原音に音響的な効果を加える機材だ。高校生になると須藤さんは、エフェクターを自作するようになる。


 「ベースのエフェクターはギターより市販の数が少なく、自分の求める音がなくて、満足できなかったんです。じゃあ自分で作ってみようと」


 ネットの情報を参考にパーツを揃え、ハンダコテを使用して電子部品を基板上に配線し、筐体(機器の外側を成す箱)に納める。「こうやったらいい音が出るんじゃないかと試行錯誤を繰り返して、求める音に近づけていく。それが楽しくて。完全に自分好みの音にできるので」


 この頃から「音響系の機材をつくる仕事をしたい」と、県内の国公立で、音響が学べる長岡技術科学大学を志望する。


 「ただ、担任の先生には相当厳しいって言われました。高2の進路面談で『え? 国公立?』みたいなテンションで言われ、母親が『もう面談行きたくない』と言っていました。(笑)」


 もともと数学と物理が好きで、文系科目、特に英語が苦手だった須藤さん。「単語を暗記して、構文の過去問をたくさん解く」で、なんとか入学試験では苦手な科目も平均点を超え、無事合格を果たした。


 「正直、大学の講義は難しくて、ついていくのがやっとでした。基礎理論の勉強は、受験勉強とは全然違って。でも、なんとかくらいついて乗り切りました」


 そのまま大学院へ進んだ須藤さんだが、大学時代もバンド活動を続け、機材の自作に加え、レコーディングなどの音響エンジニアリングも手がけるようになった。


 そうして、修士課程を終え「音響系の機材をつくる仕事」という夢を叶えるため、パイオニア株式会社に就職した須藤さん。パイオニアは、国内外に約50社のグループ会社を有し、カーエレクトロニクス分野を中心にグローバルに事業を展開している会社だ。


 「学校の推薦にパイオニアがあって、音響メーカーと知っていたので話を聞くと、ものづくりへのこだわりが一番強く感じられ、職人気質の印象を受けたんです。それに自分が幼稚園に入る前、家にパイオニアのレーザーディスクカラオケがあったんですよね」


 パイオニアは、コンポーネントカーステレオやGPSカーナビゲーションシステムなど数々の世界初の商品を生み出している。レーザーディスクカラオケもまた、パイオニア発の製品だ。

自分が思う最高の音を 許された予算内で追求し続ける

 入社して3年、須藤さんは市販のディスプレイオーディオの音づくりを担当することになる。


 「自分が思う一番いい音を、許された予算内で追求した」という須藤さんだが、パイオニアには、“音のエキスパート”と呼ばれる、匠のような社員が何人もいる。この匠たちが音質にOKを出さなければ、製品は販売することができないのだ。


 「正直自信はありました。高校の時から電気回路を使った音づくりをしてるので、『できるはず』と、音質判定会ともいえる視聴会に臨んだんです」


 そこにいたのは6人の匠。そして下された判断は、NOだった。


 「もらった評価をものすごく単純に言うと『音、良くないね』。ショックでした。でも、自分が気づけていなかった観点や、指摘をもらって、なるほど、この言葉は裏を返せば『もっといけるんじゃない?』ってことかと。ああウチにはちゃんと職人がいるんだなと納得しました。それで言われたことを踏まえて、必死に修正に取り組みました」


 その後2週間ほど費やして修正し、再び臨んだ音質判定会。匠たちの評価は、「前より良くなってて、まあ、いいんじゃない」だった。須藤さんが追求した「一番いい音」は、製品が販売される価格帯で求められるクオリティを満たせているという判断が下され、ディスプレイオーディオの販売が決まった。


 ところが、販売されて半年ほど経った時、製品が突発的なアクシデントに見舞われてしまう。部品の一部の供給が、工場の火災事故で止まってしまったのだ。この緊急事態の対応に、オーディオ担当だった須藤さんにも招集がかかった。


 「当時のエンジニアとしての力量を考えると、その仕事内容は結構チャレンジングでした。でも上司が、成長できる機会だと私を選んでくれたんだと思います」


 供給が止まった部品は、音づくりのメインパーツではなく、音質に関わる回路に直接的な影響はなかったが、いくつかの回路の再設計を余儀なくされた。


 「部品が変われば、その変化に音も引きずられてしまう可能性があるので、音質が変わらぬよう妥協せずやりました」


 須藤さんは、自分が思う「一番いい好きな音」を守り、会社の利益も守らなければならない。


 「部品を変えることは、再設計することと同じです。しかもモタモタしていると製品の市場在庫がなくなり、会社の利益にならない。そのため厳しいスケジュールになるんです。でもやるしかない。ものすごいスピード感がありました」


 加えて、タイトなスケジュールでは、些細なミスも遅れの原因となり、場合によっては致命的にもなりかねない。「ミスはできない」そんな緊張感ある現場だった。


 「もう使命感で乗り切りました。短期間で品質を最大限上げるという、切羽詰まった経験を一回でもすると、仕事を完遂する道筋を見渡せるようになると思います。あの経験は今も役立っています」


 緊急対応チームは一丸となり、二カ月足らずで最終段階までこぎつけた。


 「そんな時もパイオニアという会社は、ちゃんと音質の判定をしてから市場に出すんです。匠が『緊急対応かもしれないけど、音質大丈夫だよね?』という具合です(笑)」


 結果はもちろん一発OK。製品は無事市場に送り出されたのだった。


 その製品は、今も評判が良く、有名な比較サイトに「音がいい」や「オーディオショップの評判がいい」と書き込まれていたり、YouTubeで紹介されたりしている。


 「自分がつくったものを喜んでくれている人がいる。やりがいですね」

ハードウェアもソフトウェアも 同様に高いレベルのエンジニアになるために

 現在、須藤さんはDSP(デジタルシグナルプロセッサ)ソフトウェア開発を担当し、音響処理プログラムの設計に従事している。


 DSPは、デジタル信号処理に特化したプロセッサ。楽曲などのデジタル音声信号に対して、フィルタリングや音響解析などの算術演算を高速に行うことができる。


 「やっていることの本質は、高校の頃の自作エフェクターと変わらないんです。一番いい音を目指す。それをアナログの世界である電気回路でやるか、デジタルの世界であるプログラムでやるかですね」


 異動したのは、ディスプレイオーディオの緊急対応業務が落ち着いた頃だった。所属していた電気設計部門で、ソフトウェア部門へのジョブチェンジの募集がかかり、須藤さんは悩んだ末に手を挙げた。緊急対応での仕事が評価されたこともあり、最終的に異動が決まった。


 「ハードウェアもソフトウェアも、同じくらい高いレベルで扱えるようになりたい。それがモチベーションでした。二つは密接に関係していますが、両方に精通しているエンジニアは多くありません。その間を繋ぐ存在になりたいんです」


 経験はほぼなかったため、ソフト部門に飛び込んでから一から勉強した。それは異動して3年経つ今も続けている。


 「勉強は大事ですね。そこは高校生と一緒です」


 子どもの頃からの趣味の釣りでも、カーボン製の釣り竿を自作するという須藤さん。


 「結局、自分のニッチな要求を実現できる物って、自分で作っちゃった方が早いし、楽しいんですよね。楽しいからやってるんです、ものづくりが。それはもう子どもの頃からずっとですね」と、いたずらっ子のように笑った。

Q&A

休日の過ごし方は?

 海でのルアーフィッシングがメインで、遊漁船に乗ったりしています。2年くらい前に小型船舶1級の免許を取得し、友だちを乗せて船長としてレンタルボートで船を出したりもしています。昨年は人生で最大記録となる約160キロのマグロを釣り上げることができ、メモリアルな年になりました。マグロは記念撮影して、お世話になっている方々にお裾分けしました。